コンテンツにスキップ

SC鳥取

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
SC鳥取
原語表記 鳥取教員団サッカー部(1983-1988)
SC鳥取(1989-2006)
呼称 鳥取教員団
SC鳥取
愛称 ガイナーレ
クラブカラー  
創設年 1983年
解散年 2006年
ホームタウン 鳥取県米子市
ホームスタジアム 米子市営東山陸上競技場
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

SC鳥取(エスシーとっとり)は、かつて存在した日本サッカークラブ。鳥取教員団サッカー部として1983年に創部し、1989年に「SC鳥取」へ改称した。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のガイナーレ鳥取の前身となったクラブである。

概略・歴史

[編集]

鳥取教員団サッカー部

[編集]

1983年、鳥取県内の教職員のチーム「鳥取教員団サッカー部」として創設、鳥取県サッカーリーグ2部に登録し優勝。1985年に鳥取県リーグ1部で初優勝した。

1987年中国サッカーリーグに初昇格。

SC鳥取

[編集]

1989年 - 2000年

[編集]

1989年、鳥取県リーグへの降格を機に、鳥取県を代表するチームとなるべく、名称を「SC鳥取」へ変更した。1995年から鳥取県リーグ1部を3連覇して、1998年に中国リーグへ再昇格。また、同年には鳥取県出身者初のJリーガーで後にクラブ代表となる塚野真樹が選手として加入した。

なお、1997年天皇杯に初出場した(1回戦で川崎フロンターレに敗北)。

2000年、中国リーグ初優勝、同年全国地域サッカーリーグ決勝大会へ初出場し決勝ラウンドに進出、最終順位は4位で日本フットボールリーグ(JFL)自動昇格の2位以内は逃したが、全国社会人サッカー連盟推薦でJFL昇格を果たした。

2001年 - 2006年

[編集]

2001年特定非営利活動法人やまつみスポーツクラブの支援を受けることとなった。JFL初年度は年間2勝(勝ち点8)の成績で最下位。なお、この年に背番号5を着けていた選手が現役中に死去したため、背番号5が永久欠番となった。後身のガイナーレ鳥取でも背番号5は永久欠番となっている[1]

2002年、前年と同じで第14節までは地域リーグへの降格圏内(15位以下)であったが、15節16節とJFL昇格後初の連勝を飾った。第17節は横河電機に敗れるも静岡産業大学ジヤトコも負けたためJFLに残留。この年、JFL残留を祈念する「落ちてたまるか!」キャンペーンが行われ、ステッカー等が制作された。

2003年、愛称を公募により「ガイナーレ」(GAINARE)[2] とし、実信憲明などの新戦力が加入した結果、過去最高の10位。しかし2004年は14位と低迷。翌2005年は12位に終わった。

2005年12月に夕方のローカルニュース番組の中で塚野真樹GM(当時)が日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)挑戦を公式表明した(その後、改めて記者会見も実施)が、この段階ではプロ選手がゼロであったこともあり、2006年は11位に終わった。

2006年12月に株式会社SC鳥取が設立され、2007年よりガイナーレ鳥取としてプロ化されたことにより、1983年からのアマチュアチームとしての歴史に終止符が打たれた。2007年2月にJリーグ準加盟が承認され、米子市から鳥取県全県にホームタウンを広域化した。

それ以後、アマチュアチームとしてのSC鳥取という名称及びチームとしての体裁はSC鳥取ドリームスに継承され[3]、そのチームを2011年から再びやまつみスポーツクラブが運営するという形で現在に至っている。

成績

[編集]

鳥取教員団サッカー部

[編集]
年度 所属 順位
(チーム数)
勝点 試合
1983 鳥取県2部 優勝(5) 8 4 4 0 0
1984 鳥取県1部 3位(6) 8 5 3 2 0
1985 優勝(6) 10 5 5 0 0
1986 優勝(5) 14 8 7 0 1
1987 中国 6位(7) 5 12 2 1 9 14 28 -14
1988 7位(9) 13 16 5 3 8 26 31 -5

