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靖難功臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

靖難功臣(せいなんこうじん、ジョンナンゴンシン、정난공신)は、李氏朝鮮において1453年11月10日(旧暦10月10日)に勃発した金宗瑞及びに皇甫仁ら主要の大臣を殺害した癸酉靖難安平大君などの粛清において功があったものを指す。

冊封を受けたのは1453年11月15日(旧暦10月15日)であり、褒賞が授与されたのが1453年12月8日(旧暦11月8日)である。功臣の号を授与されたのは当初43名であったが、削奪などにより最終的には37名が功臣の号を冠している。一等は12人・二等は8人・三等が17人である。

一等功臣には内厩馬[1]1匹及び鞍子[2]を付与し白銀50両と表側及び裏側の綵段[3]2着分、二等功臣には内厩馬1匹と白銀25両と表側及び裏側の綵段1着分、三等功臣には内厩馬一匹と白銀10両と表側及び裏側の綵段1着分が下賜された[4]

功臣一覧

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削奪された人物には灰色で示す。

靖難功臣
輸忠衛社協賛靖難功臣
姓·諱 ハングル表記 本貫 乱時官職 陞叙後 封爵 雅号
首陽大君 수양대군 全州李氏 粋之
鄭麟趾 정인지 河東鄭氏 判中枢院事 左議政 河東府院君 伯雎 学易斎
韓確 한확 清州韓氏 左賛成 右議政 西城府院君 子柔 簡易斎
李思哲 이사철 全州李氏 右参賛 左賛成 甄城君 誠之
朴従愚 박종우 雲峰朴氏 義禁府提調 雲城府院君
金孝誠 김효성 延安金氏 判中枢院事 判中枢院事 延山君
李季甸 이계전 韓山李氏 兵曹参判 兵曹判書 韓山君 屏甫 存養斎
朴仲孫 박중손 密陽朴氏 都承旨 兵曹参判 凝川君 慶胤 黙斎
権擥 권람 安東権氏 集賢殿校理 同副承旨 正卿 所閑堂
洪達孫 홍달손 南陽洪氏 僉知中枢院事 兵曹参判 可則
崔恒 최항 朔寧崔氏 左副承旨 都承旨
韓明澮 한명회 清州韓氏 行敬徳宮直 子濬 狎鴎亭
輸忠協賛靖難功臣
姓·諱 ハングル表記 本貫 乱時官職 陞叙後 封爵 雅号
申叔舟 신숙주 高霊申氏 右副承旨 左承旨 泛翁 希賢堂
権蹲 권준 安東権氏 右承旨 大司憲 安川君
柳洙 유수 文化柳氏 護軍 魯澤
洪允成 홍윤성 懐仁洪氏 主簿 守翁 領海
楊汀 양정 清州楊氏 護軍 知兵曹事
田畇 전균 全州李氏 行同僉内侍府事 江川君
尹士昀 윤사균 坡平尹氏 済用監正
柳河 유하 文化柳氏 護軍
奉石柱 봉석주 河陰奉氏 行護軍 君輔 墅観
郭連城 곽연성 清州郭氏 副司直 保之
厳自治 엄자치 全州李氏 行同判内侍府事 寧城君
輸忠靖難功臣
姓·諱 ハングル表記 本貫 乱時官職 陞叙後 封爵 雅号
李興商 이흥상 慶州李氏 上護軍 僉知中枢院事 子衍
李礼長 이예장 全義李氏 上護軍
成三問 성삼문 昌寧成氏 集賢殿直提学 左司諫大夫 謹甫 梅竹軒
康袞 강곤 信川康氏 行司勇
金処義 김처의 行司直
柳漵 유서 文化柳氏 学生 浦翁
権躽 권언 安東権氏 兼軍器主簿
柳泗 유사 文化柳氏 副司直 学源
洪純老 홍순로 南陽洪氏 司直
林自蕃 임자번 醴泉林氏 副司直
安慶孫 안경손 安山安氏 副司直
柳子煥 유자황 霊光柳氏 注書
薛継祖 설계조 慶州薛氏 副司直
権擎 권경 安東権氏 司正 慎之
洪順孫 홍순손 南陽洪氏 司勇
宋益孫 송익손 礪山宋氏 承仕郎
崔潤 최윤 司勇
韓明溍 한명진 清州韓氏 進士
韓瑞亀 한서구 清州韓氏 進義副尉
李蒙哥 이몽가 驪興李氏 副司正 季彭

脚注

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  1. ^ 国王用に養育された馬
  2. ^ 馬用の席
  3. ^ 色絹
  4. ^ 下賜内容物

関連項目

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外部リンク

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