閉鎖機関
閉鎖機関(へいさきかん)とは、外地ならびに外国銀行および特別戦時機関の閉鎖に関する連合国最高司令官の要求に基き、閉鎖された機関。国内法的には、「ポツダム命令」として、1945年(昭和20年)10月26日付けで公布施行された「外地銀行、外国銀行及特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル件」(昭和20年大蔵省、外務省、内務省、司法省令第1号)及びこれの後継である1947年(昭和22年)3月10日付けで公布施行された閉鎖機関令(昭和22年勅令第74号)により閉鎖がされた。
概要
[編集]閉鎖機関の指定は、当初はSCAPIN(連合国最高司令官指令)の告示「外地ならびに外国銀行および特別戦時機関の閉鎖に関する覚書」や省令「外地銀行、外国銀行及特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル件」等により行われた。1947年からは閉鎖機関整理委員会令(昭和22年勅令同第75号)に基づき設置された閉鎖機関整理委員会(CILC: Closed Institutions Liquidation Commission)が行った[1] [2]。
南満洲鉄道、満洲重工業開発、朝鮮銀行、台湾銀行、東洋拓殖、南洋拓殖など植民地経営に関わった団体や、横浜正金銀行、住宅営団、重要産業団体令や各業界法によって設けられた各産業の統制会社、統制団体、独逸東亜銀行(独:Deutsche Bank für Ostasien)、日仏銀行(仏:Banque Franco-Japonaise)などの枢軸国系外国金融機関の在日支店など、第二次世界大戦下の戦時経済政策に関わった団体が指定された [3][4][5]。なお、各機関の閉鎖時の代表者名については確認できる資料が僅かであるとされている[6]。
1947年の閉鎖機関令第1条は、「この勅令において閉鎖機関とは、連合国最高司令官の要求に基き、その本邦内における業務を停止し、その資産及び負債の整理をなすべきものとして大蔵大臣及び主務大臣の指定する法人その他の団体をいう」と定義している[7][8]。
閉鎖機関の清算は、民法、商法、破産法によらず、閉鎖機関令を中心とする法令に基づいて行われたため「特殊整理」(のちに「特殊清算」)と呼ばれた。当初の閉鎖機関令には各種銀行券の交換レートを加える改正などが行われ、日本国通貨の1円は、満洲中央銀行券の1円、軍用手票の10円、華中華南の中央儲備銀行券では2400円に当たるとするなど、通貨の為替レートも発行した銀行や時期、地域による差がつけられた[9]。また、独逸東亜銀行の日本国内各支店の債務は日本銀行が肩代わりすることを定めた省令なども公布された[10]。
特殊清算は、当初はCILCや特殊整理人(のち「特殊清算人」)によって行われ、朝鮮銀行を含め在外活動閉鎖機関の特殊清算人には石橋良吉が選任された[11]。 CILCは1952年(昭和27年)3月に解散し、現在は財務大臣が選任した特殊清算人が行っている。
閉鎖機関の指定を受けた団体は1,091団体(内解除4団体)で、1956年(昭和31年)3月1日時点で1,055団体が清算を結了している[12]。また、特殊会社、営団であっても外地、特別戦時機関に該当しないとして閉鎖を免れた帝都高速度交通営団、東北開発などの機関も存在する。また、朝鮮銀行の日本国内における残余財産をもって日本不動産銀行が設立された。
主な閉鎖機関
[編集]- 戦時金融金庫
- 資金統合銀行
- 全国金融統制会
- 外資金庫
- 南方開発金庫
- 国民更生金庫
- 横浜正金銀行
- 朝鮮銀行
- 朝鮮殖産銀行
- 朝鮮信託
- 東洋拓殖
- 台湾銀行
- 台湾拓殖
- 台湾商工銀行
- 満洲中央銀行
- 満洲興業銀行
- 南満洲鉄道
- 満洲重工業開発(旧日本産業)
- 満洲投資証券(満洲重工業開発に代わる日産コンツェルンの持株会社)
- 満洲拓殖公社
- 満洲映画協会
- 満洲飛行機製造
- 満洲自動車製造
- 満洲電信電話
- 満洲電業
- 満洲マグネシウム
- 日満商事
- 中国聯合準備銀行
- 蒙疆銀行
- 中央儲備銀行
- 北支那開発
- 中支那振興
- 華北交通
- 南洋興発
- 南洋拓殖
- 樺太開発
- 産業設備営団
- 住宅営団
- 交易営団
