細川持元
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時代 | 室町時代前期 |
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生誕 | 応永6年(1399年) |
死没 | 正長2年7月14日(1429年8月14日) |
改名 | 聡明丸(幼名)、持元 |
別名 | 五郎(通称) |
戒名 | 性智院殿玉峰道秀 |
官位 | 右馬助、右京大夫 |
幕府 | 室町幕府 摂津、丹波、讃岐、土佐守護 |
主君 | 足利義量 |
氏族 | 細川京兆家 |
父母 | 父:細川満元 |
兄弟 | 持元、持之、持賢 |
細川 持元(ほそかわ もちもと)は、室町時代前期の守護大名。摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国守護。通称は五郎。官位は右馬助、右京大夫。細川京兆家9代当主。
略歴
[編集]応永33年(1426年)10月、父の死去に伴い細川京兆家の家督を継いだ。
応永34年(1427年)9月21日、播磨の守護大名・赤松義則が死去すると、跡継ぎとして嫡男・満祐が継ぐ筈だった。
しかし、満祐は足利義持に必死に訴えるも聞き入れられなかったため、怒りのあまり自邸を焼き払い、播磨に帰国した。
義持は激怒し、持元と一色義貫の話し合いの結果、満祐討伐を断念した。
正長2年(1429年)に31歳で死去した。法名は性智院殿玉峰道秀。嗣子は無く、家督は次弟・持之が継いだ。