メアリー・スーの定義や認定基準などについては個人差があります。 |
概要
メアリー・スー(Mary Sue)とは
- 「スタートレック」の二次創作小説「A Trekkie's Tale」に出てくるオリジナルキャラクター
- 1を元とする、ある種のキャラクター造形を指す創作用語
- 2を元とする、小説「幼女戦記」に出てくるキャラクター
のことである。ここでは1,2について記述する。
1. オリジナルキャラクターとしてのメアリー・スー
「スタートレック」初代シリーズの二次創作小説「A Trekkie's Tale」に出てくるオリジナルキャラクターの名前。この小説はPaula Smith(ポーラ・スミス)という女性によって書かれたもので、1973年にファンジン(ファンらによる自主制作雑誌)内の一記事として発表された。アメリカ合衆国で発表されたものであるため原文は英語だが、2014年にネット上で邦訳もされている。
この、キャラクターとしてのメアリー・スーは、
- 原作の世界観をぶち壊すようなキャラクター設定
- 原作のキャラクターから過剰な好意や賞賛を受けている
- 原作のキャラクターを踏み台にしてご都合主義展開で活躍
- 原作キャラクター達に最大限惜しまれながら亡くなる
作品のタイトルから見てわかるとおり(Trekkieという語はスタートレックのファンを指し、否定的なニュアンスも含む)、これは当時の二次創作を風刺した二次創作である。もとより「(現代でいう)ドリーム小説」とその読者をこき下ろすために作られた作品なのだ。
いかにも「とんでもないご都合主義の痛いオリキャラが大活躍する話」のように思えるが、原文を見れば分かる通り原稿用紙1枚分もないあらすじのようなもので、言ってしまえば「厨が考えるスタートレックのオリキャラ作って見たwww」と言ったネタコピペのようなものである。
現代でいう「地雷」の概念や「アンチ・ヘイトもの」の作風、夢女子(オリキャラ・NL派)vs腐女子(原作キャラ・BL派)に代表されるような同ジャンル内での創作形態による対立構造が当時からあったことが伺える。
メアリー・スー成立の経緯
以下はメアリー・スーの初出である「A Trekkie's Tale」の作者Paula Smith氏のインタビュー。2章が成立の経緯、6章がA Trekkie's Taleの再録になっている。(外部リンク)
⇒ Transformative Works and Cultures Vol 6 (2011) Interview "A conversation with Paula Smith"
この言葉がスタートレックのファンダムに登場してからの経緯、そして生まれたファンの間での数々の衝突については、1991年にCamille Bacon-Smithが著した「Enterprising Women」という書籍の第4章において詳しく記載されている。
この書籍は以下のGoogleブックスのページから一部がプレビューとして閲覧でき、その閲覧可能範囲には第4章の中でも特にメアリー・スーに焦点を当てて記された節、「Re-creating the Adolescent Self: Mary Sue」が含まれている。興味がある方は参照されたい。(外部リンク)
さらにこの第4章は、ファンフィクション(二次創作小説)に関する重要な論述をまとめた2014年の書籍「The Fan Fiction Studies Reader」にも収録されるなど、ファンフィクションの歴史・動向を探る資料として一定の評価を受けている。
2. 創作用語としてのメアリー・スー
そこから転じて、「メアリー・スー」といえば上述のメアリー・スーみたいなキャラ、例えば夢主(ドリーム小説の主人公、原作キャラと恋愛する自己投影キャラ)や痛い最強オリキャラなどを揶揄するために使われるようになった。
男性の場合、海外ではマーティ・ストゥー(Marty Stu)やゲイリー・ストゥー(Gary Stu)とも呼ばれるが、日本の場合は男女まとめてメアリー・スーと呼ばれることが多い。
ただ、この言葉が極端に乱用された結果、メアリー・スーの意味は無秩序に広がり、正確な定義に関して一致した意見がまだないものとされている。(実際の定義例は後述)
実際のところ、元々が揶揄のために作られたものであることもあり、恣意的なレッテル、中傷として使われている状況である。果ては「メアリー書く奴は自分が大好き」「メアリー・スーの信者はファンとして質が低い」などという人格批判の文脈で使われることもある。
