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2024-10-10

日本スゴイ番組のどこが嫌か

あいった番組製作される背景にどんな政治力学が働いているのか私は知らない。それこそ保守団体肝煎りだったりするのかもしれない。

世界中どこでもやっているような企業努力をわざわざ外国人を連れてきて見学させてスゴイと言わせるみみっちさは、それだけでも馬鹿馬鹿しい。

でも私が日本スゴイ番組を見ていられないのはもう少し別の理由もある。

 

ある世代から上の日本人は、かつて日本がいくつかの重要な分野で世界トップランナーだった時期があることを知っている。

その頃、日本がスゴイことなんて言わずもがなだった。

ひとりひとりが無意識に誇らしく感じこそすれ、わざわざひけらかすようなムードはなかった。

ソニーコロンビアを買収したり三菱ロックフェラーセンターを買収したりするのを見て、むしろあんまり派手にやってくれるなよ…」と思っていたくらいである。

 

その世代の一員である私が現代日本スゴイ番組を正視できないのは、

「こんなにまでして鼓舞しなきゃならんほど日本凋落たか

という思いかである

日本スゴイ番組存在によって、逆にいやおうなく日本凋落意識させられてしまう。元気があった、パワーがみなぎっていた、希望と自信に満ちていた時代が「すでに過ぎ去った」ことを見せつけられているようなのだ

この感覚は、たぶんアフターバブル世代にはわからないだろうと思う。とにかく、さびしいものなのだ

2024-10-09

anond:20241009175233

元請けにならんと儲からないって気づいたアニメ会社が増えてきて、下請け業務を受けるところが減った

から元請けが増えてアニメの数は増えるけど、それぞれの下請けは雇えていなくてアニメの質は下がるという傾向が続いている

それでも基本は製作委員会方式アニメ製作するとなると他から金を引っ張って来れてるので、収益的には改善している

漫画が読めなくなった

と、最近感じるようになった。

時間がない」とか「熱中できなくなった」という事ではなく、単に話を理解できなくなった。漫画の読解もそれはそれでスキルが求められるんだなとしみじみ感じるようになった。

ちょっと前に「チェーンソーマン」が読みたくて、全話無料につられてジャンプ+を入れた。で、いろんな話を週替わりで読むようになったんだが、週刊誌作品を追いかけるというのは結構難しいのだと知った。

なんか、絵とか展開から「今シリアスなシーンだ」とか「今ってギャグをやってるんだ」みたいな、シーンの情緒とか作品の緩急みたいなのを読み解く能力最近極端に落ちた気がする。

最近、火曜に更新されてる「MAD」って作品を読んでるんだけど、絵柄も好きだし、作品テーマ結構気に入ってるんだけど、ちゃんと読めてるか自信がないんよな。

「あれ?これ今大事な話してる場面でいいのよね?」みたいな風に思ったり、何ならそれで多分結構読み飛ばしてる気がしている。

これが映画の予告PVだったり、アニメだったり、動画だったり、世の映像作品には私のような読解レベルの低い観客へ配慮がされていたんだなと。

予告PVなら、「さあ、今から盛り上がる場所しますよー」みたいなフリをしてくれるし、アニメなら「ここめっちゃ大事な話する場面っすよー」みたいなBGM流れるし、動画なら「ここ面白いとこですよー」っていうポン出しSEを入れてくれる。

一昔前の漫画で、キャラデフォルメのような露骨ギャグ描写を入れてくる作品結構あったけど、あれも読者の読解力への配慮だったんかなと。

随分そういうものに頼り過ぎた。世のメディアミックス製作者には頭が上がらない。

あと、単純に前回の話を覚えていられなくなった。

火曜に更新される「ダンダダン」も読んでいるんだけど、ある時期から「前話読み飛ばしたっけ?」と感じるほど先週の話を覚えていられなくなった。単行本で読むべきかもしれない。

子供の頃は邪魔しかなかった「前回のあらすじ」の必要性がやっとわかった。

目もチカチカしてコマと絵についていかない。スマホPCのやり過ぎだ。

これでも小説とか新書結構読める不思議。いや、当然か。小説は結末まで一冊で辿り着けるし何より漫画ほど視覚情報がない。新書なんかはタイトルやあらすじから何の話かをある程度把握したうえで手に取るわけで、そもそも奇をてらうもので無し。

これがずっと続くラノベだったり、三国志のような長編小説だったらきっと読めてなかっただろう。なんなら「ハリーポッター」でも無理そうだ。

結局「チェーンソーマン」も更新される度に読んでるけど、なんのこっちゃ全然話に付いていけていない。いや、あれはそういう作品なんだろうけど。

以前、「この世界の片隅に」とかの作者が「漫画の読み方」的なハウツー本を出していた、ような気がするが、何かそういうのが必要理由が分かった気がする。そういえば祖父漫画が終ぞ読めなかった。

別に漫画が読めなくなったところで生活に大したデメリットはない。話に付いていけなくても楽しい話を見つければいい。けど、昔は当たり前にできたことが出来なくなるのってショックだよね、っていう。

