はてなキーワード: 母親とは
「お前みたいな大人にはならない」
実にガキらしい意見だ
だが、どのルートに行くかは努力だけでは完全に決めることはできず、相対評価でどこのルートに行くかが決まる
そして、犯罪など悪いルートは親ガチャ、遺伝子ガチャ、環境ガチャによって決まり、自分で制御するのは意外と難しい
特に被害者はその後加害者にもなりやすく、君がそう言いはった奴もかつての被害者だ
だから、これだけは言わせてくれ
君は犯罪者になる素質がある
育ての親は犯罪者の因子をくさるほど持っており、君はその因子をいくつか引き継いでおり、知能と環境が悪ければそうなっていた
君が「お前みたいな大人にはならない」といきがれるのも踊る大捜査線の室井管理官と出会い、母親は風俗属性を持ちつつも境界知能や低所得という因子がないからだ
「小さい息子を連れて女性スペースに入るから」だけじゃないんだよ。
「息子は可愛いけど娘は可愛くないw仕方ないw」と抜かしてミソジニー全開で娘いたぶるくせに都合のいい時だけ娘頼ったり、
息子が性犯罪しても(何なら被害者が娘や孫娘でも)庇って被害者を攻撃したり我慢を強いたり、
裁判員に選ばれたら犯人を息子に重ねて同情して刑を軽くしたり、
息子の加害(性加害)をあらあらうふふ可愛いわね男の子だから仕方ないわねで済ませたり、
そんな決して少なくない積み重ねで男児ママ(女児持ち男児ママも含む)が女の敵として嫌われてる
息子のいる母親って、息子の婚約者が性犯罪被害者とわかって息子が吐いたら婚約者に慰謝料請求の上それを言いふらして「お前は立派な加害者だ」と言い放ったり、
「息子が娘に性的虐待して児相に拉致された!息子ちゃん可哀想可哀想児相酷い息子を返せ!」とXで騒いだり、悍ましいんだよ
コンクリ事件の犯人の母親が「この女のせいで息子の人生が狂った」と言って被害者の墓を荒らしたり、
旭川女子中学生集団暴行事件の犯人の母親が「被害者の女子中学生にも落ち度があった」と吐かしたりしてるし、
他にも性被害者に落ち度があるって言ったりアンフェ側に立って女叩きしてる女の属性を見ると、全てではないが男児ママが多かったりする
交際相手に嫌がる自分の娘と性交させたのも女児しかいない女児ママだったし、
レイプされた自分の娘に「お前は汚れている!売春婦だ!」と罵って虐待した女児ママもいた
性的虐待する夫や彼氏と別れず娘に我慢を強いて、時には娘を虐待する女児ママの話もすごく多い
救いがないのは、
両方産んでも「娘より息子が可愛い」という母親の多さからもわかるように、
給料も安ければ景気も良くない。
パワハラも受けて体も壊した。
今から社会が変わってもその時には自分が何歳かそもそも生きているのかさえ分からない。
終活中。
もう正直頑張るのも良いかなと思っている。
ひたすら苦しい。
利権団体や外国人が税金を楽しく巻き上げて良い生活をしているが、
日本がどうなろうが正直どうでも良くなって来た。
イデオロギーやら大和民族とか差別職で吸い上げられる立場なら正直どうでもいいじゃん。
むしろ一泡吹かせる為に損でも逆に行くのもありだろ。
楽しく生きられるなら何でもいい。
ハニトラ工作員斡旋されるのって最大評価されてるって事じゃね?