SC鳥取

[編集]
年度 所属 順位
(チーム数)
勝点 試合 天皇杯 監督
1989 鳥取県1部 優勝(6) 18 10 9 0 1 地区予選敗退 -
1990 2位(6) 14 8 6 2 0
1991 中国 8位(8) 7 14 2 1 11 20 45 -25
1992 5位(8) 16 14 4 4 6 22 38 -16
1993 7位(8) 12 14 3 3 8 22 44 -22
1994 7位(8) 16 14 4 4 6 25 30 -5
1995 鳥取県1部 優勝(6) 18 8 6 0 2
1996 優勝(6) 23 10 7 2 1 県予選敗退
1997 優勝(6) 30 10 10 0 0 1回戦敗退 日本の旗 黒見博
1998 中国 8位(8) 7 14 2 0 12 14 49 -35 1回戦敗退
1999 6位(8) 14 14 5 0 9 19 39 -20 県予選敗退
2000 優勝(8) 33 15 11 0 3 40 14 +26 1回戦敗退 日本の旗 尾形弘次郎
2001 JFL 16位(16) 8 30 2 2 26 23 90 -67 2回戦敗退 日本の旗 山本康彦
2002 13位(18) 15 17 4 3 10 18 33 -15 2回戦敗退
2003 10位(16) 37 30 10 7 13 45 50 -5 2回戦敗退 日本の旗 塚野真樹
2004 14位(16) 22 30 5 7 18 36 62 -26 2回戦敗退
2005 12位(16) 33 30 9 6 15 40 58 -18 2回戦敗退 日本の旗 吉川尚男
2006 11位(18) 36 34 7 15 12 61 62 -1 2回戦敗退 日本の旗 木下桂

対戦通算成績

[編集]

SC鳥取(2001~2006)及びガイナーレ鳥取(2007~2010)のJFL所属時のチーム別対戦成績。

対戦クラブ SC鳥取 ガイナーレ鳥取 合計
ブラウブリッツ秋田(←TDKサッカー部) 5 2 1 5 2 1
栃木SC 2 4 5 0 2 2 2 6 7
栃木ウーヴァFC 2 0 0 2 0 0
ザスパクサツ群馬(←ザスパ草津) 0 0 2 0 0 2
FC町田ゼルビア 3 0 1 3 0 1
東京武蔵野シティFC (←横河武蔵野FC) 2 1 8 4 2 2 6 3 10
松本山雅FC 1 0 1 1 0 1
カターレ富山 0 0 2 0 0 2
ツエーゲン金沢 1 0 1 1 0 1
FC岐阜 0 0 2 0 0 2
ファジアーノ岡山 1 0 1 1 0 1
徳島ヴォルティス(←大塚製薬サッカー部) 0 0 7 0 0 7
愛媛FC 0 2 7 0 2 7
ギラヴァンツ北九州(←ニューウェーブ北九州) 1 3 0 1 3 0
V・ファーレン長崎 4 0 0 4 0 0
ロアッソ熊本(←ロッソ熊本) 0 2 0 1 0 1 1 2 1
FC琉球 0 2 0 7 1 0 7 3 0
ソニー仙台FC 1 4 6 2 4 2 3 8 8
Honda FC 0 0 11 4 2 2 4 2 13
MIOびわこ滋賀 4 0 2 4 0 2
佐川印刷SC 3 1 4 5 1 2 8 2 6
ホンダロックSC 3 1 0 0 3 1 3 4 1
流通経済大学FC 3 0 1 5 0 3 8 0 4
アルテ高崎(←FCホリコシ) 2 2 2 4 3 1 6 5 3
佐川急便東京SC 2 1 8 2 1 8
国士舘大学 1 2 4 1 2 4
ジェフリザーブズ 1 0 1 4 2 2 5 2 3
静岡産業大学 1 0 2 1 0 2
ジヤトコサッカー部 3 0 2 3 0 2
アローズ北陸 1 3 7 1 1 0 2 4 7
YKK AP 0 4 7 1 1 0 1 5 7
FC刈谷(←デンソー) 4 3 4 2 1 3 6 4 7
SAGAWA SHIGA FC(←佐川急便SC) 1 1 6 1 1 6
FC京都BAMB1993(←FC KYOKEN) 3 0 2 3 0 2
佐川急便大阪SC 1 4 4 1 4 4
三菱自動車水島FC 2 2 0 5 0 1 7 2 1
アルエット熊本(←NTT西日本熊本) 1 0 2 1 0 2
プロフェソール宮崎FC 0 1 0 0 1 0

背番号変遷

[編集]

