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黒潮 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒潮
進水する黒潮
進水する黒潮
基本情報
建造所 藤永田造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 陽炎型駆逐艦
艦歴
発注 ③計画
起工 1937年8月31日
進水 1938年10月25日
就役 1940年1月27日
最期 1943年5月8日戦没
除籍 1943年6月20日
要目
基準排水量 2,033トン
全長 118.5メートル
最大幅 10.8メートル
吃水 3.8メートル
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式衝動タービン2基2軸
出力 52,000馬力
最大速力 35.5ノット
航続距離 5,000/18ノット
乗員 239人
兵装 竣工時
50口径12.7cm連装砲×3
25mm連装機関砲(機銃)×2
61cm魚雷発射管4連装×2
対潜水艦用爆雷16個 ほか
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黒潮(くろしお/くろしほ)は、日本海軍駆逐艦[1]

概要

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一等駆逐艦「黒潮」は陽炎型駆逐艦の3番艦[2]。竣工直後は第二水雷戦隊麾下の第16駆逐隊、続いて第15駆逐隊に所属して、フィリピン攻略戦蘭印作戦スラバヤ沖海戦)、ガダルカナル島攻防戦鼠輸送南太平洋海戦第三次ソロモン海戦ルンガ沖夜戦)等に参加[3]。本艦は1943年(昭和18年)5月8日コロンバンガラ島への輸送作戦中に触雷し、第15駆逐隊の姉妹艦2隻(陽炎親潮)と同時に沈没した[3]

黒潮」の艦名は海上自衛隊の潜水艦として継承され、ガトー級潜水艦くろしお旧名ミンゴ)」、うずしお型潜水艦「くろしお」、おやしお型潜水艦「くろしお」が就役した。

艦歴

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太平洋戦争以前

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陽炎型駆逐艦3番艦「黒潮」は仮称19号艦として藤永田造船所1937年(昭和12年)8月31日に起工[4][5]。同年12月9日、藤永田造船所で陽炎型6番艦「夏潮」が起工される[6]

1938年(昭和13年)4月15日、日本海軍は舞鶴海軍工廠で建造中の駆逐艦を『陽炎』、浦賀船渠の同型駆逐艦を『不知火』、藤永田造船所の本艦を『黒潮』、東京石川島造船所測天型敷設艇2番艇を「白神」と命名する[7][1]。同日附で艦艇類別等級表に『陽炎型駆逐艦』が新設され、3隻(陽炎、不知火、黒潮)は同型に類別された[8]。 同年10月25日、「黒潮」は進水[5][9]

1939年(昭和14年)2月23日、藤永田造船所で「夏潮」が進水[6][10]。本艦と同時に艤装工事が進められる[11]。同年4月11日、藤永田造船所で陽炎型11番艦「浦風」が起工[12]。 10月16日、日本海軍は吹雪型駆逐艦22番艦「」駆逐艦長岡本次郎少佐を黒潮艤装員長に任命する(後任の響艦長は、白露型4番艦「夕立」艦長岡三知夫少佐)[13]。10月22日、藤永田造船所に設置した黒潮艤装員事務所は事務を開始する[14]

1940年(昭和15年)1月20日、佐世保海軍工廠で陽炎型8番艦「雪風」が竣工[15]、呉へ回航される[16]。 「雪風」竣工から一週間遅れた1月27日、陽炎型3番艦「黒潮」は竣工[4][5][17]。岡本中佐も黒潮駆逐艦長(初代)に任命される[18]。藤永田造船所に設置されていた黒潮艤装員事務所を撤去[19]。 同日附で日本海軍は、陽炎型2隻(雪風、黒潮)により第16駆逐隊(司令島崎利雄大佐)を編制[18][20]。初代司令駆逐艦は「雪風」[21]2月15日、神戸川崎造船所で陽炎型7番艦「初風」が竣工[22]。同日附で第16駆逐隊に編入され[20]、呉に移動する。2月24日、「黒潮」も大阪から呉に回航[23]。第16駆逐隊は3隻(黒潮、初風、雪風)を揃えた[20]第二艦隊第二水雷戦隊に所属[24][25]

10月11日、第16駆逐隊3隻(初風《司令駆逐艦》、雪風、黒潮)は紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式に参加する[26][5]。同駆逐隊は、第三戦隊、第七戦隊、第八戦隊、第8駆逐隊、第18駆逐隊と共に第三列に配置されていた[27]。10月26日に陽炎型9番艦「天津風」が、12月15日に陽炎型10番艦「時津風」が竣工して漸次第16駆逐隊に編入されると、「黒潮」は11月15日附で第15駆逐隊に転出した[20]。第15駆逐隊は8月31日附で、陽炎型3隻(4番艦親潮、5番艦早潮、6番艦夏潮)によって編制されていた[28]。黒潮編入時の第15駆逐隊司令は植田弘之介大佐[29]、本艦の編入で定数4隻を揃えた[30]。 同日附で岡本中佐(黒潮艦長)は海軍水雷学校教官へ転任、吹雪型8番艦「白雲」艦長前川新一郎中佐が、黒潮駆逐艦長(二代目)に任命される[31]。第15駆逐隊も第二艦隊・第二水雷戦隊所属となる[32]

