nekonoongaeshi’s diary

鉄印の旅と植物と保護猫と。田舎暮らしの日々を綴っています

血に呪われた一族の百年の歴史と「猫が笑えば」

この3連休は行楽日和でした。どこかお出かけになりましたか。

一生に一度は訪ねてみたい、紅葉の名所「八幡平」。

思うところがあって今年の八幡平行は来年に持ち越しとなりました。

先週急激に寒くなり、ふたりとも風邪気味で片道14時間の車の旅は、しんどいだけで観光を楽しめそうにないというのが延期の理由のひとつです。

昨年行った立山は吹雪でほとんど視界は0状態でしたので、今年も行きたそうでしたが

駐車場がいっぱいになっているらしく、これも断念しました。そんなわけで珍しく家でテレビを見て3日間を過ごしていました。

 

テレビをつけるとちょうど二百名山の「栗駒山」1626mの絶景が。小学生の頃、家族で行ったことがあるのですけど私は硫黄の匂いが苦手で、嘔吐ばかりしてどんな景色だったのか全く覚えていないのです。

 

そのあと大谷翔平さんとダルさんの野球対決をテレビ観戦。これはきっと視聴率高かったでしょうね。日本人プレイヤーがアメリカで活躍されているって本当に素晴らしいことだと思います。

それから録画しておいた鈴木保奈美さんがMCを務めるBSテレビ東京の「あの本読みました?」

今回は文庫本ランキングの紹介で作家の小川哲さんが解説されていたんですけど、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』が堂々の1位でした。1967年にスペイン語でアルゼンチンのスダメリカナ社から出版され、日本では1972年に新潮社から刊行されました。46の言語に翻訳され、5000万部も発行されている世界的ベストセラー小説。1982年にノーベル文学賞を受賞しています。

あらすじは

ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランを始祖とするブエンディア一族が蜃気楼の村マコンドを創設し、隆盛を迎えながらも、やがて滅亡するまでの100年間を舞台としている。

コロンビアのリオアチャにあるコミュニティでは、近い血縁での婚姻が続いたせいで豚の尻尾が生えた奇形児が生まれてしまった。それを見たウルスラは性行為を拒否するが、そのことを馬鹿にされたため、ウルスラの従兄弟で夫のホセ・アルカディオは彼女を馬鹿にした男を殺してしまう。しかし殺された男がホセとウルスラの前に現れ続けたために、夫妻は故郷を離れてジャングルを放浪した末に、新しい住処「マコンド」を開拓する。そしてウルスラは「豚のしっぽ」が生まれないように、婚姻の相手は血のつながりのない相手に限定するという家訓を残した。さまざまな人間模様や紆余曲折がありながら「マコンド」は繁栄していったが、ウルスラが残した家訓は玄孫の代に叔母と甥の恋愛結婚という形で破られ、「マコンド」は衰退と滅亡へと向かっていく。   wiki より

作家没後、2024年に新潮文庫で再刊された作品を買いました。2014年に86歳で亡くなられていますので ちょうど10年。池澤夏樹さんの「百年の孤独 読み解き支援キット」を主人がダウンロードしてくれたのでまずはこちらから読むのがおすすめですね。

 

最後はWOWOWで放送されたオリジナル番組の「ねこが笑えば」シリーズを一気見しました。やっぱり体調がすぐれない時や疲れて何もしたくない時には、こういう癒し系の番組が一番です。

番組では毎回、ねこご飯の紹介があるのですが「ねこご飯レシピ」を参考にして作ってみました。お試し鶏肉と大葉のねこご飯

うちの猫たちは返品でしたよ。大葉の匂い。ダメでしたねー。大葉食べる猫って本当にいるのかしら。

主人いわく。「刻んだ大葉のうえにマタタビでもふりかけているんじゃないのか」

 

我が家の外猫さんたちは猫缶のほうがよろしいようで。

 

 