このような中傷めいた「メアリー認定」の攻撃から作者を守るために有志がメアリー・スーテストを制作することもあったが、逆に認定に悪用されてきた、という歴史もある。(そもそも読者が他人の創作に対して使うものではない、十数年前に作ったものなので現代の創作には適用できない、とテストのFAQに書かれているのだが)
単に「この作品はメアリー・スー的である」「メアリー・スーを避けました」とだけ言っても、「何が悪いのか」「どう改善したのか」の要点が伝わりにくい。ともすれば「傾聴に値しないただのレッテル」として無視されかねない。作品の欠点を指摘したいのであれば、具体的に列挙し批判した方が伝わりやすいだろう。
なお、メアリー・スーという言葉は「作者に対する警鐘」「創作における戒め」である、という説もある(かつてこの記事にそのような記述があった)。これは作者の自戒の範疇を超え、読者個人の好き嫌いでしかないものを一般化する方便(太宰メソッド)のようなものだった可能性がある。
日本における例
日本でのメアリー・スーの類例としては、「Kanon」の二次創作における相沢祐一の美化である『U-1』が有名である。詳しいことは該当項目を参照。「新世紀エヴァンゲリオン」の二次創作における碇シンジを美化した『スパシン』、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡の『HACHIMAN』などが存在している。
この他「俺TUEEEE」という類語が用いられることもある。
「最強主人公」を揶揄する言葉であること、厳密な定義がなく「〇〇の作品も俺TUEEEEなのか?」という議論をたびたび巻き起こすなど、メアリー・スーとほぼ同様に使われている。
また、メアリー・スーは日本ではパロディの題材としてもよく使用される。例えば「幼女戦記」にはそのまま「メアリー・スー」という敵キャラが登場する。
そういった「メアリー・スー的キャラ」はだいたい夢主を露悪的に誇張した悪役であり、「正義の主人公が悪の主人公=メアリー・スーを討ち滅ぼす」という反存在同士の激突が起きる。
これらは元々のメアリー・スーが風刺であったため原点回帰ともいえるが、「メアリー・スー要素」と「メアリー・スーのアンチ要素」を両方入れた結果、「異性に対してだらしないメアリー・スーを皮肉りながら主人公もハーレムを作る」のような状態になっていることもある。
なお、上記のように1970年代にアメリカ合衆国で生まれた言葉であるが、日本でこの言葉が広く知られるようになるまでにはかなりタイムラグがあったようだ。日本最大のインターネット掲示板であった「2ちゃんねる」の過去ログを検索してみると、2004年になって初めて「新世紀エヴァンゲリオン」や「GS美神」の二次創作小説の話題を扱うスレッドで「メアリー・スー」の言葉が使われ始めている。その他、前年の2003年に日本語の個人サイト(消滅済みのためInternet Archive)で「日本では知られていないが、海外ではこういう言葉が使われている」といった文脈で紹介している。
公式がメアリー・スー
二次創作ではなく、公式がメアリー・スー的なキャラクターを出してしまうこと。
ゲームの場合、多人数で作るのでシリーズタイトルごとに製作者も入れ替わるし、マンネリになっていると判断した制作陣が停滞した状況を打破するために新機軸を投入することもある。それが上手くいけばいいのだが失敗すると大きく批判されてしまうことになってしまう。
例えば、18禁武将美少女化戦国SLG「戦極姫」は初代は統一感が取れていないキャラクターやバグなどでクソゲ界を大いに盛り上げていたタイトルであったが不満点も徐々に解決し「3」以降はそれなりにユーザー達にも人気を拍するようになっていた。2015年発売の「戦極姫6」は新要素として二人の主人公を投入することを発表。蓋を開けてみたら、新主人公が戦闘内政にチートでユーザーには全く受け入れられないゲス野郎。この新主人公が旧主人公までを踏み台にして無双、ヒロイン達を食いまくるという話になってしまい炎上。結局は新主人公がクソという理由だけでこの年のKOTYエロゲ部門大賞を取ってしまった。あまりの不評に次作では存在が抹消されてしまい、シリーズの評価も暗転させてしまったというケースもあまりないだろう。(寸評などでもオリ主ものの最低系二次創作とまで言われている)
「スタートレック」においても、2作目「新スタートレック」に登場したウェスリー・クラッシャーという人物が、名前が原作者のミドルネームと同じという理由で「原作者自身を作品に登場させた」と解釈(邪推)され、最悪のメアリー・スーとして非難されている。ただし、ウェスリー自身は天才少年という設定だが既存のキャラクターを踏み台にして活躍するようなことはなく、メアリー・スー扱いを避ける為か物語の本筋から外されるような形で降板している。
メアリー・スーは悪?