荒れろ荒れろ。
もっと荒れろ。
この年度の末で学校教諭を辞めている。ラストイヤーである。思えばあっという間だった。上の秋季大会の後も、大なり小なり大会があったが、目立つ成果はなかった。
実力というよりは、柔道部全体の精神力、やる気、気合いの問題だった。センスがありそうな子はいたが、『本気』になり切れない。なぜかはわからないが、若者特有の殺気に満ちた闘志というか、「目の前の相手を殺してやる」という滾(たぎ)りが見られない。
特に、格上相手に戦う場面がそうだった。勝つとか負けるとかじゃなく、全力でぶつかってみせようという気概を感じない。
そんな中で、T君はじわじわと実力を伸ばしていた。この頃だと、ベンチプレスは140kgを上げるようになっていた。
柔道の動きはボテボテとした感じだったが、それでもサマになってきていた。高校から柔道を始めた関係で、高一の頃が特に弱かったらしい。当時は、毎日のように先輩や同級生から千切っては投げられていたという。
シゴキ以外にも、いろいろあったようである。当時の先輩連中からは相当イジられていたらしい。T君の同級生の柔道部員が、確かこんな内容を回想していたっけ。
「おいチクビ。何を寝とる。はよ畳の上から立て!!」
「今、こいつに筋肉ドライバーしてやったら、首めっちゃ抑えて転がっとるしwwwww」
「いつまで畳で寝とんなや。早う起きんとチクビねじ切るどっ!」
「チクビ君さあ。今度の公式大会の時に、絶対シャイニングウィザードしてよ。武藤敬司好きなんやろ」
※本当にやって反則負けになったらしい
「プロレス好きなんだって?これからダブル大外刈りするから付き合ってくれ」
彼が弱かった頃は、部内でもやられたい放題だったようだ。しかしこの頃、高三の手前になると、彼は部内で№1になりつつあった。皆、彼に一目置くようになっていた。当時、部のキャプテンだった100kg超級の子と乱取りをしても吹っ飛ばされない。
それでも基本的には、いじられキャラだった。先輩からも後輩からもいじられていた。しかし、彼はどんな時でもリアクションを欠かさず、スマイルで彼らに応えていた。
そういえばT君は、毎日必ず昼休みに柔道場に来て、一人で弁当を食べていたっけ。一人飯には理由がある。弁当を食べた後に、ヤツは筋トレを始めるのだ。ベンチプレスを始めとして、腹筋に、背筋に、あとは自転車のゴムチューブを柱に括り付けての打ち込み練習、あとはシャドー柔道か。さすがにカマキリは相手にしてないと思うが……。
昼休みに柔道場に行った折、彼を何度も見ている。ベンチプレスが一番好みのようだった。自分自身が成長する実感とでも言えばいいのか、月ごとに最高記録が上がっていくのが面白かったのだろう。
柔道界の公式回答としては、高校生に器具を用いた本格的な筋トレをさせるべきじゃない。この時期(小中~高校生)は、技術に磨きをかける時期だ。ベンチプレスその他で測れる筋力は、試合ではそんなに使わない。柔道に本当に必要なパワーというのは、柔道をすることでしか身に付かない。すなわち組み手の練習とか、立技・寝技の乱取りを通じてしか、そのスポーツに必要な『体力』は見に付かない。
しかし、T君には時間がない。彼にとっての柔道は、おそらく高校で終わりである。時間がなさすぎる。だったら、ひたすら筋トレに励む道があってもいいんじゃないか。当時はそんなこと考えながら、昼休憩中のT君のトレーニング風景を眺めていた。
高三の四月時点で、彼の体重は約78kgだった。一年前はボンレスハムのような体形だったが、スマートになっていた。何より、当時のT君は部内で一番やる気があった。何事にも一生懸命だった。鍛えがいがある。
さて、高三最後の公式戦は六月だった。ここまでには仕上げたい。幸い、四月にあった市内大会では、彼は5位入賞を果たして県大会出場を決めていた。順々決勝では、昨年の秋季大会で当たった強豪校の選手に内股で一本負け(空中一回転半させられた)だったが、そこから2回勝って5位になった。
柔道場での立ち技の乱取りでは、納得いくだけの投げを打てるまでひたすら稽古を続けた。T君に対し、組み手の位置は自由にさせて、技も全部受けてやる。その代わりクオリティは一切妥協しない。俺が納得いくまで休憩すらさせない。
「おい、T。苦しくっても、苦しそうな顔すんな。相手にバレんぞ。ビビってるとな、わかんだよ。相手によ~!!」」
すると、唇を引き締めるようにしてT君は、距離を取ってこちらの様子を伺っている。
ああ、これは。技に入るのを狙ってるな。相手が高校生だとすぐにわかる。
「技に入るのを狙うな。狙わなくていい。(お前の反射神経だと)無理だから!! とにかくたくさん、技をかけろ。連続しろ、連続。ちゃんと技は繋がるから。お前の感性でいいんだよ。考えるな、感覚でやれ」
