湯橋吉信
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湯橋 吉信(ゆはし よしのぶ、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。
紀伊国名草郡湯橋荘の豪族。慶長19年(1614年)大坂の陣に豊臣方として参戦[1]。大坂城落城後、和歌山・広瀬に落ち延び坂口甚五郎と名を変えた。その後は大坂・奈良で商人となったという。
子の湯橋里政は寛永8年(1631年)、和歌山の農業・商業・行事に関する記録を伝える資料『祖竹志』を書き残している。
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