コルト (剣)
コルトまたはコルタン、コルテーヌ[4][注 1](古フランス語: Corte, Cortain[6][注 2]、 "短い"の意[2][7])は、フランスの武勲詩等におけるシャルル大帝の家臣オジェ・ル・ダノワの剣。
『オジェの武勲詩によれば』、異教徒カラウーの「短い」コルトを譲り受けたとされる。しかし『ルノー・ド・モントーバン』によれば、オジェが王都エクス・ラ・シャペルの標石で試し切りしたとき半ピエ(6インチ)ほど毀れたので「コルタン」と命名した。サガではシャルルが王都で試した3振りのうち、鋼鉄に小傷しかおわせなかったので「礼節な」「クルト」と名付けられたとされる[注 3]。
コルタナ等とも表記[8]。
初期作品
[編集]オジェが「短い剣」を持つという伝承は相当古く、カスティーリャ語で書かれた『サン・ミリャン注記』(1060年ごろ成立)に、「短い剣のオジェーロ(オジェーロ・スパタ・クルタ)」[注 4]という二つ名が記されており[9]、コルタンという剣名にちなんだ綽名と推論されている[10] 。
武勲詩『ロランの歌』(11世紀成立)の最古現存本(O本=オックスフォード本、1125–50年ごろ)にこそこの剣名は現れないが、以後の稿本には、コルタン剣が言及される[11][注 5][注 6] 。
武勲詩『オジェの騎士道』(1194–1200年ごろ)には、騎士なりたてのオジェがこの剣を元の持ち主から得た経緯などが語られている[15][16]。また、これと同期かやや早期の武勲詩、例えば『アスプルモンの歌』(<1190年))や、『ルノー・ド・モントーバン』(別名『エイモン公の4人の息子』、1200年ごろ)にも言及される[17][19]。
剣の遍歴
[編集]フランス文学の伝承ではオジェ(→オジエ[20][注 7])は、異教徒ながらに礼節わきまえた騎士カラウー(Caraheu;[22][23] →カラヒュー[24])より譲り受けた剣とされる[25][注 8]。だがトマス・ブルフィンチによる現代再話では、シャルルがオジェに佩刀させた剣を妖精(→モルガナ)がすり変えたのだ、と書き換えられている[27]。
『オジェの騎士道』第1詩篇(「オジェの幼年時代」の部[29])によれば、 オジェはまだ騎士見習いで、しかも人質の身であり、剣も帯びずにサラセン人によるローマ侵攻の膺懲戦を傍観していたが、敗走した旗手アロリの具足を奪って戦に乱入する[30][31] 。活躍によりオジェは騎士のより叙勲を受け、シャルルマーニュ王は自分の剣を佩刀させる[32][33][注 9]。
継続する戦いで、異教徒の勇者インドのカラウーは[注 10]、オジェに一騎討ちの挑戦を送り、異教徒の王子サドワーヌ(→サドン)[37]対シャルロット王子で2組の一騎討がローマに流れるテヴェレ川の島で執り行われる運びとなる[38][39][40]。
カラウーの武器は、そもそも"野蛮なるブリュマダン"という名の剣であったが[42](ひとつの解釈[注 11] )、エスキュラブルという鍛冶師が20度において鍛え直した。大理石の切石で切れ味をためしたが、掌の長さほど欠けたので、刀身を縮めて打ち直した。よって「短い」を意味する[15][16] コルテまたはコルタンの名が冠されることとなった[6]。
騎士道的な異教徒カラウー[23]はこの剣でオジェと果たし合いをしたもの、横やりが入り決着はつかなかった。そしてオジェは、新手の異教徒の丈夫であるブリュナモン[注 12]と一騎打ちすることとなり、カラウーは剣などの具足および軍馬をオジェに貸し与えた[注 13][51][52][53]。
ルノー・ド・モントーバン
[編集]ルノー・ド・モントーバンの武勲詩(『エイモン公の4人の息子』、12世紀末)によれば、オジェは王都エクス・ラ・シャペルで剣を標石(perron)で試して、半ピエ(半足尺)欠けたので、ふさわしい名前として(「短い」を意味する)"コルタン(Cortain)"が与えられた、としている[54][55][注 14]。
北欧サガ版
[編集]古ノルド語の『カルル大王のサガ』第1部[注 15](1240年ごろ[57])には異なる入手経路が綴られる。
カルル大王(シャルルマーニュ)がマラキンという者から(身代金がわりに[58])3振りの剣をもらい受けたが[59][注 16][注 17]。三本ともガラント[64](ウェイランド・スミス[65])が七年かけた作であった[59]。このうち一本がクルト(=コルト)と名付けられた(以下詳述)[66]。