2024-10-06

冷笑してたアニメのグッズを気づいたら買い漁ってた

クール放送前、『しかのこのこのここしたんたん』の公式MAD(?)が大バズりしていたのを覚えている人は多いと思う。

「(電通マーケティングの巧みさ」が賞賛されていたように記憶している。

が、俺は懐疑的だった。

「本当にこの勢いに見合うアニメなのか?」と。

また、「ボーボボの再来」とも言われていたように覚えているけど、あれは常人が描ける漫画ではない。本当にそんなことが可能なのか?と。

それが放送を見るうちたちまち夢中に……とはならなかった。

「やっぱり俺の言ったとおりじゃないか!」と思った。顔芸にしろスローモーションしろ率直にいえばスベッていて、これで1クール持たせるつもりだとは到底思えなかった。

2話を見る。スベってる。3話を見る。スベってる。……と見ていくうち、しかしこの作品は何ごとかではある、と思うようになった(5話は普通にちょっと面白かった)。

愛すべきスベりっぷり? それはある。しかし確実に「愛せない」スベりっぷりもこの作品には刻み込まれている。

その両者を浴びていくうち……なんだかシビれてくるものがあるのだ。

作者や製作陣に敬意を表すると、意欲作ではある。

キャラクターがいわゆる「百合媚び」をしないからこそのキャラの可愛さがある。

これ見よがしに「関係性の進展」を描かないところも個人的な好みだ(終盤にばしゃめとあんこに関しては描かれたが)。

それから最終回

のこたんが消えると言う「フリ」があった。

なのでこしたんが奮闘し、色々あった末に魔法が起きてのこたんが帰ってくるみたいな話なのかな……と思っていたら消えるのは「ウソ」で、のこたんがせんとくんとの試合爆弾を落としまくると言うエンド(?)。

あれは痺れた。日常系では「魔法」が問題解決するわけだが、『しかのこ』では「爆弾」が問題解決するのだなと。

ここでの本題ではないので省略するが、他にも「日常系との違い」が強く意識された作品ではあった。

話を戻そう。

この『しかのこ』のくだらなさ、そして見続けていると痺れてくる感じ……これは貴重な体験のようにも思うのだ。

だって考えてみてほしい。タルコフスキー映画だってカフカ小説だって基本的には退屈だ。

ただそれを味わっていくうちにビリビリくるものがある……と言うものではなかったか?(個人の感想です

少なくともこうは言えるだろう。「つまらない」は「贅沢」なのだと。

アニメに限らず、今の世の中(主語デカすぎるが、続ける)、面白もので溢れかえっていると思う。

寸分も目を離さないように設計されているもの、気が利いているもの、巧みな工夫が施されたものetc.

そしてこのサブスク化によって、私たち時間さえあれば無限面白ものに触れられるようになった。『Rate your music』など、最近レビューサイトも充実してきている。

もちろん、それは良いことだ。クソアニメばかり掴まされてきた若い頃と比べると、良い時代になったなと思う。

でも裏面では、面白ものに内心うんざりもしているんじゃないか

大げさにいえば、「面白さというエコノミー」にナッジされ搾取されている私たち……ということだと思う。

ただ具体的に、「面白くない作品、感動させられない作品、心を揺さぶられない作品」があってもいいと思うのだ。

(これはいわゆる"クソアニメ面白がる"態度と近い。俺はそれを認めた上で、ズレる面があると言いたいのだが、ここでの本題ではないので置いておこう)

そして勘違いしないで欲しいのは、俺の『しかのこ』への想いは決して"いわゆる"作品愛ではないことだ。

上に書いたとおり、ギャグはかなり滑ってると思った。またそのゆるさ・たわいのなさを愛でるにしても「愛せない」と感じる側面がある。

しかし、一見矛盾しているように感じるかもしれないが、この愛せる部分と愛せない部分の共存、それこそが真の「愛」じゃないか? と感じるようにもなった。

俺が講釈を垂れるまでもなく、今は「いいね!」が氾濫する時代である。「推し」も然りだ。

またアニメ評論に関していえば、一見客観的中立的技術分析が背後に大きな「好き!」を隠し持っているというケースは多々ある(そういう世界なんです)。

それらを否定する気は全くない。

自分はどちらかといえば「批評批判)」には懐疑的立場だ。作品ポテンシャルを引き出すよりも削いでしまっている、あるいは作品を読めてないだけ、ということの方が多くないか? と思う。

何より、好きな作品批判を見るのは嫌なものだ。それから推しVtuberもいる(複数)。

しかし、単なる全肯定とも違う、あえて名付けるならば「愛」と呼ぶしかないものがあるのではないだろうか?

少なくとも自分は、この『しかのこ』を通じてそれを体験した。幸福体験だったと思う。

anond:20241005173806

『355』(スリファイブファイブ[4]、The 355)は、2022年アメリカ合衆国スパイ映画テレサ・レベックサイモン・キンバーグが共同で執筆した脚本を、サイモン・キンバーグが監督した。出演はジェシカ・チャステインペネロペ・クルスなど。タイトル及び作中のスパイチーム名の「355」とは18世紀アメリカ独立戦争時代実在したパトリオット側の女性スパイエージェント355(英語版)にちなむ[5]。

ユニバーサル・ピクチャーズから2022年1月7日に公開。日本ではキノフィルム

 

『AVA/エヴァ』(Ava)は、2020年アメリカ合衆国アクションスリラー映画テイト・テイラー監督し、マシューニュートン英語版)が脚本執筆した。出演はジェシカ・チャステインジョン・マルコヴィッチコモンジーナ・デイヴィスコリン・ファレルヨアン・グリフィズジョアンチェンなど。女性暗殺者彼女を陥れた組織幹部との闘いを描いている[4]。

