高野村 (鳥取県)
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たかのそん 高野村 | |
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廃止日 | 1917年9月1日 |
廃止理由 |
新設合併 新宮村、高野村 → 小田村 |
現在の自治体 | 岩美町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
926人 ([1]、1909年) |
隣接自治体 | 新宮村、志保美村、宇倍野村、登儀村、大茅村 |
高野村役場 | |
所在地 |
鳥取県岩美郡高野村大字池谷 (新宮村高野村組合役場) |
座標 | 北緯35度31分13秒 東経134度20分14秒 / 北緯35.520411度 東経134.33725度座標: 北緯35度31分13秒 東経134度20分14秒 / 北緯35.520411度 東経134.33725度 |
特記事項 | 座標は現在の池谷公民館の位置 |
ウィキプロジェクト |
高野村(たかのそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは岩井郡に属した。
概要
[編集]現在の岩美町池谷(いけだに)・延興寺(えんごうじ)・外邑(とのむら)・小田・大坂・唐川に相当する。蒲生川支流の小田川流域に位置した。
高野の名は高地の野、上流の野の意とされる[2]。
藩政時代には鳥取藩領の岩井郡高野郷に属する池谷村・延興寺村(延江寺村)・大谷村・大坂村・外村・唐川村があった[3]。
沿革
[編集]- 1877年(明治10年)3月 - 大谷村が小田大谷村と改称する[4]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)- 本庄村(後の本庄村大字本庄)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、池谷村・延興寺村・外村・小田大谷村・大坂村・唐川村が合併して村制施行し、高野村が発足。旧村名を継承した6大字を編成。新宮村との組合役場を池谷村に設置[5]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡高野村となる。
- 1914年(大正3年)10月1日 - 「高野村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「高野村大字○○」と改称。ただし外村は外邑と、小田大谷村は小田と改称した[6]。
- 1917年(大正6年)9月1日 - 新宮村と合併して小田村が発足。同日高野村廃止[7]。
行政
[編集]歴代組合村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 橋本清一郎 | 1889年(明治22年) | 1890年(明治23年)12月27日 | |
2 | 米山豊蔵 | 1890年(明治23年)12月29日 | 1892年(明治25年)9月28日 | |
3 | 加納清治 | 1892年(明治25年)10月22日 | 1894年(明治27年)2月26日 | |
4 | 中村松太郎 | 1894年(明治27年)2月27日 | 1895年(明治28年)7月22日 | |
5 | 太田幾蔵 | 1895年(明治28年)7月25日 | 1896年(明治29年)7月23日 | |
6 | 小倉勝次郎 | 1896年(明治29年)8月1日 | 1901年(明治34年)4月25日 | |
7 | 田中喜十郎 | 1901年(明治34年)5月1日 | 1902年(明治35年)4月25日 | |
8 | 森田福蔵 | 1902年(明治35年)5月1日 | 1903年(明治36年)6月20日 | |
9 | 加納綾蔵 | 1903年(明治36年)8月26日 | 1904年(明治37年)1月30日 | |
10 | 勝山貞蔵 | 1904年(明治37年)4月8日 | 1905年(明治38年)5月10日 | |
11 | 勝山豊治 | 1905年(明治38年)5月20日 | 1906年(明治39年)9月27日 | |
12 | 勝山貞蔵 | 1906年(明治39年)10月4日 | 1908年(明治41年)7月22日 | |
13 | 太田直太郎 | 1908年(明治41年)8月25日 | 1912年(大正元年)8月24日 | |
14 | 太田直太郎 | 1912年(大正元年)12月5日 | 1916年(大正5年)12月4日 | |
15 | 中村松太郎 | 1916年(大正5年)12月20日 | 1917年(大正6年)8月31日 | 合併後小田村長に就任 |
参考文献 - [1] |
教育
[編集]- 高野尋常小学校:小田村発足後に旧新宮村の小田尋常高等小学校と合併し、その外邑分校となる。戦後小田小学校となるが1971年に外邑分校廃校。その後小田小学校は統合により岩美町立岩美南小学校となる[1][8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 岩美町誌(岩美町教育委員会、1968年)
- ^ 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「高野郷(近世)」
- ^ 鳥取県史 近代 第1巻 (総説篇)829頁(鳥取県、1969年)
- ^ 鳥取県町村合併誌104頁(鳥取県、1964年)
- ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村廃置」『官報』1917年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 岩美町の歴史(岩美町)