カルル大王が[注 18]王都アーヘンに帰参し、3振りの剣を鋼鉄の塊で[注 19]試したところ、1本目は鋼鉄ブロックをわずか傷つけクルト(Kurt)と名付けられ、2本目は掌幅以上ほど切り込んだので[注 20]アルマツィア(Almacia) 、3本目は足半分以上[注 21]ほどの切片を切り落としたのでデュルムダリ"(Dyrumdali)[注 22]と命名された[74][75][注 23]。
すなわちこの北欧作品においては、剣が短くなっておらず、「短い」という意味の剣名を得たことがうまく伝えられていない[78]。あえて古ノルド語でクルト("Kurt")の剣の意味を求めるとしたら、それは"礼節"や "騎士道"の意味となる[79]。
天使が制す
[編集]オジェは反逆の徒となるが、これはシャルロ王子が息子のボードワンをチェスの勝敗をめぐり殺したからである[82][83])。長年、シャルル王軍に対し抗戦するも、ついには俘虜となる。『オジェの騎士道』第9枝篇では、新たな異教徒軍に対抗できる軍人がいないフランス国は、オジェを釈放して頼みの綱にしようとするが、オジェの条件は辛辣で、シャルロ王子に対し息子の復讐を果たすことだった[84][85]。オジェがシャルロ往時をコルタンの剣で殺そうとしたその時、大天使ミカエルが降臨してこれをさえぎ、剣の刃をその手で制し[86]、処刑を阻止した[87][88]。
14世紀以降
[編集]この剣は、叙事詩の14世紀以降の改作版にも登場した。十音綴詩版ロマンス(1310年ごろ[89])や、アレクサンドラン韻律(十二音綴)詩版(1335年ごろ[90])、15世紀の散文物語版[91]にはいずれもカラウーがこの剣をつかってオジェと一騎討する場面が踏襲される[92]。散文作家もやはり天使が剣を制する場面を残すが、聖ミカエルではなく "天国よりの某天使"に変化しており[注 24]、オジエの剣の先端を取って止める[注 25]、など微変更もみられる[93]。後期の重版本では、章の冒頭に足された要約文に"首を切ろうとしていたのを、天使がその腕を制して.."とまとめているものがある[94]。
散文物語のデンマーク語翻案である『ホルガー・ダンスク年代記』(1534)でも、この剣(Kortone)に剣にまつわる物語は、踏襲される。また、この剣は、当時の人間が見ようと思えば、パリ郊外のモーに在するベント修道院(サン・ブノワ修道院)で目にすることができる、と記される[95][注 26]。デンマーク版にもやはり天使が剣をとめる場面(右図参照)が綴られる[96]。
アーサー王物語群
[編集]フランス語の『散文トリスタン』(1230–1235年開始、拡張・改作は1240年より後[97])にも言及があり、オジェはアーサーの騎士トリスタンの剣を引き継いだことになっている。この剣は、長すぎ重すぎたため、オジェは縮めて使い、コルテーヌ(Cortaine)と名づけた[注 27][3][98][99]。このフランス産の物語では、シャルル大帝がトリスタンやパロミデスなどの騎士の名剣を五本みつけ、臣下に分け与えたことになっている。パロミデスの剣はオジェにわたしたトリスタンの剣より優れているとみて自分の王剣とした[3]。
イタリア散文版の『タヴォラ・リトンダ(円卓)』(14世紀中葉-15世紀)は、おおよそ『散文トリスタン』を土台としているが、トリスタンの剣にヴィスタマーラ(Vistamara)という名がつけられており、世界でも追随をゆるさぬ最鋭利な剣だと書かれている[100][101]。この版では、シャルル(カルロ・マーニョ)は、アーサーの王国ログレスのヴェルツェッペ城[102][104]、五人の騎士像が、本人たちの剣を佩いていたのを見つける[105]。トリスタンの剣は重すぎて、唯一扱えそうなオジェ(ウジエ―リ)にゆだねられたが、初めて使ったときに先が折れ、コルタナ(Cortana)とい名がつけられてしまった[106][98]。
英国王室も、かつて伝・「トリスタンの剣」を所持しており[注 28]、ロジャー・シャーマン・ルーミスの説によれば、のちにカーテナ(クルテイン)と呼ばれた戴冠式の剣と同一である[99][107]。
注釈
[編集]- ^ クルテーヌ(Courtaine)が、より現代フランス語に近い形となるが、ジャン・ドゥートルムーズ『歴史の鑑』(1338-1400年)にこの語形で剣名があり、トリスタンよりオジェに伝わった旨を史実のごとく記載する[5]。
- ^ Corte(主格)の対格形がCortain[7]。
- ^ そして(半ピエの意か不詳だが)足半分の長さ以上、鋼のほうを切り落とした剣はデュルムダリ=デュランダルとなった。
- ^ Oggero spat curta