1941年(昭和16年)6月18日、第15駆逐隊司令は植田大佐から佐藤寅治郎大佐(前職、第4駆逐隊《野分萩風舞風》司令)[33][34]に交代した(植田は9月20日より日本丸監督官)[35]。 6月23日、連合艦隊の第16回応用訓練が終了した午後6時頃、日向灘で同型艦「夏潮」(15駆僚艦)、朝潮型駆逐艦8番艦「峯雲」(第9駆逐隊)、本艦の多重衝突事故が発生[36][3]。「黒潮」は後進をかけた「峯雲」に追突し、艦首部分に損傷を受けた[37]。修理は呉工廠において約1ヶ月間かけて行われた[38]。7月26日、修理完了[3]。 9月10日、前川中佐(黒潮艦長)は海軍兵学校副官に補職[39]。日本海軍は、睦月型駆逐艦6番艦「水無月」艦長[40][41]古鷹型重巡洋艦2番艦「加古」水雷長[41][42]峯風型駆逐艦12番艦「帆風」艦長[42][43]等を歴任し、当時は吹雪型13番艦「朝霧」艦長[43]だった宇垣環中佐を黒潮駆逐艦長(三代目)に任命する[39]。 9月15日、第二水雷戦隊司令官五藤存知少将は第六戦隊(青葉加古衣笠古鷹)司令官へ転任(翌年10月、サボ島沖海戦で青葉大破時に戦死)、後任の二水戦司令官は第六潜水戦隊司令官田中頼三少将となった[44]

太平洋戦争緒戦

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1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦時、「黒潮」は引続き同型艦3隻(親潮早潮夏潮)と共に第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦/「神通」)・第15駆逐隊(司令官佐藤寅治郎大佐)に所属、比島部隊(指揮官高橋伊望中将/第三艦隊司令長官)の指揮下にあった[45]。 第二水雷戦隊の麾下駆逐隊には、陽炎型編制の駆逐隊が15駆のほかに2つ所属していた。第16駆逐隊(初風天津風時津風雪風)と第18駆逐隊(陽炎不知火、《朝潮型駆逐艦:》)である。このうち第18駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦阿武隈)の指揮下にあって南雲機動部隊警戒隊として真珠湾攻撃に参加しており、第二水雷戦隊本隊とは別行動であった[45]

開戦と同時に第15駆逐隊はダバオホロ攻略作戦に参加した[30][3]1942年(昭和17年)1月4日、メナド攻略作戦に参加し、以降、ケンダリー攻略作戦、アンボン攻略作戦、マカッサル攻略作戦に参加[30][3]。一連の任務に従事中の2月8日、マカッサル沖で輸送船団護衛中の第15駆逐隊(夏潮、親潮、黒潮)は米潜水艦「S-37」に襲撃される[46][47]。「黒潮」は、魚雷が命中して航行不能となった「夏潮」の曳航を行うも[48]2月9日朝になり浸水が進み「夏潮」は沈没した[49][47]。同艦は陽炎型はじめての喪失艦となる[50]。 第15駆逐隊は司令駆逐艦を「親潮」に変更し[51][52]、しばらく陽炎型3隻(黒潮、親潮、早潮)編制で行動を続ける(夏潮は2月28日附で第15駆逐隊より除籍)[53]。以後、クーパン攻略作戦、ジャワ南方機動作戦に参加[30][3]。 3月15日、スラウェシ島スターリング湾を出港し、日本本土まで空母「加賀」(前月、パラオ入港時に座礁して艦底を損傷中)を護衛した[30][54]。3月22日、佐世保に到着[54]

4月17日、呉を出撃[3]。フィリピン方面へ進出中の4月18日夕刻、第15駆逐隊はドーリットル空襲に遭遇[55]。「黒潮」は宮崎県都井岬沖でB-25爆撃機に対して主砲10発と機銃31発を発射したが、戦果は無かった[56]。一連の空襲に対処したあと、15駆はフィリピンカガヤン攻略作戦に参加[57]。5月10日、第15駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)はマニラを出港し、内地帰投中の翔鶴型航空母艦1番艦「翔鶴」(同艦は5月8日の珊瑚海海戦で大破、損傷中)[58]及び同行駆逐艦2隻(夕暮)と合流、5月17日呉軍港に到着した[59][3]

6月上旬のミッドウェー海戦における第二水雷戦隊は、攻略部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)指揮下にあって、輸送船団の護衛に従事した[60]。6月20日、桂島泊地(瀬戸内海)に戻る[3]。7月16日、呉を出撃してB作戦に参加。ペナン沖で対潜警戒活動を実施[3]。 7月5日、アリューシャン方面作戦に従事中の二水戦・第18駆逐隊3隻(不知火、霞、霰)は、米潜水艦グロウラーUSS Growler, SS-215)に雷撃され[46]、大損害を蒙った(沈没、不知火大破航行不能)[61][62]。第18駆逐隊司令宮坂義登大佐は更迭される[63](後日、予備役に編入)[64]。 7月15日、陽炎型1番艦「陽炎」は第18駆逐隊から第15駆逐隊に編入され、15駆は再び陽炎型4隻(黒潮、親潮、早潮、陽炎)を揃えた[65][30]。第18駆逐隊は8月15日附で解隊された[66]

