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1997年日本グランプリ (4輪)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 1997年日本グランプリ
レース詳細
日程 1997年シーズン第16戦
決勝開催日 10月12日
開催地 鈴鹿サーキット
日本 三重県 鈴鹿市
コース長 5.86403km
レース距離 53周(310.792km)
決勝日天候 晴れ(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1'36.071
ファステストラップ
ドライバー ドイツの旗 ハインツ=ハラルド・フレンツェン
タイム 1'38.942(Lap 48) 
決勝順位
優勝
2位
3位

1997年日本グランプリ (1997 Japanese Grand Prix) は1997年のF1世界選手権第16戦として10月12日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。

概要

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ウィリアムズジャック・ヴィルヌーヴフェラーリミハエル・シューマッハを9ポイントリードして残り2戦を迎えた。ヴィルヌーヴがシューマッハよりも1ポイントでも多く獲得すれば、最終戦を待たずヴィルヌーヴのドライバーズチャンピオンが決定する。

コンストラクターズタイトルはウィリアムズがフェラーリを26ポイントリードしており、こちらもタイトル決定の可能性がある。

ミナルディ片山右京が現役引退を突如発表した[1]

予選

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展開

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ヴィルヌーヴが日本GPでは2年連続となるポールポジションを獲得。ここ数戦不振だったフェラーリもシューマッハが0.062秒差の2位、エディ・アーバインが3位と復調ぶりを示した。4位以下はミカ・ハッキネンマクラーレン)、ゲルハルト・ベルガーベネトン)、ハインツ=ハラルド・フレンツェン(ウィリアムズ)の順となった。

ザウバージャンニ・モルビデリはダンロップコーナーでクラッシュし、ドクターストップにより決勝への出場が見送られた。

予選終了後、審議委員団からヴィルヌーヴを失格処分とするとの発表があり、パドックは騒然となった。土曜午前のフリー走行中、ティレルのマシンがバックストレートでストップし、撤去作業のためこの区間にイエローフラッグが提示された。その間に自己ベストタイムを記録したドライバー達には、減速の義務を怠ったとしてイエローフラッグ無視の判定が下された。ヴィルヌーヴは過去の違反累積により「執行猶予付き1戦出場停止」の立場にあったため、今回の判定でペナルティが実行された。

ウィリアムズは直ちに国際控訴裁判所 (ICA) に控訴し、ヴィルヌーヴは暫定的に決勝への出走を認められた。決勝の正式結果は、10月21日にパリのFIA本部で下される裁定を待つことになった。

結果

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順位 No ドライバー コンストラクター タイム
1 3 カナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズルノー 1'36.071
2 5 ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ フェラーリ 1'36.133 +0.062
3 6 イギリスの旗 エディ・アーバイン フェラーリ 1'36.466 +0.395
4 9 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン マクラーレンメルセデス 1'36.469 +0.398
5 8 オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー ベネトンフォード 1'36.561 +0.490
6 4 ドイツの旗 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ウィリアムズルノー 1'36.628 +0.557
7 7 フランスの旗 ジャン・アレジ ベネトンルノー 1'36.682 +0.611
8 16 イギリスの旗 ジョニー・ハーバート ザウバーペトロナス 1'36.906 +0.835
9 12 イタリアの旗 ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダンプジョー 1'36.917 +0.846
10 14 フランスの旗 オリビエ・パニス プロスト無限ホンダ 1'37.073 +1.002
11 10 イギリスの旗 デビッド・クルサード マクラーレンメルセデス 1'37.095 +1.024
12 22 ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ スチュワートフォード 1'37.343 +1.272
13 11 ドイツの旗 ラルフ・シューマッハ ジョーダンプジョー 1'37.443 +1.372
14 23 デンマークの旗 ヤン・マグヌッセン スチュワートフォード 1'37.480 +1.409
15 15 日本の旗 中野信治 プロスト無限ホンダ 1'37.588 +1.517
16 2 ブラジルの旗 ペドロ・ディニス アロウズヤマハ 1'37.853 +1.782
17 1 イギリスの旗 デイモン・ヒル アロウズヤマハ 1'38.022 +1.951
18 17 イタリアの旗 ジャンニ・モルビデリ ザウバーペトロナス 1'38.556 +2.485
19 20 日本の旗 片山右京 ミナルディハート 1'38.983 +2.912
20 21 ブラジルの旗 タルソ・マルケス ミナルディハート 1'39.678 +3.607
21 18 オランダの旗 ヨス・フェルスタッペン ティレルフォード 1'40.259 +4.188
22 19 フィンランドの旗 ミカ・サロ ティレルフォード 1'40.529 +4.458
  • 予選通過タイム 1'42.795