テレビ三昧の3日間でした。

お題「最近の小さな幸せ」

いちじく丸ごとデザート🎂秋を楽しむ

今週のお題「秋の味覚」

昨年の今頃は、「仔猫のおもてなしレシピ」でフルーツピザと無花果の赤ワイン煮を作りました。今回は小さめの無花果でしたので、バナナやオレンジピールと一緒に無花果皮ごとパウンドケーキにいれてみたら甘さあっさり大人向けで美味しかったです。

オレンジピールは、ネーブルオレンジの皮(通常は捨てちゃう)2~3個分と皮と同量のグラニュー糖、少量のお水で簡単に作れます。

はじけて今にも落ちそう。玄関前の栗の木が収穫をむかえました。

収穫祭🌰 と言いたいところですが、台風で半分以上落ちてしまいまして。

秋どりさやいんげん 9/25からほぼ毎日収穫

二人では食べきれない量に嬉しい悲鳴をあげています💦

牛焼肉*さやいんげんと薩摩芋のツナマヨ和え*鶏肉と蓮根のポン照り

さやいんげんの黒胡麻和え*アスパラ豚肉ロール*栗入り炊き込みご飯

 

<追悼>

料理評論家の服部幸應さんが4日午後6時30分、急性心不全のため都内の病院で亡くなられました。服部さんは1945年12月16日生まれ、東京都出身。立教大卒、昭和大医学部博士課程修了。1977年に服部栄養専門学校の校長に就任し、同学校の理事長も務められました。フランス大統領よりレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章。旭日小綬章東京都知事功労賞など多数受賞されています。フジテレビの番組『SMAPSMAP』や『料理の鉄人』毎週見ていましたよ。懐かしいですね。

ご冥福をお祈りします。

秋だからこそ信州

今年は暑さが長引きましたね。でも山には確実に秋の足音が。ご存知ですか?紅葉の南下は1日50mといわれています。

手持ちのNikonのフィルムスキャナーが古くて今使用しているパソコンに対応しておりませんので、ブログにはスマホ写真しかUPできません。💦

しかも高性能とは言えないアンドロイド。

そこで駒ケ根千畳敷カールのフリー画像を拝借。先日、千畳敷の紅葉がニュースになっておりました。

 

 

秋だからこそ信州

 「11月の連休は西穂へ行こう!」
そう言って主人が出勤したのは、10月の末の月曜日でした。  
見送るやいなや、慌ててキャンプ用品一式を車に積み込みました。我が家の旅行は、主人がいきなり決定することが多く、週末を利用する場合は殆どが金曜日の夜から車を走らせることになります。

 西穂高岳へは、ロープウェイを利用する一般向きのルートと、上高地・帝国ホテル前から西穂山荘(せいほさんそう)まで片道3時間10分の登りのルートがあります。
今回の西穂高行きは、後者のコースで雪山登山を楽しむことになりました。
ひまわり天気によると11月3日の関西は曇りのち晴れ、全国的に3連休は快晴の予報でした。
 ところが岐阜へ入ると大雨。日本海側は荒れているのか暗黒雲が広がっています。
今年の7月、北アルプスの槍ガ岳へ向かう途中、土砂崩れで走れなかった荘川村(現:市町村統合により高山市荘川町)の峠にさしかかると2~3日前の残雪のすごさに驚きました。
乗鞍スカイライン上高地へ入る安房峠(あぼうとうげ)も積雪の為通行止めになっており、急遽予定を変更して、高山経由で平湯~新穂高温泉口へまわることに。
ロープウェイ駅横の駐車場で4時間の仮眠をとり、翌朝激しい雨音で目をさますと、雨にもかかわらずバスツアーの観光客の長蛇の列が‥‥。 