- ^ Cortein(C本、第CCCCXXI, CCCCXXXV歌章)[12]、Corten(V本、第CCCCXVIII, CCCCXXXII歌章)[12]。
- ^ Cortain, PTLら各本[13]、Cortaint[14]
- ^ 便宜上、ブルフィンチによる英文再話の和訳のカナ表記を→で表すこととする。
- ^ 1579年に印刷された散文物語でもカラウーが贈ったとある[26]
- ^ 上述したように、ブルフィンチは妖精モルガナ(モーガン・ル・フェイ)がこの剣をコルタナにすりかえたとする。
- ^ ブ氏再話では→モーリタニア王カラヒュ―[34]。原作によれば"それはカラウー、グロリアン王の息子、マルシルの兄弟、バリガンのいとこ(親戚)にて、総督コルシュブル(→指揮官コルスブル)の娘の豊髪のグロリアンド[の許嫁]、東洋の自慢の国インドの御仁 C'est Kareeus fix le roi Gloriant (Quinquenant),/Frère Marsille et cosin Baligant, Drus Gloriande, la fille l'amirant.. gent/D'Ynde la fière dessi en Orient"、787–792行とある。英文要約では "king Karaheut of India, lover of Glorianda, Corsuble the amiral's daughter"とあり[33]、グロリアンドが「愛人、愛し人」という表現になっているが、じっさいは婚約者(フィアンセ)[35][36]。
- ^ 異論として"野蛮なるブリュマダン[の]剣"とも解すこともできる。このときブリュマダンという人物については綽名以外不明(ただし剣鍛冶とは別人)ともとれようが[41]、他の論説者はブリュマダンこそ刀鍛冶の名と解説している[43][44]。後者の場合、エスキュラブルが鍛冶名という解釈[41]との齟齬(構文解釈的ズレ)が発生する。
- ^ 古フランス語: Brunamont de Maiolgre。ブリュナモンの出身地たるメオルグルについてはラングロワは地名特定していないが[47]、ラドローは(スペイン沖の)マヨルカ島に比定した [48]。異本では地元が"Calabre" (現イタリアのカラブリア州)となっている[47]。
- ^ 大雑把に記したが、細かいいきさつは次のようなものである。カラウーは正々堂々とした一騎討を望んだが、友軍が大挙して乱入したためオジェは捕獲されてしまった。カラウーはオジェの釈放を要求したがかなわず、自分がフランス軍に投降した。 総督は娘を婚約破棄させ、ブリュナモンへの褒美に与える意思を示したが、グロリアンド王女は反発し、捕虜のオジェに頼んで代理決闘を申し込ませた[49][50]。
- ^ この perron は『ロランの歌』でも「標石」と訳され、ロランがデュランダルが敵に渡らないよう打ちつける場面があり[56]。通常は「大きな岩の建造物」(Paul Meyer引き)の意か、以前は自然石を指したもの、とレオン・ゴーティエは解説するが、かつては石や岩でなくplancherとも言換えられれ、木の階段を刺したとしている。また、エクス・ラ・シャペルの王宮の鋼鉄の階段は、かつて騎士らが試し切りに使ったという伝承が残っているという(Gautier (1884), p. 271: "steel staircase"も参照)。
- ^ 第1部は王中心のサガであるが、第3部は『オジェの騎士道(幼年時代)』の翻案「デンマーク人オッドゲイルのサガ」である。
- ^ Malakins af Ivin; 訳 Malakin)は、幽閉された兄弟のアブラハム釈放と引き換えに剣を渡している。ゴーティエの注で「父親」の身代金とするのは[58]誤りで
- ^ マラキンがファベル王(Faber)に融資した担保として得た剣であって[59]、マラキンは高利貸[60]のユダヤ人とみなされている[61][58][62]。
- ^ まず身代の相手を釈放させてから。
- ^ 原典の単語はで、フリッツァーの辞書では(現代ノルウェー語)で「鋼鉄の山/丘」と定義され[67]、ハイアット英訳でも同義の"steel mound"とあるが、仏対訳本では「鋼塊(masse d'acier)」だがエビシェは「鋼鉄のブロック」(bloc d'acier)とみなしている[68] 。フランス語の『ルノー・ド・モントーバン』では上述したように perron(標石)で試したとあるが、ハイアット[69]はこれを "試し切り用の丘/塊 testing mound"と解している (典拠はミシュラン編ルノー[70])。 またレオン・ゴーティエの貴族の暮らしの再現話では、オジェの剣は、エクス都の"鋼鉄の階段"で試された、とする。[71]。
