ジェイド・ノース
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名前 | ||||||
愛称 | Jado[1][2] | |||||
ラテン文字 | Jade North | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1982年1月7日(42歳) | |||||
出身地 | タリー | |||||
身長 | 181cm[3] | |||||
体重 | 78kg[3] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
バーレイ・タイガーズ[4][5] | ||||||
ロッチデール・ローヴァーズ (en) [4][5] | ||||||
1998 | クイーンズランド・アカデミー (en) [5] | |||||
1999 | オーストラリア国立スポーツ研究所[5] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2001 | ブリスベン・ストライカーズ (en) | 48 | (3) | |||
2001-2003 | シドニー・オリンピック (en) | 60 | (3) | |||
2003-2004 | パース・グローリー | 22 | (0) | |||
2005-2009 | ニューカッスル・ジェッツ | 80 | (2) | |||
2009 | 仁川ユナイテッド | 9 | (0) | |||
2010 | トロムソ | 6 | (0) | |||
2010-2011 | ウェリントン・フェニックス | 19 | (0) | |||
2011 | FC東京 | 4 | (0) | |||
2012 | コンサドーレ札幌 | 21 | (0) | |||
2013-2018 | ブリスベン・ロアー | 115 | (4) | |||
2019 | マリー・ユナイテッド | 12 | (0) | |||
2020 | イースタン・サバーブス | 14 | (0) | |||
通算 | 410 | (12) | ||||
代表歴 | ||||||
1998-1999 | オーストラリア U-17 | 19 | (4[5]) | |||
2001 | オーストラリア U-20 | 6 | (1[5]) | |||
2004-2008 | オーストラリア U-23 | 15 | (1[5]) | |||
2002-2013 | オーストラリア | 41 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェイド・ブロンソン・ノース(英語: Jade Bronson North、1982年1月7日- )は、オーストラリア出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(本職はセンターバック[6][注 1])。
Kリーグ時代の登録名はジェイド(ハングル: 제이드)[8]、Jリーグ時代の登録名はジェイド・ノース[9]。
元サッカーオーストラリア代表。同国先住民アボリジニの血を引く選手としては初めてのA代表選手であり[10]、腕のタトゥーには部族の名を刻んでいる[11]。
経歴
[編集]NSL・Aリーグ
[編集]ニューサウスウェールズ州・タリー (Taree) に生まれ[4][12]、6歳の時にサッカーを始めた。11歳でクイーンズランド州・ブリスベンへ渡り[5]、12歳の時にプロサッカー選手になることを決心した[12]。
1998年、ブリスベン・ストライカーズFCでプロデビュー[13]。NSLで実績を重ね、2004年にはU-23オーストラリア代表として、アテネオリンピックに出場。ベスト8に進出した。
2005年よりニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFCに加入し、同年より始まったAリーグで活躍。2007年6月に2年の契約延長をし[14]、同年のシーズンでは主将を務め[15][16]Aリーグ優勝に導いた[注 2]。
2008年、グラハム・アーノルドU-23オーストラリア代表監督から高いリーダー性を評価され[17]オーバーエイジとして、北京オリンピックに参加。同年8月、オリンピックを終えたタイミングでの国外移籍を図る[15]。トルコ・ガラタサライSKなどがノース獲得に動いたものの[15]、ニューカッスルはガラタサライの提示を上回る違約金を要求し、撤退させた[16]。
韓国・ノルウェー・日本
[編集]しかし、2年後のワールドカップオーストラリア代表メンバー入りを目指す上で、ピム・ファーベーク同国A代表監督からも国外でのプレーを勧められたことから[6] 2008年末にも移籍を模索し、2009年より韓国・仁川ユナイテッドFCへ移籍。仁川での登録名は「ジェイド」。Kリーグにおいて、初のアジアクォーター制(アジア枠)の選手となった[18]。
Kリーグでは序盤こそ出場機会を得られたが、自身にとって初めての海外移籍であり、異なる習慣、外国籍選手としてのプレッシャー、言葉の壁[注 3]、粗悪な練習環境、サッカースタイルの違い[注 4]、代表とチームとの往復などから適応に苦しみ[20][21]、退団を余儀なくされる。
2010年2月、負傷中のケヴィン・ラーセン (Kevin Larsen) に代わるDFを求めていたノルウェー・トロムソILと6ヶ月契約を結び[21] 極寒の環境下で奮闘[22]。ワールドカップには予備登録30名のメンバーに選出されるも[23]、負傷もあって[24] 最終登録の23名には選外となった。トロムソからは慰留されたが[22][24]Aリーグ復帰を選び、同年7月、ウェリントン・フェニックスFCに加入。退団したDFジョン・マケインの後釜となり[25][24]、かつてニューカッスル・ジェッツでCBのパートナーとして共に活躍したDFアンドリュー・デュランテ (Andrew Durante) と再びプレーすることとなった[24][26]。
