大井町 (東京府)
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おおいまち 大井町 | |
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廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 品川町、大井町、大崎町 → 東京市 |
現在の自治体 | 品川区 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 荏原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 3.99 km2 |
総人口 |
70,080人 (1930年10月1日) |
隣接自治体 | 品川町、荏原町、馬込町、入新井町 |
大井町役場 | |
所在地 | 東京府荏原郡大井町字関ヶ原1228番地 |
座標 | 北緯35度36分07秒 東経139度44分12秒 / 北緯35.60192度 東経139.73656度座標: 北緯35度36分07秒 東経139度44分12秒 / 北緯35.60192度 東経139.73656度 |
ウィキプロジェクト |
大井町(おおいまち)は東京府荏原郡にかつて存在した町である。東京都品川区の南部に位置する。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、大井村が単独村制。
- 1908年(明治41年)8月1日 - 大井村が町制施行して大井町となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。大井町の区域は品川区となる。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 品川区が荏原区と合併し、改めて品川区を設置。
人口
[編集]- 1920年 36,659
- 1925年 58,619
- 1930年 70,080
地域
[編集]字の一覧である。東京市に編入された1932年に中段の町名に変更、1963年に右段の住居表示に変更した。数字は丁目。
- 御林町 ⇒ 大井鮫洲町 ⇒ 東大井1・2
- 立会原 ⇒ 大井立会町 ⇒ 東大井4・6
- 林附 ⇒ 大井林町 ⇒ 東大井1・4
- 元芝 ⇒ 大井元芝町 ⇒ 東大井2・3
- 関ヶ原 ⇒ 大井関ヶ原町 ⇒ 東大井3・5・6、南大井4・5
- 北浜川 ⇒ 大井北浜川町 ⇒ 東大井2・3
- 南浜川 ⇒ 大井南浜川町 ⇒ 東大井2・3
- 海辺 ⇒ 大井海岸町 ⇒ 南大井2・3
- 一本松 ⇒ 大井鈴ヶ森町 ⇒ 南大井2・3
- 水神下 ⇒ 大井鈴ヶ森町 ⇒ 南大井2・3
- 水神下 ⇒ 大井水神町 ⇒ 南大井5・6
- 寺ノ下 ⇒ 大井寺下町 ⇒ 南大井5
- 坂下 ⇒ 大井坂下町 ⇒ 南大井6
- 倉田 ⇒ 大井倉田町 ⇒ 大井4
- 鹿嶋谷 ⇒ 大井鹿島町 ⇒ 大井4・6・7
- 権現台 ⇒ 大井権現町 ⇒ 大井1、広町1
- 鎧ヶ淵 ⇒ 大井鎧町 ⇒ 大井1
- 森下 ⇒ 大井森下町 ⇒ 大井2、二葉1
- 山中 ⇒ 大井山中町 ⇒ 大井3
- 滝王子 ⇒ 大井滝王子町 ⇒ 大井5
- 庚塚 ⇒ 大井庚塚町 ⇒ 大井7
- 森前 ⇒ 大井森前町 ⇒ 西大井1
- 原 ⇒ 大井原町 ⇒ 西大井2
- 出石 ⇒ 大井出石町 ⇒ 大井7、西大井3
- 金子 ⇒ 大井金子町 ⇒ 西大井2・4
- 谷垂 ⇒ 大井伊藤町 ⇒ 西大井5・6、二葉4
- 篠谷 ⇒ 大井伊藤町 ⇒ 西大井5・6、二葉4
行政
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]東京市に編入する1932年以前は、品鶴線(横須賀線、湘南新宿ライン)の西大井駅、東京臨海高速鉄道りんかい線の大井町駅は存在しなかった。
道路
[編集]- 1号国道(京浜国道) - 現在の国道15号
名所・旧跡
[編集]町域内の名所・旧跡の一覧である[1]。
- 鹿嶋神社(鹿嶋谷) - 村社
- 水神社(水神下)
- 大森貝塚(鹿嶋谷) - 1877年発見(現在の大井六丁目)
- 大井山弘福寺 - 現在の光福寺(鹿嶋谷)
- 来福寺(元芝) - 延命桜で知られた
- 西光寺(倉田)
- 常林三昧寺(関ヶ原)
- 養玉院如来寺(篠谷)
- 天祖諏訪神社(北浜川・南浜川)
- 鮫洲八幡神社(御林町)
- 鮫洲川崎屋(御林町) - 料亭
- 鈴ヶ森刑場跡(一本松)
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 名川侃市(弁護士、衆議院議員、大井町会議員) - 広島県人で、大井鹿島町に現在の品川区大井六丁目に
- 和合英太郎(大日本製氷社長) - 広島県人で、大井鎧町に居住していた。
- 児島惟謙(大審院長、貴族院議員、衆議院議員) - 現在の大井6丁目に居住していた[2]。
- 押川方義(東北学院創立者、衆議院議員) - 最晩年を大井町の別宅で過ごした[3]。