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編集者に関するshomotsubugyoのブックマーク (9)

  • 日本の古本屋 / 第20回 伊藤嘉孝さん 古本から新刊を生み出すひと

    私自身もそうであるように、編集者には古好きであることが結果として仕事につながっている人がいる。なかでも、会社じたいが古マニアの巣窟ではないかと疑われるのが国書刊行会だ。絶版になったや稀覯を資料として、復刊、アンソロジー、全集などを刊行している。 今回はその国書刊行会の若手代表(?)として、伊藤嘉孝さんに話を聞いた。同社で武術、民俗学、考古学などのを企画し、新しい路線をつくっている。 「これまでの古との付き合いが、すべて仕事につながっている気がします」と語る伊藤さんに古遍歴を聞いた。 伊藤さんは1978年、岩手県盛岡市生まれ。父は銀行員。両親との3人家族。 「父が40歳を過ぎて生まれた一人っ子だったので、甘やかされました。両親ははあまり読みませんが、はいいものだという思いがあって、私には自由にを読ませてくれました」 小学校に入ると、近所にあった〈高松堂書店〉に通う。店の床

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    shomotsubugyo 2020/09/10
    「古いアパートの2階~あるとき大家さんに部屋のなかを見られ~「すごい量の本を見て、『常軌を逸している。処分しろ』と~話し合った結果、1階の空き部屋を貸してくれることに」(・o・;) 同じ光景を見たことある
  • 学術書編集者同士の集まりについて - 有志舎の日々

    先日、久しぶりに旧知の歴史書・学術書出版社編集者数名と痛飲しました(メンバーは、私と同世代およびもう少し若い世代)。 づくりの悩みや最近の著者の傾向など、同業者でないと分からないディープな事を話し合えて当に楽しかった。 一人だと色々と考えすぎて悩むことが多いのですが、こうして仲間たちと話すと気分が晴れますし、「他社ではそうやっているのか~」と勉強になることもしばしば。 学術書編集者の世界は、もともと出版社同士で交流することが少ないので、こうして有志で集まって情報交換とバカ話に興じるのも大事かと思います。 できれば、こういう編集者同士で勉強会をやってというのが好ましいわけですが、歴史編集者懇談会(歴編懇)を私は辞めてしまったし、歴編懇自体も長らく開店休業状態のようなので、なかなか難しい。 みんな忙しいので、定期的にそういう機会を作るのが大変なのは分かりますけど、編集者同士での仲間意識があ

    学術書編集者同士の集まりについて - 有志舎の日々
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    shomotsubugyo 2019/02/27
    「営業同士だと出版社間の結びつきはかたい感じですが、編集者同士だとそういう事は少ない」へー(・o・;)
  • 「重大な無断転載があった」渡辺真由子さん著書、絶版・回収へ 出版社が謝罪 - 弁護士ドットコム

    ジャーナリストで、メディア研究者の渡辺真由子さんの著書『「創作子どもポルノ」と子どもの人権』の一部に重大な無断転載があったとして、版元の勁草(けいそう)書房は11月28日、「弁解の余地はない」と謝罪文を発表した。同書を絶版・回収したうえで、購入者には返金するとしている。 『「創作子どもポルノ」と子どもの人権』は今年4月、勁草書房から刊行された。マンガやアニメなど、実在しない子どもを性的に描く表現物の規制について考えるだ。同社によると、11月に入ってから、SNS上で無断転載に関する指摘があることを見つけて、確認したところ、広範囲にわたる無断転載の箇所があることがわかったという。 該当箇所は、全7章の中で1章分(第6章)。同社編集部によると、外国の事例に関する論文をかなりの文量で転載し、「注」で出典を示していたが、執筆者から許諾をとっていなかった。「文の主従関係が逆転しており、(許諾のいら