実際、高校レベルの試合だと技が下手くそでもいい。とにかく数。連続性が大事だ。
ただやはり、T君は運動神経が鈍いようで、へっぽこな大内刈りに小外掛けや、ボテボテとした払い腰しかできなかった。ヤツが俺に珍しく内股をしかけると、「ポフッ」という効果音とともにヤツが弾かれる。そんなレベルだった。素人未満である。
「今のお前の柔道、ほかの選手と乱取りやってるのと違うじゃん。俺用の柔道か~、そのへっぽこなのはよ~」
T君の柔道は、俺と乱取りしてる時はモードが違ってる。まるで、何かの専用の練習でもしてるようだった。
ヤツはまた内股をしかけてくるが、全然効いてない。運動神経とか、技に入る姿勢の問題じゃなくて、組み手が下手くそ(≒柔道着の握る位置がおかしい)なのだ。いいところを掴めてない。せっかく自由に組ませてるのに。
ただ、T君に組み手争いを教えるには、もうタイムオーバーである。「思いっきりイイと感じるところを掴め!」くらいしか教えていない。
だが、連続して技を掛け続ければ可能性が見えてくる。うまく相手が転がれば、彼が得意とする寝技に移行するラインも見えてくる。
「オーイ、てら。何止まってんだよ! 動け、動け。変数作れ。チャンスがないと思ってんの、お前だけだよ」
彼はヘロヘロになって大内刈りを放つのだが、俺に効くはずもなく。間隔を取って、釣り手と引き手(※柔道用語は適当にググってほしい)を上下にブンブン振り回したなら、ジャイアントスイングみたいになって、T君が畳をゴロゴロ転がっていく。築地市場の床面を滑っていくマグロのようだった。
「オーイ、俺お前よりも軽いんやぞ。吹っ飛ばされてどうすんだよ」
T君が立ち上がると、顔が真っ赤になっていた。熱中症の人でもこうはならないだろう。それくらい真っ赤だったよ。
ゆっくりと俺に近づいてくると、釣り手の方でパンチするみたいに組み手を取ろうとしてきた。それを弾いて、逆に奥襟を取り返してやった。すると、ヤツも負けじと奥襟を取ってくる。
「力比べで俺に勝てるか」と思ったが、ヤツも結構強かった。睨み合ってたが、T君の耳が真っ赤になってるのを見た。
この頃になると、彼の耳は潰れていた。餃子耳というやつだ。努力の証である。大半の柔道選手は餃子耳にならない。本気で寝技を練習した証である。
こんな光景を見ながら、ある漫画のセリフを思い出していた。 技来静也が描いた漫画作品の、確かこの場面だったはず。
……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力でねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て
拳闘暗黒伝セスタス 2巻より
俺だって、中学生や高校生の頃は、練習が恐ろしいことがあった。寝技の最中に、殴られ、蹴られ、締め落とされ、「殺される」と思ったことが幾度となくある。だが、試練を乗り越えるだけの胆力を身に付けないことには、いつまで経っても二流以下である。
こういう感覚は、今時のZ世代みたいなやつがあるじゃん。ああいう子達には伝わらないんだと思う。「○○が上手になりたい、強くなりたい」って? 本当にそうなりたいなら、命くらい投げうってみせろ。
2024年現在だって、野球でもサッカーでも、バレーでもテニスでもゴルフでも、スケボーでもブレイキンでも、将棋だって囲碁だって、その道で超一流の奴はな、自分の命かけてその道を歩んでんだよ。
立ち技が終わると、次は寝技だ。T君が強敵相手に勝とうと思ったらこれしかない。それくらい、彼の運動神経は絶望的だった。立ち技の才能がない。当時のT君が「生まれつき運動神経が切断されてるんです」と言ったら、信じたかもしれない。
柔道場の端にある、寝技の乱取り開始を示すタイマー(ブザー)が鳴ると、俺はさっそく横四方固めでT君を押さえつけて、右拳の先を太ももに突き立てた。するとT君は痛がって、俺の腹を突いて逃れようとする。
「お前、俺に力で勝てんの、勝てんの? 勝てないでしょ!? 頭使わんと、ほら。前に教えたやろ? 逃げ方を……」
横四方固めで抑え込まれた状態のT君は、腕をなんとか両者の間に差し込んで、背筋で跳ねて逃れようとした……それが正しいやり方だったら、そのまま逃がしてやる。それで、また瞬間的にヤツに覆いかぶさって、抑え込みに持っていくのだ。T君は逃げる。ひたすらそれを繰り返す。
俺の抑え込みから逃れたとしても、T君がこっちに向かってこず、亀の姿勢になろうとすると、すかさず両手で奴の柔道着の胴と太腿を掴んだ。