2011年2月、Jリーグ・FC東京のキャンプに練習生として参加し[27] 首脳陣から高評価を得た。当初は3月中の合流が予定されていたが、東北地方太平洋沖地震の発生により、一時帰国(地震当時はメディカルチェック中だったとのこと[28][11])。同年4月になって加入が発表された[29]。DF今野泰幸ら[注 5]のバックアッパーとして加入した[11][31] ということもあって出場機会には恵まれなかったが、主力欠場の穴を埋めた。
シーズン後には、日本が施設やスタッフ、選手も含めていかにプロフェッショナルであるかを地元メディアに語るなど、Jリーグでのプレー継続を望んでいたところ[11]、CBの補強が急務となっていたコンサドーレ札幌[32] がノースの高さと速さを評価し[33]、2012年より札幌へ移籍[3]。
札幌では守備陣を引き締め[34] 一定の安定感をもたらしはした[35] ものの、石崎信弘監督が「(被セットプレーの時に競り合える選手が)ジェイド1人しかいない」と述べるように[36] 戦力は乏しく、ノースも「少しぐらいの痛みなら出続けたい」とコンディションが万全ではない中での出場を続けた[37] こともあって、堅守を築くことはできなかった。この年限りで日本を離れたが、Jリーグについては、ヨーロッパに多くの選手を輩出している点、2部リーグ(J2)でもある程度強さを持つ点、普及プログラムが充実している点を挙げ、アジアでは群を抜いてベストのリーグだと評価している[38]。
Aリーグ復帰
[編集]2013年1月、ブリスベン・ロアーFCへ完全移籍[39]。2016年までの契約を結んだ[7]。ブリスベンに戻ってきた最大の理由として、自身の経験を還元し、FFAによる先住民のためのサッカープログラムを支援することを挙げている[13]。同年7月、東アジアカップに出場。韓国及び日本でのプレー経験を持ち、両国サッカーを熟知するとして[40]、中心選手に位置付けられた[41]。
翌2013-14シーズンは、マット・スミス (Matt Smith) とCBでコンビを組み[42][43]、リーグ最小失点での優勝を果たした。
2016年2月20日、第20節パース・グローリー戦でNSL・Aリーグ通算300試合出場達成[44]。同シーズンは自身初のリーグベストイレブンに選ばれた[45]。同年7月上旬のNAIDOCウィーク[注 6] では、スポーツパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出された[46][12]。
個人成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | オープン杯 | 期間通算 | |||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||
オーストラリア | リーグ戦 | FFA杯 | 期間通算 | ||||||||
1998-99 | ブリスベンS | NSL | 12 | 1 | |||||||
1999-00 | 20 | 2 | |||||||||
2000-01 | 16 | 0 | |||||||||
2001-02 | シドニーO | 28 | 3 | ||||||||
2002-03 | 32 | 0 | |||||||||
2003-04 | パース | 22 | 0 | ||||||||
2005-06 | ニューカッスル | 3 | Aリーグ | 21 | 0 | ||||||
2006-07 | 18 | 1 | |||||||||
2007-08 | 25 | 0 | |||||||||
2008-09 | 16 | 1 | |||||||||
韓国 | リーグ戦 | FA杯 | 期間通算 | ||||||||
2009 | 仁川 | 6 | Kリーグ | 9 | 0 | ||||||
ノルウェー | リーグ戦 | ノルウェー杯 | 期間通算 | ||||||||
2010 | トロムソ | 4 | ティッペリーガ | 6 | 0 | 2 | 0 | ||||
ニュージーランド | リーグ戦 | オープン杯 | 期間通算 | ||||||||
2010-11 | ウェリントン | 15 | Aリーグ | 19 | 0 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 期間通算 | ||||||||
2011 | FC東京 | 36 | J2 | 4 | 0 | - | 4 | 0 | |||
2012 | 札幌 | 3 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 23 | 0 | ||
オーストラリア | リーグ戦 | FFA杯 | 期間通算 | ||||||||
2012-13 | ブリスベンR | 13 | Aリーグ | 10 | 0 | - | 10 | 0 | |||
2013-14 | 22 | 1 | - | 22 | 1 | ||||||
2014-15 | 19 | 0 | 2 | 0 | 21 | 0 | |||||
2015-16 | 29 | 3 | 1 | 0 | 30 | 3 | |||||
2016-17 | |||||||||||
通算 | オーストラリア | NSL | 130 | 6 | |||||||
オーストラリア ニュージーランド |
Aリーグ | 179 | 6 | 3 | 0 | 182 | 6 | ||||
韓国 | Kリーグ | 9 | 0 | ||||||||
ノルウェー | ティッペリーガ | 6 | 0 | 2 | 0 | ||||||
