【アニメ考察】不死鳥と式神の不死コンビによる掛け合い—『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』1話「つきひアンドゥ」【2024夏アニメ】

©西尾維新講談社アニプレックス・シャフト

 

 

  youtu.be●原作
西尾維新愚物語』(講談社BOX

●スタッフ
総監督:新房昭之/監督:吉澤翠/シリーズ構成:東冨耶子・新房昭之/脚本:大嶋実句/キャラクターデザイン・総作画監督渡辺明夫総作画監督杉山延寛宮井加奈・山村洋貴/美術監督:飯島寿治/色彩設計:渡辺康子/CG監督:島久登/撮影監督:橋本日和・石川瑞帆/編集:松原理恵/音響監督:鶴岡陽太/音楽:神前暁羽岡佳

制作会社:シャフト

●キャラクター&キャスト
八九寺真宵加藤英美里千石撫子花澤香菜阿良々木月火井口裕香斧乃木余接早見沙織

公式サイト:〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン|公式サイト (monogatari-series.com)
公式X(Twitter):西尾維新アニメプロジェクト (@nisioisin_anime) / X

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 この作品は映像化不可、と名指される作品が存在する。何らかの理由で、映像化不可の作品が映像化される際に、映像化不可と言った内容を取り入れながら、どう映像化するのか、という点で、その作品について語られることがある。現在、放送中の『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』、およびシリーズの総称「物語シリーズ」も、各話ごとの語り手による大量の独白、そして独白・セリフ・地の文、すべてのレベルで催される言葉遊びによって、映像化不可能の作品と言われていた。

 そのレッテルを打ち破ったのが、制作会社シャフトによる『物語シリーズ』のテレビアニメおよびアニメ映画(『傷物語』)である。声優の技量を信じ長文語りを語らせたり、決め台詞となるセリフをインパクトある文字で表したり、奇抜な色・構図を巧みに利用することで怪異が存在する不可思議な世界を構築してきた。他にも、独特なコミカル表現も、原作の意図を汲んでいるとして、評価が高い。

 そうした文脈の上に、現在『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』は放送されている。今回、一話に当たる「つきひアンドゥ」*1の中でも、特にいくつかのシーンを原作と照らし合わせることで、いかに映像化不可能と言われた本作を映像化しえたのか、またもっと言って、映像化したからこそのよさを探してみたい。

 

監視対象(不死鳥)と監視者(式神)の戯れ

 式神である斧乃木は、不死鳥の怪異フェニックスの阿良々木月火を、彼女のぬいぐるみに扮して監視している。ある日、斧乃木が、月火の兄である阿良々木暦が差し入れたアイスを食べる姿を月火に見られてしまい、何とかごまかそうと画策する。これが、一話「つきひアンドゥ」の簡単なあらすじである。

 人類の最大の枷、死からも自由で無鉄砲な月火と彼女を監視する任務を何とか遂行しようとする死がない式神の斧乃木、二人の振り回し/振り回されのやり取りが、一話の見どころである。同じ不死でも、二人は似て非なる存在である。二人とも不死であるが、月火は死がないゆえに不死、斧乃木はすでに死んでいるゆえに不死であり、不死であるゆえんが異なる。そのため、本作中でも言及されているように、月火(正確には、怪異としてのフェニックス)は死を知らないが、斧乃木は死を知っている。そのような似て非なる存在の二人のギャップをいかに見せるか、具体的には、無鉄砲な月火 vs. 冷静な斧乃木、死を恐れない月火 vs. 死を恐れる斧乃木、という対比を原作からいかに映像へ翻訳するか、というところに着目して、四つのシーンを確認していきたい。

 

月火の詰めは早い

 第一のシーンは、斧乃木がアイスの蓋をなめるところを月火に見られ、彼女が斧乃木の正体を明かさせるために、サラダ油をかけるシーンである(アニメ02:35~、原作:p235-239)。ぬいぐるみの斧乃木が動いたことを月火が目撃して、何とかそのことを白状させようと、揺らしたり、つねったり、サラダ油をぶっかけたりする。

 ここで注目したいのは早さの演出である。月火の行動は早い。動く斧乃木に気づいて詰め寄るまで、あるいは油をかけるまで、彼女の動き出しは早い。その早さこそが彼女の無鉄砲さを的確に表現してくれる。

 斧乃木がぬいぐるみの振りを続けるところに、月火が詰め寄っていく。月火の姿をベッドの階段を一瞬で昇るように見せられる。句読点ごとにカットを変えて、月火が斧乃木に詰め寄り、それを事件現場の証拠品風に構成して、リズミカルさが気持ちよい。それも、原作のセリフ*2を忠実に取り入れ、小刻みなカット割りとセリフの気持ちよい加速の仕方に加えて、このセリフによる速度上昇を追い風に、彼女の速度は上昇する。

