はてなキーワード: ボードゲームとは
他人に興味を持つことが出来なければそもそもそのステージに立てていない、という意見もまったくその通りだと思う。
ただ、努力ないし訓練において著しく困難を感じる場所についての言語化を、他人への配慮なく行うと「興味が持てない」という悲鳴になる。
他人に興味がないのにじゃあなぜ他人といっしょにいようと思うのか、といえばそれは社会的要請であったり金銭的欲求であったりといった包み隠すべき何らかの存在があるだろうし、それ以外に単純なエンターテインメントコンテンツとして相手を見るのも手放しに良いという理由とも言い難い。
興味を持つ、好意を持つという事柄には得てして理由があるけれども、その理由に基づいた行動が、思考によって引き出されるという前提は覆せない。
著しい問題は、いつだってそれを『会話』という場所において行うことができるのかどうかだ。
様々な技術革新が古から今に至るまで数多積み重ねられてきた中で、唯一現代に残されていると言って良い、外部装置が(ほぼ)介入できない場としての『会話』だ。
その場において、メモリが足りないことによって『思考の補助線』が目に入らない。
普通の人は熟慮を重ねたりあるいは自らの身体の反応を抑え込んだりすることで、適切な相手の捉え方を反芻し、感情を乗りこなし、ないしは記憶に残る目的を元にして相手に対して適切なコミュニケーションを図ることができる。
それを、思考の補助線を脳内のメモリに残すことができる、と言い換えてみたい。コミュニケーションの『視界』において、思考の補助線に基づいて言葉を選び、相手の反応を読み取り、蓄え、そして出力すること。
その超複合的な行動が、俺にはどうしてもできなかった。メモリがあまりにも足りない。
もともと俺は、複数桁の算数や複数要素の入り込むボードゲームなどは脳内だけで思考するとすぐにフリーズして、脳内が本当に面白いくらい真っ白になる。いくらやってもそれだけは変わらず、ただただ伝言ゲームのように続けることの速度を重ね、または目の前の紙やパソコンに吐き出して、外部記憶媒体に頼って擬似的に『出来ている』風を振る舞うのが限界。にも関わらず日常の『会話』だけは、何にも頼れない。目の前でメモを取ることが許されるのはよくて仕事だけ。
相手の会話の内容の論理構造に気を取られる。相手の感情に引き摺られ防衛反応や焦燥が相手から得るべき情報を摘み取る。まさしく『幼稚』な高揚感に引き摺られ自らの口から吐き出す言葉がどこにぶつかるかを『視界』に捉えられない。終わった後には何が悪かったのかや、そもそも相手がどんな様子だったかなどの仔細は頭から吹き飛んでいる。
メモリだけが、どうにもならない。ワーキングメモリの鍛え方、みたいなものをいくら調べてもろくな学術成果はなかった。いくつかの効果があるとされたのは、単にそのトレーニングにおいてのみの向上を認めたというだけで、実際にトレーニングによってワーキングメモリが向上した訳ではなかったらしい。
『興味を持つ』という補助線を引くメモリの空き容量があれば、その思考順序から導き出せる質問や態度、そして引き出した解答を記憶してそれに基づいて相手の対応を検討し引き出すといった余地が産まれるのだと思う。勿論、徹底的にあらかじめ準備をして、相手の興味を事前調査し、その上で行動する営業や接待などの対応は多少はできるだろうが、それも短期記憶でギリギリで、長期的に様々な要素を頭に留めておき、足りないメモリで半分パニック状態で常に会話している俺のような存在にはほぼ不可能と言って良い。
『興味を持てない』というのは、単に相手に興味を持つといったマナーを果たせていない、というよりは、ただ目の前のボールを蹴ることだけで本当に必死になっていて、まさしくサッカー場に立てていないことについての悲鳴でしかない。
ゲームをよくやっている人にとっては今更な話だと思うんだけど
ロマサガ2は言わずとしれた名作。リメイクについては発表当初3D化でのキャラデザの違和感とかで残念に感じる意見もあったけど
