藤原長道
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、右衛門権佐 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 藤原南家豊成流 |
父母 | 父:藤原武良自 |
兄弟 | 長道、長山 |
妻 | 縣犬養御鎮奈保の娘、藤原魚名の娘 |
子 | 根乙麻呂、柄継、都麻呂、助継、鷹養 |
藤原 長道(ふじわら の ながみち)は、奈良時代の貴族。藤原南家、右大臣・藤原豊成の孫で、丹後守・藤原良因(武良自)の子。官位は従五位上・右衛門権佐[1]。
経歴
[編集]天平神護3年(767年)正六位上から従五位下に叙爵し、翌神護景雲2年(768年)左衛士佐に任ぜられる。
大判事を経たのち、光仁天皇即位後間もない宝亀元年12月(771年1月)に讃岐員外介を兼任、翌宝亀2年(770年)には美濃員外介に転ずるなど、光仁朝初頭は地方官を歴任した。宝亀5年(774年)主税頭に任ぜられ京官に復する。のち、従五位上・右衛門権佐に至る。
官歴
[編集]註釈のないものは『続日本紀』による。
- 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下
- 神護景雲2年(768年) 2月18日:左衛士佐
- 時期不明:大判事
- 宝亀元年(770年) 12月28日[2]:讃岐員外介
- 宝亀2年(771年) 5月14日:美濃員外介
- 宝亀5年(774年) 9月4日:主税頭
- 時期不明:従五位上[1]
- 時期不明:右衛門権佐[1]
系譜
[編集]- 父:藤原良因
- 母:従五位上○○(氏名不詳)の娘
- 妻:縣犬養御鎮奈保の娘
- 男子:藤原根乙麻呂
- 妻:藤原魚名の娘
- 男子:藤原柄継
- 妻:生母不詳の子女
- 男子:藤原都麻呂
- 男子:藤原助継
- 男子:藤原鷹養(?-814?)