崔仁徳
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崔仁徳 최인덕 | |
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生年月日 | 1920年 |
出生地 | 日本統治下朝鮮咸鏡北道穏城郡 |
没年月日 | 2003年8月31日(86歳没) |
死没地 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 | 金日成勲章、共和国二重英雄 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1967年11月 - 2003年8月 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) |
その他の職歴 | |
朝鮮労働党中央委員会委員 (1970年11月 - 不明) | |
金日成軍事総合大学総長 (1982年2月 - 2003年8月31日) |
崔仁徳 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 최인덕 |
漢字: | 崔仁德 |
発音: | チェ・インドク |
M-R式: 2000年式: |
Ch'oe In-dŏk Choe In-deok |
崔 仁徳(チェ・インドク、朝鮮語: 최인덕、1917年[注 1] - 2003年8月31日)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。朝鮮労働党中央委員会委員、金日成軍事総合大学総長などを歴任。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。金日成の伝令兵として抗日パルチザン活動に参加したことから、「抗日パルチザン世代」に分類される[2]。
経歴
[編集]1917年に日本統治下の咸鏡北道穏城郡で生まれた[2]。その後、抗日パルチザン組織組織の東北抗日聯軍に入隊し、金日成の伝令兵や遊撃隊の中隊長を務めた[1]。1946年6月、鉄道警備隊創設要員[3]。のち、歩兵独立旅団砲兵大隊長を経て[4]、1950年の朝鮮戦争時には第5連隊長を務めた[5]。1967年に最高人民会議第4期代議員に選出された[1]。1970年に中将に昇進し[1]、朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[1]。1972年に朝鮮人民軍東海地区司令官[1]、1975年に第1軍団長に就いた[1]。1973年に上将に昇進し[1]、1974年に社会安全部護衛担当副部長に就任した[1]。咸興地区司令官を経て[1]、1982年7月に将校養成機関の金日成軍事総合大学総長に就任した[1]。1987年に大将[1]、1992年に次帥に昇進した[1]。2003年8月に実施された最高人民会議第11期代議員選挙で選出されず[2]、同年8月31日に持病のため死去[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 최인덕(崔仁德)북한지역정보넷
- ^ a b c d 北 최인덕 인민군 차수 사망 統一ニュース 2003年9月2日
- ^ 김선호 2020, pp. 156–157.
- ^ 김선호 2020, p. 459.
- ^ 『6⋅25전쟁사 2 북한의 전면남침과 초기 방어전투』(PDF)국방부군사편찬연구소、2005年、290頁 。2020年8月26日閲覧。
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 김선호『조선인민군 : 북한 무력의 형성과 유일체제의 기원』한양대학교 출판부、2020年。ISBN 9788972186809。
朝鮮民主主義人民共和国
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