1-10

[編集]
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
2006 浜村大樹 安東利典 山村泰弘 下屋敷恒太郎 永久欠番 濱田正人 山﨑邦夫 中垣雅博 小林崇法 山根伸
2005 木下桂 森戸壮介
2004 浜村大樹
元田庄吾
山崎透 佐野正典 ペリクレス
2003 元田庄吾 山崎透 - 小原一展 雨野裕介
2002 尾崎裕樹 邨上克也 廣川雄一 大西昌俊 雨野裕介 岸田茂樹 塚野真樹
2001 小林正美 内田昌広 実近浩二 高垣政和
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

11-20

[編集]
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
2006 西村英樹 サポーター 石冨友馬 堀徹也 内山英紀 青柳雅信 実信憲明 渡部翼 田村和也 清水裕之
2005 畑野克尚 荻野耕輔 江後賢一
2004 伊東貴史 森野謙 二瀬健二 岩田昌浩
2003 松山陽介 中島義夫 濱田正人
2002 山根伸 湯原慎介 永林昭 - - 岩田昌浩 松山陽介 廣崎圭
2001 瀬尾徹治 石原聡 山田健太 石長出
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

21-30

[編集]
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
2006 柴田浩兵 増本浩平 三好毅典 金正旭 - 梶原公
佐藤祐介
平田順也 下松裕 太田遼 原信生
2005 上原豪 小林健史 林康平 佐藤祐介 亀崎鮎太 房哲平 近堂諒
2004 大多和卓 廣崎圭 小倉裕介
河貴大
- 石冨友馬 山村泰弘 野口功
2003 菊池亨 小濱広信 - - 河貴大 荻野耕輔 堀徹也 - 伊東貴史
2002 小原一展 益田真次 西村英樹 岡本翼 二瀬健二 住田隆裕 三島和則 谷本孝文 濱田正人
2001 板金毅 森野巧 穐山健一 亀尾秀樹
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

31-40

[編集]
31 32 33 34 35 36 37 38 39-40
2006 - - - - - - - - -
2005 伊藤淳 下屋敷恒太郎 中垣雅博 新田大介 三好毅典
2004 墨屋孝
町田創
- - - -
2003 町田創
2002 稲村雅彦 小濱広信 松村拓郎 中島義夫 畑野克尚 松本昇
2001 可成孝多 洋谷快 増川康裕 尾形弘次郎 山本康彦
31 32 33 34 35 36 37 38 39-40

41-

[編集]
41 42-50 51
2006 - - -
2005
2004
2003
2002 町田創 元田庄吾
2001 阪口啓二 墨屋孝
41 42-50 51

タイトル・表彰

[編集]

チーム

[編集]

個人

[編集]
日本フットボールリーグ

スタジアム

[編集]

鳥取県米子市が主たる活動地域であったため、米子市営東山陸上競技場をホームスタジアムとしていた。また、上記の他、下記のスタジアムでも開催していた。

年度別入場者数

[編集]
略記について
  • 入場者数の太字は、歴代最多および最少
  • 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
年度 所属 合計
入場者数
最多入場者数 最少入場者数 平均
入場者数
試合数 ホームゲーム
開催スタジアム
入場者数 相手 会場 入場者数 相手 会場
2001 JFL 12,281 2,124 デンソー 東山陸 401 FC京都 鳥取 819 15 東山陸8、鳥取7
2002 6,718 1,509 YKK 松江 324 愛媛FC 美作 840 8 東山陸4、鳥取2、松江1、美作1
2003 11,800 1,412 FC京都 東山陸 251 佐川大阪 鳥取 787 15 東山陸6、鳥取5、松江3、島根浜山1、
2004 9,539 1,535 YKK 287 アローズ 636 15 東山陸9、鳥取3、松江2、布勢陸1
2005 11,663 1,369 愛媛FC 429 横河 布勢陸 778 15 東山陸8、布勢陸4、鳥取1、松江1、島根浜山1
2006 19,487 3,216 ソニー 鳥取 560 YKK 1,147 17 東山陸8、布勢陸5、鳥取4

練習は米子市内をメインに、伯耆町島根県安来市などで行われた。

チーム情報

[編集]

チーム名変遷

[編集]
  • 1983年-1988年 鳥取教員団サッカー部
  • 1989年-2006年 SC鳥取

スタジアムDJ

[編集]

ゲゲゲの鬼太郎

[編集]

2001年ごろからユニフォームにゲゲゲの鬼太郎のキャラクターのワッペン(フィールドプレーヤーは、一反木綿に乗った鬼太郎と目玉おやじが、GKにはぬりかべが)が描かれていた[5]。また、サポーターの応援では、一反木綿を模した布を使った応援をしていたほか、GKに対する応援歌を「ぬりかべ、○○(選手名)」と歌うなどもしていた。このGKに対する応援歌は、ガイナーレ鳥取となった現在でも引き続き歌われている。

