「ゾラン・ミラノヴィッチ」の版間の差分
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'''ゾラン・ミラノヴィッチ'''({{lang-hr|Zoran Milanović}}、[[国際音声記号|IPA]]:{{IPA| zǒran milǎːnoʋitɕ}}、[[1966年]][[10月30日]] - )は、[[クロアチア]]の[[政治家]]。同国[[クロアチアの大統領|大統領]](第5代)。同国[[クロアチアの首相|首相]](第10代)、[[クロアチア社会民主党]][[党首]]を歴任。 |
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[[ザグレブ]]で誕生。父は[[経済学者]]及び[[ユーゴスラビア共産主義者同盟]]の[[党員]]、母は |
[[ザグレブ]]で誕生。父は[[経済学者]]及び[[ユーゴスラビア共産主義者同盟]]の[[党員]]、母は語学講師だった<ref>[https://www.vecernji.hr/vijesti/milanovic-od-fakina-iz-kvarta-do-sefa-banskih-dvora-352579 ミラノヴィッチ氏の生涯 - vecernji.com]</ref>。自身の祖先は[[リヴノ]](現在の[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]])から来た移住者であると彼は語っている<ref>[https://ba.n1info.com/vijesti/a402358-milanovic-se-nasmijao-na-konstataciju-novinara-o-broju-glasova-iz-bih/ ミラノヴィッチ氏、ジャーナリストの声明に笑い - N1.com]</ref>。[[ザグレブ大学]]法学部卒業後、[[インターンシップ|インターン]]時代を経て、[[1993年]]からクロアチア[[外務省 (曖昧さ回避)|外務・欧州統合省]]職員として勤務していた<ref>[https://web.archive.org/web/20120124113754/http://www.zivotopis.hr/biografija/zoran-milanovic ミラノヴィッチ氏のプロフィール - zivotopis.com]</ref>。[[1994年]]に[[医学生]]だったサーニャ・ムシッチと結婚し、2人の子を儲けた。 |
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=== 政界へ進出 === |
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[[1999年]]、[[クロアチア社会民主党]]ヘ入党。一時は党の[[スポークスパーソン|報道官]]を務めていたこともある。[[2007年]][[6月2日]]に長年、党首を務めていた{{仮リンク|イヴィツァ・ラカン|en|Ivica Račan}}の辞任に伴い、臨時[[党大会]]が開かれた。 |
[[1999年]]、[[クロアチア社会民主党]]ヘ入党。一時は党の[[スポークスパーソン|報道官]]を務めていたこともある。[[2007年]][[6月2日]]に長年、党首を務めていた{{仮リンク|イヴィツァ・ラカン|en|Ivica Račan}}の辞任に伴い、臨時[[党大会]]が開かれた。党首選挙で数人の候補がいたが、最終的にイヴィツァの最側近であった{{仮リンク|ジェリカ・アントゥノビッチ|en|Željka Antunović}}候補との一騎打ちとなった。結果、828票対625票の投票差で党首に当選<ref>[https://web.archive.org/web/20131224101834/http://dalje.com/hr-hrvatska/zoran-milanovic-novi-predsjednik-sdp-a/49247 ミラノヴィッチ候補、優勢 - dalje.com]</ref><ref>[https://archive.ph/20130217191004/http://www.jutarnji.hr/zoran-milanovic-novi-predsjednik-sdp-a-/176907/ ミラノヴィッチ候補、新党首へ - jutarnji.com]</ref>。クロアチア社会民主党は同年の[[サボル (クロアチア議会)|議会]][[選挙]]にて、全153[[議席]]あるうちの56議席を獲得した。[[世界金融危機 (2007年-2010年)|世界金融危機]]では同国内の政府の対応が遅く、彼は十分な経済措置がなかったと政府に非難した<ref>[https://web.archive.org/web/20110817075213/http://www.novilist.hr/hr/Vijesti/Hrvatska/Rastrgali-zastavu-HDZ-a-zapalili-SDP-ovu-i-EU-a 国内で反抗議デモ発生 - novelist.hr]</ref> |
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[[2011年]][[11月]]の議会選挙で全151議席のうち、80議席を獲得。議会の承認を受け、彼は12月23日に首相ヘ就任した<ref>[https://www.vecernji.hr/vijesti/novi-clanovi-banskih-dvora-milanovicevih-21-359295 ミラノヴィッチ氏、首相ヘ就任 - vecernji.com]</ref>。[[2014年]]には[[同性結婚|同性婚]]の権利を保証する生活パートナーシップ法を制定。[[2013年]]には、念願だった[[欧州連合]]加盟 |
