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亀井勝一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
亀井 勝一郎かめい かついちろう
1953年
誕生 1907年2月6日
日本の旗 日本北海道函館区
死没 (1966-11-14) 1966年11月14日(59歳没)
日本の旗 日本東京都中央区築地
墓地 多磨霊園台東区東本願寺 (台東区)に改葬
職業 小説家・文芸評論家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京帝国大学文学部美学科中退[1]
ジャンル 小説
ウィキポータル 文学
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函館市元町に建つ生誕地の碑

亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年明治40年〉2月6日 - 1966年昭和41年〉11月14日)は、昭和期の文芸評論家日本芸術院会員[1]

当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した[1]。「日本浪曼派」を創刊。著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。

来歴・人物

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函館貯蓄銀行支配人の父・喜一郎、母・ミヤの長男として、北海道函館区(現・函館市)元町で生まれる[2]。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)では田中清玄大野一雄と同期。旧制山形高等学校(現・山形大学)を経て、1926年大正15年)に東京帝国大学文学部美学科に入学。1927年(昭和2年)には「新人会」会員となりマルクスレーニンに傾倒し、大森義太郎の指導を受ける[2]社会文芸研究会共産主義青年同盟に加わり、翌1928年(昭和3年)には退学[2]

同年4月20日には治安維持法違反の疑いにより札幌で逮捕され、市ヶ谷刑務所豊多摩刑務所に投獄され、1930年(昭和5年)10月1日に転向上申書を提出し、10月7日に保釈される。その後、1933年(昭和8年)12月、懲役2年(執行猶予3年)の判決を受けた。

この間、1932年(昭和7年)にはプロレタリア作家同盟に属すが、翌年には解散。以後、同人雑誌『現実』(1934年)、『日本浪曼派』(1935年)を創刊し、評論を発表する。1934年、最初の評論集『転形期の文学』を刊行。

1937年(昭和12年)には『人間教育(ゲエテへの一つの試み)』を刊行。同年、武者小路実篤と顔を合わせる。1938年(昭和13年)、『人間教育』が評価され菊池寛より池谷賞を受ける。同年の『日本浪漫派』廃刊後は、『文学界』同人となり、以後同誌に多く連載した。この頃に、太宰治と親密になる。同じ時期に大和路紀行を行い、古代・中世の日本仏教との出会いにより開眼、聖徳太子親鸞の教義を信仰し、その人間原理に根ざした宗教論、美術論、文明・歴史論、文学論の著作の多くを連載出版した。

1942年(昭和17年)に、日本文学報国会評論部会幹事となった[2]1945年(昭和20年)8月、第二国民兵として3日間軍事教練を受け、その3日目に敗戦の報を聞いた。

戦前・中は、武者小路実篤の人生論を解説つきで出したが、戦後昭和30年代に再びこれを再刊し重版した。自身の人生論・恋愛論の類もベストセラーで、複数の版元で多く重版された。新版再刊も多かった。

1959年(昭和34年)より『文學界』に、ライフワークとして「日本人の精神史研究」を連載開始した。1964年(昭和39年)に、日本芸術院賞受賞。1965年(昭和40年)に『日本人の精神史研究』等で菊池寛賞を受賞、芸術院会員に選ばれる[2]1966年(昭和41年)、食道がんが胃・肝臓に転移し東京築地がんセンターで死去[2]。「日本人の~」は全6巻予定だったが、5巻目の半ばで中絶した。戒名は超勝院釈浄慧居士[3]

1969年(昭和44年)より、文藝評論を対象した文学賞として亀井勝一郎賞が設けられたが、14回で休止した。

家族・親族

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亀井家
  • 父・喜一郎[4]1877年 - 1935年、函館貯蓄銀行支配人[5]・同行取締役[6]) - 住所は北海道函館市元町[5]
  • 母・ミヤ[2]
  • 弟・勝次郎[4]1910年 - 1981年、建築家) - 1934年に早稲田大学建築科を卒業後、函館大火で焼失したレストラン五島軒の再建設計に関わり、その後も地元で建築設計事務所を経営した[7]
  • [4]
  • 夫人・斐子 - 著書に『回想のひと 亀井勝一郎』、『歌集 終ひ薔薇』
    • 私家版『追想 亀井勝一郎』亀井書彦 編、1967年11月
親戚

