松平乗寛
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永6年12月27日(1778年1月25日) |
死没 | 天保10年11月11日(1839年12月16日) |
改名 | 源二郎(幼名)→乗寛 |
墓所 | 愛知県西尾市馬場町の盛巌寺 |
官位 | 従四位下侍従、和泉守 |
幕府 | 江戸幕府寺社奉行、京都所司代、老中 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 三河西尾藩主 |
氏族 | 大給松平家 |
父母 | 父:松平乗完、母:松平武元娘・房姫 |
兄弟 |
乗寛、乗絃、義長、諏訪忠粛正室、 松平乗冬室、松平守誠正室、 小笠原長知養女 |
妻 |
正室:阿部正倫娘 伊東氏娘・仙松院 |
子 |
乗全、牧野忠衛、牧野忠恭、乗秩、 水野忠義正室、松平某室、松平信恵室 |
松平 乗寛(まつだいら のりひろ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名・老中、三河国西尾藩3代藩主。大給松平家宗家13代。官位は従四位下・侍従、和泉守。
略歴
[編集]2代藩主・松平乗完の長男として誕生。寛政5年(1793年)10月、17歳で家督を相続した。乗寛が襲封した当時、藩財政は極度に悪化しており、藩士に対して高100石につき1割の上米と、増手当米の支給を停止した。農民に対しては、先納金の借り置きや調達金の元利の据え置き、支払うべき先納金の5年間の再延期を命じた。しかし、天保の飢饉のため効果を上げることはなかった。幕府では寺社奉行を2期務め、京都所司代を経て老中に就任した。
天保10年(1839年)に死去し、家督は長男・乗全が継いだ。
年表
[編集]- 1777年(安永6年) 生誕
- 1809年(文化6年) 寺社奉行
- 1813年(文化10年) 辞任
- 1815年(文化12年) 寺社奉行再任
- 1818年(文政元年) 京都所司代
- 1822年(文政5年) 老中に就任。
- 1839年(天保10年) 在職中死去。享年63
系譜
[編集]父母
正室
- 阿部正倫の娘
側室
- 仙松院 ー 伊東氏
ほか
子女