巨智部忠承
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巨智部 忠承(こちべ ただつね、1854年3月11日(嘉永7年2月13日[1][2][3]) - 1927年(昭和2年)3月29日[3])は、明治から大正時代の地質学者。農商務省地質調査所長。統監府農商工部技監。
経歴
[編集]巨智部英三郎の長男としてのちの長崎市爐粕町に生まれる[1]。東京大学を卒業し[3]、1880年(明治13年)7月、同校理学部地質学教授となる[2]。勧農局事務取扱、地質課勤務を兼ね、1883年(明治16年)11月、農商務省御用掛となり、翌年文部省御用掛を兼ねる[2]。ついで農商務権少技長に任じ地質局に奉職し、1888年(明治21年)地質局課長心得となり[2]、1893年(明治26年)地質調査所所長に任じた[3]。応用地質学の先駆者で地質図の作製、鉱床調査や油田開発などを手掛けた[3]。1905年(明治38年)統監府農商工部技監となった[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。