諸用あり帰省した。
祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。
「実家で羽を伸ばしてきてね」
という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。
家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。
けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。
学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高く積まれていて閉口した記憶がある。
妹の部屋に入りきらないごみが、自分の部屋にまで侵食していたのだった。そのままでは眠れないと思い処分したが、いざ寝ようと思った時、すえたチョコレートの匂いや埃臭さが壁紙に染み込んでいることに気づき、屈辱を感じた。
その日はなかなか眠りにつくことができなかった。
それからも実家に帰るたびに物が散乱し、形容し難く汚くなっていくのを見て、罪悪感に苛まれた。
帰るのが毎回億劫だった。罪悪感とともに、家族のことを恥ずかしく思う気持ちも芽生えていた。
大袈裟かもしれないが、実家が年々ゴミ屋敷めいていくのが、自分の能力の限界を示しているような気がしていた。
家が汚い人間がどれだけ教養を身につけようと思ったところで、限界があるのではないか。
幼少の頃、家にある本は「課長島耕作」と父親の買うパチンコ雑誌のみ。
家族は集中力がないからテレビのチャンネルをすぐ変える。認めたくないことだったが、自分の家族は、あまり頭がよくなかった。
今は恥じる気持ちも薄れた。お金がないのに関東の大学に通わせてくれて、感謝してもしきれない。だが実家は未だに汚いままだ。このままではゴミ屋敷そのものになってしまいそうである。
だから実家を掃除することにした。面倒だったので墓参り以外に予定もいれておらず、お金を使うのも億劫だったのもある。それに、帰省の前に北区6畳一間のアパートを大掃除したらそれが思いの外楽しかったので、楽しみながら掃除ができるのではと思っていた。
掃除をする旨を家族に伝えると、テレビが壊れて買い替えたので業者が来る、だからリビングから掃除をしてほしいと母親に頼まれた。
隅々まで掃除機をかけた。掃除機では取りきれない埃をモップでとった。絨毯にコロコロをかけた。こびりついた汚れに電解水を噴射し、こすった。面白いほどきれいになった。
楽しくなってきたことを伝えると、うずうずとしていたのか母親も参戦し、ともに台所の油汚れも落とすことになった。換気扇は全面が赤茶色にコーティングされており、パネルはジャクソンポロックの絵画のように汚れが飛び散っていた。
母親がどこからか出してきた業務用の洗剤を噴射してラップを貼り、しばらく置いた。そうして剥がすと、力をいれずとも汚れがスルスルとれた。そうしてあっという間にキッチンは、新築同然の姿になった。
こんな簡単なことだったなんて!自分が悩んだ、実家が汚いという事実や伴う罪悪感は、洗剤とほんの少しの労力で解決できるものだった。
こんなことなら、もっと前から掃除しておけばよかった。楽勝だった。御託を並べている場合などではなかった。さっさと行動すればよかったのだ。
キッチンは電源タップや炊飯器などあらゆる部分に埃がついて、油にまみれてしつこい汚れとなっていたが、少し力をいれたら完全に取れ、新品同様の姿となった。
ソファの合皮もてっきり経年劣化だと思っていたが、洗剤をつけてこすったらピカピカ光り出した。母親が歓声をあげた。
あまりに楽しかったので、掃除をモチーフにしたテーマパークを作ってみてはどうだろうかと想像したほどだ。
大人たちがピザを食べたりなどして見守るなか、子どもはキャストの指示のもと、換気扇の油汚れを落とすのだ。
テーマパークから帰った子供たちは、親の手伝いをするに決まっている。
今回大掃除に成功したわけだが、次に帰る頃にはまた実家は汚くなっていると思う。
見つけてしまったが、パンについてきたシールを適当にとっておくようでは駄目だ。人からの貰い物も躊躇なく捨てるようにならない限り、家はきれいにならない。
できる人間がしなければいけないのだ。この場合のできる人間とは、せずにはいられない人間という意味だ。
できる人間には、それができてしまうという限りにおいてしなくてはならないという義務が生じる。
母親は疲れ果ててできなかったのだ。父親も妹もまたそうだった。自分が恩返しをしなくて何になろう。
できる人が黙々とすればいい。これは掃除に限らず全てにおいてそうだと思う。人への気遣いとか、オリンピック競技の選手とかもそうなのかもしれない。
できてしまう人間はできない人間に対し、それができてしまうという限りにおいて、その行為をしなくてはならないのかもしれない。
なぜならできるということだけで、その人は恵まれているからだ。そして自分は完全に恵まれてしまっていた。全て家族のおかげだった。
帰省の折にたったの一度、大掃除をしただけで何を偉そうなことを、と思う。
盆は大掃除以外には何も素晴らしいことはなかった。祖父母や両親の老い、そして死の予感をひしひしと感じた。
自分はと言えばしたいことも欲しいものもなく、友人と会いたいとも遊びたいとも思えず、貯金への欲望があるのみだ。
自分もまたこうしているうちに死んでいくのだろう。ゆっくりと。その場所はごみに溢れているかもしれない。
だが自分は抗いたい。祖父母や両親の死は避けられない。しかしその最後の時まで恩返しをしたい。だからよい洗剤を探す。収納方法を極める。できることはなんだってしてやる。
しょーもな
読み終わったけど結局何が言いたいの? 下流だって自虐?でも相当恵まれてるよね。 なんだか最後だけ強引にいい感じにまとめられてるけど。
あなたは 掃除の 心掛けが できています 生涯 綺麗好きで いてください https://anond.hatelabo.jp/20170814184328
トラバ、厳しい。 俺はいい話だと思ったよ!
重曹ええで おすすめ どこにでも使えるから常備してる
ノブレス・オブリージュですね。 上の世代から受けた恩は、次の世代に返すしかない事が多いですが、直接的な親孝行の手段があって良いですね。私も帰省しよう。
月2回ぐらいのペースで家庭向けの掃除屋さんのサービスをたのむと良いよ。 1回5千円ぐらいから。 基本的な掃除機・窓ふき程度でもだいぶ雰囲気変わるし、 定期的によその人が来ると...
https://anond.hatelabo.jp/20170814184328 とても良かった。最近の増田のなかで一番心に届くいい話だったと感じる。 これからも家族を大切にして欲しい。