ガダルカナル島の戦い

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1942年(昭和17年)8月7日以降、ガダルカナル島の戦いがはじまると、第15駆逐隊および第二水雷戦隊もソロモン諸島に投入される。ガダルカナル島への駆逐艦輸送作戦『鼠輸送』に10回従事した。10月、二水戦はヘンダーソン基地艦砲射撃南太平洋海戦に参加。11月10日、黒潮駆逐艦長は宇垣環中佐から竹内一中佐[67]に交代(竹内は11月6日まで吹雪型24番艦「」艦長)[68]。直後の第三次ソロモン海戦では、輸送船団の護衛部隊として参加する。 11月21日、陽炎型5番艦「早潮」(第15駆逐隊)は単艦で第十八戦隊の指揮下に入り、駆逐艦5隻(春雨白露磯波、早潮)によるパプアニューギニアラエ輸送作戦に投入される[30]。11月24日夜、「早潮」は空襲を受けて大破して沈没(白露による砲撃処分)[69]。第15駆逐隊は3隻編制(親潮、黒潮、陽炎)になった[70]

11月30日、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(駆逐艦「長波」座乗)が指揮する第二水雷戦隊(第31駆逐隊《高波長波巻波》、第15駆逐隊《親潮黒潮陽炎》、第24駆逐隊《江風涼風》)はルンガ沖夜戦で勝利を収めるが[71][72]、夕雲型6番艦「高波」(第31駆逐隊司令清水利夫大佐戦死)を喪失した[73][74]。15駆2隻(親潮《残魚雷0本》、黒潮《残魚雷2本》)は田中司令官より航行不能となった「高波」救援命令を受けたが[75]、救助活動開始寸前で米艦が接近してきたため、救援を中止して避退した[76]。 第二水雷戦隊は引続き、ガダルカナル島へのドラム缶輸送に従事。 12月26日、第15駆逐隊司令は佐藤寅治郎大佐から牟田口格郎大佐に交代(佐藤大佐は、翌年2月より二水戦旗艦神通艦長。コロンバンガラ島沖海戦で戦死)[77][78][79]。 12月29日附で第二水雷戦隊司令官も田中頼三少将から小柳冨次少将(前職、金剛型戦艦1番艦「金剛」艦長)に交代[77][80]。この後、田中少将は陸上部隊勤務となり、二度と海上で指揮を執ることはなかった[81][82]

1943年(昭和18年)1月以降も第15駆逐隊は引き続きガダルカナル島輸送作戦を始め、各方面の作戦に参加[83]。1月2日の第五次ガ島輸送作戦(親潮、黒潮、陽炎、長波、巻波、江風、涼風、電、荒潮)では駆逐艦「涼風」(第24駆逐隊)が空襲により中破[84]1月10日の第六次ガ島輸送作戦では、小柳司令官が「黒潮」に座乗して指揮をとり、一時期的に「黒潮」が第二水雷戦隊旗艦となる[85]。この作戦では駆逐艦8隻(黒潮、巻波、江風、嵐、大潮、荒潮、初風、時津風)が参加して、第16駆逐隊の姉妹艦「初風」が米軍魚雷艇の雷撃を受け大破している[86]。11日以降、「黒潮」はトラック泊地で待機し、第二水雷戦隊各艦もトラック泊地に集結していった[87]。1月23日、修理を終えた軽巡「神通」がトラックに到着する。同時期、第十戦隊司令官に任命された小柳少将は第二水雷戦隊司令官職を離れ、後任の二水戦司令官は伊崎俊二少将となる[88]。また二水戦から長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」(第三次ソロモン海戦で損傷)が外れ、二水戦旗艦は同隊に復帰した「神通」に変更された[89][90]

2月上旬、「黒潮」はガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に従事する[91]。第二次作戦と第三次作戦で、姉妹艦「舞風」(第4駆逐隊)・「磯風」(第17駆逐隊)がそれぞれ損傷したが、「黒潮」は第二次作戦で至近弾により多少被害を受けた程度であった[92]。作戦終了後、「黒潮」は輸送船と衝突した白露型駆逐艦9番艦「江風」(第24駆逐隊)を曳航してショートランド泊地からラバウルに向かう[93]。 2月15日にトラック帰投後、僚艦「陽炎」と共に空母「隼鷹」を護衛する事になった[94]。2月15日、隼鷹隊(隼鷹、黒潮、陽炎)は第三戦隊(金剛榛名)、空母「冲鷹」、水上機母艦「日進」、重巡2隻(鳥海利根)、護衛駆逐艦(時雨大波)と共にトラック泊地を出港するが、トラック陸上基地に展開中の「隼鷹」航空隊を悪天候のため収容することが出来ず、3隻のみトラック泊地に留まった[95]。2月16日、3隻は隼鷹航空隊を収容するとトラックを発ち、21日に呉へ到着した[96]。以後、呉工廠で修理に従事する[3]。 2月23日附で黒潮駆逐艦長は、竹内中佐から[97]、白露型1番艦「白露」艦長[98]や同型「海風」艦長[99]等を歴任した杉谷永秀中佐に交代した[97]