- ^ 英訳では"以上"を省くが、仏対訳本・編訳本では"larger d'une maine ou plus"。エビシェ解説は"La seconde fait dans l'acier une fente profonde de plus d'une main c'est Almace"とするが[68]、この言い回しだと「手」というより長さの単位「マン」=4インチとも解釈可能と思われる。
- ^ あるいは1/2 フィートか[72]、脚長さ半分以上[73]。
- ^ 英訳や仏対訳本では主格を Dyrumdali とみなすが、エビシェ仏訳ではデュルムダル Dyrumdal とする。
- ^ そもそも原文の古ノルドfótr は「足」とも「脚」ともとれる[76]。英訳では"rent more than half the length of a man's foot"で「足の長さの半分以上」とあるのに対し、仏対訳本では"moitié de la jambe d'un homme"で「人脚の半分」、エビシェ仏訳では"la troisième , et il tomba [de la masse] plus de la moitié d'une jambe d'homme"[77]と、脚半分以上のピースが「落ちた」とする。
- ^ 原文:ung ange de paradis
- ^ 原文:"retint le coup de l'espee d'Ogier et print l'espee par la pointe
- ^ おそらくモーにあった聖ブノワと伝・オジェが横臥する格好の石棺像を指している。
- ^ この場面はCurtis tr. (1994)による抄訳・要約本には所収されない。
- ^ ジョン王が"二本の剣、すなわちトリスタンの剣と同じ王族の別の剣 duos enses scilicet ensem Tristrami.. "を領収した勅許書をだしており、1207年の勅許登記簿に残されていた。
出典
[編集]- 脚注
- ^ a b c Langlois (1904) Table des noms, s.v. "Corte, Cortain, Cortein, Courte, Courtain"
- ^ a b 渡邉浩司「中世フランス文学における英雄の剣 ―ボードゥーの剣オノレをめぐって―」『人文研紀要』第93巻、中央大学人文科学研究所、2019年9月、240頁、CRID 1050846637596941312、ISSN 0287-3877。「オジエ・ル・ダノワ(デーン人オジエ)の剣「コルト(またはコルテーヌ)」は「短い」,」
- ^ a b c Löseth, Eilert (1890), Analyse critique du Roman de Tristan en prose française, Paris: Bouillon, p. 302
- ^ コルタンのカナ表記は確認できていないが、以下説明する。ラングロワの固有名詞事典では"Corte, Cortain, 以下"の見出しとなっており[1]、前者は「コルト」、後者は「コルタン」と(現代読みで)音写できる。渡邉はコルトまたはコルテーヌとするが[2]、後者は"Cortaine"が該当し、これは『散文トリスタン』(1240年より後の加筆部)における綴りである[3]。
- ^ Jodogne, Omer (November 1955), “Le Règne d'Arthur conté par Jean d'Outremeuse”, Romance Philology 9 (2, William A. Nitze Testimonial: Par I): 29, JSTOR 44938738 , "Quelques exploits de Tristan. - Item, l'an IIIe XCV,.. ssemblat Tristans, roy de Lonnois..; si entrât en paiis de Ybernie, dont Godolas astoit sires...Tristans aloit par la batalhe, si tenoit son espee, laqueile Ogier li Dannois oit longtemps après.. ly espee nommee Courtaine.."
