薩谷和夫
表示
さつや かずお 薩谷 和夫 | |
---|---|
生年月日 | 1935年7月20日 |
没年月日 | 1993年1月6日(57歳没) |
出生地 | 日本・東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 | 美術監督 |
主な作品 | |
映画 『転校生』 『時をかける少女』 『さびしんぼう』 『ふたり』 |
薩谷 和夫(さつや かずお、1935年7月20日[1] - 1993年1月6日[1])は、日本の映画美術監督。東京都出身。
来歴
[編集]永田町小学校(現麹町小学校)、麹町中学校、東京都立明正高等学校を経て、青山学院大学文学部入学後、中退。中退後に東宝撮影所美術課に入社。入社後、最初の仕事は怪獣”ラドン”の翼の操演だった。
黒澤映画の美術監督である村木与四郎のもとで美術を学ぶ。兄弟子は竹中和男。
初美術監督作品は加山雄三の「若大将シリーズ」の『俺の空だぜ!若大将』。
お酒は”サントリー角瓶”を、ミュージカル映画は『イースターパレード』(1948)が最も好き、と公言。
主に大林宣彦の美術監督として知られるが、大林とは『HOUSE ハウス』の頃に知り合い、東宝退社後フリーとなってからも『転校生』[注釈 1]以降、『青春デンデケデケデケ』までの大林映画の美術監督を務める。
『水の旅人 侍KIDS』も本来は薩谷が美術を担当する予定だったが、同作の九州ロケの準備中に病に倒れ、尾道まで帰ってきて入院するが、1993年1月6日、死去した[注釈 2]。
仕事の傍ら、こよなく愛した尾道のスケッチ12枚の絵葉書制作に取組んでおり、これが遺作となった。
本来は美術担当だが、『HOUSE ハウス』から『ふたり』まで脇役の役者としても登場。また大林の配慮で『あの、夏の日』では写真の遺影を使用している。担当した美術監督作品数は50を越える。
墓は自らが美術を担当した『さびしんぼう』の舞台となった尾道の西願寺にある[注釈 3]。
主な代表作
[編集]- 1966年5月28日 - クレージーだよ奇想天外 - 美術助手
- 1967年4月29日 - クレージー黄金作戦 - 美術助手
- 1970年8月14日 - 俺の空だぜ!若大将
- 1970年11月14日 - 学園祭の夜 甘い経験
- 1971年1月9日 - 若大将対青大将
- 1971年4月15日 - 夕日くん サラリーマン脱出作戦
- 1972年5月25日 - 白鳥の歌なんか聞えない
- 1972年9月2日 - 恋の夏
- 1973年2月10日 - 卒業旅行 Little Adventurer
- 1973年9月22日 - 夕日くん サラリーマン仁義
- 1973年11月17日 - 野獣狩り
- 1973年12月1日 - 修羅雪姫
- 1973年12月29日 - グァム島珍道中
- 1974年3月21日 - ゴジラ対メカゴジラ[1]
- 1974年7月20日 - 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS
- 1974年7月20日 - 血を吸う薔薇
- 1975年2月1日 - 告訴せず
- 1975年6月21日 - 阿寒に果つ
- 1975年7月12日 - がんばれ!若大将
- 1977年1月22日 - アラスカ物語
- 1977年7月30日 - HOUSE ハウス
- 1977年12月17日 - 惑星大戦争[1]
- 1978年4月29日 - 愛の嵐の中で
- 1978年12月16日 - ピンク・レディーの活動大写真
- 1979年7月14日 - 金田一耕助の冒険
- 1979年8月4日 - ホワイト・ラブ
- 1981年2月11日 - 帰ってきた若大将
- 1982年4月17日 - 転校生
- 1983年7月16日 - 時をかける少女
- 1985年4月13日 - さびしんぼう
- 1988年9月15日 - 異人たちとの夏
- 1991年5月11日 - ふたり
- 1992年10月31日 - 青春デンデケデケデケ
- 1993年2月20日 - はるか、ノスタルジィ
受賞歴
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『映像メディア作家人名事典』(日外アソシエーツ)
- 『新版 大林宣彦のa movie book尾道』(たちばな出版 2001年) P194-195
- 『4/9秒の言葉―4/9秒の暗闇+5/9秒の映像=映画』(大林宣彦 創拓社 1996年)P224
- 『映画 おかしなふたり』パンフレット(1988年)
外部リンク
[編集]- 薩谷和夫 - 日本映画データベース
- 薩谷和夫 - goo映画 - ウェイバックマシン(2011年9月13日アーカイブ分)
- 薩谷和夫 - allcinema
- 薩谷和夫 - KINENOTE
- 尾道ファン倶楽部
- Kazuo Satsuya - IMDb