ハーラル1世 (ノルウェー王)
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ハーラル1世 Harald Hårfagre | |
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ノルウェー国王 | |
右側の長髪の人物がハーラル1世(フラート島本) | |
在位 | 872年頃 - 930年頃 |
出生 |
850年頃 |
死去 |
930年頃 |
配偶者 | ラグンヒル・エイリークスドッテル |
オーサ・ホーコンスドッテル | |
スネフリト・スヴァーサドッティル | |
子女 |
エイリーク1世 ビョルン シグル オーラヴ ホーコン1世 |
家名 | ユングリング家 |
王朝 | ホールファグレ朝 |
父親 | ハルフダン黒王[1](ヴェストフォルの王) |
ハーラル1世(古ノルド語:Haraldr hinn hárfagri、ノルウェー語:Harald Hårfagre、アイスランド語:Haraldur hinn hárfagri、850年頃 - 930年頃)は、ノルウェー最初の統一王とされる人物(在位:872年頃 - 930年頃)である。
解説
[編集]ヴェストフォルの小王家ユングリング家の出身[2]。スウェーデン王家の出身であるともいわれている[3]。
美髪王(Hårfagre)とも呼ばれる[4]が、それについては以下のような伝承がある。ハーラルはノルウェー西部の一小王の娘に求婚したが、「一国全体の王としか結婚できない」と拒絶された。そこで彼はノルウェー全土の征服を決意、それを実現するまで髪を切らない誓いを立て、「蓬髪[5]のハーラル」と呼ばれるようになった。そしてノルウェー統一がなった後は髪を整え、以後「美髪」と呼ばれるようになったという。
なお、ハーラル1世のノルウェー統一事業最後の戦いは、885年(伝承では872年)と考えられているが、統一は実際には沿岸部のみで、他の地方は彼と姻戚関係を結んだ豪族たちが実効支配していた。
ハーラルのノルウェー統一は実際には、略奪的なヴァイキング(本来は「遠征」の意味)によらず、交易に関与し沿岸航路の安全をはかる必要のあった豪族たちによる協働の結果とする説も唱えられている。
また、ハーラル1世の親衛兵の一部はベルセルクであったという伝承もある[6]。
子女
[編集]以下の子女がいる[1]。
- エイリーク1世(885年頃 - 954年) - 母はラグンヒル、ノルウェー王(930年 - 934年)
- ビョルン(? - 927年) - 母はスヴァンヒル、オーラヴ2世曽祖父
- オーラヴ(? -934年) - 母はスヴァンヒル、オーラヴ1世祖父
- シグル - 母はスネフリト、ハーラル3世曽祖父
- ホーコン1世(920年頃 - 961年) - 母はトーラ・モステルストン、ノルウェー王(934年 - 961年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 百瀬宏 他 『新版 世界各国史 21 北欧史』 山川出版社、1998年
- 武田龍夫 『物語 北欧の歴史』 中央公論社、1993年
- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
関連書籍
[編集]- スノッリ・ストゥルルソン 「ハラルド美髪王のサガ」『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史』(一)、谷口幸男訳、プレスポート〈1000点世界文学大系 北欧篇3〉、2008年10月。ISBN 978-4-905392-02-6。
関連項目
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