真島一男
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真島 一男 (眞嶋 一男) まじま かずお | |
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生年月日 | 1932年10月28日 |
出生地 | 日本 新潟県長岡市 |
没年月日 | 2001年11月22日(69歳没) |
死没地 | 日本 新潟県長岡市 |
出身校 | 一橋大学大学院法学研究科修了 |
前職 |
建設省都市局長 建設省大臣官房総務審議官 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 従四位勲二等 |
選挙区 | 新潟県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1990年12月 - 1998年7月 2001年7月 - 2001年11月 |
真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年)10月28日 - 2001年(平成13年)11月22日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(通算3期)、通商産業政務次官、建設省大臣官房総務審議官、都市局長を歴任。従四位勲二等。
概要
[編集]新潟県長岡市出身。新潟県立長岡工業高等学校卒業。中央大学法学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科の田上穰治ゼミで学ぶ。旧司法試験合格。大学院修了後、1960年、建設省に入省[1]。経済企画庁総合計画局計画官、近畿地方建設局総務部長、道路局路政課長、道路局道路総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房審議官、都市局長[1]、大臣官房総務審議官[1]などを歴任[2]。1990年、国際花と緑の博覧会の大会実行委員長を務めた。
1990年の参議院新潟県選挙区補欠選挙に自由民主党から出馬し初当選[1]。1992年の第16回参議院議員通常選挙で再選、通商産業政務次官、外務委員会、農林水産委員会委員長、自民党新潟県支部連合会顧問、社団法人新潟県サッカー協会会長、アルビレックス新潟後援会会長などを歴任した。1998年の第18回参議院議員通常選挙で落選[1]。2001年7月の第19回参議院議員通常選挙で再選[1]したが、直後の同年11月22日に新潟県長岡市の長岡赤十字病院で死去。69歳没[1]。
人物
[編集]- 竹下派所属であった。妻も竹下登夫人の主催する、竹下茶話会のメンバーであった[要出典]。
- 選挙の際は「真島」を用いていたが、通常執務では「眞嶋」を用いていた[要出典]。
- タレントのはさみ家紙太郎は、真島の甥である[要出典]。
著作
[編集]著書
[編集]- 『地方公務員のための防災の知識』帝国地方行政学会, 1972
- 『裁判からみた百大事件の結末』ぎょうせい, 1991.3
- 『心に響く今日の名言』ぎょうせい, 1998.2
- 『ITS革命』ぎょうせい, 2000.9
- 『2025年のわがまち』(伊藤滋と共著)ぎょうせい, 2001.6
訳書
[編集]- ベンジャミン・フランクリン他著『プーア・リチャードの暦』,ぎょうせい, 1996.9(日本図書館協会選定図書)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]議会 | ||
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先代 鈴木貞敏 |
参議院農林水産委員長 1996年 - 1997年 |
次代 松谷蒼一郎 |