関京戦
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2022年12月) |
関京戦(かんきょうせん)とは、関西学院大学と京都大学のアメリカンフットボールでの対戦である。両校とも関西学生アメリカンフットボールリーグDIVISION.1に所属している。 京大側から京関戦(けいかんせん)と呼ばれることもある。
沿革
[編集]黎明期
[編集]関西学院大学アメリカンフットボール部(鎧球倶楽部)は、1941年関西で三番目に創部された。京都大学アメリカンフットボール部は1947年に関西で四番目に創部された。1947年の秋季リーグ戦において、記念すべき初の関京戦が阪急西宮球場で実現し、関学が38-0で京大に勝利した。
関学黄金期
[編集]1949年は関学と京大が初めて優勝を争った年であった。1948年に関大と両校優勝しながら、甲子園ボウルに出場出来なかった関学と創部3年目の京大が下馬評を覆して第2節(当時は4校のリーグ戦)に全勝で対決した。関学は主力の故障が響き苦戦を強いられたが、4Qに逆転し19-13で勝利し、初の甲子園ボウル出場を勝ち取った。関学は同年慶應を下して甲子園ボウル初優勝を達成すると、以降リーグ戦で連勝を続ける。1951年に米田満が監督(関学高等部・中等部の監督を兼任)に就任し、甲子園ボウル4連覇(1953-1956)、6年間リーグ戦無失点(1955-1960)等リーグ史上に残る数々の偉業を達成する。一方で京都大学は、創部3年目の快進撃以降、部員不足から低迷し1957年にはリーグ戦棄権に追い込まれる。以降も低迷が続くが、1965年にコーチに就任した水野彌一が徐々にチームの成績を浮上させる。
関学の連勝ストップ
[編集]1971年にコーチの水野彌一がコロラド鉱山大学に留学し、金氏眞がヘッドコーチに就任する。金氏は、オプション攻撃を導入し、京大隆盛の基礎を築く。1973年の関京戦は、京大がトリプルオプションを初めて実戦に使用して17-0で完封負けを喫したものの、リーグ戦無敵だった関学が京大をライバル視するようになる。1974年に米国留学から帰国した水野彌一が監督に昇格。京大はQB宅田裕彦を中心としたIフォーメーションからのトリプルオプションで1976年の関京戦に臨み、遂に21-0で関学に勝利し、関学のリーグ戦連勝記録を145でストップさせた。しかし、京大はトリプルオプションを温存した関大戦に敗れており、関学・京大が6勝1敗で両校優勝となった。甲子園ボウル出場をかけたプレーオフは万博記念競技場で行われ、関学武田建監督のオプション対策が功を奏して関学が13-0で勝利し、京大の甲子園ボウル初出場はならなかった。
涙の日生球場
[編集]翌1977年には、遂に最終節全勝対決の関京戦が実現する。テレビ中継の都合上小雨降る日生球場で行われた対戦は、春の西日本選手権で京大が35-0で圧勝しており、京大が圧倒的有利と言われていた。試合は前半京大が14-7とリードするが、関学も追いすがり4Qに関学が2PTコンバージョンを決め22-21と逆転し、そのまま勝利した(関学29-21京大)。この関京戦は「涙の日生球場」として語り継がれている。京大を振り切った関学は同年甲子園ボウル5連覇の大偉業を達成。関学は1979年に同志社と、1980年に近大と甲子園ボウル出場をかけたプレーオフを戦い勝利し、連続優勝記録は34にまで更新された。
関京2強時代
[編集]関学の連続優勝記録を止めたのは京大であった。1978年に総監督に退いた水野彌一(監督は笹原明雄)は、1980年に監督に復帰。1981年から監督に専任する。そして、1982年には全勝対決での関京戦を17-7で制して京大の2回目の優勝、初の甲子園ボウル出場を決める。一方、関学は甲子園ボウル連続出場記録が33(1949-1981)、リーグ戦連続優勝記録が34(1948-1981)でストップした。翌1983年にも全勝対決での関京戦を制して京大がリーグ戦を2連覇する。京大は同年日大を下して甲子園ボウル初優勝、翌年のライスボウルもレナウンを下して初優勝する。結局1980年代のリーグ戦は、1982-1983・1986-1987が京大、1984-1985・1988-1989が関学と交互に連続優勝し、関京2強時代を印象付けた。
- 1982年 第7節 京大17- 7関学 長居陸上競技場
- 1983年 第7節 京大30-28関学 尼崎市立記念公園陸上競技場
- 1984年 第7節 関学14- 3京大 長居陸上競技場
- 1985年 第6節 関学20-18京大 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場
- 1986年 第7節 京大35- 7関学 長居陸上競技場
- 1987年 第7節 京大24-14関学 万博記念競技場
- 1988年 第7節 関学17-12京大 万博記念競技場
- 1989年 第7節 関学 3- 3京大 阪神甲子園球場
関京立3強時代
[編集]1990年代に入ると立命館大学が台頭する。1990年には、立命に関学・京大とも敗戦するが、立命が神戸に敗戦し近大に引き分けたため、京大が6勝1敗で優勝した。また、この年関学は2勝4敗1分で6位に低迷する。翌1991年には、関学と京大が6勝1敗で両校優勝。41,000人の観客を集め阪急西宮スタジアムで行われたプレーオフは関学が勝利する。翌1992年には京大は神戸大に敗戦、関学は立命に敗戦して1敗同士で関京戦を戦った。下馬評は関学有利であったが、京大QB金岡の獅子奮迅の活躍で京大が初のリーグ戦3連覇を決めた。1993年には全勝で関学が優勝するが、立命戦は22-20の辛勝であった(京大も26-22で立命に僅差で勝利)。
