近藤豊 (政治家)
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近藤 豊 こんどう ゆたか | |
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生年月日 | 1935年7月15日(89歳) |
出生地 | 愛知県豊川市 |
出身校 | 東京外国語大学 |
所属政党 |
(無所属→) (自由民主党→) (無所属→) (日本新党→) 無所属 |
選挙区 | 旧愛知5区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1979年10月7日 - 1986年6月2日 1993年7月18日 - 1995年9月19日 |
近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、日本の政治家、外務官僚。元衆議院議員(4期)。
来歴・人物
[編集]愛知県豊川市出身。1957年、外交官領事官採用試験合格。1958年、東京外国語大学スペイン語科卒業[1]。同年、外務省に入省。アルゼンチン、オランダ、韓国の日本大使館に勤務する。1978年に退官。
1979年の第35回総選挙に旧愛知5区から無所属(公明党・民社党・新自由クラブ・社民連推薦)で立候補して初当選[2]。民社党との統一会派「国民連合」に加入した。以後、1980年の総選挙も、1983年の総選挙も無所属で立候補し当選を果たした。後に会派離脱した。
1986年6月の第38回総選挙では自民党公認で立候補し、落選。
1990年2月の第39回総選挙も自民党公認(竹下派)[3]で立候補し落選。同年3月、秘書が買収の罪で、運動員6人が被買収の罪で起訴されたが、近藤自身はとがめられなかった[4]。
1993年7月の第40回総選挙において無所属で立候補して4期目の当選。その後、日本新党に加わった[5]。
翌1994年12月、所得税法違反(脱税)と政治資金規正法違反(虚偽記載)の容疑で在宅起訴。1995年3月に名古屋地裁で懲役1年6ヶ月、罰金500万円の実刑判決が出された。同年9月19日に議員辞職した[2]。
後に長男の近藤剛が、2000年の第42回総選挙では民主党公認で愛知15区から、2012年の第46回総選挙では日本維新の会公認で同じく愛知15区から立候補したが[6]、いずれも落選している。
脚注
[編集]- ^ 「日本官界名鑑」1980年版 日本官界情報社
- ^ a b 前田和男『民主党政権への伏流』ポット出版、2010年9月。ISBN 978-4-7808-0153-8。
- ^ 『中日新聞』1989年8月17日付朝刊、県内版、10面、「上村千一郎引退後の愛知5区 どう流れる“上村票” 後援会『草刈り場にさせぬ』」。
- ^ 『中日新聞』1990年3月17日付朝刊、30面、「2派11人を起訴 愛知五区違反」。
- ^ 日本新党では衆議院での当選回数が一番多い議員になった(近藤以外は当選1回)。
- ^ “『培った交渉力生かす』近藤 剛候補(47)維新・新”. 東海日日新聞. (2012年12月9日) 2018年7月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
議会 | ||
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先代 志賀節 |
衆議院安全保障委員長 1993年 - 1994年 |
次代 神田厚 |