    「重大な無断転載があった」渡辺真由子さん著書、絶版・回収へ 出版社が謝罪 - 弁護士ドットコム
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    shomotsubugyo 2018/11/28
    勁草書房かぁ。フェミニズム(と図書館情報学)は以前、町田民世子氏がゐたから出してたんだなぁ。編集者と研究者集団がくっつくといふ。編集者の代替わりで研究者集団との関係が変化したのかもね。
  • なぜ一度もサラリーマン編集者になることなく、仕事を続けたか――都築響一の場合。【前編】

    1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。著書に『サルまん』(小学館)、『ファミ通のアレ(仮題)』(アスキー)、『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)、『篦棒な人々』(河出文庫)、『竹熊の野望』(立東舎)、『サルまん2.0』(小学館クリエイティブ)等。 フリーランス40歳の壁 「仕事相手が全員年下」「自己模倣のマンネリ地獄」「フリーの結婚&子育て問題」……物しか生き残れない「40

    なぜ一度もサラリーマン編集者になることなく、仕事を続けたか――都築響一の場合。【前編】
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    shomotsubugyo 2018/05/02
    「出版社がダメになるときって~一つは「新社屋ビルを建てたとき」ですよ。もう一つはその「ビルにガードマンが立っているとき」。三つ目は「首から社員証をぶら下げられたとき」。この三つが揃うと、出版社は死~」
  • ハマザキカク(珍書プロデューサー) - 珍書プロデューサー・ハマザキカクはいかにして生まれたか | 特集!あの人の本棚

    さまざまなプロフェッショナルの考え方・つくられ方を、その人の棚、読書遍歴、に対する考え方などからひもといていくインタビュー。今回のゲストは数々の「珍書」を世に送り出し、珍書プロデューサーとして名高いハマザキカクこと編集者の濱崎誉史朗さんです。ご自身も『ベスト珍書』を2014年9月に上梓され、ますますご活躍されております。 濱崎さんはなぜ「珍書プロデューサー」になったのか。その経緯を中心に、企画力の秘密にも迫りました。 ハマザキカクはなぜ珍書プロデューサーになったのか ――  『ベスト珍書』を拝読しましたが、こんなにおかしくておもしろいがあるのかと驚きました。珍書プロデューサーとして活動されていますが、なぜ今のようなポジションになっていったのでしょうか。まず、その経緯をお聞きしたいです。 濱崎誉史朗(以下、ハマザキ)  新卒でIT会社勤務をしていました。そこから転職して編集者になろうと

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    shomotsubugyo 2017/02/13
    「〔2006年〕当時は、インターネットはあってもブログがなく、誰もが気軽にウェブサイトを立ち上げられた訳ではありません。〔略〕だからこそ、おもしろいサイトも見つけやすかったですし」さうだったね。
  • 「とと姉ちゃん」Pに聞いた、なぜ「暮しの手帖」や大橋鎭子や花森安治はモデルでなくモチーフなのか(木俣冬) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    ==「とと姉ちゃん」落合将プロデューサー インタビュー 花森さんと大橋さんは、2016年の今こそ知らしめないといけない人だったという気がします。== 朝ドラこと連続テレビ小説『とと姉ちゃん』は雑誌『暮しの手帖』の創立メンバーである経営者の大橋鎭子さんや編集者の花森安治さんをモチーフに描いたドラマ。 「モデル」ではなく「モチーフ」ということで、その違いってなんだろう? 辞書を引けば、モデル=「素材」、モチーフ=「題材」「表現活動の動機」とあって、その違いはなんとなくわかります。モデルのほうがモチーフよりもそのものに近く、モチーフのほうが創作の自由度が高くなるようですね。 そうなったわけは、NHKの性質上、今も販売されている『暮しの手帖』の名まえが大々的に出せないからだろうかと想像しますが、「モデル」(そのものに近い)と信じこんでいる人も多いですし、そう書いている記事も多いのも事実です。 では