- ^ a b 原典では剣名の初出は"Corte"、1663行であるが[45][1]、 "Courtain"と1860行にあり[46]、後者の綴りのほうが武勲詩全般においては多い。
- ^ a b Togeby (1969), p. 17.
- ^ トマス・ブルフィンチ & 市場 (訳) (2007)、(再話)『シャルルマーニュ伝説』第23–25章「オジエ・ル・ダノワ(1)〜(3)」、pp. 331–332。
- ^ Sholod, Barton (1966). Charlemagne in Spain: The Cultural Legacy of Roncesvalles. Librairie Droz. p. 189
- ^ Togeby (1969), p. 112.
- ^ Togeby (1969), p. 112; Togeby (1969), p. 17: C本(シャトールー本) 7774, 7988行; V本(ヴェニス写本 IV) 5792行; P本(パリ本)4074行; T本(ケンブリッジ本)3000, 5304, 5497行; L本(リヨン本)2735行。
- ^ a b Foerster ed. (1883), pp. 383, 393.
- ^ Foerster ed. (1886), pp. 194, 319, 330.
- ^ Foerster ed. (1886), p. 320.
- ^ a b Barrois ed. (1842) vv. 1647–1664. 1: 69.
- ^ a b Ludlow (1865), p. 256.
- ^ Togeby (1969), p. 52.
- ^ Brandin ed. (1919–1920), 2: 197: Corte 4687, 5302; Cortain 4678, etc., etc.
- ^ ラングロワの固有名詞事典では[1]、複数の武勲詩のなかにRM=Michelant編『ルノー』が記載される。またラングロワよりのちに刊行されたBrandin編『アスプルモンの歌』については、そちらの索引で確認可能である[18]
- ^ トマス・ブルフィンチ & 市場 (訳) (2007)、『シャルルマーニュ伝説』第23–25章「オジエ・ル・ダノワ(1)〜(3)」、pp. 325–360。
- ^ Langlois (1904), Table des noms s.v. "Caraheu, etc., etc..
- ^ ラングロワの事典ではCraheut, Karaheu, Karaheut, Karaheult, Kareeu"[21]。 また Karahues Karahuel も原典(バロワ編)にみえる。
- ^ a b Togeby (1969), p. 51: "païen courtois Karaheu".
- ^ トマス・ブルフィンチ & 市場 (訳) (2007), p. 332 ただしブルフィンチによればカラヒュ―からもらっていない。
- ^ 『オジェの騎士道』
- ^ Benoist Rigaud ed. (1579), p. 94: "Le Roy Caraheu parla à Ogier le Dannois &.. kuy donna courtain sa bon espee".
- ^ トマス・ブルフィンチ & 市場 (訳) (2007), pp. 327–328.
- ^ Togeby (1969), p. 46.
- ^ バロワが全12詩篇にわけて編集したが、研究者フォーレッチュ(Voretzsch)は同作品を全5章に分割し、第1章 「オジェの幼年時代 (Les enfances Ogier)」を第1枝篇(1–3100行目)に充てた[28]。
- ^ Barrois ed. (1842), pp. lxxi, 1–23, vv. 1ff; vv. 500–590ff
- ^ Ludlow (1865), pp. 249–251.