「よいしょっ」と持ち上げると、奴の体がひと時宙づりになった。そのままクルリとひっくり返して、横四方固めでまた抑え込んだ。今の選択はアウトだ、敵前逃亡である。この寝技練習では、攻撃行動以外は認めない。
寝技になると、T君がたまに覚醒する。俺の動きがわかってたみたいに、例えば、真上から抑え込もうとした俺の膝をピンポイントで蹴っ飛ばして、転がして、そのまま上に乗ってしまう。
俺は両足をヤツの足に絡めてガードするのだが、巧みに外して、抑え込みに持っていく――縦四方固めが完成した。
こんな具合で、いい動きをした時には認めてやる。褒めるんじゃない、認めるのだ。そいつのパワー、気概、実力を。褒めるってのは、親が子どもにやるものだ。コーチと選手って対等な関係だろ。
T君は膂力(りょりょく。腕の力)があるうえに、寝技のセンスがあった。寝技というのは、ガッチリ決まると体力差に関係なく勝利できる。当時まだ20代半ばだった俺の体力はT君をはるかに上回っていたが、それでも抑え込みから脱出できないことがあった。
ただ、悲しいかな。彼にあるのは寝技だけだった。立ち技は本当にダメだった。まったく才能がなかった。
せっかくパワーがあるのに、釣り手で相手の奥襟や背中を掴むことは皆無であり、いつも前襟だった。運動神経がないから、せっかく神業的なタイミングで大内刈りや払い腰に入ることができても、相手を投げるに至らない。遅すぎるのだ。
ただ、彼はよくやっていた。性格やキャラクターはいじられ系芸人のそれだったけど、リアクションはよかったし、部員みんなから好かれる存在だった。そういう雰囲気をもった人間だった。
時期は半年ほど戻る。
いつぞやの試合でT君を内股で吹っ飛ばした名門校の選手と、ラーメン屋で同席したことがある。T君と俺と、あの選手N君が一緒になったということは、おそらく試合の帰りだったのだろう。
あれは、福山駅の駅舎の外に入っているラーメン屋だった。名前は忘れた……なんとか吉だったはず。そこで、T君にラーメンをおごってやろうとして、カウンター席がいっぱいで4人掛けのテーブル席に通された。
そしたら、おかみさんが来て、「相席でもいいですか?」と言うのだ。それで待っていたら、N君ともう1人の柔道高校生が向かいのテーブルに付いた。2on2の相席Styleである。
そのN君だが、痩せ気味で精悍な顔つきをしていた。体形は相当細身で、背丈は185くらいか。T君と同じく81kg級の選手である。もう1人は、100kg超級とおぼしき超アンコ体系の子だった。棟田選手以上の丸々とした感じだ。
2人とも、耳は完全に潰れていた。どちらも社会人に近しい貫禄があった。眼光が鋭い。スポーツ特待生で高校入るような奴って、雰囲気からして違ってる。
俺の耳もやはり潰れている、大学卒業して釈迦人デビューするにあたり、手術で直すという選択肢もあったが、餃子耳の方がハクがつくと考えていた。T君の耳は、この時潰れかけだった。
会話、どんなだったかな。そうだ、N君がT君に話しかけてきたんだ。
それでT君も、ラーメンを待ちつつ水を飲んで彼と話をしてた。
思い出せる範囲だと、こんな会話だった。覚えてない箇所は端折っている。
「高校入ってやっとるよ」
「そうなんだ。やっぱりこの辺の学校は、そういう子が多いのかな」
「えー、すごいやん」
「親に無理やり。両親とも柔道してて」
「それで、ここまで強くなれたんや。すごいね」
「内股めっちゃすごいやん。カミソリみたい。サクッと相手が飛んでくよね。マジですごい」
「伝家の宝刀な。あれだけは自信ある。けど、強いヤツは世の中にいっぱいいるし。俺もまだまだよ」
「自分、N君には一生敵わないな。多分。こないだの試合、内股で空中5回転しとらんかった?」
「(テーブルを叩きながら)してた、してた!! なあ~」
※隣の高校生が関心なさそうに頷いていた
「もっと勢いが強かったら、会場の窓ガラスを突き破って護国神社に落ちとったよ」
このあたりで、俺のイラつきを察したのか、N君の隣の高校生が彼を小突いた。
「T君さ。今度オレと試合するのいつになるかな」
「冬に県に繋がる個人戦がなかった?」
「それ、無差別級だけだろ。あの大会は、ベスト8までは全部うちの高校が占めるし、そこまで登ってこられる? それにベスト8が決まったら、例年それで市大会は終わり。解散。1位から8位の順位はうちの監督が決める」
「えー、そういう仕組みなん?」
ここで、隣の高校生がN君の肩を叩いた。
「そう、そういう仕組みな。次の試合は春しかない。あと1回だけのチャンス」
「うん、当たるの楽しみにしてる」
「そんなんされたら、自分死ぬし!! ボンレスハムだし、チャーシューだし、畳をバウンドしちゃうよ」
「楽しみにしてる」
ここらへんの場面で注文したラーメンがきた。それで、あとは皆黙々とラーメンとか餃子を食べて、解散した。
