PPSh-41とは、第二次世界大戦においてソ連が開発・生産・運用した短機関銃(サブマシンガン)である。
概要
PPSh-41はソ連で開発された短機関銃である。使用弾薬は7.62mmトカレフ弾。マガジンは71発装填可能なドラムマガジンと35発入る箱形マガジンの2種類が使用できた。生産性を考慮して設計された短機関銃であったため、ソ連の生産能力と相まって大量に生産され、第二次世界大戦が終結するまでに500万丁以上が生産されたと言われる。
開発の契機はソ連とフィンランドの間に起きた冬戦争である。もともと、ソ連軍は短機関銃を重視しておらず、1939年2月には短機関銃の新規生産を停止していた程であった。しかし、この冬戦争においてフィンランドに侵攻したソ連軍は短機関銃を装備したフィンランド軍に苦戦する。森林という交戦距離の短くなる戦場で、フィンランド軍はスキー部隊を組織してソ連軍の列に襲いかかり、短機関銃で拳銃弾をばら撒くとあっという間に姿を消した。連射能力に劣る主力小銃では火力が足りず、火力のある機関銃は森林では取り回しに難があったため、ソ連軍がフィンランド軍の一撃離脱戦術に対抗するのは困難であった。結果、ソ連軍は少なからぬ損害を被り、兵士の血を代価として短機関銃の有用性を教えられたのである。
こうして短機関銃に注力することになったソ連軍であったが、従来ソ連軍が採用した短機関銃は機構が複雑で、大量に配備するとなるとコストがかかりすぎると分かったため、生産性を向上させた短機関銃が求められた。この求めに応じて銃器設計者のシュパーギン技師が開発したのがPPSh-41である。
PPSh-41は内部機構を従来の短機関銃よりも簡略化し、部品の一部をプレス加工で作ることでコストを下げている。また、銃身以外は熟練していない労働者でも作れる程度の部品とすることで、熟練工をPPSh-41以外のより複雑な兵器の製造に回すことができた。さらにコストを下げるだけではなく、PPSh-41はフィンランドの短機関銃を参考に大容量ドラムマガジンを採用して火力の増大をはかり、銃身カバー先端をナナメにすることで銃口の跳ね上がりを抑制するマズルブレーキとするなど、様々な新機軸が盛り込まれている。
制式採用後は、工場にとって作りやすく兵士にとって扱いやすい35連箱形マガジンの追加や、照準器の簡略化などの改良を受けている。
ソ連軍はこの短機関銃をプロトタイプの提出から僅か3ヶ月で制式採用とし、PPSh-41の名前を与えると、独ソ戦が始まったことも影響して猛烈にPPSh-41を生産する。1942年の4月には一日で3000丁を製造し、終戦までの総生産数は500万丁と言われている。で、大量に製造されたPPsh-41がソ連軍のあちらこちらにばら撒かれた結果、どの歩兵部隊でも必ずPPSh-41は持っているだの、タンクデサント兵に至っては全員がPPSh-41を装備していただのという逸話が残っている。
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