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長期裁判

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長期裁判(ちょうきさいばん)とは長期化している(いた)裁判

民事事件

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日本

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家永教科書裁判は、判決まで32年かかり、世界一長い民事訴訟としてギネスブックに記載されている[1]

光華寮訴訟は、1967年の提訴から40年となる2007年に最高裁判所で審理が京都地方裁判所に差し戻されており[2]、提訴から50年を超えた2018年4月時点でも京都地裁で係争中である[3]

アメリカ

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アメリカでは多様なADRの制度があり、トライアルの不確実性ないし予測困難性を回避するため、ADRにより紛争の決着を図る傾向が強くなっている[4]。2004年の連邦地方裁判所における民事第一審訴訟の審理期間の中位数は8.5か月である[4]

イギリス

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イギリスでは民事第一審訴訟事件の多くはトライアルまで行くことはなく和解などで終局している[4]。2004年の統計ではトライアルの申込みまで至った事件の場合、提訴からトライアル開始又は事件終了に要した平均期間は22.4月であった[4]

刑事事件

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日本

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ロッキード事件田中角栄元首相の裁判は一審・二審は実刑判決が出たが、上訴したため有罪判決が確定せずに元首相は選挙に当選し続けて長期間にわたって政界に影響力を残し続けたことや政治的に注目される元首相が死亡して公訴棄却となり、裁判で最も注目された元首相に対する刑事司法の最終判決が明白に確定しなかったことなどが批判された。

リクルート事件江副浩正の裁判では東京地方裁判所の公判回数は321回にのぼり、10年近くかかった[5]

1950年に発覚した大垣共立銀行経済関係罰則整備法違反事件では裁判終了までに27年かかった。

八海事件永山則夫連続射殺事件甲山事件福山市独居老婦人殺害事件のように上訴と差し戻しが何度かあったために、裁判が長期化した例もある。

審理中で被告人が逃亡して身柄が確保されるまで裁判が進まない状況になり、初公判から判決まで長期間かかることがある(例:さらぎ徳二上口孝夫中村公徳山森茂夫西川純戸平和夫浴田由紀子)。

裁判中に日本赤軍によって超法規的措置により釈放されて公判停止となった刑事被告人(坂東國男佐々木規夫奥平純三大道寺あや子仁平映)などは、現在も裁判が続いているともいえる。

