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藤井正男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤井 正男
ふじい まさお
生年月日 1906年3月19日
没年月日 (1995-06-12) 1995年6月12日(89歳没)
出身校 明治大学法学部
所属政党国民協同党[1]→)
無所属

当選回数 2回
在任期間 1947年4月 - 1955年4月

選挙区 広島県全県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1946年7月4日 - 1947年
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藤井 正男(ふじい まさお、1906年(明治39年)3月19日[2] - 1995年(平成7年)6月12日[2])は、日本の政治家。第6代福山市長(2期)、衆議院議員(1期)。

略歴

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1931年、明治大学法学部卒業。福山市会議員を務めた後、1946年4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙に立候補。落選するも、当選者の渡辺忠雄公職追放を受け6月22日に辞職。7月4日に繰上補充で衆議院議員となった。

1947年3月19日、公職追放により小林和一福山市長が辞職。かくして、新しく公布される地方自治法に準拠して初代公選市長の選挙が4月5日に行われることとなった。市長選は、市当局の立案した都市計画に反対する藤井と、都市計画遂行を主張する弁護士の徳永豊との一騎打ちとなった。投票の結果、藤井13,165票、徳永10,143票で初当選した[1]

1949年9月18日、戦後初の競馬場である福山競馬場を開設した。1951年に再選するも、1955年の市長選で徳永豊に敗れる[3]

1960年2月1日、市内佐波町に福山電波工業専門学校(現在の近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校)を創立。4月1日には学校法人藤井学園を設立した[4]

1995年6月12日没。

脚注

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  1. ^ a b 福山市史編纂会編 『福山市史 下』 国書刊行会、1983年10月30日、972-973ページ。
  2. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、347頁。
  3. ^ 誠之館人物誌 「徳永豊」 弁護士、福山市長、画家
  4. ^ 畿大学附属広島高等学校・中学校 福山校_沿革

参考文献

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  • 『日本の歴代市長: 市制施行百年の歩み, 第3巻』(歴代知事編纂会)