非国民通信

ノーモア・コイズミ

Sure Know Something

2008-02-29 22:52:19 | 文芸欄

いや……
申し訳ないけど……
「ちょっと違う」じゃなくて……
「100%に近いくらい違う」と
思うんだ――

ふ――ん……
なるほど――
100%に近いぐらい違うのか……

けどよ――
「100%に近いくらい違う」ということは
「100%違う」というワケではないよな……?
じゃ99%くらいか?

う――ん
まぁそのぐらいかな……
98%ぐらいだと思う……

じゃ残り2%は同じってワケだろーが

ま まぁ……
そうかな……

いいか よく聞け――
オレとお前は生まれ育った生活環境も違うし
価値観も違えば人生観も違う
いわば 赤の他人だ……
そんな2人が2%の共通点を持っている
というだけでもスゴイことじゃないか?

―――『魁!!クロマティ高校』

 

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人が違えば社会も違う

2008-02-28 23:02:11 | ニュース

ヨーロッパ人が忙しくない3つの理由(WIRED VISION)

前回、マクドナルドの裁判を足がかりにして、管理職の範囲の問題や忙しさなどについて浅知恵を巡らしてみました。それにしてもですね、なんで日本人はこんなに疲れているのでしょうね。ワタシの勤め先はかつて通常残業省などと揶揄されたりしたところですが、今もあんまり状況は変わっていないです。

しかし、ブラッセルに赴任して欧州委員会の官僚を相手に仕事するようになった時、いや驚いたのなんのって。彼らの優雅なこと!昼は2時間かけてランチ。6時にはオフィスは無人状態。夏は一ヶ月間バカンス。おまけに給料ははるかに多い。ワタシ心に誓いました。来世も役人やるとしたらヨーロッパ人に生まれて欧州委員会に勤めようって。

ということで、当然のこととして何が彼我の差を生むのか、非常に関心をもったわけです。そこで仕事で彼らに会ったついでにいろいろ質問してみることにしました。その甲斐あって大体わかりました、そのわけが。
ズバリ、欧州官僚が忙しくない3つの理由!

理由1:自分に甘く他人にも甘い

ワタシが仕事で追いかけていたEUのある法律に「○年○月までに見直しをすべし」と規定されていました。にもかかわらず担当部局からドラフトも出てこないし、待てど暮らせど何の反応もない。聞いても要領を得ない。結局、何もしないまま期限が過ぎてしまいました。日本だったら担当局長はクビですね。国会で大騒ぎになって新聞は書き立てる。でも彼の地では...
欧州委員会は説明しました。「担当がバカンスもあり忙しかったため」!
議会はこう反応しました。「じゃ、仕方ないですな」!!

(中略)

ま、理由1は日本じゃ真似できないですね。日本の社会ほど自分に厳しく他人に厳しいという社会、他にあんまりないような気がします。ヨーロッパと日本を対極にしてその間に日欧以外の全世界が入るような(笑)。もう価値観のちがいとしか言いようがない。

 長くなりましたが、引用ここまで。要するに、日本は自分に厳しいことを美徳とし、他人にもそれを求めるが故に、当然の報いとして他人からも厳しく接される、それが巡り巡って息詰まる日々が続くわけです。だったら他人に優しくすればいいじゃないのと言いたいところですが、それを望まないのが日本人の道徳でもあります。

 職務柄、PCのモニタとにらめっこの日々で大いに目も疲れるわけですが、私の雇用契約書には、しっかり書いてあります「VDT連続操作の場合1時間までとし、1時間連続操作した場合、当該業務において、少なくとも10分間の休止時間を設ける。」と。これは当然、守って欲しい事項でもありますし、相互に契約を交わした以上は守る義務もあります。しかし、守られていません。

 こうした契約が適正に守られている職場、あるいは守られているとされる職場を私は知っていますが、その職場は賞賛されるどころか日本中の非難の的です。ふむ、雇用契約を遵守することや労働者の健康管理に配慮することは、この国では非難の対象であり、むしろ契約を反故にすること、健康を害することを恐れず無理を強いることが国民の望みのようです。

 戦後最長の景気回復が続く中で労働分配率は下がり続けていますが、それでも高い労働分配率を維持し、勤務者にしっかりと報酬を払い続けている業界もあります。よく頑張った!と褒めてやりたいところですが、こうした業界も挙国一致で非難の対象です。この国民の非難に応えるためには、労働分配率の高さを改める必要があるというわけですね。