 しかし、彼女の詰めに、斧乃木はぬいぐるみらしく無反応をつき通す。斧乃木の無反応に一旦、月火の追及は失速する。ここで失速した追及を、彼女の策を練る一時の停滞を挟んで、一気に加速していく。

 この失速→停滞→再加速の流れを強調するのが、彼女の移動の演出である。月火が移動する導線としては、自室の入り口でアイスの蓋を舐める斧乃木を発見して、月火はベッドの階段を昇り、斧乃木の元へ進む。 詰め寄っても、斧乃木が白状しないため、うなって策を練りながら、ベッドを降り、部屋から出ていく。と思ったら、斧乃木にサラダ油をぶっかける。

 月火の移動で気付くのが、月火が斧乃木のもとへ近づく速度が速くて、逆に降りるなどの離れて行く速度は遅く見せられていることだ。速い・遅いという表現は感覚の話から言えば正しいが、必ずしも正確ではない。速さは、間が省略されているから、速く・遅く見せられている。月火が白状させる方法をうなって思案しているとき、ベッドの階段を降り、部屋から廊下へ、廊下から違う部屋(おそらくキッチン)へ移動するごとに、カットが重ねられている。かと思えば、彼女が自室へと戻ってくるときには、部屋へ入る、ベッドの階段を昇る、斧乃木に近づく、などの過程を一切省略して、跳んでいる月火が映り、いきなりベッドの上にいて、その直後に油をかけている。

 この速度によってもたらされるのは、何かを決めた瞬間の行動の早さから感じられる迷いのなさだろう。詰めの速さ、矢継ぎ早の指摘、などの斧乃木への迅速な追及が上手くいかないと、次なる策を練る一旦停止を経て、決めた瞬間には、油をかける暴挙に出ている。迷いのなさ、迷いをもたらす制限の感覚の欠如。そこから来る無鉄砲さ。この後の油と火で脅す追及方法も含めて、月火の追及に、彼女の迷いのなさ、無鉄砲さがにじみ出ている。

 

月火は作り話を聞かない

 先ほどの月火による過激な追及、もといマッチの火は時間とともに持ち手に迫ってくるという一般常識の欠如により、斧乃木は自分の正体を、嘘を交えて明かすことになる。その内容をざっくりまとめると、この世界にやってきた異次元の魔物を退治するため、月火のぬいぐるみに憑依し、この世界に顕現したのが、正義の魔法少女である斧乃木だと。こうした作り話で、月火をけむに巻き、ぬいぐるみとして月火を監視する日常に戻るはずだったが、その計画を月火に横槍を入れられ、さらには斧乃木の話を聞いて、魔物退治という名の正義の出番に、やる気を出した月火を同行し、魔物退治に向かうハメになる。

  こうした展開を作るのが、月火の聞いてなさである。この聞いてなさを要約するのが、月火・斧乃木の次のセリフであり、このセリフがフリとオチを担当する。斧乃木から月火が事情を聞く際に、「いいよいいよ、一言で言えないのなら、百言で言って!月火ちゃんは生まれて初めて、誰かの話を真剣に聞くよ!」(テレビアニメ:05:45~、原作:p.244)と月火は言うも、斧乃木から話を聞き始めると、魔物退治にその気になって斧乃木の忠告を遮り、斧乃木から 「人の話を真剣に聞いたことがないという彼女は、今日もまた、人の話を真剣に聞かないらしい―人じゃなくて怪異だけれど。」(テレビアニメ:、原作:p.247)と評されることになる。

 ここで注目したいのは、月火の聞いてなさを演出する、聞く姿勢と妄想のショットの繋ぎである。先ほどの斧乃木のセリフは、アニメには存在しない。しかし、そのセリフをこの演出により置き換えられ、新たな形で響かせてくれる。

 月火の聞いてなさとは言ったものの、月火が斧乃木の話を聞いていないわけではない。斧乃木の作り話の部分は聞いている。聞いていないのは、斧乃木が月火から去るための口実部分だ。

 このとき、聞いている/聞いていないを、行動の主導権で見てみるとわかりやすい。このシーンの始めは、正体がばれた斧乃木が、月火に求められて、作り話をする。月火に促されてソファに座って、話をさせられる。月火から斧乃木に主導権は移って、話し終えて、この場から去るために、ソファから立ち上がる。斧乃木が飛び去ろうとするところを、月火が止めて、斧乃木は「気付けば」再度ソファに座らされている。