- ^ Barrois ed. (1842), pp. lxxij, 29–31, vv. 690ff, 747ff
- ^ a b Ludlow (1865), pp. 252.
- ^ トマス・ブルフィンチ & 市場 (訳) (2007), p. 332.
- ^ Barrois ed. (1842), p. lxxij: "Gloriande 1021; promise à Caraheu 1063"
- ^ 参照:Farrier (2019), p. 64, Adenet le Roi, Enfances Ogier, 要約
- ^ バロワ編本では Sadone の綴りが多く、バロワの冒頭要約でもこの綴りが用いられるが、Sadoine の異綴りもみられ(1904行)、ラングロワの事典はこちらを優先して見出しとする。
- ^ Barrois ed. (1842), pp. lxxij, 44–59, vv. 1063ff; Corte, Cortain vv. 1663ff; Les combattant passent dans l'île 1704ff
- ^ Ludlow (1865), pp. 254–258.
- ^ A写本の第188葉表 Caraheus accueillant Ogier dans l'île du Tibre の絵画を参照 。
- ^ a b c Langlois (1904), Table des noms s.v. "Brumadant: "Épée de Caraheux, forgée par Escurable".
- ^ 古フランス語: l'espée Brumadant le sauvage, 1647行。"カラウーの剣の名、エスキュラブル Escurable が鍛えたもの"という解釈は、ラングロワ事典に載る[41]。
- ^ Baron de Cosson (1891). “The Conyers Falchion”. Proceedings of the Society of Antiquaries of Newcastle upon Tyne 5 (6): 43 .
- ^ Baldwin, James (1888). “Adventure VIII. How Ogier won Sword and Horse”. The Story of Roland: His Heroes of the olden time. New York: Charles Scribner's sons. pp. 81–96
- ^ Barrois ed. (1842), p. lxxiij, 69.
- ^ Barrois ed. (1842), p. lxxiij, 77.
- ^ a b Langlois (1904) Table des noms, s.v. "Maiogre, Maiogres (1)"
- ^ Ludlow (1865), p. 259.
- ^ Ludlow (1865), pp. 257–260.
- ^ Barrois ed. (1842), p. 99および注4, vv. 2395–2397
- ^ Barrois ed. (1842) vv. 2633–2644. 1: 109.
- ^ Ludlow (1865), p. 260.
- ^ van Dijk, Hans (2000). Ogier the Dane. Boydell & Brewer. pp. 186–188. ISBN 978-0-85115-780-1
- ^ Michelant ed. (1862), p. 210; Castets ed. (1909), vv. 7960–7969, pp. 514–515
- ^ Gautier (1884), p. 522, note
- ^ 有永訳170歌節2271行、173歌節2312行
- ^ Togeby (1969), p. 82.
- ^ a b c Gautier (1872), p. 169.
- ^ a b c 『カルル大王のサガ』第1枝篇第43章。Unger (1860), p. 40。heimskringla.no版。Hieatt tr. (1975a), Part I, Ch. 43, p. 132。Togeby et al. (1980) Chapitre 40, pp. 88–89
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- ^ Paris, Gaston (1865). La chevalerie. Paris: A. Franck. p. 370
- ^ Aebischer (1972), p. 48: "Si Abraham est un inconnu , sans doute un Juif , Malakin , nom porté presque uniquement par des Sarrasins.."
- ^ Langlois (1904) Table des noms, s.v. "Galant, Galan (2)"
- ^ 古ノルド語: Galant。ガラン[ト](古フランス語: Galant)とはフランス文学における伝説的鍛冶[63]。
- ^ Hieatt tr. (1975a), p. 132(第43章)注2: "Weland, ..smith of Germanic legend"
- ^ 『カルル大王のサガ』第1枝篇第44章。Unger (1860), p. 40。heimskringla.no版。Hieatt tr. (1975a), Part I, Ch. 44, p. 133。Togeby et al. (1980) Chapitre 41, p. 89
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- ^ a b Gehrt, Paul (1899). “Zwei altfranzösische Bruchstücke des Floovant”. Romanische Forschungen 10: 265 .