1994年第5節で立命と対戦した京大が15-6で敗戦し、第6節で対戦した関学は17-13で立命に逆転負けを喫し、立命の初優勝が決まる。最終節立命は京産大戦に勝利して初の甲子園ボウル出場を決め、一方ではリーグ優勝が掛からない関京戦が行われた(京大が勝利)。ここに関京2強時代は終焉を迎え、関京立3強時代が始まる。以降、リーグ戦の優勝争いは1994-1996年は京大対立命(京立戦)、1997-2000年は関学対立命(関立戦)を中心に展開されるが、関学・京大の底力は凄まじく、立命の甲子園ボウル出場は1994年・1998年の2回に留まる。また、1996年の関京戦は京大有利の下馬評を覆して関学が勝利。リーグ史上初の関学・京大・立命の3校のプレーオフに突入した。プレーオフでは京大が決勝で立命を下して甲子園ボウル出場を決めたが、プレーオフでの関京戦は実現しなかった。
- 1990年 第4節 京大28- 3関学 阪急西宮球場
- 1991年 第4節 京大14-16関学 阪急西宮球場
- 1991年プレーオフ関学30-23京大 阪急西宮球場
- 1992年 第7節 京大21-10関学 西宮スタジアム
- 1993年 第7節 関学24-14京大 西宮スタジアム
- 1994年 第7節 京大21- 0関学 西宮スタジアム
- 1995年 第6節 京大18- 0関学 西宮スタジアム
- 1996年 第6節 関学21- 6京大 西宮スタジアム
- 1997年 第6節 関学20 -3京大 西宮スタジアム
- 1998年 第6節 京大21- 7関学 西宮スタジアム
- 1999年 第5節 関学24- 0京大 西宮スタジアム
- 2000年 第6節 関学45-14京大 西宮スタジアム
2001年以降
[編集]- 2001年 第7節 関学34-13京大 西宮スタジアム
2001年、1994年以来7年振りに最終節での関京戦が実現した。第6節で立命との全勝対決に勝利した関学と第5節で立命に完封負けを喫した京大の対決は、京大が勝てば1996年以来の3校プレーオフであったが、リーグ戦20連勝中だった関学が34-13で圧勝し3年連続のリーグ全勝優勝を決めた。
- 2002年 第6節 関学14-6京大 西宮スタジアム
前節京大は立命との全勝対決に完敗、関学は近大に残り1秒から逆転のTDを決められ敗戦し、1敗同士の関京戦となった。負けた方が優勝の目が消える戦いは両校守備が踏ん張りロースコアの戦いとなった。関学は残り5秒で時間消費をせずにTDを奪い突き放し勝利した。京大は1999年以降関学に勝利出来ず、翌2002年も関学に敗戦し秋の関京戦4連敗となった。
- 2003年 第6節 京大16-7関学 神戸ウイングスタジアム※
京大は2002年同様立命に完敗、関学は第2節に関大に敗れ、第6節に4勝1敗同士で対戦した。京大は立命戦では完全に封じられたラン攻撃で関学守備陣を圧倒。京大が関学を5年振りに下した。
- 2004年 第6節 京大17-13関学 西京極陸上競技場
2003年からホーム&アウェイ制度を導入した関係で、1969年以来35年ぶりに西京極陸上競技場で秋季リーグ戦における関京戦が開催された。関学は前節の関立戦を総力戦で制し、3年ぶりの優勝に王手を掛けていた。一方の京大は、第3節の関大戦に競り負けると、第4節の同志社戦に完敗し、第5節の近大戦にも競り負け3連敗。優勝はおろか関京戦に負けると入替戦出場の可能性が高かった。関学は1QにQB河野からWR五百川へのロングパスがTDとなり先制、更に前半2本のFGを追加し13-0とリードする。後半も最初の京大の攻撃は封じられるが、パントリターンした関学の選手がファンブルロストし敵陣11ヤードからの攻撃を得る。このチャンスをRB池上のTDで得点すると流れは一気に京大へ。1回生QB宮下からWR鋤崎へのTDパスが決まり逆転し、最後は関学の攻撃をゴール前で凌いで京大が関学に勝利した。関学は次節近大戦で勝利し立命と両校優勝となるが、プレーオフで敗れ甲子園ボウル出場はならなかった。また、京大は関京戦勝利で入替戦出場回避を決定したもの、3勝4敗で負け越した。
- 2005年 第6節 関学23- 6京大 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場
全勝の関学が地力を発揮し、神戸・立命に敗れ2敗の京大に完勝した。関学は全勝で最終節の関立戦に挑んだが惜敗し優勝を逃がした。京大は最終節の関大戦も完敗し2年連続で3勝4敗と負け越した。
- 2006年 第3節 関学36-10京大 西京極陸上競技場
- 2007年 第6節 関学45-7京大 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場
- 2008年 第5節 関学43- 0京大 西京極陸上競技場
※この字で書かれている大学はホームチームであることを表す。
参考文献
[編集]- 中尾和廣『アメフト40年戦争 男たちの関京戦』南雲堂、1988年 ISBN 4523000689
関連項目
[編集]- 関立戦
- College rivalry(英語版における大学対抗戦記事の日本に対する言及)