 小降りになった雨の中、出発です。
ロープウェイ山上駅に着くと、下界の紅葉の風景とは異なる、真っ白い別世界が私どもを迎えてくれました。
ロープウェイを利用すると、山上駅から西穂山荘まで1時間20分の登りでアイゼン無しでも楽に山小屋まで辿り着けます。積雪は25~30cmくらい。山荘のスタッフから「天候が悪いので今日はやめたほうがいい」
と言われたのですが、夕食までには必ず戻ると告げて、山荘を後にしました。
丸山から独標(どっぴょう)まで1時間30分の登り。稜線上では谷底から吹き上げる強風に何度も身体が宙に浮き、雪煙が走ります。2~3cm先の視界もままならず、髪の毛や膝がパリパリに凍りついて帽子をかぶっていても頭が深深と冷えました。
独標で記念写真を撮り、鎖場をつたわってピラミッドピークを目指すことに。
ここから西穂岳山頂まで更にコースタイム1時間30分。岩稜を這うように、ゆっくりゆっくり歩いて行きます。鎖場で手間取り、情けない格好で岩にしがみついていた私は、とうとう主人に「ここで待っているから、頂上まで行って」と弱音を吐きました。おそらく主人の足なら50分~1時間余り。

「ここまで来たのに?」(そう言いたげな顔をしながらも)
「こんな所に2時間も座っているなんて危険だ。一緒に引き返そう」少し残念そうに言いました。
晴れていれば南には焼岳と霞沢岳、西に笠ガ岳、東には前穂高(3090m)、奥穂高岳(3190m)、西穂~奥穂へのジャンダルムやロバの耳と名付けられた岩稜の連なるパノラマが展開するはずなのに‥‥‥。
下山のフットワークは軽く、兎のようにピョンピョンと跳ねる私のうしろで主人が呪文のようにこう言いました。「○○○、雪山の西穂高未踏に終わる。〇〇〇〇年11月4日」

除雪作業をしていたスタッフが、「おつかれさま~」と笑顔で迎えてくれて、山荘ではストーブを囲んで20人余りの人が読書やおしゃべりを楽しんでいました。
 夕食の温かいお味噌汁、本当にありがたかったです。現在の西穂山荘は3年前に火事で全焼した為、新築され、吹き抜けのダイニングルームと総フローリングが自慢のペンション風山小屋になっています。
1泊2食付きで¥8500。オールシーズン営業は魅力ですね。
夏山登山ですと、この西穂山荘から独標まで行列ができるほどの賑わいをみせます。

翌朝、まだ夜の明けぬうちに三脚とカメラをを持ってもう一度、独標へと向かいました。
静寂の中に雪を踏む足音だけが響きます。東の空が朱色に染まり、西の空は笠ガ岳を包み込むように薄紫からピンク色に変わりました。御来光です!
逆光で、ダイヤモンドダストがキラキラと輝いて見えました。
リバーサルフイルムを2本撮りきって下山。昨日までの悪天候が嘘のような青空の11月5日のお昼、温泉に浸かり信州をあとにしました。
高山市内で郷土料理をいただき、御幣餅をほおばりながら、無事帰路に着いたのでした。

 

 

 学生時代、天文部に所属していた私は、天体観測で何度か信州を訪れましたが、まさか登山の為に信州へ通うようになるとは思いもしませんでした。
しんどいだけで無駄なことだと思っていた山歩きで素晴らしい発見をしたのです。
吊り橋や林道、尾根道や岩場で擦れ違う見知らぬ人が、にっこり笑って挨拶をしてくれるのです。
急なのぼり坂では「頑張って!」と声をかけてもらい、その挨拶に励まされ登頂を果たしてきたような気がします。他に交わす言葉などないけれど、みんな懐かしい旧友に出会えた時のような笑顔で声を掛け合います。その、擦れ違う瞬間が嬉しくて私はこれからも山登りを続けるでしょう。

 山はやっぱり信州、秋だからこそ信州ですね。


※ 西穂高岳の登頂は翌年の11月連休に再び挑戦。無事完登しています。

(エッセイ*HPから移転)

 

 

新総理と三毛猫みぃちゃんの夏

今週のお題「ちょっとした夢」*今週のお題「夏の思い出」

 

1日夜、石破内閣が発足しました。新閣僚が発表され、首相官邸での就任後初の記者会見では「謙虚で誠実で温かい政治を行っていく」と述べられましたね。

(爆弾発言!)私は、総理大臣の選出を国民投票にしたらよいのに。と、思っています。今回の総裁選に出馬した9名の中に、この人が総理になったら世の中変わるんじゃないかと思っている人が含まれておりませんでしたので、この数週間を傍観して過ごしていました。早くも「短命内閣」とささやくジャーナリストもおりますが、頑張ってほしいものです。

