『坂の上の雲』「(5)国家鳴動(前編)」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(5)国家鳴動(前編)」

録画してあったのを見ながら思ったことを書いてみる。

大日本国憲法から始まっていた。今となっては、近代日本の諸悪の根源のようにいわえることの多い、大日本帝国憲法であるが、その当時にあっては、世界の政治史のながれのなかで、どのようなものだったのだろうか。まがりなりにも、近代的な国家の法整備がようやく整ってきた、ということも確かなことだろう。そして、それを祝った国民が多くいたことも事実であった。

この憲法に先立って、各所で憲法の私案が作られていたことは、歴史学の方であきらかにされていることかと思うが、これらをふくめて、明治の日本が近代的な国家とは何かを模索していた時期と考えるべきかと思っている。

明治になってからの法律の整備、法律家の教育、ということが実際にどのように行われてきたのか、ということが気になる。といって、今から、法律の歴史を勉強しようという気にはならないでいるのだが。

大津事件のことがあった。このドラマが、日露戦争のことを主に描くことになるドラマであるとすれば、この事件については触れておくべきことになる。だが、事件の描写があっただけで、それに対する日本の国家、国民の反応はどんなだったかは、省略されている。たしか、この事件への反応については、原作の司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、かなり詳しく書いてあったかと記憶するのだが、どうだったろうか。

中国……この時代はまだ清であるが……の北洋艦隊と提督の丁汝昌が出てきていた。欧米列強に侵略されたとはいえ、東アジアの大国である。海軍力を見せつける、というよりも日本を威圧するために、やって来たことになる。

丁汝昌と東郷平八郎の対面の場面が印象的である。本当はどうだったか分からないが。あるいは、このあたりのことは、東郷平八郎の史料によるのだろうか。ドラマにおけるフィクションなのだろうか。

東郷平八郎が丁汝昌に「万国公法」の書物を手渡すシーンは、現在の中国のことを思ってみると、なかなか興味深い。

司馬遼太郎は、明治の日本は、国際社会のなかできちんと振る舞おうとしていた、ということを述べていたかと思う。万国公法……今でいう国際法である……を守る優等生であろうとした。(だが、実際には、必ずしもそうではなかったが。)

ところで、以前、このドラマの放送を見たときには気にならなかったが、今になって気になることとして、秋山真之たちのことばがある。故郷の松山に帰れば、当然のごとく松山方言である。だが、東京に出てから、また、兵学校に入ってからは、きれいな標準語(といっておくが)になっている。明治二〇年代のはじめである。最初の言文一致体小説とされる『浮雲』(二葉亭四迷)の初編が出たのが、明治二〇年である。このころ、日本に共通した標準的な日本語が、ドラマのように存在したとはちょっと考えにくいのだが、どうだろうか。たしかに、松山から東京に出てことばで不自由することはなかったかもしれないが、では、どんなことばをつかっていたのか、となるとこれはまだ未解明な部分かと思う。

おそらく、標準的な日本語の成立に深くかかわったのは、軍隊であったろうことは想像できる。かといって、もうリタイアと決めたので、今から近代日本語と軍隊のことを勉強してみようという気もない。これからの研究分野である。若い人たちの研究に期待することとしたい。

だが、その一方で、東郷平八郎は鹿児島方言である。まあ、このあたりは、ドラマのなかでの役として、東郷平八郎は鹿児島方言であった方がふさわしいという判断なのだろう。このような事例としては、西郷隆盛の鹿児島方言、坂本竜馬における高知方言、などがある。ちなみに、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、坂本竜馬に高知方言を使わせるということはしていなかったはずである。

2024年10月9日記

ザ・バックヤード「JR東日本 豊田車両センター」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

ザ・バックヤード JR東日本 豊田車両センター

私は鉄道には興味のない人間なのだが、それなりに面白かった。鉄道好きにはとても面白い内容だったと思うが。

もう東京に行くことが、どれぐらいあるだろうかと思う。中央線に乗るとしても、立川の国立国語研究所に行く用事があるときぐらいである。それも、東京から中央線に乗りかえるよりも、新横浜で降りて横浜線で八王子まで行って中央線に乗ることが多い。帰りは、東京に寄るところがあったりするので、東京まわりで帰ることがある。

しかし、これから国立国語研究所にも行くことは、たぶんないだろうと思う。興味のある研究会とかはあるのだが、もうリタイアと決めているので、行かないと思う。

中央線にグリーン車を導入するというニュースは、以前に見た記憶がある。それが実際にどんなものになるのか、これは興味はある。一〇両編成が、一二両編成になるので、ホームの延伸工事が必要になる。ただ、中央線は、日本の鉄道のなかで、もっともまっすぐな路線であるはずなので、ホームの延伸ということは、比較的簡単だったのかもしれない。が、これも駅によるだろうが。お茶の水とかはどうしたのだろうか。

技術が進んでも点検作業は、人間の目と耳による打音検査が軸になるということは、そうかなと思う。(これも将来的には、AIとオンラインでつないで検査ということになるのかもしれないが。)

ところで、運転席のメーターが映っていたのだが、速度計が、まるくて針がある旧来の表示であるが、ディプレイにそのように表示して見せているものだった。私の乗っている自動車(トヨタであるが)のメーターもそうである。これは、アナログといっていいのか、デジタルといっていいのか、迷うところである。

深夜の東京駅での、グリーン車の乗車、降車と、清掃の訓練。これに動員される社員も真夜中に大変だなあ、と思って見ていた。実際に人が動いてみなければわからないことはたくさんあるはずなので、これは必須だろう。(どうでもいいことだが、集合する社員たちがエスカレーターに乗っているとき、右を空けて左に寄っていた。エスカレーターで、歩かないで二列に並んで立つ、という方向に世の中は動いているかと思うのだが、JR東日本ではどうしているのだろうか。まず隗より始めよ、とはいうけれど。)

2024年10月3日記

「“天国への引っ越し”手伝います〜東京大田 遺品整理会社〜」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

時をかけるテレビ “天国への引っ越し”手伝います〜東京大田 遺品整理会社〜

録画してあった番組を見終わって、PCを前にして、Googleで「遺品整理」を検索すると、実にたくさんの業者がある。見ていくと、遺品整理士認定協会というのがある。今では、遺品整理というのが、社会的に必要な業種であり、また、それには専門知識が必要である、というふうに変わってきている。

一つには、孤独死、孤立死の増加ということもある。それだけではなく、一緒に暮らしていたとしても、故人の遺品を、うけついで使うという時代ではもうなくなってきたということになる。生活の意識の大きな変化がそこにはあると考えるべきだろう。

おそらく、現在、このような仕事にたずさわると、家族や地域社会とのなかでの、様々な問題に遭遇することになるにちがいない。それは、たった一人で死ぬ孤独死よりも、さらに悲惨な人間の修羅場と言っていいかもしれない。

また、一種の業界怪談とでもいうべき、奇妙なエピソードもあるかと思う。

この番組の放送は、二〇〇七年であるが、それから、二〇年近くたった現在では、また、この時代とは異なった状況にあることは、確かなことかと思う。新たな視点で、今日の問題点にきりこんだドキュメンタリー番組があってもいいかと思う。その取材は、かなり厳しいものになるかもしれないが。

遺品のすべてが廃棄されるということはないだろう。中古品としてリサイクルされるものもあるだろう。貴金属などは、しかるべきルートで販売されることになるかと思う。このあたりの法的な整備はどうなっているのだろうか。

2024年10月8日記