 待遇がよい、恵まれていると言うことは非難の対象です。そして反対に、給与の引き下げや業務負担の増大といった待遇の悪化は歓迎されます。例えば同意のない一方的な給与カットや、トイレ掃除などの契約外の業務の強要といった行為は、基本的に歓呼の声を以て迎えられますし、「いいぞ!もっとやれ!」とさらなる継続すら求められるわけです。それが他人のものであるならば。

 あなたの隣人は待遇面で恵まれすぎており、甘えている、それは悪しきことであると考え、隣人の給与削減や仕事量の増加、諸々の不当労働行為に脅かされたときに、それは当然のことだと考えるとしましょう。ところが、隣人を道徳的に断罪しているつもりでも、実はあなたもまた隣人から道徳的に断罪されており、あなたの待遇の悪化は隣人によって当然視されているのです。

 待遇改善に反対しているのは、実は政財界だけではなく、国民もしくは世論なのです。そうでしょう? どこかの業界なり職種なりが、高い給与を受け取っていたり、ゆとりある働き方をしていたり、あるいはどこかの組合なり団体なりが、待遇改善を勝ち取ったり、経営側の不当要求をはねのけたり、そうしたときに最も声高に道徳的な非難を掲げるのは誰でしょうか? それは政界でも財界でも、御用学者ではないのです。

 他人の労働の価値を認めず、その待遇改善を非難し、より厳しい環境で働くことを切望する、こうした「国民の声」を聞き届け、応えた結果が今に至るわけです。(相対的にではありますが)最も国民から支持されている政党が国民の声に応え、その切望したものを与え続けることによって自らは支持を獲得し、国民達はその隣人が絶望したとおりになる、その繰り返しが今日なのです。誰か顔の見えない「悪い奴」のせいでこうなったのではなく、自ら望んだからこそ……

 

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他人にトイレ掃除させるのが好きな人たち2

2008-02-27 23:23:00 | ニュース

トイレ清掃は市職員で、年間6百万円の節約…兵庫・三木(読売新聞)

 財政難の兵庫県三木市は25日、市庁舎のトイレ清掃業務の民間委託を打ち切り、4月から職員で行うことを明らかにした。

 これにより年間600万円の支出を削減する。今後、職員組合との交渉が必要なため、当面は藪本吉秀市長ら特別職と、副課長以上の管理職が清掃する。

 庁舎のトイレは計35か所。これまで民間清掃会社が毎日清掃していたが、藪本市長が「トイレは来庁者だけでなく、職員も使う。自分たちで掃除をしたらいいのでは」と提案した。

 金物産業で栄えた同市は若者の流出などで市税収入が減少しており、25日に発表した2008年度一般会計当初予算案は前年度比5・1%減の283億8000万円となった。藪本市長は「汗をかく姿を市民に見てもらうことで職員の意識改革にもつなげたい」と話している。

 なんと言いますか、いるわけですよね、トイレ掃除が好きな人って。別に自分でやる分には結構なことなのですが、それを他人に強要することが好きな人が増えているようですから困ったものです。市長が変な宗教に嵌っているのでなければいいのですが。

 何でも、年間600万円の支出削減に繋がるとか。そりゃそうですよね、マクドナルドだってそう、アルバイトを減らして偽装管理職にその分の仕事を負わせれば、支出は減ります。市の予算からすれば0.02%に過ぎない600万という金額が有意な数値かどうかは疑わしいところですが、こうした小さな押しつけの積み重ねが組織の利益と過労死は育てられるわけです。

 それより心配なのは、今まで清掃業務を請け負っていた掃除のおばさんの今後です。まぁおばさんではなくおじさんやお兄さんかも知れませんが、何はともあれ清掃業者は得意先を失います。こんな時、経営側は不要になった非正規雇用従業員を解雇することで調整を図るわけですが、こうすることでまた一人、失業者が増える仕組みにもなっているのです。

 むしろ、直接雇用に切り替えるのが自治体のあるべき姿ですね、どうせ掃除のおばさんの取り分など微々たるもので、市が払う分から大幅に中抜きされているわけです。こうした労働環境を改善するための手っ取り早い方法は、自治体が直接、適正な賃金で雇用してしまうことです。日本は民間企業至上主義ですから、就労先としては民間企業一択ですが、ハローワークなど自治体の就労支援機関がまともな就労先を紹介できないのであれば、自治体が率先して雇い入れるのも責任の取り方なのです。ま、徹底して官を卑しむこの国では無理でしょうなぁ?

