『おむすび』「おむすびとギャル」2024-10-06

2024年10月6日 當山日出夫

『おむすび』 「おむすびとギャル」

『おむすび』というタイトルは、一月十七日が「おむすびの日」であることにちなんだものかと思っている。普通は、「おにぎり」というかと思うのだが、たまたま「おむすびの日」ということになっているので、これを採用したのだろう。

このドラマの登場人物には、影がある。主人公の結は闊達な女子高校生のように見えるが、姉(元ギャルだった)とか、幼いときの記憶とか、いろいろありそうである。父親の聖人も、元は理容師だったのだが、事情があって今は糸島で両親と農業をしている。米田家ののろい、あるいは、たたり、はいったいどう描かれることになるのだろうか。

女子高校生が自転車に乗って田園風景のなかを走るというのは、朝ドラ定番の安心感がある。

ギャルというのは、この時代……ドラマの現在は二〇〇四年ということになっていた……においても、絶滅危惧種といっていい存在だった。それを、ハギャレン(博多ギャル連合)として、たった四人でやっている。その心意気やよし、といいたいところかもしれないが、この四人のギャルがそうなっているのには、それぞれにかかえている複雑な事情があるらしい。

規格外の野菜は商品にならない。まあ、今の野菜などの流通としてはしかたないことかと思う。現在なら、産直市場などがあって、そこで売ることも可能かもしれないが、今から二〇年ほど前はどうだったろうか。たとえ規格外であっても、クズということはない。味も栄養価もかわらない。これは、このドラマが最初に打ち出しているメッセージである。

ギャルだからといって、社会のクズというわけではない……らしい。

ヒロインが水に飛び込むのは、思い出すところでは、『てっぱん』『あまちゃん』『とと姉ちゃん』『ごちそうさん』などがある。前作の『虎に翼』でも、主人公の寅子が川におちていたが、この場合、ドラマの展開上さほど意味のあることではなかった。朝ドラの通例として水におちてみた、ということであったとしか思えない。さらにすすんで、『おむすび』では、第一回から水に飛び込んでいる。これは、もう水に落ちるのが、朝ドラヒロインであるという習慣を、意図的に踏襲したものになる。これはこれとして、効果的な脚本になっていると思う。

気になることとしては、結はおじいちゃんと野菜を売りに行ったのだが、その夜はスナック「ひみこ」でおじいちゃんがお酒を飲んでいた。軽トラで行ったようなのだが、帰りはどうしたのだろうか。

路上で倒れたギャルを、結は病院につれていった。保険証などギャルが携帯していると思えないのだが、そこはどうしたのだろうか。おそらく血液検査ぐらいはしたかと思えるが……だから食事について注意されることになったのかと思うが……基本的な血液検査の結果が出るのに、一時間ぐらいはかかるだろうか。病院によっては、翌日以降ということもある。

このドラマは、ものを食べる場面が印象的に描かれている。栄養士になる物語のはずだから、これからどんな食事シーンがあるのか、楽しみである。

ドラマの設定は、糸島ということだが、糸島が市になったのは、ドラマの現在より後のことになる。地域の名称として使われているということでいいのかもしれないが、実際にその土地の人の感覚としてはどうなのだろうか。

父親の聖人が、理容師の鋏を持つシーンがいい。まさに職人という雰囲気をうまく描いていた。演出の気配りを感じる。

このドラマ、結のこころの声、が多すぎるように感じる。そういうことは説明しなくても、十分に画面から感じとれる。最近のドラマの作り方の傾向ということなのだろうか。説明的に分かりやすく作っていることはたしかなのだが。

2024年10月5日記

『カーネーション』2024-10-06

2024年10月6日 當山日出夫

『カーネーション』の再放送がはじまったので見ている。『オードリー』の次である。『カーネーション』は、最初の放送のときから、再放送をふくめて、二~三回見ているかと思うのだが、今回も最初から見ている。

傑作と評価の高いドラマなのだが、その理由は、見ていても実感するところである。思うことを書いてみる。

大正から昭和の戦前、戦後の物語なのだが、あくまでもその時代の人物の感じ方で、その時代の視点で描いているところがいい。その時代には、そのような生活感覚で生きている人がいた、ということが、余計なナレーションの説明などなくても伝わってくる。

その時代を生きてきた人びとの視点ということを感じるのは、このドラマの最終回の最後のシーンにおいてである。これは、過去に見ているからそう感じるところでもある。

子役のときから、糸子の隣家の勘助、それから、料亭の娘の奈津が登場してきている。勘助も奈津も、戦後になってその波乱の人生を体験することになるのだが、その将来のことを知ったうえで見ると、この子どもが、後の時代にはああなることになるのか、といろいろと感慨深いものがある。

このドラマは、舞台が基本的に岸和田の呉服店から動かない。これも、ドラマの作り方としては、ある意味で斬新なこころみであったかと思う。

父親の善作(小林薫)がとてもいい。それから、母の千代(麻生祐未)もいい。理想的な父母ということではないが、こういう家庭で生まれ育った子どもが、成長していく過程がじっくりと描かれていく。現代の価値観からすれば、いろいろと問題のあることになるが、かつてはそのような時代であり、そのなかで生きてきた人びとがあった、ということを感じとることができる。

それから、戦争が終わるときの玉音放送のシーンが、印象的である。朝ドラで描かれた玉音放送の場面のなかで、最も秀逸といっていいだろう。

2024年10月5日記