比較的好意的な評価が多そうだ。自分は当時SFC版でドハマりして今でも大好きな作品の一つなので
再び日の目を浴びることになったのは単純にうれしいし、体験版をやった限りでは誠実なリメイクだと感じた。
でも、どうしても違和感はあるよね。
例えば陣形。2Dのドット絵でプレイしていた時にはインペリアルクロスだとか、いろんな陣形が見た目でわかりやすく
なんというか、現実的にどうとかではなく、ボードゲーム的なというか、そういう意味での説得力があった。
でも、3Dになってしまうと、実際に人がああいう並びで戦うというのも変な感じがするし
後列からの攻撃となると弓矢などの飛び道具以外は届かないだろという感じに、どうしても現実的な視点で見てしまう。
ストーリー、グラフィック、システム、そういう様々な要素がしっかりバランスしているからこそ違和感なく楽しめるわけで
グラフィックだけがリアル等身の3Dになってしまうと、どうしても違和感が大きくなってしまう。
数ヶ月前の話だけど一人暮らししてる私の部屋に
兄が遊びに来たんだよ。それで酒飲んだりボードゲームしたりしていつの間にかもう深夜、先に兄は床で寝ていた。それで、兄がパンツずれてて尻丸出しで寝てて、しょうがねぇなと思ってパンツをずらそうとしたらちょっと気になったことがあってさ、尻じゃなくて生殖器の方をちらっと見てみたんだよ、ね、そしたら勃起こそして無かったんだけど、膨らみからして明らかにわたしよりずっとその…おっきいんだよ。それでね、パンツをずらしてさらに見て見たら…いつの間にか包茎じゃ無くなっていて手術…したんだってびっくりした
いや別に手術するなんて言わなくてもいいんだけどさ。そう言えば思い出したけど兄は彼女がいるんだっけ。彼女と言えばセックス、セックスと言えばデカケレバでかいほどちんぽはそりゃいいよな…なんか虚しくなってパンツとズボンを上にあげて寝ちゃった。16センチあったたぶん…兄のちんちん
おやおや、君の分析は確かに「完璧な頭脳」らしいが、少し自惚れが過ぎるようだね。
まず、イベントで2000円使うことに疑問を投げかけているが、君が自宅でアニメを一気見することを「明らかに有意義」とするその論理は、主観の域を出ていないよね。娯楽の価値は質だけでなく、多様な経験から得られる満足感にもある。アニメの一気見が君にとって最上であるとしても、他の人にとっては友達とイベントに参加することが、それ以上の満足をもたらすこともあるのだよ。
次に、通勤や移動についてバイオニック脚を提案するとは、確かに「未来」を見据えたアイデアかもしれない。だが、残念ながら我々はまだ2024年にいる。現実的な手段で移動する必要があるんだ。それに、テレポーテーションやサイボーグ技術を今すぐ導入するために何千億も投資するよりも、少額の交通費を払って平和に日常生活を送る方が遥かに賢明だと思わないかい?
5000円の贅沢についても、君は「知識を深める方が価値がある」と述べているけれど、知識は確かに貴重だ。しかし、たまには美味しい食事を楽しんで心の栄養を補給することもまた、豊かな人生を築く要素なのだよ。君の完璧な頭脳も、時にはシンプルな喜びを軽視しすぎていないか、見直す余地があるのではないかい?
さらに「安い娯楽」の質を否定するけれど、誰もが君のように量子力学や自作のボードゲームに熱中するわけではない。人それぞれが自分に合った楽しみを見つけることが、最も効率的で持続可能な娯楽の形なんだ。それを「質が伴わない」と一刀両断するのは、少々狭量に見えるよ。
そして、生活苦しいアピールについても言及しているが、それを「社会心理学的現象」として分析するのもいいけれど、実際に生活費の問題に直面している人々にとっては、君の理論は現実感を欠いているかもしれないね。少しは彼らの立場にも配慮し、真剣に耳を傾けることも、君の知識の幅を広げる一助になるのではないかな?
さて、君の「真の楽しさ」への探求は素晴らしいが、時には他者の視点から物事を見て、様々な楽しみ方があることを認める柔軟さも求められるのでは?