このように「痛いキャラ」の典型例であるメアリー・スーは批判の対象になりやすく、「最強キャラそのもの」が痛い・悪として見なされることもある。夢要素の強い主人公を見境なく攻撃するために使われる場合もあり、上記のウェスリー・クラッシャーのようにメアリー叩きによって原作者が作品の軌道修正を余儀なくされた事例も存在する。
メアリー・スー呼ばわりを恐れて上手く創作ができない人(スー・フォビア、メアリー・スー恐怖症)も少なくなく、前述のCamille Bacon-Smithもその一人だったという。
しかし、定義が固まっていない以上、メアリー・スーが悪いかどうかを論じようがないはずなのだ。
実際には「最強キャラが大活躍」など、メアリー・スーの要素とされるものに当てはまる作品で評価が高い話はいくらでもあるし、逆に「非メアリー・スー」で面白くなかったり原作レイプな作品も数えきれないほどある。
作家側がメアリー・スー化を恐れてこれを避けるのは自由ではあるが、登場人物はあくまで物語を構成する一部でしかない。要はその人の使いようと個人の好みである。
メアリー・スーの定義例
前述の通りいったい何が「メアリー・スー」に該当するか、多くの説があり結論が出ていない。そのうえで、以下にそのいくつかに関する例を示す。
どれが実際のメアリー・スーであるか、そしてその定義に該当するかは主観である点に注意。
なおこれらの解釈例は、海外Wiki「TVtropes」を初めとした複数のウェブサイトを参考にしている。
メアリー・スーはあなたが嫌いな主人公のことである
もっともシンプルな定義。身も蓋もなく問答無用である。しかし中傷として乱用されたせいで無視されるようになってしまっている。
筆者はこの用法のせいでこの言葉はもはや陳腐化していると感じているらしい。
メアリー・スーは物語の出来を悪くするキャラクターのことである
上記に関連して、メアリー・スーは物語の整合性をなくし、世界観をぶち壊すようなキャラであると仮定している。例えば、活躍させるために不自然に周囲のキャラやリアリティを下げることによって、物語を破壊している存在がメアリー・スーだと指摘される。
実際にはキャラそのものより、話の展開も含めて問題だったりするわけだが、登場人物というのはその原因として注目されがち。
メアリー・スーは使い古された設定のキャラクターである
「NARUTO」のうずまきナルトは孤独な少年だったが、理解者や師匠に恵まれ、戦いの中で秘められた力を覚醒し、周囲に認められ、最後はヒロインと結婚として物語は終わる。
突然、彼はこう言われる。「暗い過去、秘められし血、本気を出すと姿が変わる、優れた指導者、最後はみんなに愛される、極めつけにはニンジャときた…、まるでメアリー・スーだ!」
残念ながらこれも上記二つに関連する別の主張である。その人が嫌いな特定の属性をあげつらうために、それをメアリー・スー的な陳腐さの表れの一つとして定義しているのである。
メアリー・スーであると批判された人間は、それが「単なる個人の好み」か「誰もが嫌うメアリー・スー」であるかを判断する客観的な視点が必要とされるであろう。
メアリー・スーは自己投影キャラである
よく使われる定義。文字通り、メアリー・スーは作者の分身であるという主張。
かつては自らのアバターを自分自身でメアリー・スーと呼ぶこともあったが、今では「こいつは作者の分身に違いない、だからメアリー・スーだ」という他者からの認定で使われることの方が多いだろう。
メアリー・スーは作者の自己満足である
上記に関連。これはメアリー・スーを、作者の満足のためにストーリーを都合よく回すためのキャラであると主張する。