以下は長期裁判の例。なお、起訴された年月日及び判決が確定した年月日が不明である事件も多いため、表の上に記載されている事件ほど裁判の期間が長いという訳ではない。

裁判が15年以上かかった主な刑事事件
事件 起訴日 裁判終了日 期間 備考
迎賓館ロケット弾事件 1987年11月2日 2016年3月14日 28年4ヶ月
三一商事事件 1956年4月30日 1981年10月30日 25年6ヶ月
茨城県議会黒い霧事件 1967年1月13日 1989年1月26日 22年
藤沢市母娘ら5人殺害事件 1982年7月 2004年6月26日 21年11ヵ月 第一審判決から控訴審判決まで約12年、第一審判決から上告審判決まで約16年[6]
被告人の男(2007年に死刑執行)は第一審(横浜地裁)で死刑判決を受けて控訴したが、自暴自棄になり、1991年に自ら控訴を取り下げた[7]
その後、弁護人が「控訴取り下げは異常な精神状態の下で行われたもので、無効である」と異議を申し立てたところ、最高裁は1995年に申し立てを認める決定を出した[8]
しかし再開後の控訴審(東京高裁)でも死刑判決は支持され[9]、2004年6月15日に上告棄却判決[10]。上告審判決から10日以内に判決訂正を申し立てず、死刑が確定[11]
甲山事件 1978年3月 1989年10月8日 21年2ヵ月 無罪確定。
大須事件 1952年7月29日 1973年9月4日 21年2ヵ月
東大ポポロ事件 1952年3月10日 1973年3月22日 21年
永山則夫連続射殺事件 1969年5月[12] 1990年5月9日[13] 20年11ヵ月 事件当時19歳の少年だった永山則夫による犯行。
無期懲役の控訴審判決(第一審の死刑判決を破棄自判)に対し、検察側が上告したところ、最高裁は破棄差戻しの判決を言い渡した(永山基準も参照)[14]
差し戻し後の控訴審では控訴棄却の判決(第一審の死刑判決を支持する判決)が言い渡され、1990年の第二次上告審判決(被告人側の上告棄却)によって死刑が確定(少年死刑囚[15]
1997年に死刑執行[16]
愛知大学事件 1952年6月9日 1973年4月26日 20年10ヵ月 無罪確定。
辰野事件 1952年5月27日 1972年12月1日 20年7ヵ月 無罪確定。
血のメーデー事件 1952年5月13日 1972年11月21日 20年6ヵ月
高田事件 1952年8月15日 1972年12月20日 20年4ヵ月
戸塚ヨットスクール事件 1983年 2002年2月25日 約19年 校長の戸塚とコーチ9人の計10人が起訴。
一審では長期の未決勾留を考慮し全員に執行猶予付き有罪判決。検察側と戸塚ら6人が控訴(残りのコーチ4人は一審判決が確定)。
二審では一審判決を破棄し戸塚ら4人に実刑判決(コーチ2人は改めて執行猶予付き有罪判決が言い渡され確定)。
戸塚ら4人が上告するも最高裁が二審判決を支持し控訴を棄却したため戸塚ら4人を実刑とする二審判決が確定。
森永ヒ素ミルク中毒事件 1955年9月20日 1973年11月28日 18年3ヵ月
宮代事件 1980年 1998年10月8日 約18年 兄弟が起訴されて兄は死刑、弟は無期懲役が確定。冤罪の可能性あり。
富山・長野連続女性誘拐殺人事件 1980年[17][18] 1998年10月9日[19][20] 約18年[21] 男女2人が被告人として起訴されたが、第一審・控訴審とも女1人の単独犯と認定[22][23]
男性は一・二審で無罪判決を受け、1992年に無罪が確定した一方[24]、犯人の女は1998年に死刑が確定(戦後7人目の女性死刑囚[25]
北海道庁爆破事件 1976年 1994年9月6日 約18年 死刑確定。冤罪の可能性あり。
市原両親殺害事件 1974年 1992年1月30日 約18年 死刑確定。冤罪の可能性あり。
ロッキード事件 1977年 1995年2月22日 約18年 有罪確定。