日本 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 23 | 0 | ||||
日本 | J2 | 4 | 0 | - | 4 | 0 | |||||
総通算 | 349 | 12 | 7 | 0 | 356 | 6 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2015 | ブリスベンR | 13 | 3 | 0 |
通算 | AFC | 3 | 0 |
- その他の公式戦
- 2005年 - Aリーグ チャレンジカップ 3試合0得点
- 2006年 - Aリーグ チャレンジカップ 5試合1得点
- 2007年 - Aリーグ チャレンジカップ 4試合0得点
- 2013年 - AFCチャンピオンズリーグ2013#プレーオフ 1試合0得点
- 出場歴
- 2006年10月14日:Aリーグ初得点 - 第8節 vsニュージーランド・ナイツFC (エナジーオーストラリア)
- 2009年: 3月 8日Kリーグ初出場 - 第1節 vs釜山アイパーク (仁川文鶴)
- 2010年: 3月14日ティッペリーガ初出場 - 第1節 vsヘーネフォスBK (Alfheim Stadion) [47]
- 2011年: 5月28日Jリーグ ディビジョン2初出場 - J2第14節 vs京都サンガF.C. (西京極)
- 2012年: 3月10日Jリーグ ディビジョン1初出場 - J1第1節 vsジュビロ磐田 (札幌ドーム)
代表歴
[編集]- A代表初出場 2002年7月6日 OFCネイションズカップ2002 vsサッカーバヌアツ代表 (オークランド)
出場大会など
[編集]- U-17オーストラリア代表
- 1998年
- 1999年 FIFA U-17世界選手権・ニュージーランド大会 (準優勝)
- U-20オーストラリア代表
- 2001年
- U-23オーストラリア代表
- オーストラリア代表
- 2002年 OFCネイションズカップ2002 (準優勝)
- 2004年 OFCネイションズカップ2004 (優勝)、FIFAワールドカップ・オセアニア2次予選
- 2005年
- 2006年 AFCアジアカップ・最終予選
- 2007年
- 2008年 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
- 2009年 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
- 2010年 AFCアジアカップ・最終予選
- 2011年 AFCアジアカップ2011 (準優勝)
- 2012年 FIFAワールドカップ・アジア3次予選、最終予選
- 2013年 FIFAワールドカップ・アジア最終予選、東アジアカップ2013 (4位)
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 41試合(2002年-2013年)[48]
オーストラリア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2002 | 4 | 0 |
2003 | 0 | 0 |
2004 | 6 | 0 |
2005 | 1 | 0 |
2006 | 3 | 0 |
2007 | 1 | 0 |
2008 | 8 | 0 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 3 | 0 |
2011 | 3 | 0 |
2012 | 5 | 0 |
2013 | 2 | 0 |
通算 | 41 | 0 |
タイトル
[編集]- シドニー・オリンピックFC
- オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ:1回(2001-02[5])
- パース・グローリーFC
- オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ:1回(2003-04[5])
- ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC
- FC東京
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2011年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回(2011)
- ブリスベン・ロアーFC
- Aリーグレギュラーシーズン:1回(2013-14)
- Aリーグチャンピオンシップ:1回(2013-14)
- オーストラリア代表
- OFCネイションズカップ:1回(2004)
- 個人
- Aリーグベストイレブン (2015-16)
関連書籍
[編集]- Maynard, John (2012). 「The Aboriginal Soccer Tribe: A History of Aboriginal Involvement With the World Game」. Bookland Press. p. 192. ISBN 978-1926956336
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 2010年よりA代表監督を務めたホルガー・オジェックからは、4バックの全ての位置でプレーできる点を高く評価されていた[7]。
- ^ オーストラリアのサッカーリーグにおいて、同国先住民が優勝チームの主将となったのはノースが初[4]。
- ^ 監督のイリヤ・ペトコヴィッチ (Ilija Petković) を始め、同僚の外国籍選手であるボルコ (Borko Veselinović) 、チャディ (Dragan Čadikovski) 、ドラガン (Dragan Mladenović) 、コロマンのいずれもがセルビア語圏の選手だった。