[2][3]

決勝

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展開

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フェラーリのチームプレー

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スタートではヴィルヌーヴがシューマッハを牽制しながら、トップのまま1コーナーに進入した。ハッキネンがアーバインをかわして3位に浮上し、ヴィルヌーヴ、シューマッハ、ハッキネン、アーバイン、フレンツェン、ベルガーの順でオープニングラップを消化した。

2周目、フェラーリ陣営が最初の連携作戦を展開する。S字コーナーの逆バンクでシューマッハが減速してハッキネンを抑え、すかさず2台後ろにいたアーバインが2人をまとめてかわして2位に浮上(日本でのレースを多く経験していたアーバインは逆バンクのラインが2本あることを知っており、レース前の作戦会議でこれを利用することをチームに提言していた)。さらに3周目のシケインではヴィルヌーヴも抜いてトップに躍り出た。失格の可能性があるヴィルヌーヴはシューマッハを抑え込み、ライバルの獲得ポイントを減らすことに専念した。レース序盤はアーバインがトップを快走し、2位以下に10秒以上の差をつける予想外の展開となった。

9周目、ミナルディ片山右京がスプーンカーブ手前でマシンを止めた。片山は金曜日のフリー走行後、今季限りでのF1引退を表明しており、これが最後の日本GPとなった。

14周目、ハッキネンとベルガーが同時にピットインし、最初のタイヤ交換と再給油が行われる。上位3台はアーバインが17周目、シューマッハが18周目、ヴィルヌーヴが20周目にピットインした。ヴィルヌーヴはシューマッハの目前でコースに復帰したが、車速の乗ったシューマッハに1コーナーでかわされた。

25周目、トップを独走していたアーバインが突然ペースを落とし、シューマッハとヴィルヌーヴに追いつかれた。アーバインは逆バンクでシューマッハにトップを譲ると、すかさずヴィルヌーヴをブロックする役にまわった。フェラーリ陣営の巧妙な連係作戦により、シューマッハは逃げの体勢に入った。

ヴィルヌーヴはアーバインに抑え込まれた上に、30周目の2回目のピットインでは給油作業に手間取り、ハッキネンにも先行された。反対に、チームメイトのフレンツェンはピットインを遅らせたことが成功し、アーバインの前にポジションアップした。ピットストップ終了後の順位はシューマッハ、フレンツェン、アーバイン、ハッキネン、ヴィルヌーブ、アレジとなった。

レース終盤、シューマッハはアロウズデイモン・ヒルを周回遅れにするのに手間取り、フレンツェンとの差が縮まった。しかし、シューマッハは今季5勝目を獲得してポイントを78点に伸ばし、暫定5位に終わったヴィルヌーヴとの差を1点に縮めた。レース後にマシンを降りると、アシストを務めたアーバインと勝利を祝った。