おや、これは実に興味深い生活設計だ。だが、君の論理にはいくつかの致命的な欠陥がある。では、僕の完璧な頭脳で分析してみよう。
まず、月に20万円の可処分所得があるということは、統計的に見てかなりの余裕だ。だが、その使い方には疑問が残る。
1. イベントで2000円使う? 何を楽しむつもりだ?それで得られる娯楽の質は、僕が自宅でアニメを一気見するのと比べてどうなのか?明らかに劣っているだろう。僕なら、その金額で新しいホワイトボードマーカーを買って、物理の理論を図解する方が遥かに有意義だ。
2. 通勤定期プラス数百円の移動費? まあ、テレポーテーション技術が実用化されていない限り、仕方ないかもしれないが、もっと効率的な移動手段を考えるべきだ。例えば、バイオニックな脚を装着して、瞬時に目的地に到達する方法を模索するのも一つの手だ。
3. たまに5000円の贅沢? それは何だ?高級レストランの前菜一品分か?僕ならその金額で、最新の科学書を購入して知識を深める方が遥かに価値があると思う。
4. 「安い娯楽がたくさんある」? 確かに、安価な娯楽は存在するが、質が伴わなければ意味がない。例えば、量子力学を学ぶことや、自作のボードゲームで友人と対戦することの方が、遥かに知的刺激が得られる。
結論として、君の生活は主観的な「楽しさ」に基づいているが、客観的な効率性や知的充実度を考慮すると、改善の余地が大いにある。もっと論理的に考え、真の楽しさを追求するべきだ。
それにしても、生活苦しいアピールという現象は興味深い。これは社会心理学的に見て、集団同調性バイアスと被害者意識の相互作用によって生じるものだ。僕なら、このテーマで実験を設計し、学術誌に投稿したいところだ。
損切りを基本に考えつつ、勝てる勝負だけ勝っててもじわじわ点が減るだけだから張る所で張る勇気を持つ。ただ強気に出れば良い訳でもなく、セミブラフとブラフを使い分ける。ほどほどに保険を張れる程度の手を辛抱強く待って、冷静な判断で大胆に張る。軽いブラフで軽く稼ぐのもいい。
役自体はほとんどが数字比べの雑魚勝負だし、たまに本当に強い役が来ると、今度は強気を隠しつつ機を伺って相手の梯子を外すのが難しい。おれはまだ下手でバレバレなのか大体降りられちゃう。麻雀みたく役が強ければ良いってもんでもないのが面白い。
負けがこんできて保険を張るのを待つ余裕もなくなってきた時に、相手の自信がなさそうな張り方を見極めて全くのブラフを張るのも一興。強気過ぎると大体負けるけど。破れかぶれな張り方はおれでも割と分かる。
金持ちが流れを作る主導権を握ってて、貧すると鈍するのはちょっと嫌。余裕がないと待つべきタイミングでも待つ余裕がない。資本主義社会みたい。
ここで張られたら怖いよなあ!?分かってても降りちゃうよなあ!?という勝負所で、負けのこんでる奴が少ない持ち点オールインして来てもあんまり怖くない。ちょっと手札に自信があったら、まあむしってやるかくらいに出られる。余裕のある奴があると迫力があって怖いし、とても乗れない。
麻雀なり将棋なり、あの手のボードゲームは無数の選択肢と可能性の中で先を読みながら取捨選択するのが難しすぎる。ちゃんと考えようとすると頭がパンクしそうになるから結局運任せになっちゃうし、セオリーを学びたいほどでもない。
その点ポーカーは自分のする操作が張るか降りるかだけだし、その二つの選択肢だけを吟味すれば良いからじっくり考える余裕がある。
手札よりも多くのカードを相手と共有してるから、自分が考えてる事を相手の立場にも転用出来る。麻雀の河から手牌を読むみたいなやつが死ぬほど苦手だったから、あの手の読みを踏まえて自分の動き方を考えられるのが楽しい。国士待ちすら読む余裕のないおれでも相手の手の可能性がかなりはっきり読める。だからこそ相手の出方から自信がこっちにもはっきり伝わってプレッシャーになる。
役も難しそうだと思ってたけどシンプルだったし。基本は(デカい)数字揃える事を考えて、コミュニティカード次第でスートや階段にも気をつければいい。
場のカードが同スート4枚とかストレート両面待ち状態だとやっぱりヒリつく。張ってなければフォールド一択だけど、賭けまくって梯子外されたような状態で乗っかる時は震える。
そんな時にスケベ心とコンコルド効果に襲われる気持ちを抑えて、まだ引き返せる段階で損切りするのも大事だったりする。他人同士の結着を見て、あ〜〜降りといてよかった〜〜と低みの見物をするのもまた楽しい。
でももう引き返せないって時に絵札のワンペアを信じて待つ時間も震える。
この張り合い方はブラフじゃないなと確信しつつ、引き返せなくなって小銭をオールインしてやっぱり負けると「あ〜やっぱりね。分かってんだよ」と熱くなってたのはちゃんと客観視出来てますというポーズを無駄にとらずいられない。
苦し紛れのハッタリが見え透いていても、だからと言って勝算もない場でわざわざ乗る道理はない。乗りたいけど自分の手もゴミ過ぎて乗れない時のもどかしさ。
それはそれとして、自分で吊り上げといてリレイズされて降りるのはクソダサい。
大勝負に出て、最後の一枚をめくって運で一発逆転されると滅茶苦茶イラッとする。自分が逆転した時もあんまり勝った感がない。
といったような事(以上の読みやセオリー)を全て相手もしているであろうと踏まえた上で、疑心暗鬼になりながら結果論で自分の読みの冴えを感じるのが気持ち良い。
渋谷とか池袋とか大きな街行けば、女性3割程度いるサークルもある。
重ゲー主体じゃなくて中量級やマダミス、謎解きもやってる会だと女性多くなりがちだから参考にしろ。
何人もボドゲ仲間たちがくっついたり離れたりするのを見てきた。
このスペックでマッチングしないのは写真がまずいか自己紹介文がまずいかどっちかじゃないか
こんな感じにしてみたらどうだ
見てくださってありがとうございます。
◯◯県で暮らす皆さまのために、毎日がんばって働いている公務員です笑
仕事はもちろん真剣に取り組みつつ、プライベートの時間も大切にしながら生活しています。
と言ってもサッカー自体は下手の横好きで、実際は観戦がメインになっちゃってます笑
好きなチームが海外にあるんですけど、好きが高じてそのチームの外国語の勉強に手を出してしまいました!