[[2011年]][[11月]]の議会選挙で全151議席のうち、80議席を獲得。議会の承認を受け、彼は12月23日に首相ヘ就任した<ref>[https://www.vecernji.hr/vijesti/novi-clanovi-banskih-dvora-milanovicevih-21-359295 ミラノヴィッチ氏、首相ヘ就任 - vecernji.com]</ref>。[[2014年]]には[[同性結婚|同性婚]]の権利を保証する生活パートナーシップ法を制定。[[2013年]]には、念願だった[[欧州連合]]への加盟を実現した<ref>[https://www.bbc.com/news/world-europe-23118035 クロアチア、欧州連合加盟祝福 - BBCnews]</ref>。 |
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[[2020年]][[1月5日]]、[[コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ]]を破り、大統領に当選<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/o/573458/ クロアチア元首相、大統領ヘ - 西日本新聞]</ref>。同年[[2月19日]]に就任した。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2024年4月24日 (水) 16:52時点における最新版
ゾラン・ミラノヴィッチ Zoran Milanović | |
ゾラン・ミラノヴィッチ(2021年)
| |
任期 | 2020年2月19日 – 在任中 |
---|---|
首相 | アンドレイ・プレンコビッチ |
任期 | 2011年12月23日 – 2016年1月22日 |
元首 | イヴォ・ヨシポヴィッチ コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ |
クロアチア社会民主党
党首 | |
任期 | 2007年6月2日 – 2016年11月26日 |
出生 | 1966年10月30日(58歳) ユーゴスラビア クロアチア社会主義共和国、ザグレブ |
政党 | クロアチア民主同盟 |
出身校 | ザグレブ大学 ブリュッセル自由大学 |
配偶者 | サーニャ・ムシッチ |
子女 | 2人 |
宗教 | カトリック教会 |
ゾラン・ミラノヴィッチ(クロアチア語: Zoran Milanović、IPA:[ zǒran milǎːnoʋitɕ]、1966年10月30日 - )は、クロアチアの政治家。同国大統領(第5代)。同国首相(第10代)、クロアチア社会民主党党首を歴任。
来歴
[編集]初期
[編集]ザグレブで誕生。父は経済学者及びユーゴスラビア共産主義者同盟の党員、母は語学講師だった[1]。自身の祖先はリヴノ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)から来た移住者であると彼は語っている[2]。ザグレブ大学法学部卒業後、インターン時代を経て、1993年からクロアチア外務・欧州統合省職員として勤務していた[3]。1994年に医学生だったサーニャ・ムシッチと結婚し、2人の子を儲けた。
政界へ進出
[編集]1999年、クロアチア社会民主党ヘ入党。一時は党の報道官を務めていたこともある。2007年6月2日に長年、党首を務めていたイヴィツァ・ラカンの辞任に伴い、臨時党大会が開かれた。党首選挙で数人の候補がいたが、最終的にイヴィツァの最側近であったジェリカ・アントゥノビッチ候補との一騎打ちとなった。結果、828票対625票の投票差で党首に当選[4][5]。クロアチア社会民主党は同年の議会選挙にて、全153議席あるうちの56議席を獲得した。世界金融危機では同国内の政府の対応が遅く、彼は十分な経済措置がなかったと政府に非難した[6]
首相
[編集]2011年11月の議会選挙で全151議席のうち、80議席を獲得。議会の承認を受け、彼は12月23日に首相ヘ就任した[7]。2014年には同性婚の権利を保証する生活パートナーシップ法を制定。2013年には、念願だった欧州連合への加盟を実現した[8]。
大統領
[編集]2020年1月5日、コリンダ・グラバル=キタロヴィッチを破り、大統領に当選[9]。同年2月19日に就任した。
2022年、ロシアとウクライナとの間で緊張が高まる中、ミラノヴィッチは報道機関とのインタビューで「私たちは(ウクライナの危機に)全く関係がない。クロアチアは有事の際、いかなる軍隊も派兵しない」と発言。これに対しウクライナ外務省は、クロアチアが独立の際に支援を行った過去の関係から激怒。駐在大使を呼びつけると「恥知らず」という厳しい言葉を使って抗議した。最終的に、プレンコビッチ首相が弁明することで事なきを得たが、二国間関係に傷をつけた格好となった[10]。
脚注
[編集]- ^ ミラノヴィッチ氏の生涯 - vecernji.com
- ^ ミラノヴィッチ氏、ジャーナリストの声明に笑い - N1.com
- ^ ミラノヴィッチ氏のプロフィール - zivotopis.com
- ^ ミラノヴィッチ候補、優勢 - dalje.com
- ^ ミラノヴィッチ候補、新党首へ - jutarnji.com
- ^ 国内で反抗議デモ発生 - novelist.hr
- ^ ミラノヴィッチ氏、首相ヘ就任 - vecernji.com
- ^ クロアチア、欧州連合加盟祝福 - BBCnews
- ^ クロアチア元首相、大統領ヘ - 西日本新聞
- ^ “「恩知らず」ウクライナを怒らせたクロアチア大統領の発言”. 中央日報 (2022年1月27日). 2022年1月27日閲覧。
公職 | ||
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先代 コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ |
クロアチア共和国大統領 第4代:2020年 - |
次代 |
公職 | ||
先代 ヤドランカ・コソル |
クロアチア共和国首相 第4代:2011年 - 2016年 |
次代 ティホミル・オレシュコビッチ |