 二人の動作の主導権でもって見ると、ソファで魔物退治の話をしていたときには、月火の興味から聞く姿勢を見せながらも、斧乃木が去ろうと立ち上がり、月火を巻き込まない口実を話す部分には、一切耳を貸さずに、もう一度聞く姿勢にあったソファに斧乃木を戻らせ、無理に引き留めたのがわかる。こうしたソファを起点にした、月火の主導権の握り方は、原作ではこうした動作が描写されていないために、先ほど原作から引用した斧乃木のセリフを映像的に的確に表現した演出となる。

 また、こうした演出はもう一点ある。先ほど、月火が斧乃木を再度ソファに座らせるのに、「気付けば」と書いた。去ろうとする斧乃木を月火が止め、「私の世界のことなんだから、私が守らなきゃ!」という彼女のセリフの補足や彼女の妄想となる映像を挟んで、座る過程を省略して、二人はソファに座っている。もっと言えば、斧乃木を引き止めるために、再度ソファに座らせるという現実的な行動を、月火の妄想的な映像に置き換えることによって、月火の妄想を明らかにし、彼女の妄想から出てきた意志の力により、斧乃木の言い分など関係なく、二人で魔物退治することになる。

 「その気になっちゃった」月火は聞く耳を持たない。その聞いてなさを、原作は月火のフリを引き取った斧乃木のオチのセリフで、アニメは聞く姿勢と妄想映像で、異なった形で表現される。

 

月火の装備は危ない

 この後、斧乃木の嘘に俄然やる気を出してしまった月火を納得させるために、斧乃木は千石撫子の協力を得て、月火を巻き込んで、否、斧乃木が巻き込まれて、魔物対峙という一芝居を打つことになる。本シリーズにとって馴染み深い例の公園(「浪白公園」)が怪異退治の場に選ばれるのだが、やる気満々の月火は、道着を着込み、手になぎなたを構えて登場する。

 ここで注目したいのは、月火の危険性を表現する演出である。

 本物のなぎなたを持ち出した月火に、斧乃木が反応する。文字の小説では、斧乃木の独白で、月火が道着を着てなぎなたを持つ状況に説明が付くのだが、アニメでは斧乃木の独白に、映像演出を織り交ぜながら表現されている。月火がなぎなたをふりまわした末に、手から離れて危うく斧乃木に直撃するところだった、という動きに関する一連の描写に始まって、地面から引き抜かれたなぎなたの刃の鋭さがズームインにより強調されつつ、そのままカメラワークはなぎなたを通り越して、鋭く光るなぎなたを見つめる斧乃木の目が飛び込んでくる。月火のなぎなた捌きの動き、そのなぎなたが危うく斧乃木に刺さりかける状況、そして、なぎなたの鋭さ、総合して、なぎなたを持った月火の危険性が表現される。

 この点が、なぎなたを持った月火の危険性を直接的に表現したものであれば、その月火への斧乃木の反応は、間接的に表現する。それが、斧乃木のセリフであり、セリフをどう言わせるかに関わってくる。

 なぎなたが落ちてきた後、一歩下がって、斧乃木がセリフを言う(独白する)。一歩下がるのは、放たれたなぎなたを避けるためである。が、落下物を避けるという自然な行動とは別に、一歩下がることには一拍置き強調する効果もあるし、一歩下がることで、チラッと月火を見る斧乃木の決め顔をきれいにクローズアップで映すことができる。また、このシーンでは、斧乃木が月火をどう見ているか、でシーンが構築されてもいる。横目で見る、なぎなたを避けて体半分を月火へ向けて見る、なぎなたを抜く月火を正面から見る。ただでさえ危なっかしい月火がなぎなたを持った状態からそのなぎなたの危険性があらわになった上体へと、徐々に、月火を見る目が変化していく*3。そうした過程を経て、原作で一行「気になるよ」というセリフを、月火のセリフ(「自分の身は自分で守るから、斧乃木ちゃんはどうか私のことなんて気にせず、存分に戦ってね」原作:p.264、アニメ:15:44~)を引き取って答えることになる。

 直接・間接の二つの方向性から月火の危険性が表現される。斧乃木のうっかりミスとはいえ、このような危険人物に巻き込まれて、魔物退治がいま始まろうとしている。

 

斧乃木は生を諦めない

 こうして、斧乃木による自作自演の魔物退治が始まる。魔物役のなめくじが想定した以上の強敵に仕上がってしまい、斧乃木は苦戦し、不死の命を月火に救われることになる。一時的に救われたものの、彼女の「例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)」でも刃が立たず、火を操るなめくじにより、苦境に立たされる。