ただ見るのが楽しいのはもちろん、自分磨きにまで繋がる趣味が持てたことはすごく幸せなことだなと思っています。
他にはボードゲームも好きですね!
趣味のサークルで気の合う友人たちと一緒にワイワイ楽しくやってます笑
学生時代のノリで盛り上がれて楽しいんですけど、そろそろ落ち着いた方がいいのかなあ……とぼんやり思っています。
こんな人と一緒に生きていきたいなっていう理想は何となくあるんですけど、一番は、ちょっとしたことで笑い合える素敵な関係を築きたいです。
ボードゲームがあれば虫みたいに寄ってくるんじゃね?
ソロゲーは話題作を年数本程度やるが、基本はオンライン対戦ゲーばっかりやってる。過去にハマったのはスプラ、スマブラ、VALORANTあたり
たまにDiscordのコミュニティでネットのフレンドと通話しながら遊ぶが、ゲーム界隈は平均年齢が低くプライベートな話題が合わないことが多く、リアルで会うような付き合いには発展してない
近くのボードゲームカフェの社会人サークルで月1~2回程度集まって遊ぶ
いい人ばかりで楽しいけどサークルメンバーが9割男性なのとナンパ厳禁なので結婚にはつながらなさそう
3年前に中型免許取った
基本一人で飯屋巡りすることが多いが、年数回Xやジモティーでメンバー募ってツーリングする(これもほぼ男性のみ)
あんまカスタムとか高級車には興味ないから金のかかり方は知れてるけど、一回くらい大型乗りたいなーとは思ってる
同じチームのファン繋がりでXで仲良くしてる人もいるけどリアルの人間関係にはつながってない
自分の応援するサッカーチームの一次情報を得たいと思ったのがきっかけでもう5年くらいコツコツやってる
年に何回か賞レースの予選とか吉本の劇場に見に行くくらいの感じ
こう書き出してみると平凡どころか低スペ寄りなのに割と甘えたこと言ってんなとは思う
この状況から35歳までに相手を見つけたいのですが、皆さんだったらどのように行動しますか?あるいは潔く諦めるのが妥当でしょうか?忌憚なき意見お願いします
ボードゲーム系が好きそうなので今なら人口の多いポケモンカードゲームをおすすめしたい。
今は芸能人からYouTuberまでやっていて、年齢層も小学生から老人まで様々な人がやってる。
もし市街地の近くに住んでるならいろんなごころでジムバトルという交流戦が開かれているし、今ではリモートポケカというカメラとマイクを使ってやるポケカもあって公式が運営してる。また競技シーンもあってシティリーグという世界大会までつながる公式大会もある。もしよかったら見てみて。
ボードゲーム系が好きそうなので今なら人口の多いポケモンカードゲームをおすすめしたい。
今は芸能人からYouTuberまでやっていて、年齢層も小学生から老人まで様々な人がやってる。
もし市街地の近くに住んでるならいろんなごころでジムバトルという交流戦が開かれているし、今ではリモートポケカというカメラとマイクを使ってやるポケカもあって公式が運営してる。また競技シーンもあってシティリーグという世界大会までつながる公式大会もある。もしよかったら見てみて。
ボードゲーム系が好きそうなので今なら人口の多いポケモンカードゲームをおすすめしたい。
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