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イフシード朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イフシード朝
الإخشيديون
アッバース朝 935年 - 969年 ファーティマ朝
アッバース朝
イフシード朝の位置
イフシード朝の版図
公用語 アラビア語テュルク語
宗教 イスラム教スンナ派
首都 フスタート
ワーリー
935年 - 946年 ムハンマド・ブン・トゥグジュ
968年 - 969年アブル=ファワーリス・アフマド・ブン・アリー英語版
面積
2,000,000km²
変遷
建国 935年
ファーティマ朝のエジプト征服969年
通貨ディナール
現在 エジプト
リビアの旗 リビア
スーダンの旗 スーダン
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
ヨルダンの旗 ヨルダン
イスラエルの旗 イスラエル
パレスチナ国の旗 パレスチナ
レバノンの旗 レバノン
シリアの旗 シリア
トルコの旗 トルコ
エジプトの歴史

このテンプレートはエジプト関連の一部である。
年代については諸説あり。
エジプト先王朝時代 pre–3100 BCE
古代エジプト
エジプト初期王朝時代 3100–2686 BCE
エジプト古王国 2686–2181 BCE
エジプト第1中間期 2181–2055 BCE
エジプト中王国 2055–1795 BCE
エジプト第2中間期 1795–1550 BCE
エジプト新王国 1550–1069 BCE
エジプト第3中間期 1069–664 BCE
エジプト末期王朝 664–332 BCE
古典古代
アケメネス朝エジプト 525–404 BCE, 343-332 BCE
プトレマイオス朝 332–30 BCE
アエギュプトゥス 30 BCE–641 CE
サーサーン朝占領期英語版 621–629
中世
ムスリムによるエジプト征服英語版 641
ウマイヤ朝 641–750
アッバース朝 750–868, 905-935
トゥールーン朝 868–905
イフシード朝 935–969
ファーティマ朝 969–1171
アイユーブ朝 1171–1250
マムルーク朝 1250–1517
近世
オスマン帝国領エジプト 1517–1867
フランス占領期 1798–1801
ムハンマド・アリー朝 1805–1882
エジプト・ヘディーヴ国 1867–1914
近代
イギリス統治期英語版 1882–1953
エジプト・スルタン国 1914–1922
エジプト王国 1922–1953
エジプト共和国 1953–1958
アラブ連合共和国 1958–1971
エジプト・アラブ共和国 1971–現在
エジプトの旗

イフシード朝アラビア語 : الإخشيديون al-Ikhshīdīyūn)は、エジプトを支配したイスラム王朝935年 - 969年)。

概要

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エジプトは9世紀アッバース朝のエジプト総督が独立して興したトゥールーン朝905年に滅ぼされ、アッバース朝の支配が回復していたが、その直後より909年に西のイフリーキヤ(現チュニジア)で興ったファーティマ朝の侵攻に悩まされることとなった。スンナ派を代表するアッバース朝はファーティマ朝のイスマーイール派勢力の東進を防ぐため、バグダードからテュルク系のマムルーク軍人を送り込み、エジプトの防衛にあたった。

イフシード朝の始祖ムハンマド・ブン・トゥグジュはアッバース朝のエジプト守備隊の軍人で、935年にエジプト総督に任命されてエジプトの実権を掌握し、アッバース朝から半独立の政権を樹立するに至った。ムハンマドはアッバース朝からイフシードの称号を授けられたので、この政権をイフシード朝と呼ぶ。イフシード朝は黒人やテュルク系マムルークからなる奴隷軍人を集めて兵力を増強し、ファーティマ朝の侵攻を退けてエジプトの支配を安定させた。さらにシリアに勢力を広げて北シリアのアレッポを奪ったハムダーン朝と争い、パレスチナからダマスカスにかけての南シリアを確保した。

946年、ムハンマドが死ぬとその子孫が相次いでエジプトの支配者の地位を引き継いだが、いずれもムハンマドほどの実力を持たず、実権はその後20年以上にわたって宮廷の黒人宦官カーフール英語版が握った。イフシード朝はエジプトと南シリアの領土を保つことはできたが、968年にカーフールが死ぬと一挙に王朝の弱体化があらわとなり、イフシード朝は内部から崩壊した。翌年、ファーティマ朝の将軍ジャウハルが大軍とともに到来すると、全エジプトは国をあげてほとんど抵抗することなく降伏し、イフシード朝は滅んだ。

関連項目

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