仙台老夫婦殺害事件 1987年 2005年9月26日 約18年 控訴審判決(1991年)から上告審判決(2005年・死刑確定)まで14年[26]、中断期間あり。
鶴見事件 1988年[27][28] 2006年3月28日[29] 約18年 死刑確定。犯人とされた男(2021年に病死)は冤罪を主張し[30]日本弁護士連合会が再審請求を支援している[31]
八海事件 1951年2月15日 1968年10月25日 17年8カ月 被告人5人のうち4人が無罪、残る1人は有罪(無期懲役)が確定。
千日デパート火災事件 1973年8月10日[32][33] 1990年11月29日[34][35] 17年3ヵ月 業務上過失致死傷罪で起訴された管理権原者および防火管理責任者計3名の被告に対し、一審で無罪、控訴審で有罪判決。
被告人1名に禁錮2年6月・執行猶予3年、被告人2名に禁錮1年6月・執行猶予2年。
上告審で上告棄却により、被告人3名の有罪が確定[36][35]
大洋デパート火災事件 1974年 1991年11月14日 約17年 業務上過失致死傷罪で起訴された防火監督者および防火管理者、火元責任者計3名の被告に対し、一審無罪、二審で被告人3名に有罪判決。
防火監督者に禁錮2年、防火管理者に禁錮1年6月、火元責任者に禁錮1年。3被告人にそれぞれ執行猶予3年。
上告審で、最高裁は3被告人を無罪とする破棄自判判決を言い渡した。
六甲山事件 1965年 1982年9月13日 約17年 無罪確定。
仁保事件 1956年3月30日 1972年12月27日 16年9カ月 無罪(別件有罪)確定。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 1989年 2006年1月17日 約16年 2006年に死刑確定。2008年に死刑執行。
空知連続殺人事件 1974年 1990年 約16年 1990年9月13日に最高裁で上告棄却判決を受け、同年10月25日に死刑確定。死刑確定後も再審請求していたが2004年6月4日に獄死。
松戸OL殺人事件 1974年 1991年4月23日 約16年 無罪(別件有罪)確定。
福山市一家3人殺害事件[37] 1988年[38] 2004年9月8日[39][40] 約16年[37] 1988年6月12日に発生[41]
被告人(一・二審で死刑判決)は上告中に病状が悪化したため、2004年7月20日に最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)が公判手続停止を決定。
しかし、その2日後(7月22日)に被告人が死亡したため[37]、同年9月8日付で公訴棄却決定[39][40]
オウム真理教事件 1995年 2011年11月21日 約16年 遠藤誠一の裁判が最長。2018年7月に教団の元教祖・麻原彰晃ら死刑囚13人の死刑執行。
鹿地事件 1953年11月27日 1969年6月26日 15年7ヵ月
青梅事件 1952年11月19日 1968年3月30日 15年4ヵ月
枚方事件 1952年7月16日 1967年9月13日 15年2ヵ月
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 1994年 2011年3月10日 約15年 主犯格の少年3人は2011年に死刑確定(少年死刑囚)。
山中事件 1975年 1990年7月27日 約15年 主犯とされた被告人には一・二審で死刑判決が言い渡されたが、最高裁の破棄差戻し判決を経て、差し戻し控訴審で殺人に関しては無罪(別件有罪)が確定。
従犯とされた被告人には有罪が確定。
鹿児島夫婦殺し事件 1969年 1986年 約15年 無罪確定。
別府3億円保険金殺人事件 1974年 1989年1月13日 約15年 被告人(一・二審で死刑判決)が上告中に死亡したため公訴棄却。