「ファン」が求める物語のために物事や世界が都合よく回るというのは、基本的にはストーリーテリングの形式として受け入れられているところではあるが、「作者」にとって都合がいい、更にそれによって物語のクオリティが下がっている…と感じられたときに、それはメアリー・スーだと主張する人がいる。
例えば既存のキャラAを応援していたのに、より優れた設定を持つキャラBが新登場し、大活躍してキャラAの見せ場を奪ったとき、キャラAのファンはキャラBを「作者の自己満足で贔屓されている」としてメアリー・スーだと主張するかもしれない。
メアリー・スーは理想化されたキャラクターである
メアリー・スーは非現実的なほど有能であり、能力は無敵で欠点がなく、性格も過度にポジティブで明るい、ダメなほど理想化されたキャラだと主張している。
男性向けでも女性向けでもフィクションの多くの弱点がないキャラクターは、リアリティがない=現実逃避ではないか、というものである。
もっとも作品の出来に関わらず「完全無欠」のキャラは別に珍しくなく、それをメアリー認定するのは議論になりやすい。
メアリー・スーは失敗しないキャラクターである
上記に関連して、一般に軽い失敗はドラマを生み出し、最終的なカタルシスを倍増させるものであるところ、メアリー・スーは「ご都合主義」や「主人公補正」によって決して失敗しないという主張である。
他の定義より多少有用だが、完璧とも言い難い。
実際には全てのキャラクターは、「大失敗」と「大成功」の間のどれかを繰り返している。
どれくらいの失敗までならメアリー的なのかは、それぞれの人間の主観でしかない。
音痴なせいでカラオケルームで恥をかいたり、メシマズで彼氏が死にかけたり、デートに遅刻したせいで彼女が待ち合わせ場所でトラックに轢かれたり、汚部屋がバレてアイドル業が危うくなるのは失敗に入るのか。
その後の展開も問われる。細々失敗はしていても、物語に本当に重要なことに対しては常に成功していて、実際のところ取り返しのつかない失敗はしていないのではないか。
さらに言えば「展開上先に繋がる失敗」や「作者や読者に望まれた失敗」は、果たして失敗と言えるのか。
結局定義次第なわけで「こいつは(ほとんど)失敗しないから、主人公補正持ち・ご都合主義のメアリー・スーだ」という非難をされうるキャラばかりになってしまうだろう。
そもそも物語は「失敗」するより「成功」する方が普通は読者の満足度は高い。主人公に致命的な失敗をさせて読者を失望させては元も子もない。それに失敗しないキャラクターで人気者はいくらでもいる。
メアリー・スーは変化しないキャラクターである
上記二つに関連。ストーリー全体で著しい成長、変化、または発展を経験しない人物をメアリー・スーであると主張する。
メアリー・スーは理想化された完璧な人間であり、完成されていて失敗しないのだから、発展の余地がないキャラという仮定である。
メアリー・スーは注目の的である
これはメアリー・スーは、他のキャラからあまりにも多くの注目を集めすぎている存在であると主張している。
メアリー・スーに対して他のキャラが恋に落ちるなどの肯定的な反応の他にも、メアリー・スーが出会った全ての悪人がメアリーに強烈な憎悪を感じている、なども含む。
物語の全てのキャラクターが、自分の人生について心配するよりも主人公に執着する時間の方が長いようであれば、その主人公はこの理論によってメアリー・スーと主張されるだろう。
メアリー・スーは異邦人である
既存の世界をダイナミックに変える異邦人のキャラクターがメアリー・スーだと主張する。
例えば異世界人や異国人である主人公が原作の世界にはるばるやってきたり、漫画の世界に漫画の読者としての知識を持って転生するような話がそうだという解釈である。
メアリー・スーはオリジナルキャラクターである