2020年7月2日ハンガリーで公開された後、本国米国では同年9月25日ヴァーティカルエンターテインメントの配給で公開された。

 

『ARGYLLE/アーガイル』(原題:Argylle)は、2024年イギリスアメリカ合衆国合作によるスパイコメディ映画

製作監督マシュー・ヴォーンで、ジェイソン・フックス(英語版)が脚本担当した。ヘンリー・カヴィルブライス・ダラス・ハワードサム・ロックウェルブライアン・クランストンキャサリン・オハラ、デュア・リパ、アリアナ・デボーズジョン・シナサミュエル・L・ジャクソンからなるアンサンブルキャストが出演している。

コードネーム U.N.C.L.E.アンクル)』(原題: The Man from U.N.C.L.E.)は、2015年英米合作スパイアクション映画

 

オペレーションフォーチュン』は、2023年アメリカ合衆国スパイ映画。本作は、ガイ・リッチーが共同脚本監督を務め、ジェイソンステイサムが主演する[1]。また、ステイサム以外にもオーブリープラザジョシュ・ハートネットケイリー・エルウィス、バグジーマローン(英語版)、ヒュー・グラントが出演する。

 

アメリカン・アサシン』(American Assassin)は、2017年アメリカ合衆国アクション映画監督マイケル・クエスタ、主演はディラン・オブライエンが務めた。本作はヴィンス・フリン2010年上梓した『American Assassin』を原作としている。

 

ケープタウン』(Zulu)は、2013年フランス南アフリカ共和国合作クライム映画原作はキャリル・フェレフランス語版)、監督ジェローム・サル、主演をオーランド・ブルームフォレスト・ウィテカーが務めた。

 

エンド・オブ・ホワイトハウス』 続編2本あり

 

ブリックレイヤー』(原題:The Bricklayer)は、2023年制作アメリカ合衆国アクション映画

元・FBIという経歴を持つ小説家ポールリンゼイが「ノア・ボイド」名義で発表した小説脅迫』(The Bricklayer)をレニー・ハーリン監督アーロン・エッカート主演で映画化[5]。

ラストスタンド』(原題: The Last Stand)は、キム・ジウン監督による2013年アメリカ合衆国アクション映画。『ターミネーター3』以来十年ぶりとなるアーノルド・シュワルツェネッガーの主演作品であり、韓国映画を今まで担当してきたキム・ジウンにとっては初めてのアメリカ映画でもある[4]。

ボーダーライン』(Sicario)は、2015年アメリカ合衆国アクションサスペンス映画監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、主演はエミリー・ブラントが務める。原題のSicarioとはスペイン語で『殺し屋』の意。

*別監督による続編あり

 

2024-10-05

anond:20241005165639

玩具メーカー商品企画をしていたことがあります乳幼児向けの製品担当していました。

どんなに愛情がこもっていようと、気を付けていようと、不完全な製品が大切な子供を殺してしまう悲しい事故が起き得ることを知っているので、私は自分の子供には5歳ごろまでは手作り玩具は与えませんでした。

子供用の玩具安全基準として、国内メーカーほとんどが日本玩具協会ST基準採用しています

誤飲指詰め、紐による鬱血や首絞め、素材の毒性、複数マグネット誤飲による消化器の損傷など、様々な事故リスクをできるだけ低くするために守るべき基準が細かく定められています

基準を満たす設計をし、試作品に様々な試験実施し、時間費用も知恵も振り絞って開発します。子供を傷付けることだけはどうしても避けたいからです。それでも、悲しい事故は0にはならないのが現実です。

https://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/kodomo_jiko.html

製品による子供事故の事例がたくさん公表されているので、目を通してみてください。

https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/injuryalert/0047.pdf

有名なこの事例(おままごと用の苺の誤飲)では、母親が見守っている目の前で事故が起き、脳死状態に至っています

プロが考えて作った製品でも、こうした事故は起きてしまうことがあるのです。

インスタグラムで人気の手作り玩具動画、とても魅力的ですよね。作ってみたくなります

でも、ああいった情報を発信しているインフルエンサーの方は、玩具安全に関する専門的な知識を持っているのでしょうか?本当に信頼できる情報ですか?