アメリカ

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アメリカでは死刑が求刑されている被告人の事件では裁判が複雑化・長期化する傾向があり、収監施設や死刑執行室の維持費が州の財政に大きな負担となっており経費削減のための死刑廃止の議論がある[42]

脚注

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  1. ^ 1974年 家永教科書裁判”. www.jicl.jp. 2020年10月15日閲覧。
  2. ^ 光華寮訴訟とは京都新聞 2018年04月19日掲載
  3. ^ 廃墟、元留学生寮の内部に 京都、「二つの中国」問題象徴京都新聞 2018年04月19日掲載
  4. ^ a b c d <諸外国における民事訴訟の審理期間の実情等の概観>”. 最高裁判所. 2020年4月22日閲覧。
  5. ^ 『日本の創業者 近現代起業家人名事典』449頁
  6. ^ 「辻堂の女子高生一家3名殺害等事件 死刑の量刑が維持された事例(2004年6月15日 上告審判決)」『判例タイムズ』第1160巻、判例タイムズ社、東京都千代田区麹町三丁目2番1号、2004年12月1日、109-111頁、2018年12月3日閲覧 
  7. ^ 『神奈川新聞』1992年2月4日朝刊B版第一社会面19頁「F被告 控訴取り下げ死刑確定 弁護側は異議申し立て」(神奈川新聞社)
  8. ^ 『神奈川新聞』1995年6月30日朝刊A版第二社会面28頁「F被告『死刑判決にショック』 控訴取り下げは無効 最高裁」(神奈川新聞社)
  9. ^ 『神奈川新聞』2000年1月25日朝刊B版一面1頁「一審死刑判決を支持 F被告の控訴棄却 東京高裁」(神奈川新聞社)
  10. ^ 『神奈川新聞』2004年6月16日朝刊A版第二社会面22頁「5人殺害で死刑確定へ 最高裁 F被告の上告棄却」(神奈川新聞社)
  11. ^ 読売新聞』2004年6月29日東京朝刊第三社会面37頁「女子高生ら5人殺害 F被告の死刑確定 判決に訂正申し立てず」(読売新聞東京本社
  12. ^ 『読売新聞』1969年5月24日東京夕刊11頁「『永山』を六つの罪名で起訴」(読売新聞東京本社)
  13. ^ 朝日新聞』1990年5月10日東京朝刊第二社会面30頁「永山被告の死刑が確定」(朝日新聞東京本社
  14. ^ 『読売新聞』1983年7月8日東京夕刊第4版一面1頁「連続射殺犯 永山の『無期』判決を破棄 最高裁、死刑含み差し戻し 『量刑甚だしく誤る』 4人殺害は残虐で重大 初めて死刑基準」(読売新聞東京本社)
  15. ^ 『読売新聞』1990年4月17日東京夕刊一面1頁「連続射殺 永山被告の死刑確定 執拗・残虐な犯行 差し戻し上告を棄却/最高裁」(読売新聞東京本社)
  16. ^ 『読売新聞』1997年8月2日東京朝刊一面1頁「永山則夫死刑囚の刑執行 19歳の時、4人射殺 全国で計4人執行」(読売新聞東京本社)
  17. ^ 『読売新聞』1980年4月21日東京朝刊一面1頁「【長野】Bさん事件 Mと北野を起訴 誘かい殺人、共同正犯」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)4月号761頁
  18. ^ 中日新聞』1980年9月12日朝刊第12版一面1頁「連続誘かい殺人初公判 家欲しさの犯行 検察、冒頭陳述で説明」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)9月号349頁
  19. ^ 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の第3次再審請求棄却決定 - 富山地方裁判所刑事部決定 2015年(平成27年)3月30日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 判例ID:28231497、平成26年(た)第2号「【事案概要】被告人が、みのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、拐取者みのしろ金要求被告事件で受けた単独犯での死刑判決との確定判決に対して再審請求をした事案において、刑訴法435条6号にいう「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき」場合とは、法定刑の軽い他の犯罪を認めるべきときをいい、弁護人が主張する、単独犯行ではなく、共同正犯の一人にとどまると認めるべき場合はこれに含まれないとして、再審請求が棄却された事例。 (D1-Law)」。
    • 裁判官:田中聖浩(裁判長)・奥山雅哉・吉岡恵
  20. ^ 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の第4次再審請求棄却決定 - 富山地方裁判所刑事部決定 2017年(平成29年)3月23日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 判例ID:28251100、平成28年(た)第1号、『みのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、拐取者みのしろ金要求被告事件』「【事案概要】若い女性を狙って誘拐して家人に身の代金を要求し、その憂慮に乗じて金員を入手しようと企て、2週間足らずの間に18歳の女子高校生及び20歳の女子会社員を連続して拐取し、殺害して死体を遺棄するなどした被告人に対し、被告人を死刑とした確定判決に対し、被告人が再審請求した件につき、再審請求が棄却された事例。 (D1-Law)」。
