安藤就高
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安藤 就高(あんどう なりたか、1830年5月22日(文政13年4月1日) - 1886年(明治19年)1月10日)は、幕末から明治時代の武士、官僚[1]。
生涯
[編集]美濃国安八郡森部村(現在の岐阜県安八町)に大垣藩士の子として生まれる。藩では預所役人を務めた。
税法・財政に通じ、維新後は会計官となり商法司知事、大蔵少丞などを歴任した。1881年(明治14年)、会計検査院副長となる。廃藩置県後の地租改正法原案を起草したが[2]、在任中の1886年1月10日、肺疾患のため死去。享年57。墓所は谷中霊園にあるが無縁墳墓に指定されている。
家族
[編集]- 妻 とよ
- 長男 就一:牛込区二十騎町に住んだ
- 長女
- 二女 ひさ:理学博士・巨智部忠承の妻
- 孫 就寛
- 孫 就美:芝区の家主
- 義弟 佐藤三吉:医学博士
- 義弟 佐藤正美:東京興信所所長
- 義弟 米山米吉:興行主
脚注
[編集]- ^ “安藤就高 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2023年1月7日閲覧。
- ^ “地租改正事業の展開過程と登記法の起源 -p13-”. nihontoukikikou.la.coocan.jp. 2023年1月7日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 熊谷武五郎 |
検査頭 1873年 - 1877年 |
次代 (廃止) |