2005年、期間限定であるが角川映画とユニフォームスポンサー契約を結び、角川映画の作品「妖怪大戦争」のロゴマークを背番号部分に挿入した。これは米子市に接する境港市出身の漫画家・水木しげるが同作品の監修を手がけていること、また、ゲゲゲの鬼太郎がチームのマスコットとして採用されていることがきっかけとなったものである。更に、映画「妖怪大戦争」にも出演した忌野清志郎が2005年7月に米子市公会堂で行ったライブで、このロゴが入った特注のSC鳥取のユニフォームを着てステージに立ったこともある[6]

なお、ガイナーレ鳥取となってからの2009年に鬼太郎のキャラクターはユニフォーム及びグッズから撤退し、現状ではチームマスコットとしては使用されていない[7]

KUMACHI

[編集]

地元の米子市出身の熊谷尚武率いるバンド、KUMACHIの楽曲「FLY」を、チームのオフィシャルテーマソングとして使用していた。試合のイベントでKUAMCHIが実際にこの曲を演奏したこともある。また、同じくKUMACHIの楽曲「声が届くまで」は、ガイナーレ鳥取となった現在に於いてもゴールチャンス時の応援チャントとして歌い継がれている。

提携

[編集]

2006年ヴィッセル神戸との提携関係を結んだ。神戸で出場経験の恵まれない中堅選手たちの実戦機会提供の強化を図ることが目的で、この提携に伴うSC鳥取と神戸による記念試合が2006年2月に行われたほか、両チームによる練習試合が以降何度か組まれた。しかしその後そのような目的による選手の移籍はわずか一例(2006年10月の原信生)しかなく、その後も発生していない[8]。ガイナーレ鳥取と改称改組した2011年現在もこのような提携関係が結ばれているかどうかは不明である。

サポーター・応援

[編集]

チーム地盤が鳥取県米子市にあったことから、県西部を中心とする鳥取県内に多くのサポーターがいた。また、島根県東部での試合も何度か組まれたため、島根県にもある程度はサポーターがいたと思われる。こうしたサポーターの多くはガイナーレ鳥取となってからも引き続き応援を続けている。また一時期、オフィシャルサポーターズクラブと称する「DARA-Z(ダラーズ)」なるサポーターズクラブが設立されたこともあった。

応援については、JFL昇格当初から有志中心に熱心な応援活動が行われており、ガイナーレ鳥取となった現在でも歌い継がれているチャントが(前述の「ぬりかべ」などを含め)いくつか存在する。

ユニフォーム

[編集]

チームカラー

[編集]
  •  

ユニフォームサプライの遍歴

[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表

[編集]
年度 背中 パンツ サプライヤー
2001 OUランド・ホテル ケイズ ジェーティーシー - Mizuno
2002 米子商工会議所 -
2003 - - hummel
2004 - -
2005 妖怪大戦争 -
2006 森を守ろう OUランド・ホテル

教員団のサッカーチームを前身とするクラブ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ SC鳥取ドリームスでは2015年から背番号5をつけてプレーする選手が現れている。
  2. ^ 島根県東部から鳥取県西部にかけて使われる方言(雲伯方言)で「大きな」という意味の「がいな」と、イタリア語で「願う」という意味の「SPERARE」との造語。
  3. ^ SC鳥取ドリームスは2004年に設立されている。
  4. ^ 2006年のシーズン途中までその任にあった。
  5. ^ この他、一時期チームの公式サイトやイヤーブックなどで、「サポーター」と称して鬼太郎が紹介されていたことがある。
  6. ^ 忌野清志郎SC鳥取ユニで熱唱! SC鳥取旧公式サイト 2011年12月12日閲覧
  7. ^ 2010年シーズンのホームゲーム(主として勝ち試合)終了後に行われた、いわゆる「ガイナーレ劇場」に於いて、そこで主役となった選手が音頭を取る形で、同アニメのテーマ曲の替え歌を歌ったことがあった。
  8. ^ その後、2011年12月に神戸のGK、紀氏隆秀がレンタル移籍でガイナーレ鳥取に加入している。また、この後にもGK・嘉味田隼やMF・廣田隆治らの加入はあるが、いずれのケースに於いてもこの当時の提携が関与しているかどうかは不明。

関連項目

[編集]