沈没

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1943年(昭和18年)4月2日、15駆2隻(黒潮、親潮)は横須賀に到着[100]。4月4日、駆逐艦4隻(黒潮、親潮、)は、大鷹型航空母艦2隻(大鷹冲鷹)と高雄型重巡洋艦3番艦「鳥海」を護衛して横須賀を出発、トラックまで護衛した[101][102]。 同時期、ムンダやコロンバンガラ島の部隊が栄養不良などにより戦力が低下していたため部隊の補充交代が実施されることになり、4月29日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガラ輸送が行われることになった[103]。第15駆逐隊もこの任務に投入され[104]、4月26日にラバウルへ移動した[105]。「黒潮」は4月29日の第一回、5月3日の第三回と参加したが[106]、毎回同じ航路を取ったため5月6日にアメリカの機雷敷設艦ブリーズ、プレーブル、ギャンブルがブラケット水道に機雷を敷設した[107]5月7日17時、第15駆逐隊(親潮黒潮陽炎)はブインから第五回の輸送に出発した[106]。3隻は前回同様ファーガスン水道、ブラケット水道を通って5月8日1時ごろにコロンバンガラ島ビラ沖に入泊し、搭載人員、物資を下ろして帰還者を乗せると3時10分ごろに出港した[108]。3時49分、アウェイ島北西約0.6海里で「親潮」が触雷[109]。それを潜水艦の雷撃と考えた2隻(黒潮、陽炎)は爆雷を投下したが、4時11分ごろに今度は「陽炎」が触雷し、5時6分に「黒潮」も触雷して瞬時に沈没した[109][110]。損傷した「親潮」と「陽炎」も、米軍機の空襲を受け沈没した[111][112]。「黒潮」では83名の戦死者が出た[109]。救助に向かっていた第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐指揮下の駆逐艦2隻(萩風海風)は速報を受けて遭難現場に到着したが、生存者より3隻沈没の報告を受けて引き返した[113]

6月1日、杉谷中佐は黒潮駆逐艦長[114]の職務を解かれた(後日、杉谷は秋月型駆逐艦3番艦「涼月」駆逐艦長[115]等を歴任)。 6月20日、陽炎型3隻(黒潮、親潮、陽炎)は帝国駆逐艦籍より除籍[116]。全滅した第15駆逐隊も同日附で解隊された[117][30]。陽炎型駆逐艦の名称も「不知火型駆逐艦」に改定され、3隻は不知火型駆逐艦籍からも削除された[118]

歴代艦長

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艤装員長
  1. 岡本次郎 少佐/中佐:1939年10月15日[13] - 1940年1月27日[18]
駆逐艦長
  1. 岡本次郎 中佐:1940年1月27日[18] - 1940年11月15日[31]
  2. 前川新一郎 中佐:1940年11月15日[31] - 1941年9月10日[39]
  3. 宇垣環 中佐:1941年9月10日[39] - 1942年11月10日[67]
  4. 竹内一 中佐:1942年11月10日[67] - 1943年2月23日[97]
  5. 杉谷永秀 中佐:1943年2月23日[97] - 1943年6月1日[114]

