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2009年ブルガリア国民議会選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2009年ブルガリア国民議会選挙(-ねんブルガリアこくみんぎかい)は、ブルガリア共和国立法府である国民議会一院制)を構成する議員を選出するため2009年7月5日に行われた選挙である。

概説

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国民議会の任期満了(4年)による選挙である。前月に行われた欧州議会議員選挙に続く選挙で国民議会の定数240議席を20の政党や選挙連合が争った。

選挙制度

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今回の選挙では、これまでの比例代表制(4%の議席阻止条項あり)から、小選挙区を一部導入した制度(小選挙区比例代表並立制)に変更した。まず、全国を31の選挙区(人口の多いソフィア市は3選挙区、プロヴディフ州は2選挙区、その他の州は1州1区)に分割し、各選挙区の人口に応じて議席が割り当てられる。そして、各選挙区に割り当てられた議席のうち、1議席を小選挙区制で、残りを比例代表制で選出する。 

主な政党・政党連合

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ブルガリア社会党を中核とする中道左派左派の政党連合
2006年12月に結成された中道右派政党
  • 権利と自由のための運動 ブルガリア語:“Движение за права и свободи”(略称:ДПС)、英語:Movement for Rights and Freedoms
ブルガリアの少数民族であるトルコ系住民が主体の中道政党
ブルガリアの民族主義を強調する極右民族主義政党。
  • 青い同盟 ブルガリア語:“Синята коалиция”、英語:Blue Coalition
民主勢力同盟と「強いブルガリア民主党」が6月の欧州議会議員選挙を前に結成した政党連合。
  • 法秩序・公正・正義 ブルガリア語:“Ред, законност и справедливост”、英語:Order, Lawfulness, Justice
2009年4月20日に、国民議会内の右派野党強硬派が結成した政党。
元ブルガリア国王で元首相のシメオン2世が2001年に結成した政党「シメオン2世国民運動」が2007年に党名変更した。

選挙結果

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投票日:2009年7月5日

政党および政党連合 得票数
(比例代表)
得票率 議席
比例
代表
小選
挙区
合計
ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民
Граждани за европейско развитие на България-ГЕРБ
1,678,641 39.72 90 26 116
ブルガリアのための連合
КОАЛИЦИЯ ЗА БЪЛГАРИЯ
748,147 17.70 40 0 40
権利と自由のための運動
Движение за права и свободи
610,521 14.50 33 5 38
アタカ国民連合
Партия АТАКА
395,733 9.36 21 0 21
青い同盟
“Синята коалиция”
285,662 6.76 15 0 15
法秩序・公正・正義
“Ред, законност и справедливост”
174,582 4.13 10 0 10
指導者
ПП "ЛИДЕР"
137,795 3.26 0 0 0
安定と進歩のための国民運動
НДСВ
127,470 3.02 0 0 0
その他の政党及び政党連合 67,644 1.60 0 0 0
合計 209 31 240

投票率:60.20%。なお得票率が1%未満の政党は「その他の政党及び政党連合」として掲載

中道右派の政党連合「ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民」(GERB)が飛躍的に得票を伸ばして躍進し、第1党となった。一方、連立政権与党の「ブルガリアのための連合」は議席を大幅に減らして第2党に転落、同じ与党である「安定と進歩のための国民運動」は比例区において議席獲得に必要な最低得票率4%を下回って全議席を失う結果となった。

第1党となったGERBであったが、過半数を確保することはできなかったため、極右政党のアタカと閣外協力を結び、7月27日にボイコ・ボリゾフを首相とするGERB単独内閣を発足させた。

脚注

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  1. ^ 4月14日に国民議会で可決された選挙法改正では、政党連合に対しては政党よりも倍となる8%の阻止線が設けられた。これに対し大統領が翌15日に拒否権を発動したが、議会の再可決で覆された。その後、5月12日に憲法裁判所が、政党連合に対してのみ議席阻止線を8%に引き下げたことは不適切と判断したことで、政党連合に対しても4%が適用されることになった

参考文献

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