オリジナルキャラクター、あるいはそのように見える人物をメアリー・スーだと主張する。
例えば、シリーズ作品やメディアミックス作品においてはたびたび「前作や原作の別の主人公」がいて、「新しい主人公」や「お助けNPC」などの立場で新キャラが登場するが、それらを「まるでメアリー・スーのようだ」などとして適用する。
どんなものでも少しはメアリー・スーである
基本的にメアリー・スーにいい意味あいはない。それにも関わらず、誰もがメアリー・スーが大活躍する面白い物語を見た記憶があるのではないか。そういった物語のキャラは不快なはずの「メアリーっぽさ」を大なり小なり持っているのに、どういうわけか面白い。
世の物語やキャラクターは、そのメアリー性の有無に関わらず、単なる「良い」「悪い」ではくくれないくらい千差万別の印象を読者に与える。
スタージョンの法則のように、常に絶対的なメアリー・スーはないという主張である。
メアリー・スーは説明しなくてもわかるものである
メアリー・スーとはなんなのか、メアリー・スーの何が悪いのか、説明しなくても自分で考えればわかるはずだ、という主張。
メアリー・スーはキャラクタータイプである
男ならハンサムで魅力的、若者、ベテラン、仲間に尊敬される、暗い過去。
女なら大和撫子、魔法使い、神秘的、動物に好かれる、悲劇的に死ぬ、暗い過去など。
基本的には「使い古された設定のキャラクターである」と同様、よくある設定をよくあるメアリー・スーと重ねただけである。
中二病と関連付けられることもある。
メアリー・スーではないとされるもの
何がメアリー・スーであるのかという考察が数多く行われたのと同様に、何がメアリー・スーでないのかという考察も行われてきた。
同様に主観的であり「個人的な好み」によって恣意的に適用されがち。
ファンに人気がある
実際の世界でファンの人気があればメアリー・スーではないというシンプルな主張。
Paula Smith氏が使っていたメアリー・スーという言葉の元の定義は、通常、これらの特性がキャラを退屈にしているとか、読んでも面白くないという主張を含んでいた。
(当記事からリンクされているインタビューを参照。「たくさんのひどい作品があり」「それをMary Sueと呼ぶようにした」と発言している)
「メアリーっぽさがあるが、観客が非常に広く楽しんでいるキャラクター」が実際にメアリー・スーであるかどうかについては、いまだ意見の一致をみない。
ただし、Paula Smith氏は「スーパーマンやジェームズ・ボンドもMary Sueに該当する」とも述べており、彼女の定義に従うならば現実世界での人気の有無はメアリー・スーか否かに関係無い事になる。
ファンに人気がない
上記に関連。
まず「世間で人気が出る作品やキャラはメアリー・スー要素(作者が自己投影してて痛い、質が低い読者に媚びている、主人公補正やご都合主義)がある」と仮定し、そこから「この作品やキャラはメアリー・スーではないから人気がない、なくても仕方ない」と主張する。
後述の「欠陥がある」「説得力がある」「平凡である」とセットで使われることも多い。
欠陥がある
弱点や致命的な欠陥があれば「理想的なキャラ」ではなく、従ってメアリー・スーでないという主張がある。「欠点が五つあれば免れる」など具体的な数字が出ることもある。
もっとも、弱点それ自体が、キャラクターを魅力的にするわけではない。
「メアリー認定」を避けたいがためここを誤解すると、キャラをしょうもないことで悩ませたり(美しすぎるせいで周囲に争いを呼ぶとか、強力な力を持っているのに本人はそれがコンプレックスだとか)、物語レベルでの欠陥を加えたり(両親を強盗に殺された暗い過去)、どうでもいい弱点(そのキャラは目つきが悪いが、別にそれで作中困ることはない)を付加したりする。