 さて、財政上は実質的に意味のない行為ではありますが、それでも敢行する意図としては、やはり自治体住民のご機嫌取り、世間への媚びでしょうか。とにかく日本では公務員であると言うだけで憎悪や軽蔑の対象ですから、そんな彼らに汚れ仕事を強要することで部外者の共感を呼べる側面はあるはずです。クラスの嫌われ者を率先していじめの対象とすることで、クラスの人気者になる、生徒に慕われる先生になる、それと同じ発想です。リンチの旗振り役は民衆のヒーローですから。

 しかし「トイレは来庁者だけでなく、職員も使う。自分たちで掃除をしたらいいのでは」という発言が信じられませんね。「トイレは社員も使う」という理由で自社のトイレを掃除している人っています? 個人経営の飲食店や商店はさておき、「普通の」と言える規模の会社で? もし自分達が使うものだから、などというトンデモがまかり通る会社、トイレ掃除まで業務に組み込まれている会社で働いているのなら、その会社には将来がないのでさっさと見切りを付けて転職先を探すことをオススメします。小中学校じゃないんですから、早く卒業するのが吉です。

 

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病気の子供はいないのか

2008-02-26 23:19:18 | ニュース

全盲装い生活保護 詐欺容疑で無職男逮捕 札幌(北海道新聞)

 運転免許の更新時に視力検査に合格しながら、全盲状態と偽って生活保護費の障害者加算分を不正受給したとして、札幌南署は二十五日、詐欺の疑いで、札幌市南区石山一の八、無職丸山伸一容疑者(50)を逮捕した。

 調べでは、丸山容疑者は昨年十一月から今年二月までの間、一定の視力があって視覚障害一級(全盲状態)の障害者手帳を持つ資格がないにもかかわらず、同市から生活保護の障害者加算分約十六万五千円を受け取り、だまし取った疑い。

 調べに対し、同容疑者は「自分は目が見えない」と容疑を否認している。

 生活保護の受給資格者の約1割が生活保護を受給し、その約1%が不正な受給者と見られています。不正受給者一人に対し、正当な受給者が99人、受給資格があるのに受給できない人が900人程度いる計算になりますが、新聞に登場するのはいつだって一人しかいない方です。貰えるべきものが貰えないことは問題ではないが、貰えることは許せないと、そんなところでしょうか。

 不正受給と言っても、その大半は収入増や健康状態の改善など支給額を減額される要因を申告しなかったことによるもので、こうした絵に描いたような不正受給者は本当にレアな存在なのですが、それゆえにこそニュースバリューもあるのでしょうか。ともあれ、99.5%と言う驚愕の徴収率を誇る給食費には僅かに及ばないものの、生活保護も正当な受給率99%と言うほぼパーフェクトに近い数値を叩き出しています。ここまで審査を厳格化するために要したコストは不正な受給による損失額を大きく上回るでしょうから、経営的には無能さの露呈でもありますけれど。

耳を疑うような台詞を数人の方から聞きましたのでご報告を。もうエントリーを立ち上げる気力も残ってない。

「少女暴行事件があってさめさんの活動も絶好調だよね/追い風だよね」というもの。どうやら少女暴行事件により反基地運動全般が盛り上がり、私が得をする、との考えらしいです。

 某所からの引用ですが、沖縄の少女暴行事件で、反基地運動には好都合だろうと、そう考えている人がいるわけです。なるほど、誰にでも通じる知名度の高いケースを例として持ち出すことが出来れば、話が進めやすくなることはあります。ただ、被害にあった人間がいるのに、それを歓迎することなど到底できませんね。誰も傷つかない、初めから事件が起こらないことが、最も望ましいのです。

 一方で、生活保護の不正受給はどうでしょうか? 生活保護受給者に対してネガティヴなイメージを植え付けることに躍起になっている人にとっては、小躍りするようなニュースでしょうか? 統計上は有意な数値とは言えなくとも、こうした特殊な例が大々的に報じられることで、不正受給があたかも頻繁に見られるケースであるかのような印象が作られます。データを語れず個別の例を挙げて印象論で勝負せざるを得ない人にとって、こうした具体例が追加されたことは歓迎すべきことでしょうか? 怒っているフリをして、攻撃材料が出来たと、その実は喜んでいませんか?と。

 沖縄の少女暴行事件や自衛隊の衝突事故など、それによって被害に遭う人がいる、そうしたケースは発生しないに越したことはありません。一方で生活保護の不正受給のケースですが、この直接の被害者って存在するのでしょうか? 金額にすれば全体の1%に満たない不正受給による財政上の要因から、受給の機会が制限される可能性とはどの程度でしょうか? 存在しうるとしても、その数は不正受給者と同程度の僅かな数であり、その数百倍の人は、それとは別の要因で受給を阻まれているわけです。

