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第101師団 (日本軍)

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第101師団
創設 1937年(昭和12年)9月1日
廃止 1940年(昭和15年)2月25日
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
人員 約25,000名
所在地 東京-華中
編成地 東京
通称号/略称 無し
補充担任 第1師管
最終上級単位 第11軍
最終位置 東京
戦歴 日中戦争
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第101師団(だいひゃくいちしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1937年昭和12年)7月に日中戦争が勃発すると、常設師団の他に、常設師団の固有番号に100を加えた特設師団が編成され、中国大陸での作戦に投入された。

第101師団もその特設師団の一つで、1937年(昭和12年)9月1日留守第1師団の担当で編成された。上海派遣軍司令官松井石根大将の要請により、第9師団および第13師団とともに第二次上海事変の増援軍として上海戦線に赴いた。上海戦の後、12月の南京攻略戦では攻略部隊を側面から支援するため、揚子江沿いに西進、鎮江で渡河し対岸の揚州攻略に従事した。

その後、1938年(昭和13年)2月14日には新設された中支那派遣軍戦闘序列に編入され、徐州会戦を戦った。7月4日には第11軍に編入され、武漢作戦南昌作戦に参加した。1939年(昭和14年)11月7日復員し、翌1940年(昭和15年)2月25日に廃止された。

師団概要

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歴代師団長

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  • 伊東政喜 予備役中将:1937年(昭和12年)9月3日 - 1938年(昭和13年)11月9日
  • 斎藤弥平太 中将:1938年(昭和13年)11月9日 - 1940年(昭和15年)2月25日

参謀長

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  • 西山福太郎 歩兵大佐:1937年(昭和12年)9月1日 - 1938年3月1日[1]
  • 国武三千雄 砲兵大佐:1938年(昭和13年)3月1日 - 1939年(昭和14年)11月7日[2]

所属部隊(編成時)

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脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』314-315頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』373頁。

参考文献

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  • 鈴木淳・古川隆久・劉傑編『第百一師団長日誌 伊東政喜中将の日中戦争』(中央公論新社、2007年) ISBN 978-4-12-003835-8
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連項目

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