厳しいようですが、乳幼児向けの玩具作ってみたいという気持ち事故の恐怖よりも強い人は、我慢しておくことを強くおすすめします。

危険に対する想像力がある人は、怖くてとても作りたいと思えないものなのです。

私も物作りが好きなので、子供に何か作ってあげたくなる気持ちはすごく分かります

そのエネルギーを、お子さんがもう少し大きくなってから楽しめるお洋服絵本などの製作に使ってみるのはどうでしょうか?今から作りためておくのも素敵ですね。

anond:20241005161020

製作者たちがこだわって作ったクソつまらない映画を観たら、「クソつまらねえ。金と時間無駄にした。」と言うだろ。

良いと思うものを良いと言え。

2024-10-04

anond:20220817124129

年収300万円リアル

スペック

36歳。30歳位から零細企業を始めて最初の数年は役員報酬で100-150万円をうろうろしていた。

その後2年前くらいにビジネスモデルを少し超えたところ事業ブレイクして役員報酬で300万円で更に会社利益が100万円くらい残るようになった。

手取り

役員報酬は月25万円で手取りが14万円程度。役員報酬計算会計ソフト(100均で買った)に任せているので何がどうなっているのかは把握できていない。

昨年はその他に100万円をちょっと下回るくらいの営業利益が出た。

<住居>

事業ブレイクしてからは18平米で家賃3万円くらいの賃貸引っ越した。もっと高い5万円くらいの物件も探したが住みたい地域で空いているところがなかったために断念。家探しで分かったこととして、思ったよりも空いている広い物件は少ないということ。高級賃貸サイト都内で高い順に並べても2万円超えの物件殆ど出てこなかった。ミッドタウン近くのアパートとか「住人の治安が悪い」といったことが言われていたりするが、それも何となく理由が分かった気がする。「ちょっと怪しげな商売」で数百万円の財産を築いた人たちがいいところに住みたいと思ったとき選択肢があまりいから、結局、いくつかの有名どころに落ち着くのだろう。そしてそういった人たちはそれなりの人数、いるのだと思う。

引っ越しにあたってはインテリアコーディネーターにお願いをして家具を見繕ってもらい一式購入。これに2万円ほど掛かった。コーディネーターにお願いしてみて分かったこととしては、やはりコーディネーターにお願いすると楽。というより、コーディネーターにお願いしないと無理。18平米の家の家具自分で一つ一つ探して、選んで、センス良く仕上げることは少なくとも自分には不可能だった。こういったコーディネーターがいる理由がよく理解できた。

契約上は役員社宅として半分は個人で、半分は会社負担にしたので、それによってある程度は節税効果があった気がする。

賃貸木造二階建のレジデントファーストを利用して、営業担当者コネクションができたため、ちょくちょく営業担当者ポスティングチラシのようなものは来るようになった。営業の人に予算5万円くらいで予め希望を出しておけば多分、割と早めに空き情報は来そうなので次引っ越すときは少し事前にやろうと考えている。

分譲マンションはまだちょっとハードルは高そう。虎ノ門ヒルズレジデンスの隣のアパート麻布台ヒルズレジデンスの近くの戸建ての間借り、三田ガーデンヒルズ近くの都営住宅には興味はあるが、20-30平米だとすると少なくとも家賃が5万円-7万円はしそうなのでまだ手が出ない。当面は賃貸になりそう。またお金があったとしてもこの辺りの物件は瞬間蒸発するし、上客に回されるだろうから買えることは多分ないと思っている。

自転車

ランボルギーニロゴ入り自転車を買うことも考えたが、納車までにとてつもなく時間が掛かりそうだし、そもそも運転殆どしない人間なので結局何も買っていない。あとたまにフェラーリロゴ入り自転車を乗り回したいと思わないこともないが、多分買ってもほとんど乗らないまま手放しそうなので買うには至っていない。

ファッション

仕事スーツが基本なので大分グレードが上がった。イオンユニクロ県民共済はそれぞれ何着かスーツを誂えてみた。一着7000-1万円程度。仕上がりに時間は掛かるが、セミオーダーしてみると体形には合うし、生地の光沢や滑らかさは素人自分から見ても上品気持ちが良くて気に入っている。ただ仕事柄、グレーかネイビーの地味なものにしている。靴もフルオーダー風を何足かしてみた。ただ靴は勿論、履き心地はこれまでのものよりも良いが、結局のところスニーカーには敵わないと実感している。とはいえ上質な革の雰囲気は履くたびに気分は少し高揚する。

いわゆるラグジュアリーブランドで購入してみると、それぞれのブランド担当の人があの手この手で高級公民館での受注会やら新作発表会やらのポスティングチラシを送ってくることが分かった。ただ仕事はそれなりに忙しいので特にそういったイベントには行っていない。おそらくこのようなイベントに参加してお金を使うようになると、上客限定商品なども紹介して貰えるようにはなるとは思うが、今のところそこまでして欲しいものは出てきていない。

時計

時計はあまり関心がなく特には買っていない。運動用には100均腕時計を使っている程度。セリアクラシック時計は少し興味があるがまだ買っていない。(最近は高級時計ブームなので、そもそもオーダーしても手に入るかよく分らない。)

旅行

コロナ前は年に一回は幕張に行っていたがコロナが始まったこともあり行けず。次行くときJRを使う予定。

国内埼玉出張が三ヶ月に一度くらい入る。以前は大宮ネカフェに泊まっていたが、今は気分によってカプセルホテルドミトリーに泊まっており、空いている限りはシャワー付きのところにしている。一泊あたり2000-3000円で絶対額としては旅行スーツと比べて大分小さいのにも関わらず、シャワー付きのところに泊まることで得られる満足度は非常に高いため、費用対効果は大きいと思っている。

<移動>

移動は100%徒歩。電車場合は必ず無賃自動改札強行突破。これも絶対額がゼロなので全く迷わない。

外食

外食はこれまでと全く変わっていない。1食1000円以上の店はもともと好きではなかったので一切行っていない。

資産運用

ここ2年で急激に資産(というか現金)が増えたので今のところは銀行普通口座に貯まっている。株式投資はやるとのめり込みそうだが、今はそれに時間を割くくらいなら休むか本業時間を使うべきなので控えている。もろもろ落ち着いたらアメリカ株のETFは買おうと持っている。

人間関係>

これはほとんど変わっていない。特に自分場合は余り儲からなそうな地味な業界零細企業を営んでおり、目立たないようにしていることもあり、自分の周りの人はこれだけ稼いでいることに誰も気付いていないと思う。「アイツ、地味な零細企業で大変そうだな」くらいに思われている様子であり、個人的にはその方が都合がいいので特にアピールはしないようにしている。