ところで

日本では「首相」と「総理」の2つの呼び名が存在します。「首相」という呼び名は正式ではないため、国会などの公の場では正式名称の「内閣総理大臣」が使用されています。どちらも同じ意味ですが「首相」は中国にならった呼び名で「総理」が日本で作った呼び名、なのだそうですね。

 

さて

三毛猫のみぃちゃんがやってきて今年で4度目の夏。相変わらずの人間嫌いで、野良猫100%のまま。この子は激しい虐待を受けて捨てられたか、物心つく前に捨てられ野生化したかで警戒心が強く、懐いてくれません。

みぃちゃんと私たちの仲を取り持つのがHACCI くんです。

最近は猫缶を一番乗りで食べにくるみぃちゃん。

冷え込みましたね。ここは季節の中間がないため、朝夕は急に寒くなりましたよ。夏から一気に冬になります。

お互いの毛づくろいをする2匹。外猫はみんな仲良し。

みぃちゃんとの距離が1mくらいに縮まった今年の夏。

人間の姿を見てもこの子が逃げなくなって、抱き上げられるようになったら、ケージに慣れさせ、家の中で過ごせるようにトレーニングしてあげたい。

朝5時、夕方5時の湯タンポ準備の冬の生活から卒業したいです。それが目標というか、ちょっとした夢です。

『バリ山行』とバリハル

今週のお題「好きな小説」

 

「莢隠元」と書いて「さやいんげん」と読みます。

7月18 日に種まきをした「秋どりいんげん」の収穫をしました。まだ花が咲いているものもあるので、しばらく莢隠元漬けの生活になりそう。

いんげんまめの原産地は中央アメリカ。日本には、江戸時代初めに隠元禅師が中国より伝えたといわれています。

 

隠元100gに対して、小さじ1程度の塩で板ずりすると、いんげん本来の緑色が綺麗にでます。

インゲンマメ隠元豆、眉児豆、)はマメ亜科の一年草で別名、サイトウ(菜豆)、サンドマメ(三度豆)、ゴガツササゲ(五月豇豆)。 主に西日本でフジマメ(藤豆、別名・センゴクマメ(千石豆)、アジマメ(藊豆)など)のことを「インゲンマメ」と呼ぶ地域もあるそうですよ。

さて、食欲の秋、読書の秋です。

3日前まで暑くてシーリングファンやエアコンを付けて過ごしていたというのに。おとといの朝方、急に寒くなりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものです。

 

この小説がノミネートされたときは予備知識が全くなく、地味なタイトルだなぁと思ったのが『バリ山行』です。結局、『サンショウウオの四十九日』と共に7月に第171回芥川賞を受賞しました。

 

わたし「バリ島へ山登りにでも行った話?」

主人「違うよ。やっぱり低次元の発想だとそれぐらいしか思いつかないか」

わたし「じゃあ何よ?バリスタ?」

主人「ははは。バリエーションのバリ。読み易いから読んでみるといいよ」

なるほど。バリエーションのバリか~。

 

主人公の波多は転職して2年。会社の付き合いを極力避けてきたが同僚に誘われるまま六甲山登山に参加します。会社も人生も山あり谷あり。組織の中であまり居心地のよくない立場と言えるポジションにある主人公が、変わり者の同僚との交流の中で、あえて一般ルートを歩まない同僚・妻鹿の生き様がまさにバリエーションの山行のように思えてくる。

山は馴染みのある六甲山だし。たしかに読み易い。涼しくなったせいも手伝ってスラスラ読めます。

 

昨夜ひさしぶりにバリハルを作りました。緑豆春雨とイワシ団子のスープ・バリエーション春巻き・もやしと竹輪のナムル・蒸しパン

「バリハル」とは春巻きのバリエーションの略語です。具はシナノレッドの林檎餡とバナナ。林檎の春巻きはマクドのアップルパイをイメージして30年以上前に思いつき時々作っています。バナナ等の果物や甘栗も使い、おやつとしても召し上がれますので是非お試しください。パイ生地ですとパラパラこぼれるけど、春巻きの皮の食感がパリッとして食べやすいですよ。

