1993 FIFA U-17世界選手権
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1993 FIFA U-17世界選手権 | |
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大会概要 | |
開催国 | 日本 |
日程 | 1993年8月21日-9月4日 |
チーム数 | 16 (6連盟) |
開催地数 | 5 (5都市) |
大会結果 | |
優勝 | ナイジェリア (2回目) |
準優勝 | ガーナ |
3位 | チリ |
4位 | ポーランド |
大会統計 | |
試合数 | 32試合 |
ゴール数 |
107点 (1試合平均 3.34点) |
総入場者数 |
23,300人 (1試合平均 728人) |
得点王 | ウィルソン・オルマ(6点) |
最優秀選手 | ダニエル・アッド |
< 19911995 > |
1993 FIFA U-17世界選手権は、1993年8月21日から9月4日にかけて日本で開催された17歳以下の世界選手権である。大会は東京、名古屋市、岐阜市、京都市、神戸市、広島市の6都市で合計32試合が行われ、ナイジェリアが4大会ぶり2度目の優勝を果たした。
また今大会では、スローインに代わる試合再開の方法としてキックインが試験的に導入された[1]。
開催経緯
[編集]2002年ワールドカップの日本開催へ向け準備中の日本サッカー協会(以下、JFA)は、開催国が決定する1996年5月を前に国際サッカー連盟(FIFA)に対して、世界大会を運営する能力を示さなければならないという事情があり[1][2][3]、JFA幹部・長沼健らの尽力で[2]、日本開催が決定した[2]。
本大会を迎えるまでおよそ2年半で、合宿や遠征を16回繰り返し、招集された選手は80人を超えた[3]。継続的に合宿を開いて選手をチェックする強化プランは、この大会を契機に若年層育成のスタンダードとなったとされる[3]。本大会で中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸らが育ち[2][3]、後にA代表の主力に成長した[4][5]。本大会が開催された1993年は、Jリーグ開幕とドーハの悲劇があった年だが、本大会もエポックになった大会であった[2][3]。
開催地
[編集]開催地 | 会場 |
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東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 |
名古屋市 | 瑞穂公園球技場(ラグビー場) |
岐阜市 | 岐阜メモリアルセンター長良川競技場 |
京都市 | 西京極陸上競技場 |
神戸市 | ユニバー記念競技場 |
広島市 | 広島ビッグアーチ |
参加国
[編集]中国 | アジア代表 |
カタール | |
ガーナ | アフリカ代表 |
ナイジェリア | |
チュニジア | |
アメリカ合衆国 | 北中米カリブ海代表 |
メキシコ | |
カナダ | |
コロンビア | 南米代表 |
チリ | |
アルゼンチン | |
オーストラリア | オセアニア代表 |
ポーランド | 欧州代表 |
イタリア | |
チェコスロバキア | |
日本 | 開催国 |
グループラウンド
[編集]グループA
[編集]Teams | GP | W | D | L | GF | GA | GD | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ガーナ | 3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | 8 | 6 |
日本 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 3 |
メキシコ | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 7 | -3 | 2 |
イタリア | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 6 | -5 | 1 |
グループB
[編集]Teams | GP | W | D | L | GF | GA | GD | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ナイジェリア | 3 | 3 | 0 | 0 | 14 | 0 | 14 | 6 |
オーストラリア | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 4 | 3 | 3 |
アルゼンチン | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 6 | 1 | 3 |
カナダ | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 18 | -18 | 0 |
グループC
[編集]Teams | GP | W | D | L | GF | GA | GD | Pts |
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チェコスロバキア | 3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 3 | 4 | 5 |
アメリカ合衆国 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 5 | 3 | 3 |
コロンビア | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 6 | -3 | 2 |
カタール | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 7 | -4 | 2 |
グループD
[編集]Teams | GP | W | D | L | GF | GA | GD | Pts |
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ポーランド | 3 | 2 | 1 | 0 | 8 | 4 | 4 | 5 |
チリ | 3 | 1 | 2 | 0 | 7 | 5 | 2 | 4 |
チュニジア | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 5 | -3 | 2 |
中国 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 5 | -3 | 1 |
決勝トーナメント
[編集]準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
8月29日 岐阜 | ||||||||||
ナイジェリア | 2 | |||||||||
9月1日 広島 | ||||||||||
日本 | 1 | |||||||||
ナイジェリア | 2 | |||||||||
8月29日 広島 | ||||||||||
ポーランド | 1 | |||||||||
ポーランド | 3 | |||||||||
9月4日 東京 | ||||||||||
アメリカ合衆国 | 1 | |||||||||
ナイジェリア | 2 | |||||||||
8月29日 神戸 | ||||||||||
ガーナ | 1 | |||||||||
ガーナ | 1 | |||||||||
9月1日 東京 | ||||||||||
オーストラリア | 0 | |||||||||
ガーナ | 3 | |||||||||
8月29日 京都 | ||||||||||
チリ | 0 | 3位決定戦 | ||||||||
チェコスロバキア | 1 | |||||||||
9月4日 東京 | ||||||||||
チリ | 4 | |||||||||
ポーランド | 1 2(PK) | |||||||||
チリ | 1 4(PK) | |||||||||
最終結果
[編集]FIFA U-17世界選手権1993優勝国 |
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ナイジェリア 4大会ぶり2度目 |
表彰
[編集]得点ランキング
[編集]- 6得点
- 5得点
主な出場選手
[編集]- サミュエル・オセイ・クフォー
- ヌワンコ・カヌ
- ウィルソン・オルマ
- セレスティン・ババヤロ
- イブラヒム・ババンギダ
- 中田英寿
- 松田直樹
- 戸田和幸
- 米山篤志
- 宮本恒靖
- マレク・ヤンクロフスキ
- リボル・シオンコ
- ジャンルイジ・ブッフォン
- フランチェスコ・ココ
- フランチェスコ・トッティ
- ジョン・オブライエン
脚注
[編集]- ^ a b サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1993年7月20日). “No.12 明日のサッカーを占うキックイン”. 2012年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e “Sports Graphic Number [スペシャル対談]中田英寿×田嶋幸三「日本らしいサッカーとは何か?」”. Number Web. 文藝春秋社 (2021年9月26日). 2021年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。
- ^ a b c d e 戸塚啓 (2019年4月28日). “サッカー日本代表PRESS 平成日本サッカーの夜明け(2) 世界ベスト8に輝いた16歳の中田英寿。”. Number Web. 文藝春秋社. 2019年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。
- ^ 浅田真樹 (2019年8月19日). “中田英寿も経験した舞台で成長を。U-17日本代表、W杯へ視界良好”. web Sportiva. 集英社. 2019年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。
- ^ 浅田真樹 (2019年10月25日). “U-17歴代スター、元日本代表MF中田英寿にFIFA脚光 「フットボールのアイコンになった」”. footballzone. 2021年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。