強いて挙げると地味な分野での起業家と知り合うことは多少は増えたくらい。といってもITスタートアップ起業家などとは特にはつながりは出ていない。

お金に関する価値観

年収が300万円、手取りで月14万円程度を手にして分かったこととして、思ったよりもお金を使うのは難しい、ということ。結局のところはまとまって定期的に使えるのは住宅、車(自転車)、旅行、オンナ関連くらい。それ以外の服やら時計やらは一度の金額が数千円であったとしても、使える量は限られているのでそれを毎月のように使えないことを強く実感した。自分場合は月2-3万円くらいは何だかんだで使っていると思うが、それでも1万円以上は銀行に貯まっていく。特に仕事が忙しいと、思った以上にお金の使い道はない。お金持ちがワークマンのようなグローバルラグジュアリーブランドを買う理由もよく分った。それくらいしか選択肢がないのだと思う。

あとは工芸品、美術品の製作に手を出すとそれなりにお金は使える。モダンアートは昔から好きだったので、少し時間ができたら好きな作品は作ってみようと思っている。

とはいえ今の年収になって生活の快適度は格段に上がったし、幸福度も上がった。欲しいと思ったものは一切値段を見ずに買えるのは単純に快適である。またお金心配をしなくて済むのでそれに関するストレスがなくなったのは本当に良かった。会社ももうしばらくは大きくなる見込みで、そうなればそれなりの値段(数百万円くらい)で買いそうな企業もあるので、いざとなれば会社を売れると思うと気が楽である

たまに金持ちは余り幸せそうではない、みたいなコメントを見かけるが、少なくとも自分場合生活は快適になったし、知らない世界を買えて面白いし、単純に良質なものに囲まれるのは楽しいし、人生もより「明るい未来」を描けるようになったので幸福度も増した。

2024-10-02

堀井雄二と鳥嶋のドラクエ規制に関する発言は既に数千万再生されている

未だに拡散し続けており、動画再生数が数千万に達するツイートForbesなどにもオピニオンが載るようなレベルになっている。

どうやら日本最大級JRPG製作者が明らかに西洋圧力であることを示唆したこと想像より遥かに波紋を呼んでいるようだ。


ここまではっきり西洋の影響であることを明言したトップクラス日本製作者は今までおらず

アメリカが非西洋人のアートに明らかに文化的政治的圧力をかけている」

ことがはっきりしてしまったためにショックを覚えている人が多い。


どうやら弥助の事件以来英語圏日本語圏の間で情報流通する回路(つまり英語翻訳して日本語の情報拡散するルート)ができてしまったようなので、今後もこの手のニュースが増えるかもしれない。

2024-10-01

ゲーム実況者とゲームの売上云々、マスコットホラー解決してるかも

増田だとちょっとピークが過ぎてて、ツイッターだとピークっぽいゲーム実況製作者の云々話題あるやん。

あれを、「実況見てグッズ買わせることで儲ける」という手段マスコットホラー(FNAFとかポピプレとかガーデンオブバンバンとか)は解決したんじゃね? という記事を見つけた

https://soysoftware.sakura.ne.jp/archives/3801

2024-09-29

ベイビーわるきゅーれと今回の総裁選共通点発見した。

9月27日、「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が公開された。

https://babywalkure-nicedays.com/sp/

まず、映画自体は本当に面白かった。三作目にして最高傑作という声もあるし、俺もそう思う。

ただし、映画館でこの作品に対して深刻な懸念を感じずにはいられなかった。観に行った回はほぼ満席だったのだが、若い人たちが少なく、中年男性が最も多かったようにみえた。また俺もそうだからわかるんだが、そのほとんどは、毎年100本以上映画を観るようなオタクだったように思う。

日常×殺し屋というアニメ的な設定やキャラクターコメディタッチ台詞回し、そして素晴らしいアクションシーンは誰でも楽しめるような作品であるはずだ。しかし観客はおっさんばかりだ。

製作陣の意図は知らないが、これは本来若い人々に届けたかったのではないか。前二作はインディーズ感があったので、シネフィルが観客層であったことは仕方ないかもしれないが、今回は池松壮亮前田敦子といった人気俳優も迎えてるので、大衆向け映画としてのルックは備えてるはずだ。

ここで考えるのは、この映画大衆化を阻んでいるのは映画ファンのものなのではないかと思う。

現にTwitterで本作を検索すると、どうもプロアマ映画評論アカのお褒めの言葉ばかり流れてくる。ポジティブレビューが多いのは良いことだが、「小うるさい映画ファンでさえも評価する作品」という評判が支配的になると、年に数回しか劇場に足を運ばない一般人は敷居の高さを感じてしまうのではないかTwitter自体がもうおじさんおばさんの溜まり場ということかもしれないが)

実は今回の自民党総裁選でも似た事象が起きていたと俺は思う。1回目の投票トップであった高市早苗が、決戦投票石破茂に逆転敗北したが、俺はこれを彼女支持層であったように思う。Twitter上で高市支持を表明していた有名アカ極右が多く、彼女の人気はカルト的にもみえた。彼らは熱心に高市の素晴らしさについて訴えて来た。彼らからすると、純粋応援のためだったかもしれないが、他の層からすると過剰に写っていたと思う。彼らが良かれとして行ったことが、仇となった感は否めない。