参考文献

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  • 生出寿『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』光人社、1996年12月。ISBN 4-7698-2143-3 
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年。 
  • 木俣滋郎、『日本水雷戦史』、図書出版社、1986年
  • 志賀博ほか『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7 
    • 当時「陽炎」水雷長・海軍大尉高田敏夫『十五駆「陽炎」コロンバンガラ触雷沈没記 仕掛けられた罠。親潮、黒潮、陽炎を襲ったブラケット水道の悲運
    • 戦史研究家大浜啓一『日本の駆逐艦かく戦えり 太平洋戦争を第一線級駆逐艦約一五〇隻が戦った海戦の実情
  • 重本俊一(海軍兵学校70期)『回天発進 わが出発は遂に訪れず』光人社、1989年4月。ISBN 4-7698-0436-9 
  • 重本俊一『落日の日本艦隊 体験的連合艦隊始末記』光人社NF文庫、2014年7月。ISBN 978-4-7698-2841-9 
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8 
    • 当時「早潮」分隊士・海軍少尉岡本辰蔵『快速輸送「早潮」兵員物資の積み降ろし秘法 命がけのネズミ輸送"東京急行"に従事した揚陸指揮官の苦心惨憺
    • 当時「親潮」航海士・海軍少尉重本俊一『わが「親潮」ルンガ沖に突入せよ 米艦隊の真っ只中に殴り込んだ親潮、黒潮、陽炎のルンガ沖夜戦
    • 当時「親潮」航海士・海軍少尉重本俊一『熱き海ソロモンに響く"三つの弔鐘"悲し 昭和十八年五月八日、クラ湾で触雷沈没した親潮、黒潮、陽炎の最期
    • 当時 四駆逐隊付・海軍少尉候補生戸田専一『乗艦「舞風」「萩風」ネズミ輸送の悲惨を語れ 駆逐艦の損傷相次ぎ風雲急を告げるソロモン戦線五ヶ月の体験
    • 戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第四巻 昭和十七年一月一日~昭和十七年九月三十日』中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-X 
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9
  • 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0 
    • 当時「黒潮」三代目艦長・海軍中佐宇垣環『第十五駆逐隊「黒潮」艦長の奮戦苦闘記 緒戦期からガ島血戦まで。夏潮の最後と黒潮、親潮、早潮=十五駆の航跡
    • 当時「陽炎」信号員・海軍一等兵曹谷義保『十五駆逐隊「陽炎」ソロモン輸送航海記 黒潮、親潮、早潮の十五駆へ編入。最多ともいえる二十数回の決死行
    • 当時「舞風」乗組四駆逐隊付・海軍少尉候補生戸田専一『第四駆逐隊「舞風」ガ島沖に突入せよ 兵学校卒業したての候補生が初陣でのぞんだガ島撤収作戦で被弾中破
  • 半藤一利航空戦史シリーズ41 ルンガ沖夜戦』朝日ソノラマ、1984年5月。ISBN 4-257-17041-7 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室、『戦史叢書 南東方面海軍作戦3 ガ島撤収後』、朝雲新聞社、1976年
  • 雑誌『』編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年10月。ISBN 4-7698-0818-6 
  • 吉田俊雄「第1部 第二水雷戦隊」『航空戦史シリーズ 波濤を越えて』朝日ソノラマ、1985年6月。ISBN 4-257-17057-3 
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    • 『第八輯 観兵式及観艦式 第二編 紀元二千六百年特別観艦式 第二章 実施』。Ref.A10110010100。 
    • 『第八輯 観兵式及観艦式 第二編 紀元二千六百年特別観艦式 第三章 実施』。Ref.A10110010200。 
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    • 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13072003500。 
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/16駆隊機密第25号の21 第16駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120970000。 
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/第15駆機密第35号 第15駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120969900。 
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/第15駆機密第27号の19 第15駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120979500。 
    • 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/第15駆機密第27号の11 第15駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120988300。 
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。 
    • 『昭和17年2月1日~昭和17年2月28日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030092400。 
    • 『昭和17年2月1日~昭和17年2月28日 第2水雷戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030092500。 
    • 『昭和17年2月1日~昭和17年2月28日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030092600。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年4月30日 呉鎮守府戦時日誌(7)』。Ref.C08030324400。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年4月30日 呉鎮守府戦時日誌(8)』。Ref.C08030324500。 
    • 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/1.経過』。Ref.C13120038500。 
    • 『昭和17年12月1日~昭和19年5月26日 特設水上機母艦山陽丸戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030661000。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030100200。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030100300。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030100400。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030100500。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030100600。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030100700。 
    • 『昭和13年達/4月(2)』。Ref.C12070103700。 
    • 『昭和13年 達 完/9月(2)』。Ref.C12070104300。 
    • 『昭和17年1月~3月 内令1巻/昭和17年2月(4)』。Ref.C12070161100。 
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。Ref.C12070164200。 
    • 『昭和17年7月~9月 内令 3巻/昭和17年8月分(2)』。Ref.C12070164500。 
    • 『昭和17年10月~12月 内令4巻止/昭和17年12月(4)』。Ref.C12070167000。 
    • 『昭和18年5~6月 内令2巻/昭和18年6月(4)』。Ref.C12070178200。 
    • 『昭和18年5~6月 内令2巻/昭和18年6月(5)』。Ref.C12070178300。 