しばしば、キャラクターを作るときに弱点ばかりを意識し、ほとんどいいところがないキャラを作るという極端な状況になりがち。
説得力がある
物語中に十分な説明がなされており、話や設定が現実的で、説得力があればメアリー・スーではないという主張。
もっともこの主張は「この物語はフィクションです。登場する人物・団体・
例えば、ガリガリの少年よりマッチョの大男が活躍する方が「説得力」があるといっても、果たしてそんな彼でも背丈以上の超特大剣をブン回したり、巨大なモンスターの首を片手で引っこ抜くのが「現実的」と言えるだろうか。
平凡である
キャラクターが選ばれし者でなかったり、暗い過去や辛い体験がなかったりして、平凡な人物であればメアリー・スーではないという主張。
すなわち、天才やチートでなく努力家、モテモテでなく非モテ、幸運でなく不憫、美形でなく地味、若者でなく大人、空想でなく現実といった属性があればメアリー・スー認定は回避できるとするもの。
もっともこれは非メアリー・スーの決め手とはならない。「多少マシだけどやっぱりメアリー・スーだよね」と言われる可能性は残る。
この点を意識しすぎれば、平凡な主人公を大活躍させるために周囲の知能を下げたり化学現象を偶然起こす「ご都合主義」になったり、「自己投影キャラ」を批判したいという「作者の自己投影」が作中に入るなど、メアリー・スーを否定したために他のメアリー・スー要素が入るいたちごっこになりがち。
ジャンルによって免除される
特定のジャンルであればメアリー・スーは免れるという主張。
一次創作、 童話、神話、古典、スーパーヒーローのコミック、ロマンス小説、コメディやパロディ、およびその他の主人公であれば、メアリー・スーではないというもの。
立場によって免除される
最終的に倒される悪役、出番の少ない脇役、キャラ単体ではなく不特定多数が構成する組織、ゲーム化によって生まれたオリジナルなプレイヤーキャラなど、特定の立場であればメアリー・スーは免れるという主張。
メタ視点がある
メアリー・スーを意図的に扱い、メタコンセプトになっていて、「自覚がある」場合はメアリー・スーが無効であるという主張。
元ネタがある
元ネタがメアリー・スー要素を持っていたりメアリー的に活躍できる存在で、それに忠実に乗っ取っているのであればメアリー・スーではないという主張。
複数の原作や元ネタをクロスオーバーさせるような作品に置いて主張される。
キャラ本人だけでなく装備や能力など一部分を借用するだけのクロスや、人物ではなく現実に存在した事件・事象を元ネタにした場合も含む。
関連動画
関連項目
- 二次創作
- SS(二次創作)
- SS用語一覧
- オリジナルキャラ
- 原作レイプ
- ご都合主義
- デウス・エクス・マキナ
- U-1
- スパシン
- 俺TUEEEE
- スタートレック
- ぼくのかんがえた
- 世界の中心 メアリー・スー…フューチャーカード バディファイト(TCG・漫画・アニメ)のカード/モンスターの一つ
- 神様転生
- 夢女子
- SCP-1973-JP - 『メアリー・スーの怪物』。シェアード・ワールド『SCP Foundation』に登場するオブジェクト(SCiP)であり、自身が理想的な主役になるために周囲を改変する実体。
- 主人公
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「メアリー・スー」という語は、その語源から単なるレッテル貼りと取られやすく、キャラアンチ・認定厨・愉快犯などにより、罵り合いの呼び水になることもあるため、使い方にはご注意ください。
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