- ^ Aebische tr. (1972), p. 131: " moitié d'une jambe"
- ^ Hieatt tr. (1975a), Part I, Ch. 44.
- ^ 1/2 フィート(長さの単位)解釈については、Gehrt (1899) がサガでデュランダルが"半フス(フィート)断ち切り落とした"としており、また、武勲詩『ルノー』でも同じ表現を使ってクルタンが"半フス(フィート)撃ち切り落とした"としている。そして武勲詩では原文が"半ピエ demi pié"とあり1/2 フィート単位ととるのが妥当である。("drei von Galant.. den dritten, besten, der einen halben Fuss Stahl herunterhaut" (Karlamagnussaga) vs. "drei Helden, zuerst Roland, dann Olivier, dann Ogier. Der letztere.. einen halben Fuss herunterschlug").[72]
- ^ Lindow, John (2002). Norse Mythology: A Guide to Gods, Heroes, Rituals, and Beliefs. Oxford University Press. pp. 242. ISBN 9780198034995
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- ^ Togeby (1969), pp. 148.
- ^ Togeby (1969), p. 221: "XVIII. Le Roman d'Ogier en Prose (1496)"
- ^ Poulain-Gautret (2005), pp. 91–92.
- ^ Poulain-Gautret (2005), p. 228.
- ^ Benoist Rigaud ed. (1579), p. 233 "Comment Charlemagne partit de Laon, etc., .. & comment l'Ange ainsi qu'il vouloit coupper la teste de Charlot luy retint le bras & des parolles qu'il luy dist". p. 245: "Dieu.. envoya un Ange de Paradis, qui retint le coup del'espee d'Ogier & luy dist.."
- ^ Hanssen (1842), p. 51.
- ^ Hanssen (1842), pp. 138–139: "Men som han nu havd Svaerdet oppe i Veiret, da kom en Guds Engel af Himmelen ganske skinnende og hodt om Odden af Sværet, at Alle saae det stinbarlingen. Engelen sagte til Olger.
- ^ The Romance of Tristan, Oxford University Press, (1994), p. xvi ISBN 0-19-282792-8.
- ^ a b c Bruce, Christopher W. (1999). "Cortaine ("Shortened")". The Arthurian Name Dictionary. Garland. p. 131. ISBN 9780815328650。
- ^ a b Loomis, Roger Sherman (January 1922a), “Tristram and the House of Anjou”, The Modern Language Review 17 (1): 29, doi:10.2307/3714327, JSTOR 3714327
- ^ Polidori, Filippo Luigi, ed. (1864), La Tavola ritonda o l'istoria di Tristano: testo di lingua, Bologna: presso Gaetano Romagnoli, p. 192
- ^ Tristan and the Round Table: A Translation of La Tavola Ritonda. State University of New York at Binghamton. (1983). pp. 125. ISBN 9780866980531
- ^ 原文:Verzeppeで、フランス語のLeverzep/Louvezerpに相当する。
- ^ Bruce (1999) Arthurian name Dictionary, s.v. "Leverzep (Leverzerp, Lonazep, Lonezep, Louvezeph, Lovezerp, Verzeppe)"
- ^ Bruce[98][103] Cf. Curtis tr. (1994), p. 313: "Castle Louvezerp" where a tournament takes place"(フランス散文版ではトーナメントが行われた城とある)。
- ^ Bruce (1999) Arthurian name Dictionary, s.v. "Charlemagne"
- ^ Polidori ed. (1864), pp. 391–392
- ^ Loomis, Roger Sherman (July–September 1922b), “Vestiges of Tristram in London”, The Burlington Magazine 41: 56–59
- 参照文献
- (一次資料)
- ロランの歌
- Foerster, Wendelin, ed (1883). Das altfranzösische Rolandslied. Text von Châteauroux und Venedig VII. Altfranzösisehe Bibliothek, VI. Helbronn: Verlag von Gebr[üder] Henniger
- Foerster, Wendelin, ed (1886). Das altfranzösische Rolandslied. Text von Paris, Cambridge, Lyon und den sog. Lothringischen Fragmenten, mit R. Heiligbrodt’s Concordanztabelle zum altfranzösichen Rolandslied. Altfranzösisehe Bibliothek, VII. Helbronn: Verlag von Gebr[üder] Henniger
- オジェの騎士道
- Barrois, Joseph, ed (1842). La chevalerie Ogier de Danemarche. Paris: Techener Tome 1, Tome 2.