 人が不幸な目に遭うことを望んでいるかどうか、こうしたケースを前にするとはっきり判別できます。人が健康であることに、人の目が見えることに怒りを露わにしている人は、いつだって本心では、人が不幸になることを願っています。それが社会保障受給者であろうとなかろうと、どちらでも同じことです。社会保障受給者が不健康でなければ納得できない、健康であることは許せないと、常日頃から他人を呪い続けている人がいるわけです。相手が誰であれ、目が見えるのであれば、それは見えないよりは結構なことなのですが。

 

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キングカズとは関係ありません

2008-02-25 23:01:30 | ニュース

「ロス疑惑」の三浦元社長、27年を経て米で逮捕(読売新聞)

 米国ロサンゼルス市警は23日、27年前のロス疑惑「 一美 ( かずみ ) さん銃撃事件」で殺人罪などに問われ、最高裁で無罪が確定した元輸入雑貨会社社長、三浦和義容疑者(60)を22日午後、渡航先の米自治領サイパン島で一美さん殺害の容疑で逮捕したと発表した。

(中略)

 米国では原則として殺人罪に時効はなく、また、日本で無罪になった事件でも訴追することができるが、日本で無罪が確定した三浦元社長の逮捕にこの時期に踏み切った詳細な理由は不明。ロス市警は発表文で「捜査の網をかいくぐってきた殺人容疑者が、ようやく捕まった」としているが、今後、起訴されるかどうかの見通しを含め、報道機関の問い合わせには応じていない。

 私の世代ですと、三浦カズヨシと言ったらキングカズ以外にあり得ないのですが、そのカズさんを差し置いてテレビを賑わせているのが三浦和義氏です。還暦を迎えても尚、なぜ氏がキングカズを差し置くほどの知名度と話題性を誇っているのか私の世代にはわかりにくいのですが、ちょっと調べた限りでは、ある種のメディアスターのようなところもあるようですね。まさしくメディアが「作り上げた」わけです。

 最高裁の判決が下された頃には、まだ「疑わしきは罰せず」の精神も生き残っていたのでしょうか、今の法廷であったら果たして判決はどうなっていたか、興味深いところでもあります。確たる証拠のないまま、当然のように氏を犯人視する報道機関、個人ブログも多々あるわけです。過去の世論も似たようなものかも知れませんが、世人の見守る中で最高裁が判決を下した今となってはどうか? 法の定めるところを超えて人を罰しようとする情熱の高まりを抑えられない今だからこそ、判決を無視してでもクロと信じたい人が多いような気もします。

 ここで問題は、氏が日本とアメリカで、二重に裁かれようとしていることです。あまり公正とは言えませんが、さりとて罰が重くなりさえすれば満足できるのか、疑問を投げかける声は決して多くありません。これがもしアメリカではなく中国なり韓国なりであったなら、反応は大きく異なったでしょうけれど。

 日本人が、アメリカで起こした疑いのある事件で、ともすると両国に関わりがあるように見えます。しかし一つの事件で一人の人間を裁くのに、それぞれの国が別々の制度で裁くとしたら奇妙なものです。人権上の明らかな問題がある国の裁判ならともかく、一応の法治国家同士であれば、どちらか片方で済みそうなもので、さてどちらの国が裁くべきなのでしょうか?

 日本の場合「属人属地主義」などと言うらしいです。日本人である、もしくは日本国内で起きた事件である、このどちらかの要件を満たせば日本で裁くとか。一方アメリカの場合は「属地主義」だそうで、国籍にかかわらずアメリカ国内で起きた事件を対象とするようです。この基準の違いもあって、三浦容疑者の場合はちょうど、重なり合う部分にいたわけですね。

 例えば反対のケース、日本でアメリカ人が事件を起こしたケースなどを考えてみるとどうでしょうか? もしアメリカが日本同様に属人主義であったなら、容疑者の審理がアメリカで進められ、アメリカで無罪判決が出ることもあるのでしょうか? その場合の日本の対応は? 立場を入れ替えて考えてみると、印象も随分と変わってくるような気がします。

 

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平山衝撃!カズさん逮捕された?(スポーツニッポン)

 日本の情報に飢えていたU―23日本代表のFW平山は米国遠征から帰国後すぐに売店に飛び込んだ。そして目当ての漫画雑誌を探し「ない!」とショックを受けると三浦和義逮捕の記事が1面に載るスポーツ紙を見て「え?」とまたショック。尊敬する横浜FCのFW三浦知良と人違いであることが分かると「ロス疑惑?知らないです。生まれてないもん…」とつぶやき「ここからまた頑張ります」と気を取り直していた。

