竹林寺 (高知市)
竹林寺 | |
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五重塔 | |
所在地 | 高知県高知市五台山3577番地 |
位置 | 北緯33度32分47.8秒 東経133度34分38.9秒 / 北緯33.546611度 東経133.577472度座標: 北緯33度32分47.8秒 東経133度34分38.9秒 / 北緯33.546611度 東経133.577472度 |
山号 | 五臺山 |
院号 | 金色院 |
宗旨 | 新義真言宗 |
宗派 | 真言宗智山派 |
寺格 | 触頭 |
本尊 | 文殊菩薩 |
創建年 | (伝)724年 |
開基 | (伝)行基 |
正式名 | 五臺山金色院竹林密寺 |
札所等 | 四国八十八箇所第31番 |
文化財 |
本堂・木造文殊菩薩及侍者像5躯、木造大威徳明王像ほか(重要文化財) 客殿、梵鐘、文殊菩薩坐像懸仏(県指定文化財) 庭園(名勝) |
公式サイト | 五台山 竹林寺 |
法人番号 | 5490005001139 |
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竹林寺(ちくりんじ)は、高知県高知市五台山[1]にある真言宗智山派の寺院。五臺山(ごだいさん)、金色院(こんじきいん)と号す。本尊は文殊菩薩。四国八十八箇所第三十一番札所。本尊の文殊菩薩は五十年に一度御開帳の秘仏で、切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。また、四国八十八箇所のうち文殊菩薩を本尊とするのは本寺だけである。
歴史
[編集]寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年間(806 – 810年)に空海(弘法大師)が滞在、瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復したと伝えられる。
実際の創建年代等について不詳である。中世以降は武家の信仰も厚く寺運も隆盛し、1318年(文保2年)には臨済宗の僧夢窓疎石もこの寺に滞在している。その後、寛永年間(1624年 – 1644年)空鏡によって再興された。江戸時代には土佐国における真言宗の触頭を勤める寺院のひとつであった。
明治初年の廃仏毀釈によって廃れていた当寺を明治32年(1899年)台風が襲いさらに荒廃させる。明治30年(1897年)住職に着任した船岡芳信僧正(1923年54歳遷化)は諸国を行脚また六代目竹本土佐太夫(南馬太郎1863年安田町生)を迎え文学座の勧進興行し[2]、また32回上京し所管大臣を動かして巨額の補助を得て境内を整備し再興を果たす。それは仁王門を改築してその正面にあった本堂とその左の大師堂を上段に移築し庫裡鐘楼を新築するなど境内の大修理を行った。
境内
[編集]上段
- 本堂(文殊堂):本尊は獅子に乗った文殊菩薩坐像で秘仏、通常は前仏が見える。2015年杮葺き屋根が27年ぶりにふき替えられた。
- 大師堂 - 寛永21年(1644年)土佐二代目藩主山内忠義の奉献によって建立。大師像を拝観できる。
- 三重塔の跡 - 上記と同様に同年、山内忠義の建立。明治32年台風にて倒壊し現在は大師堂の背後一段下に礎石のみが残る。
- 五重塔 - 1980年(昭和55年)再建、高さ31.2 m、間口4.8 m、総檜造。本尊は胎蔵大日如来。
- 歓喜天堂(聖天) - 本堂の向かって右から奥に入っていく。2023年現在修復工事中で仮堂で祀られている。
- 一言地蔵 - 石像と簡素な屋根。一生に一度一つだけ願いを叶えてくれる地蔵。願いが叶うと地蔵こけしを奉納する。
- 五智如来石像
- 稲荷社・子安地蔵祠・粟島明神祠
- 奥の院・船岡堂 - 明治時代末期の住職船岡芳信が生きながら入定した遺骸を納めた甕を安置。本尊は不動明王。この壇の最も奥まった所に立ち屋根を付けただけの粗末な建物だったが昭和4年現在の建物に新築し拝殿と奥殿からなる。納経及び御影の授与は当寺納経所にて。
- めぐりのもり - 最近整備されたもので、三つの池が点在した中に仏陀像や水掛地蔵石像があり、その中の小径を散策できる。
- 納骨堂 - 2013年(平成25年)新築。
- 善財童子像 - 2014年(平成26年)本尊開帳を記念し造顕。
- 接待所 - 文殊菩薩像あり。
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本堂
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大師堂
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大師堂背後に三重塔跡
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歓喜天堂
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一言地蔵
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五智如来
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稲荷社
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子安地蔵と淡島明神(右奥)
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船岡堂
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善財童子像
中段
下段
- 山門 - 入母屋造楼門、金剛力士(仁王)像を安置。
- 客殿(書院) - 大日如来像が拝観できる。
- 庭園 - 客殿から眺める名勝の池泉観賞式庭園
- 虚空蔵菩薩堂
- 宝物館 - 後述の多数の重要文化財の仏像を拝観できる。
