稲垣清 (陸軍軍人)
表示
稲垣 清 | |
---|---|
生誕 |
1875年6月14日 日本 東京府 |
死没 | 1946年5月28日(70歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1926年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
稲垣 清(稻垣 清、いながき きよし、1875年(明治8年)6月14日 - 1946年(昭和21年)5月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲三等功四級[2]。
経歴・人物
[編集]東京府人・稲垣道生の長男として生まれ、1893年(明治26年)家督を継ぐ[2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][3]。のち1902年(明治35年)11月に陸軍大学校第16期卒業[1][3]。
陸軍戸山学校同歩兵学校各教官、1915年(大正4年)10月に若松連隊区司令官を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第24連隊長(第12師団)に任官[2][3]。連隊長としてシベリア出兵に参戦し、ハバロフスクおよびブラゴベシチェンスクを占領した[1]。
その後、1919年(大正8年)4月に第12師団参謀長、1922年(大正11年)2月に陸軍少将・歩兵第13旅団長、1924年(大正13年)2月に第18師団司令部附、1925年(大正14年)5月に第12師団司令部附を経て、1926年(大正15年)3月2日に陸軍中将に昇進と同時に待命、同月22日に予備役に編入した[1][3]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。