    • 裁判官:後藤隆(裁判長)・松井修・永田大貴
  21. ^ 北日本新聞』1998年9月5日朝刊一面1頁「M被告の死刑確定 富山・長野連続誘拐殺人事件 最高裁が上告棄却 「両事件とも単独犯行」 発生から18年余」(北日本新聞社)
  22. ^ 『北日本新聞』1988年2月9日夕刊一面1頁「M被告に死刑 北野被告無罪 共謀認めず 富山・長野連続誘拐 富山地裁で判決 2件とも単独実行 “罪なすりつけ”M供述」(北日本新聞社)
  23. ^ 『北日本新聞』1992年4月1日朝刊一面1頁「富山・長野連続誘拐殺人控訴審 北野被告無罪 M被告は死刑 名高裁金沢支部 1審支持、共謀否定 単独犯行と認める M被告きょう上告」(北日本新聞社)
  24. ^ 『北日本新聞』1992年4月15日朝刊第一社会面25頁「富山・長野連続誘拐殺人 北野さんの無罪確定 事件発生から12年」(北日本新聞社)
  25. ^ 『読売新聞』1998年9月5日東京朝刊一面1頁「富山・長野の連続誘拐殺人 M被告の死刑確定 最高裁が上告棄却」(読売新聞東京本社)
  26. ^ 『読売新聞』2005年9月26日東京夕刊第一社会面23頁「仙台の老夫婦殺害事件 上告14年、死刑確定へ 最高裁が棄却判決」(読売新聞東京本社)
  27. ^ 『神奈川新聞』1988年7月23日朝刊C版第一社会面23頁「鶴見の不動産業夫婦殺し 高橋を強盗殺人で起訴」(神奈川新聞社)
  28. ^ 『朝日新聞』1988年11月2日東京朝刊第14版神奈川版横浜地方面27頁「不動産業夫婦強盗殺人 盗みは認め殺害を否認 横浜地裁で初公判」(朝日新聞東京本社・横浜支局)
  29. ^ 『神奈川新聞』2006年3月29日朝刊A版第一社会面29頁「鶴見区夫婦強盗殺人 元電気工 死刑確定へ 最高裁 上告棄却 「罪は極めて重大」」(神奈川新聞社)
  30. ^ 88年の夫婦強盗殺人、高橋和利死刑囚が東京拘置所で病死…確定死刑囚は111人に」『読売新聞オンライン』2021年10月8日。オリジナルの2021年10月8日時点におけるアーカイブ。2021年10月8日閲覧。
  31. ^ 『神奈川新聞』2017年8月31日朝刊A版第二社会面24頁「鶴見事件 再審請求支援 日弁連 新証拠で誤判の可能性」(神奈川新聞社)
  32. ^ 近代消防 1973, pp. 123–126.
  33. ^ “千日ビル惨事:「防災責任者四人起訴」過失競合と認定 出火原因は不明のまま”. 毎日新聞・東京本社版朝刊: pp. 01. (1973年8月11日) 
  34. ^ 判例時報 1991, pp. 43, 45.
  35. ^ a b 法務大臣官房司法法制調査部 1996, p. 101.
  36. ^ 法務大臣官房司法法制調査部 1993, pp. 156, 293.
  37. ^ a b c 吉村時彦「中国新聞地域ニュース > 公判停止のU被告死亡 一、二審死刑▽解説 16年 遅い裁判に疑問」『中国新聞中国新聞社、2004年7月24日。オリジナルの2004年7月26日時点におけるアーカイブ。2004年7月26日閲覧。
  38. ^ 『中国新聞』1988年7月4日朝刊第15版第一社会面15頁「【福山】主犯のUら3人を起訴 福山の3人殺害事件」(中国新聞社)
  39. ^ a b 『中国新聞』2004年9月10日朝刊第17版第二社会面36頁「U被告の公訴を棄却」(中国新聞社)
  40. ^ a b 年報・死刑廃止編集委員会 著、編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘 / 深田卓(インパクト出版会) 編『オウム事件10年 年報・死刑廃止2005』(第1刷発行)インパクト出版会、2005年10月8日、134頁。ISBN 978-4755401572http://impact-shuppankai.com/products/detail/145 
  41. ^ 『中国新聞』1988年6月13日夕刊第6版一面1頁「【福山】福山 飲食店主ら3人刺殺 3人逮捕 「同居の老女隠した」」(中国新聞社)
  42. ^ 米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため”. AFP. 2020年4月22日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 近代消防「近代消防 1973-12(128)」『近代消防』第128号、近代消防社、1973年、doi:10.11501/2652407ISSN 0288-6693 
  • 判例時報「千日デパートビル火災事件上告審決定(最一決H02-11-29)」『判例時報』第1368号、判例時報社、1991年2月11日、42-45頁、doi:10.11501/2795381ISSN 0438-5888 
  • 法務大臣官房司法法制調査部「法務沿革誌・第5巻」『法務沿革誌』第5号、法務省、1993年3月、全国書誌番号:93038186 
  • 法務大臣官房司法法制調査部「法務沿革誌・第6巻」『法務沿革誌』第6号、法務省、1996年3月、全国書誌番号:96058294 

関連項目

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