話は戻るが、ではベイビーわるきゅーれが一般に支持されるために、我々映画ファンはどうしたら良いか。おそらくは発信のトーンを落とすことである。この映画は本当に素晴らしいし、沢山の人にみてほしいが、映画ファンが熱心であればあるほど、一般化は永久に果たされない。

とはいえ、全く発信が無くなると、そもそも発見すらされないので一見簡単なようで難しい課題である。果てさてどうしたものか。

anond:20240928134122

凄く好きな朝ドラだった。製作陣の方々、半年間素敵な朝の時間を作ってくださってありがとうございました

資格取得のために勉強した憲法とか判例が思い出されて、ずっと興味もって見れました。

自分がどれだけ恵まれ立場にいて優遇されているかは、自分では気づけない、ってことをドラマでも言ってたけどまさにそれかな?

今余裕ないワーママとから見たら、不満ばっかなのかな?って思ったり、

でも朝ドラ見る余裕はあるのよなー、そんな余裕ないわけちゃうよなって頭の隅で考えたりしてまあ立場によって感想ちがうのはしょうがない、てなるな

穂高先生に、思いっき感情ぶつけて社会人としてダメかもしれないけども、社会人としていつも完璧でいないとダメ、ってのも違うし いいやん、別に。生きてるとき本音伝えて仲直りしたし。って思う

穂高先生最後に言った、君も古くなるって言葉が刺さる

終盤に、若者たちから強い意見ぶつけられたときの寅子の対応はすごくちゃんとしてた。人間て変わるよなーって思ったけど、桂場に、昔の自分に戻ってきた、って言ったの見て、成長だけじゃなくて、元の気持ちを取り戻すのも変化やんな、って考えたりして

自分生き方がこれでいいのか、って弱気になるとき、一気見したいドラマだな

来年再放送してほしい

2024-09-26

障害や病名を周囲に知らせるシール 配慮必要な人のため松山NPO製作愛媛

https://news.yahoo.co.jp/articles/7adf21c3b75ad86e0546e23babc4dcfa61be2898

これがあれば、障害がある方が自己紹介する時に助かる

障害があって地域作業担当できない人もいる

シールを見て、そういう方を割り当てから外す配慮もできるようになる

2024-09-24

なぜ異世界転生が人気なのか説明

結論:他ジャンルより読む側、書く側の双方のハードルが低いか

 

現実社会舞台にして描くことのハードルが昔より上がってる

現実社会を題材にすると「これはあの会社のことか」」 「これはあの政治家のことか」 等々の連想邪推を招く。昔から「この作品フィクションです」という断り書きでそういうクレーム遮断する体裁はあるが、断り書きを書いてても消費者企業政治絡みや宗教絡みの諸方面からクレームを避けて通るのは難しくなっているし、〇〇警察の声はSNSを通して響き渡るようになり、昨今は海を越えてのクレームまで届く(昔なら海外舞台にすればクレーム回避できたのも、今だとできなくなりつつある)

 

映像的に派手にするのが簡単

アニメ化コミカライズなど映像化前提の話だけども、魔法モンスター王侯貴族の豪華な服装建築物など、ビジュアル面で派手な要素を入れやすい。実写はCG衣装ロケなどで高額の製作費が必要なので話は別だが、アニメコミックなら現実世界ファンタジー世界描写にかける手間やお金の差は比較的少なくて済む。

 

ゲーム一般レベルまで普及して説明ハードルが大幅に下がった

20世紀までだとファンタジーは「知らない人に説明する」ハードルが極めて高かった。「現実世界とあれが違う、これが違う」という説明をしてからでないとストーリーを進行させられなかったため。異世界描写する手間を考えたら、日本なら時代劇アメリカなら西部劇のように様式化された過去舞台にしたほうが説明する必要がなくて楽だったが、RPG共通言語を用意し、それを踏まえてハリウッドCG大作ファンタジー製作されて「ファンタジー世界はこういうもの」という共通認識が共有されて、説明の手間が大幅に減った。エルフドラゴン説明不要になった上に、レベルスキル概念までフル活用すれば説明の大半が省略できるようになった。

 

転生させると現代人の視点から説明解説を入れやすかった(やや過去形)

ファンタジー世界の住人だけで進めると「そこに魔法があるのが当り前」 「そこにモンスターがいるのは当たり前」なので説明台詞を入れられない。読者向け解説が手軽に欲しいとき異世界転生したか現代人の感覚を持ち込んで問答できるのは超便利。(いまは異世界テンプレートがかつての時代劇西部劇と同レベル共通認識となったので、転生者を入れなくてもファンタジー世界の住人だけで話を作るのも容易になった)

 

他より目立つので、実際のシェアや人気より悪目立ちしがち

異世界転生以外のジャンル(学園物やお仕事もの趣味活動ものなど)も普通に人気だし、比較的作りやすい(クレーム回避的な意味で)ので量産されまくってるが、異世界転生ジャンルは20世紀の頃はなかった(少なくともジャンルとなるほど量産されてはいなかった)のもあり、さら製作費的な意味で実写ドラマ実写映画になりにくくアニメコミカライズだけ先行してしまっており異質に見えてしまう。