あの店は、とんこつラーメンのアレンジ系が美味かった。当時はよく利用してた。もう軽く十年以上は行ってない。残りの人生で行くこともないのかもしれない。
※書いてるうちに思い出した。福山駅前の八十吉ラーメンである。
ただ、あの頃のT君とは、できれば一緒に行きたくないな。財布的な意味で、
当時、たまに2人きりでご飯をおごってやることがあったけど、あいつ、ラーメン替え玉4杯+チャーハン+から揚げ+餃子5人前とか食べ切っててビビったわ……食欲が凄まじい。ラーメンが4杯で終わりなのは、その頃にはスープが無くなるからだ。
俺はその半分しか食えなかった。食欲においては、完全に俺の負けである。事実だ。認めるしかない。
そんなこんなで、最後の公式戦までの日々は風のように過ぎていった。
この匿名ダイアリーを書くにあたり、約二十年前の記憶を思い返している。正確じゃない部分はあろうけど、そこまで間違った内容でもないはず。一部ではあるが、当時の記録媒体を基にして書いてることもある。
あの日々は、けっこう幸せだった。柔道部の成績は悪かったけど、気合いが入った部員も出てきていた。そういえば、あの時そういう行為をした女子マネージャー(妹)も、あれから特にトラブルはなかった。これまでどおりの、柔道部顧問とマネージャーの関係だった。いや……ごく稀にプライベートで会うことがあったか。
何度か変なことがあった。双子の姉の方と柔道場の入口で談笑してると、妹の方がやってきて一緒に話に入ったのだ。不自然なタイミングで。無理やりに近い。それは、姉じゃないもう一人のマネージャーと話してる時もそうだった。
ちなみに姉の方は、マネ子に比べると若干明るい性格だった。俺ともT君ともほかの部員とも仲良くやってた。天性のコミュニケーション能力があるタイプだった。底抜けに明るいわけじゃないけど、不思議と安心感のある、温かみのあるキャラクターだった。
マネ子の態度は、上記を除いては普通だった。何か月かに一度は、俺も含めた部員みんなにお菓子を作ってくれたし、バレンタインデーには手作りチョコレートくれたし、大会前には率先して雑用を命じてほしいと志願したし、俺の誕生日にネクタイピンをくれたこともある。
私学だし、まあいいかと思ってもらってた。あの子の財布は大丈夫かなと思ったが、月のお小遣いが一万円と聞いて納得した。友達と遊びに行く時などは、母親から別途お金がもらえるらしい。医者の娘は違うな……と、月四千円の小遣いで寮暮らしをしていた高校時代に想いを馳せたっけ。
別に、妹の方とまたセックスしたいとは思わなかった。「したい」という欲求はあったけど、でも教師としての責任感が勝ったのだ。 訂正;間違った記憶だった
ただ、俺という人間は、やはり異常だったと思う。ちょっと性欲が強いのは間違いない。そちらの方には正直だった。あとは~~子どもの頃に柔道や陸上をしてたのだが、絶対にうまくなりたい! という情念が強くなりすぎて、体を痛めて指導者に怒られることがあった。夢や目標に対しては猪突猛進だった。
性欲、性欲……と、今思い返してみて、人としてよくなかったと思えるものを最低3つは思い出すことができた。ひとつだけ、あれはまだ5才か6才の時か。両親が忙しい家庭だったので、日常の世話は祖母が見てくれていた。いつも、祖母と実妹と一緒に寝床についていた。
いつからだろうか。動機は定かではないが、まあ原初の感情とでも言おうか。夜に寝床にいる時、暗闇の中で祖母と一緒に寝ている時に、祖母の衣服を脱がせていた。「ねえ、ばあちゃん。服、服脱いで」と無邪気に笑って、祖母の服を脱がせていた。それで裸にする。
そして、お互いに裸になって、抱き合って布団の中で眠るのだ。抱き合うだけじゃなくて、ほかにも明らかに色々してたけど、やはり幼子とはいえ異常な行動だったと思う。
妹に対してもそうだった。妹に対しては、ほぼ毎日のように服を脱がせていた。妹は「いいよ」と言ったこともあったし、「いやだ」と言うこともあったけど、お構いなしに服を脱がせた。祖母が近くにいても関係なかった。とにかく脱がせて、納得いくまで裸で抱き合っていた。原初の感情だった。
愚かなことだった。反省している。でも、あの時の感情は本物だった。あの時、まだ小学生ですらなかったけど、俺は「女を抱きたい」と確かにそう思っていた。リアルだった。
次です
なんか幼い頃から母親の顔色伺ってたみたいなエピソードあるけど
そもそも他人の気持ちなんて理解できない子どもだって多いじゃない
(まあうちのことなんですけど)
少しは親の気持ち考えて欲しいわけだけど
こういう子どもが、いわゆる毒親のもとに生まれたらどうなるんですかね? という純粋な興味
どっちかが折れるんですかね?