脚注

[編集]
  1. ^ a b #達昭和13年4月(2)pp.11-12『達第六十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、掃海艇二隻、敷設艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年四月十五日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 陽炎(カゲロフ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 不知火(シラヌヒ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 黒潮(クロシホ)|三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第七號掃海艇|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第八號掃海艇|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 白神(シラカミ)|鶴見製鐡造船會社ニ於テ建造 第七號驅潜艇』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『駆逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』
  3. ^ a b c d e f g h i j k l #ハンディ判艦艇写真集17p.132(駆逐艦『陽炎型・夕雲型・島風』行動年表◆黒潮◆)
  4. ^ a b #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『黒潮|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日12-8-31|進水年月日13-10-25|竣工年月日15-1-27|(兵装略)』
  5. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集17p.100(黒潮進水式写真)
  6. ^ a b #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『夏潮|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日12-12-9|進水年月日14-2-23|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  7. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.211『◎驅逐艦陽炎不知火黒潮及第七號掃海艇命名ノ件 昭和十三年四月十五日(達六六) 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、掃海艇二隻、敷設艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 陽炎(カゲロフ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 不知火(シラヌヒ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 黒潮(クロシホ)|三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第七號掃海艇|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第八號掃海艇|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 白神(シラカミ)|鶴見製鐡造船株式會社ニ於テ建造 第七號驅潜艇』
  8. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十三年四月十五日(内令三〇七) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部朝潮型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |陽炎型|陽炎、不知火、黒潮| 掃海艇第一號型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第七號型|第七號、第八號|』
  9. ^ 昭和13年10月26日(水)海軍公報(部内限)第三千四十六號 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C12070375600 『○進水 驅逐艦黒潮十月二十五日株式會社藤永田造船所ニ於テ進水セリ』
  10. ^ #ハンディ判艦艇写真集17p.105(夏潮進水式写真)
  11. ^ 昭和14年2月24日 海軍公報(部内限)第3143号 pp.44-45」 アジア歴史資料センター Ref.C12070379700 『○艦船所在 ○二月二十四日午前十時調』
  12. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『浦風|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日14-4-11|進水年月日15-4-10|竣工年月日15-12-15|(兵装略)』
  13. ^ a b 昭和14年10月16日(発令10月16日付)海軍辞令公報(部内限)第391号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076400 
  14. ^ 昭和14年10月27日(金)海軍公報(部内限)第三千三百四十五號 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C12070381500 『○艤装員事務所設置 黒潮艤装員事務所ヲ大阪市住吉區株式會社藤永田造船所内ニ設置シ十月二十二日事務ヲ開始セリ』
  15. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『雪風|一等駆逐艦|(性能略)|佐世保工廠|起工年月日13-8-2|進水年月日14-3-24|竣工年月日15-1-20|(兵装略)』
  16. ^ 昭和15年1月22日 海軍公報(部内限)第3409号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386200 【航海中】雪風(二十日佐世保發-呉へ)
  17. ^ #陽炎型(2014)304-305頁『黒潮(くろしお)』
  18. ^ a b c d 昭和15年1月27日(発令1月27日付)海軍辞令公報(部内限)第434号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
  19. ^ 昭和15年1月27日(土)海軍公報(部内限)第三千四百十四號 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386300 『○艤装員事務所撤去 驅逐艦黒潮艤装員事務所ハ一月二十七日撤去セリ』
  20. ^ a b c d #陽炎型(2014)115頁『第十六駆逐隊(初風・雪風・天津風・時津風)』
  21. ^ 昭和15年2月2日 海軍公報(部内限)第3419号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386400 『○司令驅逐艦指定 第十六驅逐隊司令ハ一月二十七日司令驅逐艦ヲ雪風ニ指定セリ』
  22. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『初風|一等駆逐艦|(性能略)|川崎造船所|起工年月日12-12-3|進水年月日14-1-24|竣工年月日15-2-15|(兵装略)』
  23. ^ 昭和15年2月24日 海軍公報(部内限)第3438号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386700 【航海中】黒潮(二十四日大阪發-呉へ)』
  24. ^ #ハンディ判艦艇写真集17100頁
  25. ^ #支那事変16駆第8回p.1『第十六驅逐隊|勲功丙|自昭和十五年四月二十九日至昭和十五年十一月十五日|第二艦隊第二水雷戰隊ニ属シ事變内地待機並ニ事變関係業務ニ從事』
  26. ^ #紀元二千六百年特別観艦式・第二章pp.14,32、#紀元二千六百年特別観艦式・第三章p.1
  27. ^ #紀元二千六百年特別観艦式・第二章p.58
  28. ^ #支那事変15駆第8回p.1『夏潮 親潮 早潮|功労甲|自昭和十五年八月三十一日/至同年十一月十五日|呉鎮守府警備練習駆逐隊トシテ任務遂行』
  29. ^ 昭和15年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  30. ^ a b c d e f g h #陽炎型(2014)113-115頁『第十五駆逐艦(黒潮・親潮・早潮・夏潮・陽炎)』