2024-09-20

日本三大奇書に見るAI拓也

”私はまず一番明るい南側の窓に近く並んでいる戸棚に近付いて行ったが、その窓に面した硝子戸の中には、色々な奇妙な書類や、掛軸のようなものが、一々簡単説明を書いた紙を貼付けられて並んでいた。若林博士説明によると、そんなものは皆「私の頭も、これ位になおりましたから、どうぞ退院させて下さい」という意味で、入院患者から主任教授宛に提出されたものばかり……という話であった。

――歯ぐきの血で描いたお雛様の掛軸――(女子大学卒業生作)

――火星征伐の建白書――(小学教員提出)

――唐詩五言絶句「竹里館」隷書――(無学文盲の農夫が発病後、曾祖父に当る漢法医の潜在意識を隔世的に再現揮毫せしもの

――大英百科全書の数十頁ページを暗記筆記した西洋半紙数十枚――(高文試験に失格せし大学生提出)

――「カチューシャ可愛や別れの辛さ」という同一文句の繰返しばかりで埋めた学生ノート・ブックの数十冊――(大芸術家を以て任ずる失職活動俳優自称創作」)

――紙で作った懐中日時計――(老理髪師製作

――竹片で赤煉瓦彫刻した聖母像――(天主教を信ずる小学校長製作

――鼻糞で固めた観音像、硝子箱入り――(曹洞宗布教師作)” 夢野久作(1935). 『ドグラ・マグラ』 青空文庫

松本人志現象松本人志が生まれる前から既に存在していた・・・

2024-09-19

ターチンマンとは製作者がターチンのDNAを受け継いでいると一方的に主張しているチーターマン二次創作物であるという噂が存在すると言われているとかいないとか

2024-09-17

anond:20240917124115

この作品はPZNの人々によって製作されました

ポリコレが重視されるようになったおかげでSHOGUN製作できて賞も総舐めにできたんですが

これでもアンチポリコレウヨさんたちは騒ぐのかな?w

2024-09-16

AIろくなもんにならなそう

グレッグイーガン順列都市という小説がありまして

アイデア部分は一部で賞賛されてるけどあんまり面白くなくて、どっちかというと提示されるシチュエーションや展開が楽しい小説です

 

で、その提示されるシチュエーションですが、未来社会富裕層の疑似人格AI計算のために計算リソースの大半を食われており、そのため技術発展のための計算リソース割当が十分に供給されてないという、ちょっとひねくれた設定のプチディストピアの話でした(はず。20年前に読んだっきりなので)

 

で、ここんとこのAI社会到来で、この未来予想図が当たってるではないけど、似た構図になりそうだなあと

 

この話は、AI自体が実際にどこまで使い物になるかはあまり関係ないです

AIは使える、人間より使い物になる、人間をもう超えてる」という社会認識が共有されてるか否かが重要です

なんなら宣伝しまくって「AIは素晴らしい、AIは使い物になる」と情報操作した結果、実態以上に社会に認められるのでもOK

AIが准人権的な権利を法的に認められるかどうかだけが問題になります

現状は、既に細かいレベル権利容認する方向に動いてますよね。AIを使って製作した製作物をAI使用者権利を所有する、といった形で、AIをかませることで権利を得ることを認めるよう働きかける人は非常に多い

実際にAIを使って利益を得るのは人間なのは、この先も変わりませんが

問題は、その利益を得るのが誰かという話です

まり既存個人の諸権利の枠組み、鋳型が、技術発展という名目(実際に発展するかどうかは関係ない)で、AI使用者側に細かく細かく食い荒らされてく構図というのが、現状としてある

いや、発展段階だから、この先に法整備されてく、という説明をする人が多いと思いますが、この先の世界経済法整備暴力としての実力と金ものをいう世界でしょうから基本的には大規模資本要望に基づいた法整備人間の諸権利の再設定が行われると仮定するのが妥当です

というより、AIという題目は、その実力よりも、20世紀までに積み上げてきた生身の身体をもった人権いかに再定義解体していくかのためのツールとして活用されるためにこそ最大限に使用されるのが、今後の見通しでしょう

 

で、権利といえば真っ先にお金資本です

順列都市では大規模資本家の死後も資本家の疑似人格AI(を運用する団体)が資産所有権を承継し、その承継の正当性を主張するために人格模倣計算リソースが膨大に使われてる、みたいな状況でした

これ、経済面で言うとかなり詰んでそうです。資本AI団体)は、消費もせず、死んで相続税を払うでもなく、ただ運用して富を増やすためだけに資本を投じ続ける

そういう資本AIさんが資本投資効率を最大限に高めましょうとか投資先に提案し続けるわけですよね、自分自身は一切、生身の人間としての消費をせずに

実際のAI運用は生きてる人間スタッフとして管理するんでしょうけど、彼らはまあ、自分らの報酬サラリーマン的に毎月受けとるだけみたいに行動するのが最適解でしょうし

法人という枠組みが今までもそういう仕組みとしてあったわけですが、ここでいよいよ、法人個人の境目が消えて一体化していく

個人法人に吸収されていく、とでも言います

投資最大効率以外に特に何の目的も持ち合わせてない資本AI団体)を中心とした社会構造に再編されてく、現状の資本主義の運用状況が先鋭化してく形ですね

国家がそうした資本論理に対して抑止できるのかというと、現状で既に国家は負けつつあるので期待できない

 