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黒猫と郵便局

2008-02-24 22:58:18 | ニュース

メール便で「信書」78万通 総務省、ヤマト運輸を指導(朝日新聞)

 ヤマト運輸が昨年夏、郵便法で郵便事業会社だけに扱いが許されている「信書」約78万通をメール便で届けたとして、総務省は22日、ヤマト運輸に再発防止を求める文書を送り、行政指導した。郵便法違反での文書による指導は、01年に旧郵政省から郵便事業庁が分離して初めて。信書の差出人である日雇い派遣大手グッドウィルに対しても近く口頭で指導する。

 ヤマト運輸が送ったのは、グッドウィルが天引きした給与の一部の返還手続きについて、派遣労働者に知らせるための文書。総務省は「特定の受取人に差出人の意思または事実を伝える」という信書の定義にあてはまると判断した。グッドウィルにとっては、メール便で送ることで郵便より割安になったとみられる。

 ヤマト運輸は「まだ文書を受け取っていない」としつつも「一般論として、多数に一斉に同じ内容の文書を送るものは信書ではないと考え、仕事を受けている」と反論している。

 郵便法は、通信の秘密の保護と全国一律サービスの維持を理由に、信書の扱いを制限している。

 信書の定義が曖昧と言うべきか、わかりにくいと言いますか、ヤマト運輸は信書ではないとして配達したものを総務省は信書だと判断し、行政指導に至ったようです。引用元の取材時点でヤマト運輸は「まだ文書を受け取っていない」そうですが、そろそろ届いたでしょうか? 届いていなかったらお笑いですね。ヤマト運輸としてはこれを逆手にとって、メール便の方が安くて早くて確実と宣伝するといいでしょう。

 それはさておき、信書の差出人はあのグッドウィルだそうです。またグッドウィルか、と言う気がしないでもありません。ともあれグッドウィルとしてはメール便の方が安上がりだからと、メール便で信書の疑いがある文書を送ったわけです。労働者に支払う金を減らすために法律を徹底して無視してきたグッドウィル社のこと、信書の疑いのある文書をメール便で送ることなど朝飯前なのでしょう。グッドウィルらしい、と言えばグッドウィルらしいですね。

 そのグッドウィルに対しては「近く口頭で指導する」とか。どうなんでしょう? ヤマト運輸とグッドウィル、どちらが悪いとかそういう問題でもないでしょうけれど、どうもヤマト運輸への指導がメインでグッドウィルに対するそれは二の次に見えます。一応グッドウィルにも注意しておくけれど、問題はヤマト運輸だと、そんな姿勢が見え隠れしています。

 要するに、問題視されているのは信書をメール便で送ったことよりも、ヤマト運輸が郵便事業を侵したことの方にあるようです。信書をメール便で送ったグッドウィルではなく、引き受けたヤマト運輸の方に指導の力点が置かれるのは、そうした思惑からでしょう。民営化したとは言え、総務省にとってはまだ身内意識がありそうです。

 民尊官卑としか言いようがないのですが、「民」を無条件に「官」の上に置く考え方が、あまりにも一般化しているわけです。ですから、何でも民営化すれば、それはよいことだ、改善に繋がると、無批判に信じられています。郵政事業の民営化も同様に、中身を問わぬままもてはやされました。「官」を「民」にすれば、とにかく向上に繋がるのだと、そう受け止められてきたわけです。だけど中身はどうでしょうか? 「官」が「民」になりさえすれば、それで満足ですか? 民営化の果たされた今は?

 

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議席はそれほど減っていないけど

2008-02-23 22:51:58 | ニュース

自民党員10年連続減 ピーク時の2割、110万人に(朝日新聞)

 自民党は22日、07年末現在の党員数を公表した。前年同期比7.5%減の110万2460人で98年から10年連続減。ピーク時の約546万人(91年末)の約2割にとどまった。党組織本部は「業界団体の自民党離れに歯止めがかからない」と見ている。

 98年から10年連続減だそうです。国民の所得と同じようなものですね。減り方は比べものにならないほど激しいですけれど。98年と言えば消費税増税で橋本内閣が大コケした年だったでしょうか? それなら党員が減るのも自然ですが、その後は自民党党首として戦後最高の高い支持を記録した総理が登場、選挙でも大勝を収めたにもかかわらず、党員は一貫して減少を続けているようです。

