井原百介
表示
井原 百介[1](いばら ひゃくすけ[2]、1860年2月26日(安政7年2月5日)[3] - 1927年(昭和2年)12月15日[2][4])は、日本の農学者、政治家。衆議院議員(大阪府郡部選出、当選2回)[2]。族籍は山口県士族[3][5]。
経歴
[編集]長門国阿武郡萩町出身[1]。山口県士族・井原勘兵衛の二男で、先代井原壽の養子となり家督を相続する[3]。
1880年(明治13年)、駒場農学校農学科を卒業し[6]、1883年(明治16年)には同校農芸化学科を卒業した[2]。農商務省御用掛、山口中学校教諭、山口農学校校長、山口高等中学校教諭、宮城農学校校長、宮城県技師を歴任した[3]。1898年(明治31年)より大阪府技師、大阪府立農学校校長を務めた[3]。
1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第13回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。立憲同志会[1]、憲政会[2]に所属。
人物
[編集]家族・親族
[編集]- 井原家
出典
[編集]- ^ a b c 『衆議院要覽 下巻』現在議員ノ履歴(いノ部)122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『議会制度七十年史 第11』31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』い1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月16日閲覧。
- ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
- ^ a b 『人事興信録 第7版』い2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月16日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』学士及卒業生姓名 農学士 農学科270頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院要覽 下巻』衆議院事務局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。