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ゾラン・ミラノヴィッチ

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ゾラン・ミラノヴィッチ
Zoran Milanović

ゾラン・ミラノヴィッチ(2021年)

任期 2020年2月19日在任中
首相 アンドレイ・プレンコビッチ

任期 2011年12月23日2016年1月22日
元首 イヴォ・ヨシポヴィッチ
コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ

任期 2007年6月2日2016年11月26日

出生 (1966-10-30) 1966年10月30日(58歳)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
クロアチア社会主義共和国ザグレブ
政党 クロアチア民主同盟
出身校 ザグレブ大学
ブリュッセル自由大学
配偶者 サーニャ・ムシッチ
子女 2人
宗教 カトリック教会

ゾラン・ミラノヴィッチクロアチア語: Zoran MilanovićIPA:[ zǒran milǎːnoʋitɕ]1966年10月30日 - )は、クロアチア政治家。同国大統領(第5代)。同国首相(第10代)、クロアチア社会民主党党首を歴任。

経歴

初期

ザグレブで誕生。父は経済学者及びユーゴスラビア共産主義者同盟党員、母は語学講師だった[1]。自身の祖先はリヴノ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)から来た移住者であると彼は語っている[2]ザグレブ大学法学部卒業後、インターン時代を経て、1993年からクロアチア外務・欧州統合省職員として勤務していた[3]1994年医学生だったサーニャ・ムシッチと結婚し、2人の子を儲けた。

政界へ進出

1999年クロアチア社会民主党ヘ入党。一時は党の報道官を務めていたこともある。2007年6月2日に長年、党首を務めていたイヴィツァ・ラカン英語版の辞任に伴い、臨時党大会が開かれた。党首選挙で数人の候補がいたが、最終的にイヴィツァの最側近であったジェリカ・アントゥノビッチ英語版候補との一騎打ちとなった。結果、828票対625票の投票差で党首に当選[4][5]。クロアチア社会民主党は同年の議会選挙にて、全153議席あるうちの56議席を獲得した。世界金融危機では同国内の政府の対応が遅く、彼は十分な経済措置がなかったと政府に非難した[6]

首相

2011年11月の議会選挙で全151議席のうち、80議席を獲得。議会の承認を受け、彼は12月23日に首相ヘ就任した[7]2014年には同性婚の権利を保証する生活パートナーシップ法を制定。2013年には、念願だった欧州連合加盟へと[8]

大統領

2020年1月5日コリンダ・グラバル=キタロヴィッチを破り、大統領に当選[9]。同年2月19日に就任した。

脚注

公職
先代
イヴォ・ヨシポヴィッチ
クロアチアの旗 クロアチア共和国大統領
第4代:2015年 - 2020年
次代
ゾラン・ミラノヴィッチ
公職
先代
イヴォ・ヨシポヴィッチ
クロアチアの旗 クロアチア共和国首相
第4代:2015年 - 2020年
次代
ゾラン・ミラノヴィッチ