- 鐘楼
- 句碑の庭 - 虚空蔵菩薩堂の左に句碑が6基並んでいて、右から順に、佐藤哲山「腸(はらわた)のよごれ濯がん苔清水」、似芳坊「花はらむ梢の痩せや冬木立」、松窓「折々は枯れるも時の柳かな」、芭蕉「ほろほろと山吹散るか瀧の音」、其性「寒聲のあとや松風瀧の音」、「さし柳葉となる雨のこぼれけり」。
- 本坊・庫裡・納経所&拝観受付(地下は位牌堂) - 2019年(令和元年)9月新築。設計は堀部安嗣建築設計事務所。
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日吉神社
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五台山八十八ヵ所31番
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仁王門からの参道
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句碑の庭
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本坊
少し石段を上がって山門の手前を右に進むと右側に鐘楼・宝物館があり、左側に虚空蔵菩薩堂があり、その先正面に納経所があり、見学のできる客殿と庭園の入口がある。戻って山門をくぐり参道を進み石段を上り詰めるとブロンズ製の善財童子像が立っていて、その上の高台に五重塔が聳え、左手に大師堂があり、右に進むと本堂が建つ。本堂の手前を左に行くとブッダドームがあり、その周辺が「めぐりのもり」である。その右の丘に稲荷社・子安地蔵祠・粟島明神祠があり、さらに奥まで進むと奥の院とされている船岡堂がある。本堂の右手を奥に進むと歓喜天堂があり、大師堂の右裏手に、一言地蔵がある。
- 宿坊:なし
文化財
[編集]- 本堂 - 1904年(明治37年)8月29日指定[3]。
- 書院 - 2016年(平成28年)2月9日指定[7]。
- 木造文殊菩薩及侍者像 5躯 - 1911年(明治44年)4月17日指定[9]。
- 獅子上の蓮華座に座す文殊菩薩像と4躯の侍者像からなる。各像とも楠の一木造、彩色、平安時代後期[10][9]。像高は文殊菩薩60.4 cm、善財童子76.0 cm、優填王75.4 cm、仏陀波利三蔵76.8 cm、最勝老人77.3 cm。文殊菩薩像は50年に一度開扉の秘仏で、定期開扉が霊場開創1200年記念の年である2014年の春秋に行われ、不定期の特別開扉が1983年と2023年春に空海生誕1250年および当山開創1300年で実施された。なお、文殊菩薩の台座の獅子像は二体あり、平安時代後期の獅子像は、侍者像4体と宝物館に安置され常時拝観でき、江戸時代に奉納された獅子像は秘仏文殊菩薩像と共に本堂宮殿内に納められている。[11]
- 木造釈迦如来坐像(平安時代後期)木造、古色、51.8 cm(数字は像高を表す。以下の各像についても同じ。)1911年(明治44年)4月17日指定(以下同じ)。[12]
- 木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期 - 鎌倉時代)木造、漆箔、86.3 cm[13]
- 木造阿弥陀如来立像(平安時代後期)木造、彩色古色、98.0 cm[14]
- 木造薬師如来坐像(平安時代後期)桜の一木造、素地、94.5 cm[15]
- 木造大日如来坐像(鎌倉時代 - 室町時代)木造、古色、63.2 cm[16]
- 木造千手観音立像(鎌倉時代)檜の寄木造、古色、88.5 cm[17]
- 木造十一面観音立像(平安時代中期 - 後期)檜の一木造、素地、48.8 cm[18]
- 木造勢至菩薩立像(平安時代後期)木造、古色、106.8 cm[19]
- 木造白衣観音立像(室町時代)木造、古色、100.8 cm[20]
- 木造馬頭観音立像(室町時代)木造、古色、玉眼、99.9 cm[21]
- 木造大威徳明王像(鎌倉時代)木造、彩色、160.0 cm[22]
- 木造愛染明王坐像(鎌倉時代)木造、古色、102.0 cm[23]
- 木造多聞天立像(平安時代後期)木造、素地、91.5 cm[24]
- 木造増長天立像(平安時代後期)木造、素地、93.5 cm[25]
(以上の諸仏は、本尊文殊菩薩像を除き宝物館で拝観できる)
名勝
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書院(玄関)
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書院(南側広縁)
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書院と庭園
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庭園
史跡
- 土佐遍路道 竹林寺道 - 仁王門下の出入口までの651 m(2,440.07 m2)。 2021年(令和3年)3月26日指定(史跡「土佐遍路道」への追加指定)[27][28][29]。画像左の塔は、貞享元年(1684年)銘法華経頭で柏島法華寺の日教が建立、総高:2.98 m題目式笠塔婆。
- 土佐遍路道 禅師峰寺道 - 竹林寺道終点近くの分岐より車道が横切る部分を除く267 m(964.53 m2)。 2021年(令和3年)3月26日指定(史跡「土佐遍路道」への追加指定)[27][28][29]。画像は竹林寺道との分岐からで、峯寺まで一里半。
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史跡竹林寺道
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史跡禅師峰寺道
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梵鐘
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文殊菩薩坐像懸仏