わかる。
好きな音楽やテレビ番組や本や映画や俳優の話をする時、母親の顔色を窺わなくていい。
免許を取って車の運転をして好きな時に好きな場所に行っても良い。
母親が好みそうな服を買わなくてもいいし
お買い得じゃない物を買う時に罪悪感に駆られなくてもいい。
距離をとれば父親に容姿やセンスや年収や運動神経や容量の悪さをバカにされる事もない。
長女は先に生まれてズルいんだからお姉ちゃんは我慢しろ…がしみついてるせいで
人より少しでも得をするたびに死にたくなっていたけど、ラッキー!って思って良いんだ。
私は姪がそのころの自分と同じ年齢になった時に気が付きました。
うちの親、まだ低学年のこんなに小さい子に対してあんな扱いしていたんだ。引く。
なんとなく記憶の中では「今の自分が」「今の両親に」されてた感じになっていたけどもそうじゃない。
体格も力も知恵も圧倒的に弱く小さい子供に毎日呪いをかける気持ちってなんなんだ…
記憶の中の自分を、自分ではない小さい女の子に置き換えてみてほしい。
でも、いまだに親と話す時は萎縮して顔色を窺ってしまう。刷り込みだ。
それっておかしいな?!って思いもあるから、習性+感情と理性が矛盾してしまい、折り合いをつけられずにとても苦しい。
なので今はひとまず距離を取って会わないようにしているよ。
なんで初めてなのかと言えば今までは母親が買ってきたり、通販で5着千円ぐらいのしか買ってなかったからなの。それで感想がね、ぴったりくっつきすぎて落ち着かないの…はいてないみたいで
なぜかサイズがぴったりで、すごくぴっちりなの
でも思うの、600円のパンツがこんなにはいてない感あるなら1000円以上になったらどうなるの
思うの…だったらパンツはくいみはっ?って
思っちゃったりするの
杉田水脈は「男では言いにくい女性差別発言を女性の立場から言ってくれる」としてアンフェ界隈、はてなでも寵愛を受けていた
彼女のような人物こそが正しい日本人女性、お前ら見習えよとアンフェたちは盛んに杉田を持ち上げていた
でも失脚したので「杉田なんか支持してねーよ」と歴史改変が今まさに行われている
「伊藤詩織氏の事件が、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」
「もし私が、『仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性』の母親だったなら、叱り飛ばします。『そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい。』と」
「『女性の権利を』とか『LGBTの人たちの権利が』とかいうのは、それぞれ『女性の特権』『LGBTの特権』を認めろ!という主張になります」
「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」
「世の中に『待機児童』なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ」
「実際シングルマザーはそんなに苦しい境遇にあるのでしょうか?」
https://www.businessinsider.jp/post-172378
普段君らが言ってることそのまんまなのに、落ちぶれたら砂かけするとか薄情すぎる
母親が高校生の時に亡くなり、進学も就職もせずに家のことやれと父親に要求される
家出同然で飛び出して女優を目指し、小さい劇団の座長のアパートに住まわせてもらいつつ俳優座の養成所に通う
座長にセクハラパワハラされまくり愛人にされるが生活費など座長が出してくれているので逆らえない
また子供ができても死なせてしまうかもと恐怖してセックス恐怖症に
まだ若い夫がそれでは辛いだろうからと他の女性とセックスすることを公認
やがてドラえもん声優になり忙しくなる中で、夫の世話をあまりできなくなったことに悩み、
夫の愛人の同居を許し、愛人に家庭のことをやってもらうようになった
のぶ代が売れっ子になったことで旦那はほぼニートと化し、のぶ代が旦那と愛人を養った
アラサーにして初めて気がついた
会社で社員の写真をばーっと見れるんだけど、先日何となく眺めていた時に、自分は周りの人より目が大きかったことに気がついた。
何度見返しても真剣に周りの人と見比べても目が小さいとは思わない程度にはぱっちりしていた。
ずっと親や家族から目が無いねwとバカにされてきたから、驚きすぎて1分くらいまじまじと見てしまった。
私って目が大きかったのか。本当に驚いた。
話は変わるが私の親は過干渉だった。(今も)
常に監視し、私の行動全てに口出ししてくる親だった。
容姿はもちろん服装趣味喋り方食べ物体調進路人間関係etc本当に全てに干渉してきたし、私も長年の母親の教育の結果、勝手に自己開示するようになっていた。
だけど、一人暮らしを初めた時に自分は母親が居なくても生きていけることに気がついたし、親の言うことを全て肯定しなくても死なないことに気がついた。
意外と自分で何でも出来る。
そして、この間自分の目が大きいことに気がついてから、急に世界の解像度が上がり始めた。
どうやら給料って自分で好きなものを買っていいらしいし、映画とかテレビってって途中で消されたりしないで最後まで見れるらしい。