  31. ^ a b c 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 
  32. ^ #支那事変15駆第9回p.1『早潮 親潮 夏潮 黒潮|勲功丙|自昭和十五年十一月十五日至同十六年五月三十一日|第二艦隊第二水雷戰隊ニ編入セラレ對事変内地待機』
  33. ^ 昭和16年6月18日(発令6月18日付)海軍辞令公報(部内限)第657号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081400 
  34. ^ 後日、佐藤は軽巡神通艦長。神通沈没時に戦死(コロンバンガラ島沖海戦
  35. ^ 昭和16年9月20日(発令9月20日付)海軍辞令公報(部内限)第716号 p.43」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  36. ^ #ハンディ判艦艇写真集17p.91(峯雲損傷写真)
  37. ^ #ハンディ判艦艇写真集17p.101(黒潮損傷艦首写真)
  38. ^ #陽炎型(2014)180頁(呉入渠時の、損傷した黒潮艦首写真)』
  39. ^ a b c d 昭和16年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第708号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 
  40. ^ 昭和11年05月27日付 官報第2818号。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959299 p.7
  41. ^ a b 昭和12年11月5日(発令11月5日付)海軍辞令公報(号外)第87号 p.10宇垣免職・磯久補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500 
  42. ^ a b 昭和13年8月5日(発令8月5日付)海軍辞令公報(部内限)号外 第219号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  43. ^ a b 昭和14年11月1日(発令11月1日付)海軍辞令公報(部内限)第397号 p.5宇垣環(免帆風艦長、補朝霧艦長)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076600 
  44. ^ 昭和16年9月15日(発令9月15日付)海軍辞令公報(部内限)第713号 p.26」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  45. ^ a b #戦史叢書26海軍進攻作戦付表第一『南方部隊作戦関係主要職員表 昭和十六年十二月八日』
  46. ^ a b 叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  47. ^ a b #ハンディ判艦艇写真集17p.132(駆逐艦『陽炎型・夕雲型・島風』行動年表◆夏潮◆)
  48. ^ #海軍駆逐隊(2015)188-189頁『僚艦夏潮の最後』
  49. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.16『第一根拠地隊司令官/夏潮2月8日2215位置南緯5度36.9分東経119度6.6分ニ於テ輸送船団護衛中敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ9日0843沈没』
  50. ^ #陽炎型(2014)303-304頁『夏潮(なつしお)』
  51. ^ 昭和17年2月18日 海軍公報(部内限)第4022号 p.40」 アジア歴史資料センター Ref.C12070419200 『○司令驅逐艦變更 第三十二驅逐隊司令ハ二月二日司令驅逐艦ヲ刈萱ニ變更セリ/第十五驅逐隊司令ハ二月九日司令驅逐ヲ親潮ニ變更セリ』
  52. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.16『第15駆逐隊司令/司令駆逐艦ヲ夏汐ヨリ親潮ニ変更セリ』
  53. ^ #内令昭和17年2月(4)p.18『内令第三百六十六號|驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年二月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「、夏潮」ヲ削ル』
  54. ^ a b #木俣空母169頁
  55. ^ #S1701呉鎮日誌(7)p.53『十九日一五〇〇 十五驅司令(宛略)十五驅機密第二二四番電 十八日一六〇〇ヨリ一六四〇迄都井岬ノ五二度三六浬ニテ双発双方舵大型機(陸軍イ式重爆撃機ニ酷似)五機(編隊セズ)高度五〇乃至一〇〇米ニテ南西方ニ向ケ黒潮ハ内一機ニ米國マークヲ確認シ之ヲ撃攘セリ敵機ハバンクヲ行ヒ且車輪ヲ出シアリ塗色濃緑色ニシテ胴體後部ノ白色マーク(明瞭ナラザルモノ多シ)ノ外識別極メテ困難』
  56. ^ 柴田武彦、原勝洋、『日米全調査 ドーリットル空襲秘録』、アリアドネ企画、2003年、ISBN 4-384-03180-7、125、129ページ
  57. ^ #落日の日本艦隊77-80頁『ハ 三八式歩兵銃』
  58. ^ #落日の日本艦隊80-81頁『ニ 初の空母激突』
  59. ^ #S1705五航戦(経過)p.6『5月9日翔鶴ハ避退ノ途次主力部隊ニ編入呉回航ヲ命ゼラレ夕暮漣及第15駆逐隊ノ警戒下ニ5月17日1830呉着修理整備ニ従事ス』
  60. ^ #ミッドウエイ作戦p.16『四.攻略部隊』
  61. ^ #陽炎型(2014)301頁『霰(あられ)』
  62. ^ #陽炎型(2014)303頁『不知火(しらぬい)』
  63. ^ 昭和17年7月18日(発令7月14日付)海軍辞令公報(部内限)第901号 p.20」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086300 
  64. ^ 昭和18年3月20日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1076号 pp.15-16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090100 
  65. ^ #内令昭和17年7月分(3)p.28『内令第千三百二十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎 第十八驅逐隊ノ項中「陽炎、」ヲ削リ第十五驅逐隊ノ項中「早潮」ノ下ニ「、陽炎」ヲ加フ』
  66. ^ #内令昭和17年8月分(2)p.40『内令第千五百三十號 驅逐隊編制中左ノ通改正セラル 昭和十七年八月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  67. ^ a b c 昭和17年11月10日(発令11月10日付)海軍辞令公報(部内限)第985号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  68. ^ 昭和17年11月7日(発令11月6日付)海軍辞令公報(部内限)第979号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  69. ^ #陽炎型(2014)304頁『早潮(はやしお)』
  70. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.29『内令第二千三百七十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年十二月二十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「早潮、」ヲ削ル|第三十一驅逐隊ノ項中「、高波」ヲ削ル』
  71. ^ #落日の日本艦隊175頁『13.ルンガ沖夜戦』
  72. ^ #回天発進75頁『ルンガ沖夜戦合戦図』
  73. ^ #陽炎型(2014)318頁『高波(たかなみ)』
  74. ^ #駆逐艦物語75-76頁『▽ルンガ沖夜戦』
  75. ^ #回天発進86-87頁『9 僚艦を救え』
  76. ^ #回天発進89-92頁
  77. ^ a b 昭和17年12月26日(発令12月26日付)海軍辞令公報(部内限)第1021号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700 
  78. ^ 昭和18年2月15日(発令2月12日付)海軍辞令公報(部内限)第1053号 p.27」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700 
  79. ^ #回天発進103-104頁『艦も人も入渠修理』
  80. ^ 昭和17年12月31日(発令12月29日付)海軍辞令公報(部内限)第1022号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700 