- ^ Kリーグは体力的な部分ばかりを重視し、戦略・戦術に欠ける[19] とコメントを残している。
- ^ 特に今野はコパ・アメリカ2011への参加が有力視されるなど[30] 日本代表招集によるリーグ戦欠場が見込まれていたため、代役を確保する必要があった[27]。
- ^ NAIDOCはアボリジニ・トレス海峡諸島民の日遵守全国委員会(National Aborigines and Islanders Day Observance Committee)の意。
- 出典
- ^ Jets coach concedes Aリーグ (2008年12月27日)
- ^ Wanderers well aware of Berisha factoren:The World Game (2014年4月30日)
- ^ a b c FC東京 ジェイド ノース 選手 新加入決定のお知らせ コンサドーレ札幌 (2012年1月4日)
- ^ a b c d Fans thank captain North for memorable journey with JetsThe Newcastle Herald(2008年12月26日)
- ^ a b c d e f g h i j k Brisbane secure Qantas Soccerooオーストラリアサッカー連盟 (2013年1月8日)
- ^ a b Interview: Jade North - An Australian In Korea goal.com (2009年5月20日)
- ^ a b Return home points North in right direction for SocceroosThe Sydney Morning Herald(2013年3月26日)
- ^ “제이드”. K League. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “ジェイド ノース”. J.League. 2023年11月4日閲覧。
- ^ Cornthwaite called up as Jade heads Northアジアサッカー連盟 (2010年3月1日)
- ^ a b c d Jade North’s Unforgettable 2011FourFourTwo (Australia) (2011年12月14日)
- ^ a b c NAIDOC 2016: Sportsperson of the year - Jade North スペシャル・ブロードキャスティング・サービス (2016年7月9日)
- ^ a b North happy to be due back in Brisbane goal.com (2013年1月15日)
- ^ Jade North's 'Roos DilemmaFourFourTwo (Australia) (2007年6月18日)
- ^ a b c Jets set to lose North: Newcastle looking overseas to replace captainThe Newcastle Herald(2008年8月10日)
- ^ a b Jets Boss Hopes Jade Doesn't Fly North goal.com (2008年8月20日)
- ^ Jade can now target Olympic medal goaldcoast.com.au (2008年7月5日)
- ^ K리그, 아시아쿼터제 활용 나서나… 호주 언론 “호주대표 노스, 인천행” sportsworld (2008年12月12日)
- ^ World Cup 2010: Socceroo Jade North Looks To Swedish Club Trelleborg To Boost South Africa Chance goal.com (2010年1月27日)
- ^ Jade North Versus SouthFourFourTwo (Australia) (2009年12月30日)
- ^ a b Go North young man: Jade's plan to keep World Cup dreams aliveThe Sydney Morning Herald(2010年2月26日)
- ^ a b North puts hand up for Socceroos startThe Newcastle Herald(2010年10月6日)
- ^ Qantas Socceroos FIFA World Cup Squad Announcementオーストラリアサッカー連盟 (2010年5月11日)
- ^ a b c d Soccer: Hard times set to endニュージーランド・ヘラルド (2010年8月29日)
- ^ Official: Wellington Phoenix Sign Socceroo Jade North goal.com (2010年7月30日)
- ^ Durante and North reunited in Wellingtonオーストラリアサッカー連盟 (2010年9月10日)
- ^ a b 豪州代表DFノースが練習参加 懸案のCB問題、解消へ 東京中日スポーツ (2011年2月25日)
- ^ Soccero Jade North tells of Japan quake terrorヘラルドサン (2011年3月17日)
- ^ ジェイド ノース選手 移籍加入決定のお知らせ FC東京 (2011年4月2日)
- ^ 国内組はDF優先!今野ら3人が南米選手権内定 スポーツニッポン (2011年5月1日)