好きな音楽を聞いていいし何か言うたびに逐一好きなものについて小一時間批判されなくていいらしい。
親の娯楽のためによく10万単位でお金を払ってしまうが、もしかしたらそれは親孝行じゃないのかもしれない。このあたりはまだ半信半疑だ。
出かけて、買い食いってしていいんですね。服って好きな色のものを買っていいんですね。
自分が幼少期の頃から兆候はあったと思う。有機、EM農法、自然派、スピチュアル。
ここ数年では陰謀論に始まり、ディープステート、反ワクチン、テスラ缶、電磁波測定器、最近はドテラとパワーストーンにハマっている様子。過保護で心配性な、学歴コンプレックスのある母親だった。
家族仲は良く、とても大切に育てられて、不自由な思いはしたことがない
地方都市だけど、歴史が古く文化人も多く輩出している地域で、多様な文化にも触れられたし、大都市にもすぐ出られたので、小さい頃から博物館や美術館にはよく連れて行ってもらっていた
特に母親の実家が名家だったので、そっち経由で触れる文化の水準は高かった
能力的にも恵まれていて、小さい頃から勉強で苦労したことはない
コミュ障だけど見た目と成績が良かったお陰で一目置かれていじめられることもなく高校まで普通に過ごせた
収入は多くはないが、生きていくには十分だし、なにより安定している
人生で最初に好きになった人だけど、特にトラブルもなく仲良くなって付き合って、普通に結婚した
相性は最高で、喧嘩もしない
今は結婚して20年経つけど、やっぱり喧嘩しないし今も本気で好き
最高のパートナーだ
仕事は忙しくはなく、だいたい6割くらいの力でこなせる程度
それでも周囲よりは効率よくこなせていたらしく、すぐに特別な存在扱いされるようになった
おかげで礼儀とかよくわからないコミュ障でも咎められることなく、快適に過ごせている
妻は強い国家資格を持ってるので、いったん仕事を辞めて専業主婦になった
しっかり情報を集めて、じっくり話し合って建てたので、なんの不満もないいい家が建った
子どもたちは二人とも可愛くて賢い
塾には行ってないが、これまでのところ勉強で苦労したことは一度もない
子どもたちの手が離れた今は、妻も仕事を再開して、経済的にも安定している
こうして人生を振り返ってみると、何ひとつ苦労をしてないことがよく分かる
毒親に苦しめられたり、地方出身で文化に触れられなかったり、学校でいじめられたり、不登校になったり、就職できなかったり、受験に失敗したり、ひどい失恋したり、ブラック企業に苦しめられたり、夫婦喧嘩したり、子どもの障害に悩んだり、そういうドラマが一切ないまま生きてきた
苦労しなくてすんだのはいいことだと思うんだけど、なんか、こう、人間としての厚みが得られてない気がする
増田には色んな苦労話が描かれているけど、おれの人生には無かった
順風満帆で常に幸せで、辛かったことなんて本当に小さいことしか記憶にない
そして、これから大きな苦労に直面したら生きていけない気がする
親が認知症になるとか、会社が潰れるとか、妻や子どもが事故や事件に巻き込まれるとか、そんなことがあると耐えられない
まず言っとくけど、ここで言う「気にする」ってのは、ちょっとした手伝いとかじゃなくて、俺の気持ちを理解して助けてくれるってことな。
こういう暗い投稿は嫌いなんだけど、自分でも書いちまった。もう本当に限界だ。この1年、自分を磨いて社交的になろうと必死だったのに、兄貴と姉貴は俺に友達がいないことをネタにして笑ってくる。偽物の友達は、俺を知ってる他の「友達」と一緒にいたがらない。俺を知ってる奴らは変わってるに違いないって思ってんだろ。結局、誰も本気で気にしちゃいないんだよ。
親もそうさ。両親は離婚してる。親父は好き勝手やってて、俺たちが生きていける程度の「世話」しかしない。母親は唯一俺のこと気にかけてくれてるように見えるけど、必要な時には側にいてくれない。今日だって、また兄貴とケンカしたんだ。母親の目の前で兄貴が鼻くそのティッシュを俺に投げつけたのに、母親は何もせずに怒ってる俺を叱りやがった。もし俺が母親にそんなことしたらどうする?って聞いたら、絶対許さないって。でも兄貴が俺にやるのは許すみたいだな。
もう人間が他人のこと気にかけるなんて信じられねぇよ。みんな自分のことしか考えてない。誰かを好きになるのだって、その人から何か欲しいからだろ。誰かを助けるのも、自分が気分よくなりたいだけさ。
こうして夜中に泣きながら、自殺や俺の人生をめちゃくちゃにする奴らを殺すような狂った考えが頭をよぎる。不健康だってわかってる。でもこういう考えが浮かんじまうんだ。正直、どんどん悪化してる。もうこれ以上耐えられるかわからねぇ。長すぎるんだよ、こんな状態。
ちなみに俺は18歳の男で、高校の頃から自信なくて社会不安がひどい。学校でちょっとイジメられて、家じゃ毎日兄貴にイジメられてるけど、何もできねぇんだ。
この投稿は今の俺の頭と同じくグチャグチャだけど、どうにかして吐き出さないとダメだった。現実の誰にも話せねぇ。そしたら連中が俺のこと気にかけてるフリするだろうし、結局は兄貴にそのことでからかわれるかもしれねぇからな。
じゃあな。
なんでウマ娘なんか産んだんだ!