- 農地開発営団
- 中央食糧営団
- 大日本航空
- 東亜海運(各海運各社の現物出資で設立された国策会社[13])
閉鎖機関整理委員会資料
[編集]CILCが業務に当たって収集した資料は長く大蔵省によって保管されていたが、2000年に東京大学と東京都立大学 (1949-2011)の共同作業によって整理され[14]、現在は国立公文書館つくば分館にて所蔵されている。それらの一部は国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧が可能である[15]。
脚注
[編集]- ^ SCAPIN-74: CLOSING OF COLONIAL AND FOREIGN BANKS AND WARTIME INSTITUTIONS (1945/09/30, ESS.)。SCAPINs 73も参照 [1]。
- ^ 官報(国会図書館)
- 外地銀行、外国銀行及特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル件(昭和20年大蔵省、外務省、内務省、司法省令第1号)。29機関を指定。
- 閉鎖機関令(昭和22年勅令第74号)
- 閉鎖機関整理委員会令(昭和22年勅令第75号)
- ^ 重要産業団体令(昭和16年勅令第831号)、『官報』。国立国会図書館
- ^ 『解散した組織の文書(1) ―南満洲鉄道株式会社』、国立公文書館(アーカイブ)。
- ^ 『貿易資金を交流 為替手形取引を促進 『独東亜銀行』の業務と組織』、1943年1月26日大阪朝日新聞。神戸大学『新聞記事文庫』。
- ^ 『外地ならびに外国銀行および特別戦時機関の閉鎖に関する覚書」により閉鎖された、以下の機関の閉鎖時の代表者名が分かる資料はあるか』、国立国会図書館『レファレンス共同データベース』。
- ^ 制定時の条文による。現行条文はテンプレート内の条文リンクを参照のこと。なお「連合国最高司令官の要求に基き」の一節は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律による改正(同時にポツダム命令である閉鎖機関令は、平和条約の発効後も法律として効力を有するとされた)で削除された。
- ^ ただし一部は1945年(昭和20年)9月30日付けで連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) より出された「外地ならびに外国銀行および特別戦時機関の閉鎖に関する覚書」に基づいて既に閉鎖機関とされていた。
- ^ “閉鎖機関令”. e-Gov. 2019年12月29日閲覧。
- ^ 大蔵省告示第302号。『1946年4月23日官報』。国立国会図書館。NDLJP:2962289/1
- ^ (株)日本不動産銀行『日本不動産銀行十年史』。1967年10月。公益法人渋沢栄一記念財団情報資源センター。
- ^ 1956年(昭和31年)3月1日の第24回国会参議院大蔵委員会における大蔵政務次官山手満男の答弁による。
- ^ 「関係会社打って一丸 東亜海運会社設立―海運の総合力発揮へ」『大阪毎日新聞』1939年8月6日。
- ^ 武田晴人『予期せぬ発見-「工鉱業会社関係報告書」との出会い-』「Net Pinus」55号、2003年6月、雄松堂書店、[2] / 山崎史郎『経済統制と配給統制機構の再編』「平成14年度東京都立大学総長特別研究費研究成果一覧」、2002年、東京都立大学 (1949-2011)、[3]
- ^ 「閉鎖機関清算関係」、国立公文書館デジタルアーカイブ。
参考文献
[編集]- 閉鎖機関整理委員会編『閉鎖機関とその特殊清算』、在外活動関係閉鎖機関特殊清算事務所、1954年。
- 村上勝彦『閉鎖機関について ―『閉鎖機関とその特殊清算』を中心に―』、「文献解題(39) 1940年代の東アジア』、アジア経済研究所、1997年。
関連リンク
[編集]外部リンク
[編集]- 1947年の閉鎖機関令(昭和22年3月10日勅令第74号)、『官報』。国会図書館。
- 1947年の閉鎖機関整理委員会令(昭和22年3月10日勅令第75号)、『官報』。国会図書館。
- 閉鎖機関令 - e-Gov法令検索
- 「閉鎖機関清算関係」、国立公文書館。
ウィキソースには、閉鎖機関令の原文があります。