南出来島町
南出来島町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 内町地区 |
人口 | |
• 合計 | 183人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
770-0824 |
南出来島町(みなみできじまちょう)は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。南出来島町一丁目から南出来島町二丁目までがある。
郵便番号は〒770-0824。
統計
[編集]- 人口:183人
- 世帯数:82世帯
地理
[編集]徳島市の中央駅徳島駅の西方、内町地区の西端に位置する。出来島の中では南半を占める。東部が1丁目、西部が2丁目である。
南縁は新町川に面し、2本の橋で対岸と通じている。新町川沿いは新町川公園となっている。北縁は高徳線で、東端の踏切と西端近くの立体交差でのみ越えられる。つまり、出来島の町は高徳線で分断されており、その南側が南出来島町である。
中央を国道192号が通っており、佐古大橋を通って佐古一番町に通じている。道沿いには大型店舗などが並ぶ。
出来島本町 | 東出来島町 | |||
佐古 | 寺島本町西 | |||
南出来島町 | ||||
西船場町 | 藍場町 |
歴史
[編集]江戸時代には、出来島一帯は武家地だった。現在の南出来島町の東には寺島(現在の徳島駅前方面)との間に寺島川が流れ、出来島橋(現在の国道192号の交差点付近にあり、昭和の出来島橋とは別)で寺島と結ばれていた。出来島橋は明治になると、ここから大滝山(現 眉山町大滝山)の白糸の滝が見えることから「滝見橋」と呼ばれた。この橋は明治になるまで、出来島に架かる唯一の橋だった。
明治になると、川の水運を利用した工場が建つようになった。1876年以前に仁心橋が架かり、たもとから寺島川河口にかけての石場(地名、現 新町川公園)には商家が並んだ。さらに、現存しないが、1924年に北佐古橋(現在の佐古大橋東詰の一筋北の道と佐古大橋西詰を結ぶ)、1945年に出来島橋(佐古南端との間を結ぶ)が架かった。
1953年の国民体育大会に合わせ、国道192号が敷かれ、佐古大橋が架けられた(北佐古橋は同時に、出来島橋はまもなく撤去)。
明治以降の町割では、出来島町の一部で、小字では東から
- 西土手外 - 河岸近くを通る道より川側
- 土手町北 - 中央部分
- 本丁東 - おおよそ仁心橋から北に伸びる道より東
の、それぞれ現高徳線より南部分だった(当時は現高徳線で町が分かれておらず町はその南北に伸びていた)。1941年より現在の町名となった。1975年に東出来島町の一部を編入。
地形
[編集]- 河川:新町川
施設
[編集]交通
[編集]道路
[編集]バス
[編集]- 徳島バス
- 南出来島
橋
[編集]参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)