 ここで注目したいのは、死線上のあがき方をどう映すか、である。

 アニメでは、映像ならではの演出に大きく効果を発揮するのが、斧乃木が取っている体勢の描写である。一度なめくじを吹っ飛ばし、油断した斧乃木を、なめくじの攻撃から月火は自分の身を挺して救う。まず触れておきたいのは、救われた直後の斧乃木の体勢である。原作では、このシーンで、月火に突き飛ばされたが、斧乃木の片腕がなめくじの下敷きとなっている*4。そして、そこから八九寺真宵によりなめくじが消滅するまで、片腕を抜き出すなど、体勢を変えるような描写はない。むしろ、逃げられないことが、繰り返し強調されている*5。そのため、八九寺に助け出されるまで、斧乃木は独白を続けるのだが、片腕を挟まれ横たわったままの姿を継続していることが想像できる。そうして、現実逃避とも思える冷静な分析の果てに気づいたのが、諦めという判断と並んで、死ぬのが怖くて死にたくないという気持ちが、死体の彼女のうちにも存在していることだった。

 原作は、あくまでも彼女の独白を貫く冷静さの中で気づく。それに対して、アニメも大きく改変されているわけではないが、この冷静さが薄まることで、彼女の気持ちの部分をより生々しく感じられる。

 その生々しさを分析する上で重要なのが、先ほど触れた月火に突き飛ばされた斧乃木の体勢である。アニメでは、月火に突き飛ばされた彼女は転がって、なめくじの近くから離れる。原作とは異なって、なめくじの下敷きになっておらず、斧乃木は動ける=逃げられる状態にいる。だからこそ、直後、斧乃木は走ってなめくじから逃げるし、なめくじも彼女を追っていく。

 斧乃木となめくじとの追いかけっこには、逃げる斧乃木には、逃げるダイナミックな動きは封印されている。ということの原因には、体の負傷(=壊死)により高速移動するための「例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)」が使えない斧乃木の身体状況という問題があるし、また、ダイナミックに見えないように、斧乃木の逃げる姿は映されているという登場人物の映し方の問題もある(アニメ:23:00~)。とはいえ、前者の登場人物の状況が、登場人物の映し方という演出の問題へ帰結しているため、ダイナミックに見せない演出に重点を置いて、斧乃木が月火に突き飛ばされた直後のシーン(アニメ:23:00~)から見ていく。

 月火に突き飛ばされ、横たわっているところから立ち上がり駆け出す。立ち上がりによろけるショットは、ローポジション・ローアングルで、よろける動きをよろける体の正面から確実に押さえながら、後方にそびえるなめくじ、そこから吐き出される炎が、低い画面に近い地面から広がっていく。続いて、横から走る斧乃木を映すショットへ移る。一度よろけて、体勢を立て直し、加速して、フレームアウトする。画面は彼女をフォローしていくため、ただ走る彼女の速度に合わせている。よろける・体勢を立て直す・加速する、と段階を踏むことにより、リアリティある気持ちのよい加速になるのだが、逆にそのリアリティゆえに、本来怪異としての彼女の加速ではなく、ただの人並み程度の加速に印象付けられる。しかも、フォローしているから、加速感も減じられる。そして、加速して、フレームアウトしてすぐ、画面は追うなめくじと逃げる斧乃木が、かなり引きの俯瞰ショットで撮られる。これにより、直前の加速感はさらに縮減されるし、同時に、そこから先の加速もないことも明示される。

 以上のような映し方の演出により、逃げる斧乃木の動きからは、ダイナミックさは感じられない。そうは言っても、原作から想像できる、腕をなめくじに挟まれたスタティックな光景とは異なっている。原作にはそもそも動きがないけれども、アニメでは動きはある。動きはあるが、その動きにダイナミックさが感じられない。動きがありながらも、ダイナミックさが感じられない。アニメは、こうした原作にはないダイナミックに感じられない動きを挟むことで、同様に原作にはない、斧乃木の気持ちの部分に、生々しさを獲得することに成功する。

 こうした逃走に続くのは、何とか階段を昇りきる斧乃木の姿である。ふらふらの状態で階段を昇りながらの「まあいいや、打ちようがないけど、まあいいや。」という諦めのセリフ、そこから続く諦めに納得する理由を語るセリフに、実感をもって納得させられる。ここから自分の諦めの「判断」とは別の「気持ち」に突き動かされて、燃え盛る炎から必死に逃げる姿に、より生々しさが生まれてくる。

