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落合鼎五

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
落合 鼎五
生誕 1893年3月11日
日本の旗 日本 宮崎県
死没 (1953-10-20) 1953年10月20日(60歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1914年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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落合 鼎五(おちあい ていご、1893年明治26年)3月11日 - 1953年昭和28年)10月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴・人物

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宮崎県出身[1]1914年大正3年)陸軍士官学校第26期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][2]。のち1922年(大正11年)陸軍大学校に入校し、1925年(大正14年)同校第37期卒業[1]

1938年(昭和13年)陸軍歩兵大佐河南省特務機関長を経て、1939年(昭和14年)3月25日歩兵第217連隊長となり、支那事変では南昌に駐屯し、錦江作戦などで奮闘した[1][3][4]。ついで北支那方面軍司令部附となった[1]

大東亜戦争に突入すると第11軍司令部附・漢口特務機関長から第101警備司令官に転じた[1]。その間、1941年(昭和16年)8月25日陸軍少将1944年(昭和19年)6月19日に第1独立守備隊長を補任された[1]

その後、1945年(昭和20年)4月30日に陸軍中将に昇進[1]。さらに同年5月5日陸軍歩兵学校附となり、翌月の6月1日第225師団長(第2総軍第15方面軍)に任ぜられ、兵庫県龍野に防衛陣地を構築中に終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

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勲章

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本陸軍将官辞典』191頁。
  2. ^ 『官報』第722号、大正3年12月26日。
  3. ^ 『官報』第3346号、昭和13年3月2日。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』356頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
  6. ^ 『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。