 自民党組織本部は不安視しているように見えるのですが、その割には党の議席獲得数は減っていないような? 党員の組織票が激減した分を、いわゆる無党派層がしっかり穴埋めしているわけですから党員減少の影響は今のところ目立ったものではありません。これは自民党離れが進んでいると言うより、自民党の支持層が変化したと見るべきなのでしょう。

 組織票の存在を強調する人もいるわけですが、確実な動員が期待できる党員の数は昔年の5分の1にまで落ち込んでいます。自民党なり自民党が後援する自治体の首長なりが選挙で勝利を重ねているのは、組織の力ではなく無党派層の手によるものだと認めるほかありません。今や自民党は特定集団の政党ではなく無党派層の政党なのだと。

 海の向こうでは党員投票による選挙戦が盛り上がっていますが、日本ではどうでしょうか? 日本において党員とは限られた一部の人たちでしかありません、党員とそうでない人の間には大きな溝があり、その投票傾向もまた違っています。先の自民党総裁選でも、自民党員は福田支持が多数派でしたが、非党員の自民党支持層は麻生支持が強かったわけです。

 政治に対して主体的に関わっていくことを道徳的に否定し、政治に対して距離を置くことを健全と考える、「政治」の指し示すところが具体的であればあるほど、その傾向が強まるのではないでしょうか。特定政党に属さないなど、政治から距離を置く、そして政治に関わっている人の決断に対して、自分達の責任ではないと考える、「奴ら」が密室で考えたことだ、と。

 自らを「中道」だと盛んに強調する人は、自分の偏りに無自覚であり、その人の独善性を強調しているに過ぎません。では特定政党への関わりや支持を持たないことを強調せずにはいられない人は? 自分は○○党の党員ではない、○○党の支持者ではないと、わざわざ断り書きを添えたがる人もまた少なくないわけですが、それは他人に披露するようなことなのでしょうか?

 政治に主体的に関わっていくのであれば、どこかで自分の立場を見つけなければなりません。その一方で、政治の「外」に立とうとする人が多い―――責任を負う覚悟のない人が多いわけです。しかし、軍事独裁政権が力ずくで今の日本を築いたわけではありません。国民の選択の結果としてこうなってしまったのだと言うことを、我々は意識する必要があるでしょう。

 自民党支持層にも自民党政治がもたらした結果を歓迎しない人が圧倒的に多いわけですが、そこへ至る選択をしたのは誰なのか? 組織票を理由に、自分達の意思とは無関係にそれが行われてしまったと、そう思いこむのは簡単です。しかし、今や天下の自民党でさえ党員数の激減に歯止めがかけられず、無党派層の浮動票が頼みの綱です。そして、そうした無党派層の票に支えられて権力を得た政府が今を作っています。その政府がもたらした結果を引き受ける覚悟が持てないから、与党に投票しているのに党員にはならない、そんな人が増え続けているのでしょう。

 

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花粉の季節

2008-02-22 23:48:30 | 編集雑記・小ネタ

 なんと言いますか、働いていると5日という日数がいかに長いかを痛感しますね。同時に2日という日数がいかに短いかも実感するわけですが。今のところはデスクワークですし、残業もそんなにないので疲れる要素はないのですが、このところは妙に体がつらいです。気を張り詰めているうちは何とか持ちますが、気を緩めると、立ったままでも意識が飛びそうになる始末……

 元より体力がないわけですが、この頃は花粉症対策で薬を手放せない日々ですので、その副作用もありそうです。薬を飲まなきゃ飲まないで、余計に症状が酷いのでやむを得ないところですが、体に力が入りません。

 例によってこの時期は鼻水が止まらないのですが、鼻をかむかかまないか、地域差と言いますか文化の差と言いますか、色々あるような気もします。文化圏によっては鼻をズルズルとすすっていることが恥ずかしいこととされる一方で、文化圏によっては鼻をかむことが恥ずかしいこととされるところもあるのではないでしょうか。日本国内でも地域によって大きな差があると思います。私の通った中学校では鼻をかむという行為は人としての尊厳を放棄する恥ずべき行為と信じられていたので、校内で鼻をかむだけで学校中に名前が知られるほどでした。これはかなり極端な例でしょうけれど、絶対に鼻をかまないように努めている人って、意外にいるのかも知れません。大学の頃も、後ろの席の人が始終ズルズルと鼻をすすっていたのでティッシュを差し出したのですが、怪訝な顔をされたものです。「鼻をかむ」という発想がなかったのでしょう。