  81. ^ #半藤(朝日ソノラマ)235-236頁
  82. ^ #波濤を越えて86頁
  83. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.5『黒潮ハ第六次(10日11日)「ガ」島輸送作戦ニ従事後引続キ外南洋部隊ニ残留シ同方面作戦ニ従事』
  84. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.8『第五次「ガ」島輸送|2日3日|2sd司令部、15dg(親潮、黒潮、陽炎)、31dg(長波、巻波)、24dg(江風、涼風)、磯波、電、荒潮|涼風空爆至近弾ニ依リ中破』
  85. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.7『備考(一)23日迄将旗ヲ長波ニ移揚、但シ第六次「ガ」島輸送作戦中一時黒潮ニ移揚』
  86. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.8『第六次「ガ」島輸送|10日11日|2sd司令部、黒潮、巻波、24dg(江風)、4dg(嵐)、8dg(大潮、荒潮)、16dg(初風、時津風)|初風魚雷艇ノ雷撃ヲ受ケ大破』
  87. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.10『四.第二水雷戦隊各隊(艦)行動要覧(斜線部航海中)』
  88. ^ 昭和18年1月25日(発令1月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1040号 p.14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089500 
  89. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.10『四.第二水雷戰隊各隊(艦)行動要覧(斜線部航海中)』
  90. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.7『(二)23日小柳司令官退隊、長波将旗ヲ徹ス。30日伊崎司令官着任、神通ニ将旗ヲ揚グ|(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官着任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戦隊司令官ノ職務ヲ代理ス』
  91. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.3『黒潮外南洋部隊増援部隊トシテ第一次(1日)第二次(4日)第三次(7日)「ガ」島撤収作戦ニ従事、9日前進部隊ニ復帰。11日損傷艦江風ヲ曳航シ「ショートランド」発13日「ラバウル」着、同日同地発15日「トラック」着、16日同地発陽炎ト隼鷹ヲ護衛21日呉着修理ニ従事』
  92. ^ #S1801二水戦日誌(3)pp.13-14『二.第二次ガ島撤収 参加駆逐艦20隻(黒潮、江風参加)撤収人員4760、舞風爆撃ニ依リ損傷(長月曳航)、江風黒潮爆撃至近弾ニ依リ小破(作戦続行)』
  93. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.19『11日/一.0500黒潮、江風ヲ曳航「ショートランド」発||13日/一.0135 黒潮、江風「ラバウル」着 二.1300黒潮「トラック」ニ向ケ「ラバウル」発 三.0700浦風(将旗10S)「トラック」着』
  94. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.7『三.第二水雷戦隊各(隊)艦行動要覧(斜線部分航海中)』
  95. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.20『15日1100 3S、時雨(佐世保ニ向ケ)、鳥海、冲鷹、嵐、大波(横須賀)、2sf(飛鷹缺)、日進、黒潮、陽炎(呉)、8S(筑摩缺)(舞鶴)各軍港ニ向ケ「トラック」発|四.1700 2sf(飛鷹缺)陽炎、黒潮、天候不良ノ為Y収容不能ニ付「トラック」入泊』
  96. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.3『(ロ)第15駆逐隊|陽炎1月31日「トラック」発前進部隊警戒隊トシテ「ケ」號作戦ニ従事2月9日「トラック」帰着、同16日隼鷹ヲ護衛シ「トラック」発21日呉着修理ニ従事|黒潮(略)15日「トラック」着16日同地発陽炎ト共隼鷹ヲ護衛21日呉着修理ニ従事』
  97. ^ a b c d 昭和18年2月24日(発令2月23日付)海軍辞令公報(部内限)第1058号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089800 
  98. ^ 昭和17年4月27日(発令4月27日付)海軍辞令公報(部内限)第849号 pp.39-40」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085200 
  99. ^ 昭和18年2月13日(発令2月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1052号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700 
  100. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.11『4月2日/二.0730親潮、黒潮 横須賀着(内海西部ヨリ)』
  101. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.6『三.作戦要覧(イ)護衛|期間:4月4日 同10日|参加兵力:親潮・黒潮|被護衛艦船:冲鷹・大鷹|行動:横須賀→トラック』
  102. ^ #木俣空母490-494頁『飛燕の輸送(四月)』
  103. ^ 戦史叢書 南東方面海軍作戦3、159-160ページ
  104. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.3『(ロ)第十五駆逐隊 上旬陽炎(将旗15dg)ハ「トラック」ニ在リテ警戒待機訓練並ニ整備ニ従事、親潮・黒潮修理完成4日横須賀発10日「トラック」』着。自12日至21日前進部隊指揮官直率ノ下ニ「トラック」周辺敵潜掃蕩作戦ニ従事。24日外南洋部隊増援部隊ニ編入主トシテ「ムンダ」輸送作戦ニ従事』
  105. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.8『四.行動要覧(斜線部分航海中)』
  106. ^ a b 戦史叢書 南東方面海軍作戦3、160ページ
  107. ^ 戦史叢書 南東方面海軍作戦3、163ページ、日本水雷戦史、310ページ
  108. ^ 戦史叢書 南東方面海軍作戦3、162ページ、日本水雷戦史、311ページ
  109. ^ a b c 戦史叢書 南東方面海軍作戦3、162ページ
  110. ^ #駆逐艦物語54-57頁『あっけない黒潮の最期』
  111. ^ #陽炎型(2014)302-303頁『陽炎(かげろう)』
  112. ^ #陽炎型(2014)305頁『親潮(おやしお)』
  113. ^ #陽炎型(2014)171-174頁『寝耳に水の第十五駆逐隊の悲劇』
  114. ^ a b 昭和18年6月2日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1134号 p.23」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  115. ^ 昭和19年7月14日(発令7月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1535号 p.19」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100000 
  116. ^ #内令昭和18年6月(5)p.14『内令第千二百四十四號 呉鎮守府在籍 驅逐艦 黒潮 驅逐艦 親潮 驅逐艦 陽炎|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 昭和十八年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  117. ^ #内令昭和18年6月(5)p.13『内令第千二百四十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 第十五驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  118. ^ #内令昭和18年6月(4)p.44『内令第千二百二十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「陽炎型」ヲ「不知火型」ニ改メ同項中「陽炎、」「、黒潮、親潮」ヲ削ル』

関連項目

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