俺の家系にウマ娘なんか生まれたことない!托卵を疑ったけど検査したら間違いなく俺の子だった…悪夢だよ…
検査!?私がそんなことするわけないじゃない、酷い…!私の家にだってウマ娘は生まれたことないわよ…
ネットで調べたらウマ娘が生まれるのはほとんど母親のせいらしい。悪いけど俺はウマ娘なんか育てられないし、ウマ娘の父親なんてやれない
風呂キャンセル界隈。別に明日も出かけないんだからいいだろ、二日入ってなくても。
さっきテレビで、ラーメン食べるときチャーシューから食べれば太らない!?みたいなテーマの番組がやってたから、ぼーっと見てた。いや、胡散臭すぎるだろ。麺を先に口にした場合、体がデンプンに反応し、インスリンの量が急上昇して太りやすい状態となる。チャーシューから食べると糖の吸収が穏やかになる。とのことらしい。チャンカワイが三日間9食ラーメン食って、少し体重減ってたけど そりゃ、間食抜きである程度量の決まっているものを三食(例えラーメンだとしても)食えば体重が減るだろ。てか、ラーメン食べるときに胃の中が空っぽの状態じゃなきゃ意味なくない?知らんけど。例え体重は減ったとしても、体の状態は最悪で早死にルートであろう。(笑)意味の分からない番組だったから最後まで見てないから、詳しくは知らない。なんかこんな感じで、一生頭の中がどうでもいいことでグルグルしている。ラーメンの次はこれ、Xで見た中学生の娘に縮毛矯正をさせるべきか?のポスト。ぼくも中学生の時に、母親から進められて縮毛したなと。それでいうと、歯列矯正も。約10年弱位かけて綺麗な歯を手に入れ、口開けて笑えるようになった。今となっては、めちゃくちゃやってよかったことだしさ もちろん有難いと思ってる。でも、当時自分の意志ってあったっけ?自分の意志の根底にはいつも母がいて、怒られないために行動している。ということに気付いた時、絶望した。そんで、いつの日からか「親に怒られること」を回避する癖がつくようになってた。したい、ほしい、好きなものも言えなかった。そんなぼくを、何をしているかわからない子供、何考えてるかわからない、おかしいって言われて、親戚間でもボロクソに言われてる。従兄弟たちが話聞いてくれたりしたこともあったけど、裏では更生施設ぶち込めば?とか辛いアピールかよ。とかラインでやり取りしてたもーん。ガーン。軽い気持ちで母の携帯を見たら、パニック発作起こしたが、まあ知れて良かったのかもね。尚更、(するつもりもないけど)誰も信用できないな。いつか、お前らの所有物じゃねえんだよ、意思あるんだわ って言えたらいいけどさ。
人生に呆れ、生きる活力がない、現状どうにかしたいけどマイナス思考が止まらない。どうしたらいいのかわからない。常人からしてみたら、こんなの「分かってもらえなくて死を願う生存本能に抗う特別な人間」とか他責(←これら、実際に言われたことで~す)とか思いますよね、日記だから許してくれ。ここでやっと吐き出せるんだ。
Red Dead RedemptionのPC版楽しみすぎだろ
けっこう最近にRDR2やったからね、初代やりたいけどコンシューマ版しかなくてゲーム機持ってないからできなかったの
嬉しい
発売は順当にRDR→RDR2だが、時系列は逆なの
RDR2は、義賊的だったギャングが急速に法秩序が芽生えていく19世紀末のアメリカの中で居場所をなくして崩壊していく話
無辜の人から略奪・強姦する他のギャングを見下し「俺達はああじゃない」と美学があったのに、どんどんそいつらと変わりない存在に落ちぶれる
最初は30人ぐらいいた仲間たちが、敵に殺されたり内輪もめ殺し合いで死んだり、もうここアカンわと離脱したりどんどん減っていく鬱ゲー
みんなボロボロになった中で生き残った男が、ひっそりと田舎で家を買い農業を始め、平和な暮らしをはじめるところでRDR2は終わる
「お前ギャングだった頃に散々人殺したよな?絞首刑にしてもええんやぞ?お前の妻子も殺してもええんやぞ?妻子人質に取るわ。助かりたいなら散り散りになった昔のギャング仲間の極悪人をケジメとして全員殺せ」
と警察的な人に命じられて、かつての仲間を殺し回ることになるという話らしい
RDR2の時点で仲間たちとは険悪になって袂を分かったのだが、それでも殺しに行かなきゃ行けないのは辛いな
この男は出生時に母親が死に、父親にも育児放棄され捨てられ8歳ぐらいから一人で生きるようになり、
12歳ぐらいではじめて生きるために殺人をして、16歳ぐらいでギャング団に拾われ、ボスをパッパのように慕っていた
ボスはギャングがオワコンになっていく中でヤケクソになってどんどん性格が悪くなっていき見限られたのだが
それでもパッパのようだった人を殺さなきゃいけなくなるのが初代のストーリーらしい
やだなあ、でもやりたいな