- アルプルモンの歌
- Rigaud, Benoist, ed (1919–1920). La chanson d'Aspremont: chanson de geste du XIIe siècle. Lyon: Benoist Rigaud Tome 1 (1919), Tome 2 (1920)
- ルノー・ド・モントーバン
- Michelant, Henri, ed (1862). Renaus de Montauban oder die Haimonskinder, altfranzösisches Gedicht, nach den Handschriften zum Erstenmal herausgegeben. Bibliothek des Litterarischen Vereins in Stuttgart, 67. Stuttgart: Litterarischer Verein in Stuttgart
- Castets, Ferdinand, ed (1909). La chanson des quatre fils Aymon d'après le manuscrit La Vallière. Publications de la Société pour l'étude des langues romanes, 23. Montpellier: Coulet et Fils
- カルル大王のサガ
- Aebischer, Paul (1972) (古ノルド語、フランス語[訳本]). Textes norrois et littérature française du Moyen Age: La première branche de la Karlamagnus saga. Traduction complète du texte en narrois, pécédée d'une intruduction et suivie d'un index des noms propres. Textes norrois et littérature française du Moyen Age. Vol 2.. Genève: Droz
- Karlamagnús saga: The Saga of Charlemagne and his heroes. 1. Toronto: Pontifical Institute of Mediaeval Studies. (1975a). ISBN 0-88844-262-9
- Togeby, Knud; Halleux, Pierre; Loth, Agnete, eds (1880) (フランス語[対訳本]). Karlamagnús saga: branches I, III, VII et IX. Traduction française par Annette Patron-Godefroit. Société pour l'étude de langue et de la littérature danoises. ISBN 9788774212614
- Unger, Carl Richard, ed (1860). Karlamagnús saga ok kappa hans. Christiania: Trykt hos H.J. Jensen (IArchive版; heimskringla.no版)
- 散文版本
- Rigaud, Benoist, ed (1579). L'Histoire d'Ogier le Dannoys Duc de Dannemarche, Qui fut l'un des douze Pers de France. Lyon: Benoist Rigaud
- Hanssen, Nis, ed. (1842), Olger Danskes Krønike, Fortale af C. Molbech, Kjöbenhavn: Louis Klein
- (二次資料)
- トマス・ブルフィンチ 著、市場泰男 訳『シャルルマーニュ伝説』講談社〈講談社学術文庫 1806〉、2007年(原著1994年)、pp. 325–360、第23–25章 オジエ・ル・ダノワ(一)〜(三)。ISBN 978-4-06-159806-5。
- Farrier, Susan E., ed. (2019), The Medieval Charlemagne Legend: An Annotated Bibliography, Routledge, pp. 262–271, ISBN 9780429523922
- Gautier, Léon, ed (1872). La Chanson de Roland. 2: Notes et variantes. Tours: Alfred Mame et Fils. pp. 114, 169
- Langlois, Ernest [in 英語] (1904). Table des noms propres de toute nature compris dans les chansons de geste. Parils: Émille Bouillon.
- Ludlow, John Malcolm Forbes (1865), “V. Sub-cycle of the Peers: Ogier of Denmark”, Popular epics of the middle ages of the Norse-German and Carlovingian Cycles, 2, London: Macmillan, pp. 247–303
- Poulain-Gautret, Emmanuelle (2005). La tradition littéraire d'Ogier le Danois après le XIIIe siècle: permanence et renouvellement du genre épique médiéval. Paris: H. Champion. ISBN 9782745312082
- Togeby, Knud (1969), Ogier le Danois dans les littérratures européennes, Munksgaard
- Voretzsch, Karl (1976). Introduction to the Study of Old French Literature. Genève: Slatkine. pp. 208–210