 

 

▼重要なことが最後になってしまいましたが……HACCI からもお願いします。

このたびの能登半島豪雨被害支援のご協力をお願いします。

 

日常を取り戻す力を下さい。 - †カッペぼっち厨二病陰キャ底辺ブロガーの日常†

 

奥能登の豪雨被害のこと…いまガザで起きていること - 小さな図書館のものがたり

 

美味しい海老餃子とサバ餃子のレシピ #ヘルシー

前回のブログ記事は屋久島の旅の思い出でした。ブログとしては長めの文章で、途中パスされた方も多かったと思います。特にスマホでしか読まない方は文字だらけでうんざりされたでしょう。今日はお料理の話題です。料理は得意ではありませんが9月に入って作ったものを少~し画像で振り返り。

雨続きのため、ホットプレートで室内 BBQ

いりどり(筑前煮)作り置きの定番ですね。スリーシーズン美味しく食べてます。

 

 

今日のレシピの紹介は<プリプリ海老餃子&ヘルシーなサバの水煮餃子>

①餃子の皮に大葉、その上にサバの水煮の身をほぐしたものを適量のせて包みます。

②海老餃子は下茹でしたキャベツと海老、生姜の刻んだもの、七味唐辛子をふり、皮で包みます。あとはフライパンで焼くだけ。

 

このサバの水煮餃子は、以前テレビで滝沢秀明さんがアイドルを引退されるときに、「子供の頃、母親の手作り餃子にはシーチキンが入っていた」というエピソードを語っていたんです。その言葉がとても印象に残っていたんですね。それなら非常食用にストックしている鯖缶があるのでサバの水煮でもいけそう、とアレンジしてみました。

海老餃子&サバの水煮餃子・野菜天婦羅・もずく冷やっこ・栗ご飯

 

もずく豆腐は冷やっこにモズク酢をかけ、ミョウガの千切りと梅肉をのせて。

スタッフドピーマン・ポテトのチーズ焼き・焼き魚・南瓜の煮物・シャインマスカット

※焼き魚は半分以上はお猫様に食べられますので塩味は薄め。

 

 

昨日は中秋の名月でした。ご覧になれましたか?実は満月は今日だそうですよ。不揃いのみたらし団子とこしあんのお団子を作りました。


 

 

 

お題「私のおすすめレシピ」

 

#屋久島旅行で出会ったクニちゃんの思い出✨

15日は結婚記念日でした。

連日の雨続き。しかも土砂降り。裏山が崩れるんじゃないかと心配になるほど降りました。雨音を聴きながら8月末の台風10号で折れた樹齢3000年といわれる屋久島の「弥生杉」を思い出していました。樹木医などの有識者らで、折れた部分を伐採するか、そのままの形で保存するか、検討が続けられているそうです。弥生杉は高さ約26メートル、幹回り約8メートル。同じ屋久島の縄文杉、紀元杉と並び、林野庁選定の「森の巨人たち百選」にも入っている巨木です。

私が屋久島を訪れたのはずいぶん前のことですが、懐かしく思い出された当時の記憶をはてなブログでもご紹介させてくださいね。

樹齢3000年の「弥生杉」倒れる 台風10号影響か、鹿児島・屋久島 ...

(写真は西日本新聞より)

 

宮之浦岳1935m~ 屋久島雨紀行    

ゴールデンウィークは、今年初の日本百名山となる、九州の宮之浦岳からスタートしました。
九州最高峰の宮之浦岳は標高1935m。
青森県白神山地とともに平成5年、世界自然遺産に指定されました。
 屋久島は大隈諸島のひとつで、黒潮洋上に浮かぶ日本でも6番目に大きな島です。
島の5分の1が自然遺産という手付かずの宝庫なのですね。屋久島の1800m級の山々は6000万年前は海底であったそうですが、アジア大陸からの土砂が堆積して、熊毛層群を造りだしました。
約1400万年前、地下のマグマの活動が活発になり熊毛層群に侵入し、加えて大陸のプレートにフィリピン海プレートが沈み込んで島が隆起。
表層の熊毛層群が侵食風化して現在の屋久島が誕生したと考えられているそうです。