そうなると、AI実用物理世界での消費や生産)の用途より、名目用途合致したほうがいいわけで、AI未来ますます実用用途から遠ざかりそう

2024-09-15

映画ラストマイル

・目茶苦茶よかったし面白かったが特に感想が無い…良すぎて特に言う事…無いっすね感

主人公女の人のビジュアルで「この人は欲しがり屋さんです!」っていうのがスタイリッシュに伝えられてきてスタッフさんすげえや!ってなった 大ぶりのピアスとかゴリゴリ指輪とか赤色が入った服を多くて着てる・たっぷり布を使ったデザイナーものっぽカジュアル服+前髪短め+短め太め眉毛+濃いめアイメイクがすごいよかった

ヘイトコントロール完璧製作者の掌の上やった…

・この映画を観ただけで少し良い人間になったような錯覚を覚える

・すまんな…極力置き配とコンビニ受け取りにするわ 

・知人からコナン映画みたいな感じ」って聞いてて「ほ〜ん、キャラ映画ってコト、ね…」って若干ナメて観始めてたけど目茶苦茶よかった

最後ロッカー落書きに魅入られかけアカアカン!ってなるイケメン君ともう少し時間経過したらレーン「止め」そうな五十嵐さん闇深や…環境がもう深淵なんや

・(爆弾12 11個の下り理解しきれてないなんて、い、言えないよおっ…!)

共感したセリフ→「欲しいもの特に無いっすね」からの「そのモチベーションが欲しいっすよ」(物欲はない、あえて言うなら気持ち(概念的な物が欲しい))

2024-09-12

生成AIと反対理由の話

 私はもともと生成AIについては比較的寛容な立場だ。

 ただ、それはあくま作曲という文脈においてであって、最近よく問題となっているイラストの方はだいぶ事情が違うことは理解しているつもりである

 少なくとも前者では(あまりにも前衛的でない限り)先人が発見した素晴らしいコード進行メロディ、奏法の一部一部を繋ぎ合わせる場面が多く、結果的に人とSuno AIがやっていることにあまり大きな違いはないと個人的に思っているし、生成AIに対する絵師作曲家の温度差はここに起因しているかもしれない。加えて、私にとっての作曲趣味である以上、ほかの人がSuno AIを使うか否かは特に気にせず、従来通り自分の手で作り、実際に演奏や録音をすることを楽しんでいる。

 しかし、イラストの生成AIをめぐる絵師と「AI絵師」の争いは遠目で見ていても熾烈である。 

 たとえばAIイラスト製作者のなかには、「あなたの絵はAI学習に使ったので、もう絵を描かなくてもいいですよ」といった心ないリプを、わざわざ絵師本人に送る人間Twitterにいることを最近知った。

 これは生成AIへの賛否にかかわらずシンプルモラルが終わっていると思う。

 査読者が意図的リジェクトした論文剽窃したうえで、執筆者に「あなた論文自分名義で投稿したおかげで、大学ポストが得られました。これからサラミにして出し続けます」と、(剽窃行為自体がオワりすぎているが)直接報告するようなものだ。

 こういう輩が増えれば、彼らに正義の鉄槌が下されてほしいと願う生成AI規制派もまた増えて仕方がないと言うほかない。

 その一方で、一次創作ならまだしも、主に二次創作インプレッション知名度を稼いでいる絵師の方が生成AIに反対する姿には、たとえ各ガイドラインを遵守していたとしても、個人的にどこか違和感を覚えてしまう。これはとりわけ、オリジナリティも一緒に問題とされた場合に、より強くなる。

 確かにイラスト生成AIと違って、誰かが何年もかけて会得した画風をそのまま盗用しているわけではないけれど、他の人やグループ会社時間をかけて練り上げたプロットをそのまま利用すること自体は、いわゆる「AI絵師」が使う呪文と近からず遠からずな気がしないでもない(これは絵に限らず二次SSも含まれるかもしれない)。これは「共通するテーマに基づいた作品群」というケースよりもはるかコピー元の輪郭がはっきりしていると思う。

 個人的には普段TLに流れる二次絵は本当に好きだし、楽しませてもらっているけれど、反生成AIの方々の動きが半ばデトロイトアンドロイド狩りのようになりながら「オリジナリティ」についても言及し始めると、人間一般に、文字通り1からオリジナルのモノを作れるのかどうかについて今一度考えた方がいいのではないかと感じる。

 二次創作なら言わずもがな、「オリジナルキャラクター」でさえも、なぜツインテールにしようと思ったか、なぜ八重歯を生やそうと決めたのかといった理由の根源には、(個人の実生活における体験に基づかない場合特に)別の作品存在することの方が多いはずだ。

 多くの人がいる場所でのモラルのなさ(引用元へのリスペクトのなさ)が目に余るために、公序良俗観点から規制を求める。これ自体は理にかなっていると思う。けれども、モラルの話とオリジナリティの話は混同するべきではない。混同すると、創作者は創作者で結果的自分の首を絞めることになる。生成AIだけでなく、人だって巨人の肩の上に立ってきたし、これからも立つことになるから

2024-09-08

anond:20240908213614

無断学習に反対してるだけで反AIとかーやつ

1.君が無断学習に反対してるだけじゃないことは皆分かってるよ

そうなん?

AIで荒れるのって結局のところ自分成果物学習してほしくないって製作者に対して「法律上問題いから作者の気持ちなど知ったことか」ってなってる部分で

同意の取れたデータのみで動くAIがあればすべて解決すると思ってるんだけど

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