- ^ 【J2:第15節 FC東京 vs 愛媛】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年6月5日)
- ^ 山下代役に期待 札幌はDFノース獲り スポーツニッポン 2012.01.03
- ^ 札幌がノース獲得 センターバック候補 日刊スポーツ (2012年1月5日)
- ^ 【J1:第24節 札幌 vs 清水】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年9月1日)
- ^ 【J1:第25節 柏 vs 札幌】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年9月15日)
- ^ 【J1:第18節 磐田 vs 札幌】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年7月14日)
- ^ 札幌ノース浦和倒し豪州代表に勢いつなぐ 日刊スポーツ (2012年10月4日)
- ^ Japan star Keisuke Honda says he's fit and ready to face Socceroos クーリエ・メイル (2013年6月13日)
- ^ コンサドーレ札幌 ジェイド ノース 選手Brisbane Roar FC(オーストラリア)に完全移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2013年1月31日)
- ^ Heading North for international glory オーストラリアサッカー連盟 (2013年7月15日)
- ^ 注目選手 東アジアサッカー連盟 (2013年7月18日)
- ^ Brisbane Roar's Matt Smith and Jade North ready to combine for new A-League season ABC News (2013年10月7日)
- ^ Roar defenders Jade North and Matt Smith have form to shut down Wanderers ADELAIDE NOW (2014年2月6日)
- ^ Match Report, #PERvBRI, 20 February ブリスベン・ロアーFC (2016年2月20日)
- ^ Reds' players snubbed as PFA names team of the seasonen:The World Game (2016年4月28日)
- ^ Jade North named NAIDOC Sportsperson of the Year ブリスベン・ロアーFC (2016年7月9日)
- ^ Tromsø vs. Hønefoss 2 - 0 Soccerway
- ^ ジェイド・ノース - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ジェイド・ノース - オーストラリアオリンピック委員会
- ジェイド・ノース - Olympedia
- ジェイド・ノース - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ジェイド・ノース - National-Football-Teams.com
- ジェイド・ノース - Soccerway.com
- ジェイド・ノース - FootballDatabase.eu
- ジェイド・ノース - WorldFootball.net
- ジェイド・ノース - Transfermarkt.comによる選手データ
- ジェイド・ノース - FIFA主催大会成績
- ジェイド・ノース - J.League Data Siteによる選手データ
- スポーツ情報 コンサドーレ札幌 ジェイドノース - 財界さっぽろ (2012年11月)
- J2日記 / 札幌:いいひと - ウェイバックマシン(2013年6月11日アーカイブ分) - J's GOAL (2013年6月7日)
- ジェイド・ノース - ESPN FC
- プロフィール - ウェイバックマシン(2013年4月15日アーカイブ分) - オーストラリアサッカー連盟
- プロフィール (2011年) - ウェイバックマシン(2011年11月1日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2012年) - ウェイバックマシン(2012年12月29日アーカイブ分) - コンサドーレ札幌
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先代 ポール・オコン |
ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC 主将 | 次代 マット・トンプソン |
- オーストラリアのサッカー選手
- サッカーオーストラリア代表選手
- オリンピックサッカーオーストラリア代表選手
- 2004年アテネオリンピックサッカー出場選手
- 2008年北京オリンピックサッカー出場選手
- ブリスベン・ストライカーズFCの選手
- シドニー・オリンピックFCの選手
- パース・グローリーFCの選手
- ニューカッスル・ジェッツの選手
- 仁川ユナイテッドFCの選手
- トロムソILの選手
- ウェリントン・フェニックスFCの選手
- FC東京の選手
- 北海道コンサドーレ札幌の選手
- ブリスベン・ロアーFCの選手
- AFCアジアカップ2011出場選手
- 在韓オーストラリア人
- 在日外国人のサッカー選手
- 在日オーストラリア人
- ニューサウスウェールズ州の人物
- 1982年生
- 存命人物