 こうした点で、独白が続くがゆえに、しばし冷静な分析の中で、諦めの判断を下すも、アイロニカルな態度の中で、死にたくないという気持ちを発見する原作に対して、冷静な分析を働かせつつも、斧乃木の危機的状況をダイナミックさを欠いた逃走で描くことで、彼女の諦めの判断、さらには彼女の死にたくないという気持ちを生々しくもにじませるアニメ、と位置づけることができそうである*6

 

 

  以上、四つのシーンについて、原作とテレビアニメを比較する中で、映像化不可能と名高い『物語シリーズ』を、いかに映像化しているか、とテレビアニメ版の魅力を語ってきた。一話「つきひアンドゥ」は、不死者の間での、無鉄砲な月火 vs. 冷静な斧乃木、死を恐れない月火 vs. 死を恐れる斧乃木、という二つの対立軸を設定していた。

 不死同士の掛け合いは、二人が持つ不死の属性や性格に合わせて、監視対象の月火が監視者の斧乃木を振り回す展開になる。死を知らない不死の月火はとことん無鉄砲に、死を知る不死の斧乃木は、あくまでも冷静だが、死を前に感情的に、原作を踏襲しつつも、映像に置き換えられていた。

 今回挙げた二人の対立軸も、一つの見方にすぎず、その他にも原作・アニメそれぞれに、各メディアならではの表現が随所に見られる。どちらも、読み・見比べてみるのもおもしろいし、これ以上に比較が楽しい作品もないのではないだろうか。

 

 

*1:原作(西尾維新愚物語講談社、2015年)のpp.232-285に当たる。

*2:ベッドにいる斧乃木に月火が駆け寄り、その勢いままにして行われた尋問は、次のセリフに導かれている。       

い、いや、無理だって今更人形の振りとかしても。今完全に動いてたじゃん。ぺろぺろアイスの蓋なめてたじゃん。堪能してたじゃん。ほっぺにアイスついてるし、アイスのカップ転がってるし、手にはスプーン持ったままだし。つーかアイスをベッドの上に投げ出さないでよ。掛け布団に、べっとりクリームが付着しちゃってるじゃん。

(原作:p.236)

 二、三、四文目で、「アイスを食べていた=動いていた」事実を主張する中、念押しの語尾「じゃん」を三回繰り返すことにより、勢いを確保する。その流れのまま、その事実を裏付ける証拠を指摘するのだが、並列&理由の語尾「し」三回繰り返しで勢いは維持する。勢いよく事実主張・証拠指摘するのだが、次で話は斧乃木が動いた/動いていない、から話が変わり、少しトーンダウンする。話は変わって、転換の接続詞「つーか」+命令の語尾「よ」で挟んだ別の指摘で一旦落ち着いたつかの間、投げ出されたアイスを巡って月火の怒りとともに、語尾「じゃん」を伴って勢いを吹き返す。そうして、月火による斧乃木への追及は、理性に訴えかける追及から肉体に訴えかける追及を移行する。

*3:原作で言えば、「サラダ油を持っているだけで、あれだけ危なげに見えた阿良々木月火が、刀剣類最強との呼び声も高いなぎなたを手にしている図は、百戦錬磨の僕と言えども、ちょっと言葉を失うものがあった」。(原作:p.264)

*4:「今は阿良々木月火と共に、僕の奥の手は蛞蝓の下の奥のほうに埋まっている」。(原作:p.276)

*5:例えば、「現実逃避ならぬ現場からの逃避も、できない」や「高速攻撃どころか、高速移動すらもままならない」や「高らかに燃えさかる巨大蛞蝓に、なすすべもなく、手の打ちようがない。—指の打ちようがない」と(原作:p.277)。

*6:アニメが、斧乃木の動きにダイナミックさを削ぐことで生々しさを獲得したのならば、原作は、なめくじに挟まれている動けない状態、動きのなさ(=スタティックさ)により、分析の冷静さを獲得している。

 三つの問題が、危機的状況の中、分析を続ける斧乃木の冷静さを感じ取せることに関係してくる。

 第一に、派手に逃げながら、自らの状況を冷静に分析することがそもそも困難である、というリアリティの問題、第二に、第一の裏返しであるが、登場人物の動きがない方が、その人物の考え(=分析)に没入することができる、という読み手側のキャパシティの問題、第三に逃げる状況を描写しつつ、分析を忠実に描写することが困難である、という小説という表現媒体の問題、により危機的状況の中、動かない斧乃木に状況を分析する冷静さが獲得できるように思える。

 また、個人的な感想だが、皮肉屋っぽい側面を持つ斧乃木の性格からして、原作のような冷静さを最後まで保って、冷静な分析から導かれる判断とは異なった気持ちを、これまた冷静に発見する、という展開の方が、人物像的には合致しているように感じる。原作なので当然だが。