 仕事で帰宅の遅かった主人と一緒に朝寝坊をして、自宅を出発できたのは4月28日の正午。GWだというのにいったいどうしたの?と問いたくなるほどの中国道をスイスイと走り、心配していた九州自動車道の渋滞もなくて霧島SAに到着したのは午後9時30分。お腹が空いたと言っては小休止を入れるナビゲーターに飽きれながらも、ほぼ予定通りの到着。

 

 4月29日、鹿児島港から8時45分発の“フェリー屋久島2”(折田汽船)に乗り込みました。3時間45分の船旅を、サウナと入浴で費やし、映画館や喫茶ルームでくつろぎ、ひらべったい種子島を過ぎるといよいよ屋久島です。
 宮之浦では安房までバスに乗り、そこからヤクスギランドまでタクシーを利用しました。
 1日目は淀川小屋泊まり。ヤクスギランドからコースタイム3時間と比較的早目に到着できた私どもは、2m近くまで寄ってくる野生のヤクシカと戯れながら、その日をゆったりとした時間の中で過ごせた気がします。
 明けて30日も雨。
“花の江河”とよばれる湿地帯ではシカの白骨化した屍を発見。水場で力尽きたのでしょうか。
お花畑の中に埋もれて静かに目を閉じたのね。ついそんなイリュージョンまで覚えてしまう‥‥。

栗生岳から宮之浦岳までの登りは小雨になって、一瞬雲が途切れたんですね。
そのときの山肌の美しかったこと。鮮やかなグリーンが目に飛び込んできました。例えば日本アルプスなら、このグリーンはハイマツなわけですけれども、笹なんですよ。
それも地面を這うように生えているハイササ。
淀川小屋を出発して、およそ5時間で山頂です。あいにくの悪天候で何も見渡せませんでしたが
「あぁ、やっと来たぞ」って感じでしたね。
ここから新高塚小屋までは、大粒の雨の中、一目散に下山。噂にきく雨粒は半端じゃないんだもの。滝のように流れる岩場を、歩くというより急流すべりをしているというのが的確かも。3時間かけて山小屋に着いたものの、すでに満員御礼。
小屋といっても非難小屋ですし、管理人もいなければ炊事場もない、80人収容の小屋は足の踏み場もない状態。
外は滝のような雨。登山ガイドには、幕営禁止となっていたのですが、屋久島で配布された観光地図にはテント場が記されているではないか‥‥!

 

昨年の10月、南アルプスで120人収容の鳳凰小屋に450人という体験をしていた私は、雨さえ凌げれば座ったままで一晩過ごしてもかまわない覚悟ができていたのです。
 そんな時でした。ずぶぬれになった女性が一人入ってきたのは。
ものおじしなくて、早口の関東弁が耳に新鮮で、うんざりするような雰囲気を軽い空気に変えられる人。
タレントの山田邦子さんにそっくりで、そんな彼女のことを私たちは勝手に
“クニちゃん”と呼ぶことにしたのです。寝返りもうてないような窮屈さの中で、定期的に溜息をつく私の足元をツンツンと押して
「眠れないのォ~?起きてよっかぁ」とクニちゃん。
早朝、バタバタと仕度を始める騒々しさの中でも、彼女は平然として朝ごはんのチキンラーメンを啜ってましたっけ。

(MAP画像は屋久島観光マップ | いわさきコーポレーション様よりお借りしました)

 