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    shomotsubugyo 2016/08/14
    「花森さんはプラモデルとか帆船模型が趣味だったんですが」へー
  • 出版メディアパル - 「編集者の誕生と変遷」

    ● 出版メディアパル 5月の新刊案内(5月12日発売) 編集者の誕生と変遷 ―プロフェッションとしての編集者論― 文 ヨンジュ(Moon Youn Ju) 著 A5判・288ページ 定価:体価格2,400円+税 ISBN 978-4-902251-62-3 書はプロフェッションという物差しをもって編集者の職業の誕生と変遷を研究している。 編集者とは「編集活動」を日常的な「職業活動」として営む「職業人」であり、編集者という職業を総合的に検討することは、編集者の社会的役割と機能を理解することにつながると期待されるからである。 論では、出版業が成立してから、編集者がひとつの独立した職業として確立してきた経過を歴史的に検討するとともに、専門的職業化の主要要素を日の書籍出版編集者の状況に照らしながら検討することによって、書籍出版編集者が置かれている構造的特性を検証する。 書は筆者の博士論文

    出版メディアパル - 「編集者の誕生と変遷」
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2016/06/19
    こんな本も出た(´・ω・)ノ 立ち読みしたが、職業社会学や専門職論を適用したって感じ。司書職制制定運動が専門職論を適用してコケた経緯があるので、あまり感心せず。なれど類書は少ない。
  • 1980年代~90年代の雑誌制作の現場はどんな様子だったのか

    1980年代から1990年代は雑誌が売れに売れたまさに「黄金時代」。そんな時に雑誌の記者・編集者として、講談社の『PENTHOUSE』や『Hot-Dog PRESS』(以下HDP)の編集に携わった著述家・編集者の石黒謙吾さん(52)。 新著『7つの動詞で自分を動かす ~言い訳しない人生の思考法』(実業之日社)では、石黒さんがいかに能動的な「動詞」を使って仕事をしてきたかが書かれています。「ぶつける」「分ける」「開ける」「転ぶ」「結ぶ」「離す」「笑う」――こうして数々の名物企画を作ってきた石黒さんに、雑誌の世界がどんなものだったのか、その実態を振り返ってもらいました。 ――元々はフリーながらも、出版社に所属する形で仕事をしていたんですよね? 石黒:24歳から関わり始めて32歳まで講談社で仕事していました。いや、それ以前に学生のときから見習いレベルでに『PENTHOUSE』や、角川書店『バラ

    1980年代~90年代の雑誌制作の現場はどんな様子だったのか
  • ゼロ年代の編集者と書店員 | URGT-B(ウラゲツブログ)

    ゼロ年代の出版社、ゼロ年代/10年代の書き手、とここまで書いてきましたが、今回はゼロ年代の編集者について書こうと思います。ゼロ/10年代の書き手がいるということは、ゼロ年代の編集者がいるということを意味してもいます。 皆さんは自分が読むのあとがきなどで「この編集者の名前はよく見かけるな」という経験はありませんか。そういう出会いを経て「この編集者の手がけたなら何でも読んでみよう」というふうに発展していったことはないですか。私はあります。私にとってはたとえば哲学書房の中野幹隆(1943-2007)さんはそういう存在でした。中野さんは日読書新聞→竹内書店→青土社→朝日出版社というふうに勤められた後、哲学書房を立ち上げられ、のちにセーマ出版も同時に運営されていましたので、それぞれの版元での中野さんのお仕事を再発見していくのは非常に楽しく、知的興奮に満ちた体験でした。 以下ではここ最近の新刊や

    ゼロ年代の編集者と書店員 | URGT-B(ウラゲツブログ)
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2011/10/03
    基本的には裏方の編集者というのはなかなかわからない。これこのように、この人たちだよと明示されてさえ、では彼らがかかわった書籍の一覧は?といわれれば、出版社から間接的に推測するしかないんだよねぇ(・∀・`
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