交通案内
[編集]バス
道路
拝観
[編集]- 宝物館・庭園拝観 8:30 - 17:00 拝観料は大人400円で各種割引あり。
周辺の番外霊場
[編集]- 吸江寺(ぎゅうこうじ)
- 五台山の麓にあり、竹林寺庭園を造ったと云われる夢窓疎石の庵の跡である吸江庵跡(県指定史跡)で、夢窓が2年間で去ったあとも多くの著名な門弟を輩出し土佐の中世禅寺文化の中心となった[32]。真念や寂本の遍路本にも、当寺の記述があり、また、四国遍礼名所図会(1800年調査研究)には「及郷寺」として記述されている。
- 所在地:高知県高知市吸江122 (吸江寺)
- →詳細は「吸江寺」を参照
- 高野寺
- 1883年(明治16年)高野山出張所として開創された。四国三十三観音霊場第13番札所。
- 所在地:高知県高知市本町2丁目3番18号 (高野寺)
- →詳細は「高野寺 (高知市)」を参照
前後の札所
[編集]周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ もと長岡郡五台山村大字五台山
- ^ 大師堂左横に石碑があり、その解説板より
- ^ a b 竹林寺本堂 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ “高知の文化財|竹林寺本堂”. 高知県. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “竹林寺本堂”. 高知市. 2023年6月19日閲覧。
- ^ 寺の公式サイトの本堂の説明には「寛永22年(1644年)の造営」とあるが、寛永は21年12月で改元しており、「寛永22年」は存在しない。また、西暦1644年に該当するのは寛永21年である。
- ^ 竹林寺書院 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 『月刊 へんろ』第391号、伊予鉄不動産、2016年10月1日。
- ^ a b 木造文殊菩薩及侍者像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ “高知の文化財|木造文殊菩薩及侍者像”. 高知県. 2023年6月19日閲覧。
- ^ 像高は久野健 編『図説 仏像巡礼辞典』山川出版社、1986年。全国書誌番号:20043141。による。以下の各像についても同じ。
- ^ 木造釈迦如来坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造阿弥陀如来坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造阿弥陀如来立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造薬師如来坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造大日如来坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造千手観音立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造十一面観音立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造勢至菩薩立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造白衣観音立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造馬頭観音立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造大威徳明王像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造愛染明王坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造多聞天立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造増長天立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 竹林寺庭園 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 令和3年3月26日文部科学省告示第48号
- ^ a b 土佐遍路道 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 土佐遍路道 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ “高知の文化財|梵鐘”. 高知県. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “高知の文化財|文殊菩薩坐像懸仏”. 高知県. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “文化財情報 史跡 吸江庵跡”. 高知市. 2023年6月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 四国八十八ヶ所霊場会 編『先達教典』四国八十八ヶ所霊場会、2006年。
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。
- “高知の文化財|高知県の国及び県指定等文化財件数一覧表”. 高知県. 2023年6月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 五台山 竹林寺(寺院公式)
- 第31番札所 五台山 金色院 竹林寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)