コンストラクターズポイントはウィリアムズ120点、フェラーリ100点となり、ヴィルヌーヴの裁定結果に関係なくウィリアムズのタイトル防衛が決定した。

レース後

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10月16日、ウィリアムズは国際控訴裁判所への訴えを取り下げ、ヴィルヌーヴの失格処分が確定した[4]。ヴィルヌーヴの5位2ポイントが無効となったため、シューマッハ78ポイント、ヴィルヌーヴ77ポイントとなり、シューマッハ1点リードの状態で最終戦ヨーロッパGPを迎えることになった。5位以下の順位が繰り上がり、ザウバーのジョニー・ハーバートが6位1ポイントを獲得した。

結果

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順位 No ドライバー コンストラクター 周回 タイム/リタイア グリッド ポイント
1 5 ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ フェラーリ 53 1:29:48.446 2 10
2 4 ドイツの旗 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ウィリアムズルノー 53 +1.378 6 6
3 6 イギリスの旗 エディ・アーバイン フェラーリ 53 +26.384 3 4
4 9 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン マクラーレンメルセデス 53 +27.129 4 3
5 7 フランスの旗 ジャン・アレジ ベネトンルノー 53 +40.403 7 2
6 16 イギリスの旗 ジョニー・ハーバート ザウバーペトロナス 53 +41.630 8 1
7 12 イタリアの旗 ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダンプジョー 53 +56.825 9  
8 8 オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー ベネトンフォード 53 +1:00.429 5  
9 11 ドイツの旗 ラルフ・シューマッハ ジョーダンプジョー 53 +1:22.036 13  
10 10 イギリスの旗 デビッド・クルサード マクラーレンメルセデス 52 Engine 11  
11 1 イギリスの旗 デイモン・ヒル アロウズヤマハ 52 +1 lap 17  
12 2 ブラジルの旗 ペドロ・ディニス アロウズヤマハ 52 +1 lap 16  
13 18 オランダの旗 ヨス・フェルスタッペン ティレルフォード 52 +1 lap 21  
DSQ 3 カナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズルノー 53 失格 1  
Ret 21 ブラジルの旗 タルソ・マルケス ミナルディハート 46 ギアボックス 20  
Ret 19 フィンランドの旗 ミカ・サロ ティレルフォード 46 エンジン 22  
Ret 14 フランスの旗 オリビエ・パニス プロスト無限ホンダ 36 エンジン 10  
Ret 15 日本の旗 中野信治 プロスト無限ホンダ 22 ホイールベアリング 15  
Ret 20 日本の旗 片山右京 ミナルディハート 8 エンジン 19  
Ret 22 ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ スチュワートフォード 6 スピン 12  
Ret 23 デンマークの旗 ヤン・マグヌッセン スチュワートフォード 3 スピン 14  
DNS 17 イタリアの旗 ジャンニ・モルビデリ ザウバーペトロナス 0 アクシデント 18  
  • No.3はフリー走行中の黄旗無視により失格
  • No.17は予選中の負傷により不出走

[2][3]

逸話

[編集]
  • このグランプリを当時4歳の松下信治が父に連れられ初レース観戦として客席から見ていた。F1に感動した松下はこの日をきっかけにレーシングカートを開始し、レーサーをめざす起点となった[5]

脚注

[編集]
  1. ^ 「片山右京インタビュー」『GP CAR STORY』Vol.23 アロウズA18・ヤマハ、三栄書房、69頁。 
  2. ^ a b 1997 Japanese Grand Prix” (英語). Formula1.com. 2012年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 日本GP 1997”. ESPN F1. 2012年2月15日閲覧。
  4. ^ "International Court of Appeal - Decision" (PDF) (Press release) (英語). FIA. 16 October 1997. 2012年2月16日閲覧
  5. ^ ヒューマントーク・F1まっしぐら 松下信治エンケイ 2016年月日
前戦
1997年ルクセンブルググランプリ
FIA F1世界選手権
1997年シーズン
次戦
1997年ヨーロッパグランプリ
前回開催
1996年日本グランプリ
日本の旗 日本グランプリ 次回開催
1998年日本グランプリ