著作

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  • 『転形期の文学』ナウカ社 1934
  • 『人間教育 (ゲエテへの一つの試み)』野田書房 1937
  • 『島崎藤村』弘文堂教養文庫 1939 のち新潮文庫 
  • 『作家論』三和書房 1939
  • 『東洋の愛』竹村書房 1939
  • 『捨身飼虎』筑摩書房 1941
  • 『芸術の運命』実業之日本社 1941
  • 『信仰について』筑摩書房 1942
  • 『現代人の救ひ』桜井書店 1942
  • 『日本の女神』三笠書房 1942
  • 『大和古寺風物誌』天理時報社 1943 のち新潮文庫、旺文社文庫、創元選書 
  • 『親鸞』新潮社 日本思想家選集 1944 のち春秋社
  • 『続・人生論』生活社 1944
  • 『日本人の死』新潮社 1944
  • 聖徳太子創元社 1946 のち角川書店、春秋社
  • 『奈良朝文化の話』愛育社 1946
  • 『陛下に捧ぐる書翰』十一組出版社 1947
  • 『新しき人生論』和田堀書店 1948
  • 『現代人の遍歴 (人間教育第2部)』養徳社 1948 のち改題「わが精神の遍歴」角川文庫ほか
  • 『生命讃歌』弘文社 1948
  • 『革命と恋愛 青春の反逆・恋愛に於ける人間性』労働出版部 1948
  • 『恋愛美学』若草書房 1948
  • 『古典的人物』三興出版部 1948
  • 『愛の無常について』大日本雄弁会講談社 1949 のち角川文庫、旺文社文庫、講談社文庫、ハルキ文庫 
  • 『文学と信仰 作家論集』文体社 1949
  • 『現代人の研究 民族の変貌』六興出版社 1950
  • 『美貌の皇后』新潮社 1950 のち文庫、創元選書、角川文庫、講談社文庫
  • 『恋愛論』家城書房 1950
  • 『三人の先覚者 民族の独立』要書房 1950
  • 『芸術・教養・人生』雲井書店 1951
  • 『文学の読み方』至文堂(学生教養新書) 1952
  • 『智識人の肖像』文藝春秋新社 1952
  • 『純潔について』社会教育協会(青年シリーズ) 1952
  • 亀井勝一郎著作集』全6巻 創元社 1952-53
  • 『島崎藤村論』新潮社 1953
  • 『恋愛・自然・人生』河出書房 1954
  • 『読書に関する七つの意見』中央公論社 1954
  • 『風神帖 随想百篇』河出書房 1954
  • 『二十世紀日本の理想像』中央公論社 1954
  • 『現代史の中のひとり』文藝春秋新社 1955
  • 『日本の智慧 私はいかなるときいかなる智慧に学んだか』朝日新聞社 1955
  • 『近代恋愛詩』中央公論社 1955
  • 『日本人の典型』角川書店(角川新書)1956
  • 『私の美術遍歴』大日本雄弁会講談社 1956
  • 『西洋の知慧 私はいかなるときいかなる智慧に学んだか』朝日新聞社 1956
  • 『倉田百三』現代文芸社(新世代選書)1956
  • 亀井勝一郎選集』全7巻 大日本雄弁会講談社 1957-58、新編全8巻 講談社 1965-66
  • 『現代史の課題』中央公論社 1957、のち岩波現代文庫
  • 『現代青春論 青春を生きる心について』青春出版社 1957、のち「青春論」角川ソフィア文庫
  • 『恋愛曼陀羅』講談社 1958
  • 『旅路 亀井勝一郎随想集』知性社 1958
  • 『現代夫婦論』主婦の友社 1959
  • 『文学・人生・社会』青春出版社 1959
  • 『青春をどう生きるか』青春出版社 1959
  • 『亀井勝一郎集 現代知性全集』日本書房 1960
  • 『現代読書論』青春出版社 1960 のち旺文社文庫
  • 『日本人の精神史研究』文藝春秋新社 のち講談社文庫
「1 古代智識階級の形成」 1960 のち新版・講談社学術文庫
「2 王朝の求道と色好み」 1962
「3 中世の生死と宗教観」 1964
「4 室町芸術と民衆の心」 1966
  • 『現代親子論』主婦の友社 1961
  • 『中国の旅』講談社 1962
  • 亀井勝一郎 宗教選集』全4巻 春秋社 1963-64
「1 上代思想家の悲劇・聖徳太子」
「2 親鸞 信仰について 私の宗教観 ほか」
「3 三人のマリア」
「4 大和古寺風物誌」
  • 『人間の心得』青春出版社 1963
  • 『黄金の言葉』大和書房 1963
  • 『愛と結婚の思索』大和書房 1964
  • 『私の人生観』文藝春秋新社 1964
  • 『無頼派の祈り 太宰治』審美社 1964
  • 『古典美への旅』主婦の友社 1965
  • 『愛と祈りについて』大和書房 1965
  • 『人生と幸福について』大和書房 1965
  • 『思想の花びら もの思う人のために』大和書房 1966
没後刊行
  • 『亀井勝一郎人生論集』全8巻 別巻2 大和書房 1966-67
「1 人生の思索」
「2 青春の思索」
「3 愛の思索」
「4 人生と旅」
「5 読書論」
「6 日本の理想像」
「7 人生の知恵」
「8 断想 思想の花びら」
「別巻1 語録・人生と幸福」
「別巻2 語録・愛と祈り」
  • 『亀井勝一郎女性論集』全3巻 大和書房 1967
  • 『病める魂と漂泊者の歌 近代恋愛詩』三笠書房 1967
  • 日本人の精神史』全6巻 文藝春秋 1967
  • 『新編 亀井勝一郎人生論集』全5巻 講談社 1967。武者小路実篤
「1 愛の無常について」
「2 我が心の遍歴」
「3 愛と人生の旅」
「4 美と人生の旅」
「5 人生論」
  • 『歴史の星々』講談社 1967(遺著、あとがきは夫人)
  • 『生死の思索 歎異鈔のこころ』講談社 1967、大和書房 1987
  • 『信仰と美の誘惑 思想との対話4』講談社 1967
  • 『日本人の美と信仰』大和書房 1968
  • 『三人のマリア』大和書房 1969
  • 亀井勝一郎全集』 講談社 1971-75
全21巻・補巻3で、最終4巻は日記・書簡・序跋解説・初期文章など
  • 『現代の随想 亀井勝一郎集』佐古純一郎編、彌生書房 1982