 大学時代と言えば、鼻をかんだ後ちり紙を捨てる場所がありませんでした。ゴミ箱なんてそう容易く見つかるものではありません。仕方がないからポケットにしまい込むのもやむなしと言うところですが、私はいつも吸い殻入れに押し込んでいました。煙草の吸い殻入れでしたら、目の届く範囲に必ずありましたから。

 一時期、駅からゴミ箱が撤去されていた頃もありました。オウム真理教のサリン事件の影響だったでしょうか、テロ対策と言うことで、何かを隠すの使えそうなゴミ箱は封印されてしまったわけです。そんなわけで、ここでも吸い殻入れの出番です。鼻をかんだ後のちり紙は、速やかに吸い殻入れに投入します。どっちも燃えるゴミだから(゜ε゜)キニシナイ!!

 まぁなんでしょうか、他はダメなのに煙草だけは専用のスペースが用意されている優遇ぶりが妬ましいですね。煙草ばかりを特権的に優遇するのはいかがなものか、ここは煙草以外の趣味を持っている人のためにも、それ専用の設備を用意した方が多様な価値観に対応できるというものです。喫煙者のために喫煙所や喫煙室を用意するなら、ポルノ愛好家のために駅や学校、職場にはポルノの鑑賞室を備えるなど、喫煙以外の嗜好を持った人にも偏りなく配慮できるようにならねばなりません。

 

 ←∵ゞ(≧ε≦o)ぶえっくし

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自衛隊は前を見ない

2008-02-21 23:05:28 | ニュース

「生存の可能性おそらくない」自民・笹川氏が発言(読売新聞)

 自民党の笹川尭・衆院議院運営委員長は20日、同党本部で記者団に対し、イージス艦衝突事故で行方不明になっている漁船乗組員2人について、「残念ながら、今の季節は生存している可能性はおそらくない」と述べた。

 俄には信じがたいことが色々と起こっていますが、その後の対応も杜撰なものだらけです。事故発生後、速やかに救助活動に移行しなかった自衛隊もアレですが、この笹川氏の発言、とても正気とは思えませんね。別に楽観論をぶち上げろとは言いませんが、救助活動を続けている最中に人前でこんな事を口に出来る神経が疑われます。

「危機管理意識が欠如」 首相、メルマガで自衛隊批判(朝日新聞)

 福田首相は21日配信の「福田内閣メールマガジン」で、海上自衛隊のイージス艦が漁船と衝突した事故について「これだけの重大事について連絡が遅れたことは、危機管理意識が欠如していたと言わざるを得ない」と防衛省と自衛隊の対応を批判し、情報伝達のあり方の見直しを徹底する考えを表明した。

 首相は「国民の生命を守るべき自衛隊が、このような事態にいたったことが悔やまれてならない」とし、「緊急事態に常に備えるべき自衛隊の艦船が漁船と衝突するという事態は、やはり緊張感が欠けていたとのそしりを免れない」と断じた。

 厚労省の年金記録問題の時と同じような疑問をここに感じます。例えば企業の場合であれば、重大な不祥事が起こったとき、確かにトップは現場を批判するでしょう。何をやっていたんだ!と。ただ、それはあくまで社内でのこと、外に向けてはトップが自分の非として謝罪するのが一般的な責任論です。仮にもし企業が深刻な不祥事を起こしたとき、最高責任者がやらかした現場をつるし上げ、「こいつらが悪いんです」「厳しく叱っておきますから」などと言い出したらどうでしょうか? 福田とか舛添は、それを平気でやります。

謝罪に向かう石破防衛相の車が事故 けが人なし 千葉(朝日新聞)

 イージス艦「あたご」と衝突した漁船清徳丸の所属する漁協などに謝罪するため、千葉県勝浦市の川津港に向かっていた石破防衛相を乗せた防衛省の公用車=自衛隊員(30)運転=が21日午後3時35分ごろ、同市墨名の国道128号交差点で、同市の無職女性(30)の乗用車と衝突した。けが人はなかった。石破防衛相は公用のマイクロバスに乗り換え、予定より約15分遅れて同港に着いた。

 勝浦署の調べでは、公用車が右折しようとしたところ、対向の女性の車とぶつかったという。同署は、運転の自衛隊員が前をよく見ていなかったとみている。

 さて、不謹慎ながら吹き出してしまったのがこちらのニュースです。前を見ないで運転するという発想がよく分かりません。もしかして、自衛隊では乗り物に乗ったら前は見ないように指導されているんですか? 陸の上でも、相手が道を空けてくれることに期待してるのでしょうかね? 不運な事故ではなく、起こるべくして起こった事故のようにすら感じられてしまいます。