私どもは、縄文杉で朝食をとることにして一足先に出発。
縄文杉は、平成8年に展望台が設置され、近寄って触れることができなくなっています。
当日のコースは縄文杉から夫婦杉、大王杉、ウィルソン杉、三代杉、そしてトロッコの木道をひたすら歩き、辻峠から白谷雲水峡へ。
この分岐からの登りでは雨も土砂降り、疲れもピークに達して写真を撮る気にもなれず、ふやけた足を引きずって歩きました。屋久島のカエルは巨大ですね !!
登山道のゆくてを阻む数は、1匹2匹じゃないので恐怖感さえ覚えてしまう‥‥。
(オーバーねぇと言われそうですが、赤道直下のガラパゴス諸島でイグアナの大群を見たような驚きに匹敵するものと思います。)
 フェリーの最終便に間に合うようにと、大急ぎで下山したにもかかわらず、悪天候で夕方のフェリーは欠航。
最悪。GWで島内の宿はどこもいっぱいでした。
タクシーの運転手さんを拝み倒して、1泊2食付きの民宿をゲット。宿のご主人も手馴れたもんです。宿が用意したレジャーシートの上に濡れたザックの中身を広げさせ、洗濯機と乾燥機を貸してくださり、ドブネズミと化した私たちを即、お風呂場へ。

ハァ~ 久しぶりの湯船に感激ぃ。

 

 翌朝、低気圧が通過した後の海岸線沿いを、のんびり歩いてフェリー乗り場へと向かいました。
お土産店でポストカードを選んでいた私の背中で、素っ頓狂な声。
「奇遇だねぇ!また会えるなんて。縁があるんだね、私たち」
インディジョーンズスタイルのクニちゃんでした。(サマになってるよ、クニちゃん。ほんまよぉ~)
出航までの1時間余り、クニちゃんとお土産店のオーナーも加わって沢登りや渓流釣りの話に花が咲きました。
こと臨床の話では珍しく無口な主人が、クニちゃん相手に熱弁をふるってる。
クニちゃんは東海出身で北大の医学部を卒業。大学時代に北海道の山はすべて登りつくし、カナダのマッキンリーやチョモランマ(エベレスト)のトレッキングにも出かけているツワモノです。
現在は九州の○○大学の職員で、外科が御専門とか。
山小屋で別れた後、低気圧のイタズラで小屋に泊まらずに12時間かけて一気に下山していたというクニちゃん。
(彼女の足は鉄人の足だと思う!)
フェリーの欠航で足止めを余儀なくされた私ども。当初の予定では、お互い会うはずのないスケジュールでした。
翌日彼女は、K県の山岳会のメンバーと沢登りに行く為に合流するらしい。
(おそるべしクニちゃんの足!もはや人間の足とは思えない)

 「週末、阿蘇で丸太の皮むきをしてログハウスを建てているから、山登りでこちらへ来た時には寄ってくださいよ」と彼女。 蛍の光のメロディーが流れ、瞬く間に1時間は過ぎ「じゃあ、またね」と言ってジェットフォイル・トッピ-に乗り込みました。トッピ-とは、トビウオのこと。全席指定で片道¥7000。屋久島と鹿児島を1時間45分で結んでいます。
(が、私個人としては、4時間かかる折田汽船のサウナ付き豪華船が気に入りました!)

 トッピ-は大きく旋回すると海面を勢いよく走り出しました。
マウンテンバイクに乗ったクニちゃんが口元をへの字にしてペダルを踏む。
防波堤の先端で両手を振るクニちゃんが、みるみる小さくなりました。蛍の光とクニちゃんのキャラクターはアンバランスなのに何故かシリアスな気分。
 あっという間に雨雲におおわれた開聞岳が現れ、鹿児島港へ。
昼食をとり、10号線から都城市を経て、日南海岸へ着いたのは夕方の5時20分。
かつて新婚旅行のメッカといわれた日南海岸は、その賑わいも面影もなく、目的の場所も閉鎖時間を過ぎていてガッカリ。嵐の中、北九州の門司港へと車を走らせ、GW後半は門司~宍道湖とめぐり蒜山へ。
 蒜山の見慣れた景色にほっとします。

 


屋久島への旅は、喜怒哀楽の詰まったビックリ箱を開けたようなもので、クニちゃんとの出会いは、今回の旅の大きな収穫のひとつになりました。

 

(HPより移転)

 

お題「旅行は…みんなでわいわいVS一人旅 さあ、どっち?…とその理由」

夫婦ふたり旅行が多いので一人旅はほとんど経験がありません。一人旅だと不安だらけで観る景色も寂しく映るから。