共著編

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  • 『人生語録抄』武者小路実篤共編 六芸社 1944
  • 倉田百三評伝』編著 大東出版社(倉田百三選集別巻) 1948
  • 『武者小路実篤人生語録』編 朋文社 1953
  • 太宰治研究』編 新潮社 1956[8]
  • 『愛と苦悩の手紙 太宰治』角川文庫 1962 改訂版1998、河出文庫 2019。晩年の書簡

伝記

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脚注

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  1. ^ a b c 亀井 勝一郎」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E4%BA%80%E4%BA%95%20%E5%8B%9D%E4%B8%80%E9%83%8Eコトバンクより2022年1月26日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g 函館ゆかりの人物伝 亀井勝一郎、函館市文化・スポーツ振興財団公式サイト。
  3. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)99頁
  4. ^ a b c 『人事興信録 第7版』か142頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
  5. ^ a b 『人事興信録 第6版』か120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
  6. ^ 『官報 1935年10月12日』官報 第2635号 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月4日閲覧。
  7. ^ ステンドグラス物語水野信太郎、生涯学習研究と実践 : 北翔大学生涯学習研究所研究紀要11巻、2008。
  8. ^ 太宰の作品集解説、作家論の編著を多く行った
  9. ^ 最初の刊行著作に『美神の宿命 亀井勝一郎と唐木順三中央出版社 1968

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1935年10月12日』日本マイクロ写真、1935年。

関連項目

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外部リンク

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