 ただ「自衛隊員は前を見ない」と言うのは、ある意味では自衛隊の本質を的確に表しているような気がします。ほら、自分達は脅かされているという被害妄想に基づき、仮想敵との戦いに備えて訓練に励むのが自衛隊です、彼らが常に見据えている標的は頭の中にいるのであって、目の前にいるわけではないのです。彼らが見ているのは、その場で起こっていることではなく、存在すると教え込まれた「敵」の姿、ならば自分の目で前方を確認する必要なんてありませんね。

 

 ←乗り物は前を見ながら運転しましょう

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猥褻でなければ意味などない

2008-02-20 23:15:26 | ニュース

男性器映る写真集「わいせつでない」 最高裁判決(朝日新聞)

 米国の写真家、ロバート・メイプルソープ氏(故人)の写真集について「男性器のアップの写真などが含まれており、わいせつ物にあたる」と輸入を禁じたのは違法だとして、出版元の社長が禁止処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の上告審判決が19日あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「写真集は芸術的観点で構成されており、全体としてみれば社会通念に照らして風俗を害さない」とわいせつ性を否定。請求を退けた二審・東京高裁判決を破棄し、輸入禁止処分を取り消した。

 同じ作品を含む同氏の別の写真集について、最高裁は99年に「わいせつ物にあたる」として輸入禁止処分は妥当と判断していた。今回の判断には、わいせつをめぐる社会の価値観が変化したことが影響しているとみられる。

 最高裁は既成の権威に寄り添った判決を出すのが仕事だと思っていましたが、意外や高裁の判決を覆す形となりました。まぁ良かったんじゃないでしょうか。

 それはさておき、判決の理由が気に入りませんね。芸術であって猥褻ではないそうです。せっかくのご開帳を猥褻ではないと言われては、モデルさんもがっかりして萎えてしまうのではないでしょうか? 「ところで俺のチンコーを見てくれ。こいつをどう思う?」と張り切って出演したのに、猥褻ではなく芸術だなどと言われてしまう、モデルさんとしては自分の性的魅力が否定されたも同然でしょう。

 猥褻か芸術か、そんなことは問題ではありません。そんなことより大切なのは、エロを受け容れるか排除するか、そっちです。性器の写真の輸入が認められたと言っても、そのエロの部分が否定され、芸術としての受け入れであったならば、エロの拒絶には変わりありません。何かを変えるとしたら、猥褻物として、その性的魅力を評価した上で堂々と受け容れるべきなのです。

 そもそもエロの商業的な流通量はさておき、エロの占める社会的な地位は低下の一途にあるのではないでしょうか? エロに対して肯定的なものとして向き合うのか、それとも否定的なものとして日陰に追いやろうとするのか、後者の占める割合が圧倒的に強くなっているのが現代です。

 聞くところによると、江戸時代は遊女が聖女のように崇められることもあったそうです。性的な魅力を持つことは素晴らしいことと、肯定的に評価されたわけですね。ところが現代では、性産業従事者は欲望の対象とはなっても尊敬の対象とは決してなりません。エロには絶えず疚しさがつきまとうのです。誇りを持ってエロに携わる人もいますが、そうした人が政治家や文化人などの権威に祭り上げられることはありませんし、むしろエロに携わったことが傷跡として蔑視されます。エロは隠すもの、しまい込むものとして位置づけられているわけです。

 それどころか、エロは罪であり、処罰の対象でもあります。性的な表現が規制されるだけではなく、時には個人が性的な魅力を持っていたことが非難の対象になるわけです。イスラム文化圏の中でも特に閉鎖的な地域と同じ考え方がこの国では少なからず通用します。例えばそう、レイプが発生したときに、何が罰せられるのか? 道徳によって罰せられるのは、レイプ犯ではなく、エロです。レイプの犯人が悪いのではなく、そこに性的な誘惑があったことが悪である、そして性的な魅力を放った人こそ罪が重いと、抑圧的な世界ではそう考えられるのです……

 エロスに黒い布を覆い被せ、後宮に閉じこめておきたいならそれも結構ですが、エロスに満ちた世界を望むなら今回の判決は不十分です。「社会通念に照らして風俗を害さない」などと判決が出ていますが、この抑圧的な風俗を害さないとは無力であると語っているに過ぎません。そうではなく、この作られた風俗を破壊して開放的な文化を取り戻すためには、「風俗を害す」ものこそ求められるのです。

 

 ンギモッヂイイ!

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