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はてなキーワード: 言論の自由とは

2024-08-27

日常

言論の自由をー!

「アイツまたバカなことやってる」

アイツを黙らせろー!

トランス活動家がしばしば掲げる主張には、大きな問題があります

特に、これらの活動他者権利自由侵害し、社会に不必要対立や混乱をもたらしている点について、以下に説明します。

 

1. 他者意見を抑圧する過剰なアプローチ

多くのトランス活動家は、トランスジェンダー権利擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。

 

2. 女性の権利侵害するリスク

トランス活動家の主張の中には、女性の権利安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性安全空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安懸念無視するものです。ジェンダーアイデンティティ尊重することは重要ですが、それが他者安全権利犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。

 

3. 科学的根拠に基づかない主張の危険

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります科学的根拠に基づかない主張をもとに社会規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。

 

4. 対立を煽る過激レトリック

一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会理解共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通理解に基づいて問題解決するためには、対話妥協必要ですが、過激活動家たちはその可能性を閉ざしています

 

以上のように、トランス活動家の中には、他者権利自由侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合がありますトランスジェンダー権利擁護することは重要ですが、それが他者権利社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的議論と、すべての人々の権利尊重される社会の実現が求められています

2024-08-26

anond:20240826175144

トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。」

→むしろミスジェンダリングなどのトランスジェンダー存在尊厳無視するような内容を含む「議論」はトランスジェンダー当事者に対する排除圧力として働き、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくする。これはあらゆるマイノリティに関して同様であり、同じ理由で「女性には理性が足りない可能性」「黒人生物学的に知能が低い可能性」などは民主主義的な自由言論における健全意見とは見なされない。

トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。」

基本的に主張していない。主張されているのは主に「これまで通りトランスジェンダーの人々が各々の移行状況やパス度に合わせて各種の設備を利用できる状況を維持するようにし、『トランスジェンダー使用を禁じる』のような過剰反応による排除をしないこと」である。要するに、「いま使っていない者を入れろ」ではなく、「いま使っている者を追い出すな、攻撃するな」であるトランス人権を求める側が望んでいるのは基本的現状維持ジェンダーレストイレの増設くらいのものだろう。

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。」

→もちろんひとによって意見は異なりうるが、大抵の場合そのような主張はしていない。生物学的な特徴も無意味ではない。そのことを誰よりわかっているかトランスホルモン治療などを重視する(すなわち、生物学的、生理学レベルでの介入を求めている)。ジェンダーが完全に社会的に構築されるという主張も、せいぜい少数派である。むしろマネー実験の失敗や、割り当てられた性別への適合を望みながら失敗した過去から、「ジェンダー社会から要請によって決定されない」という主張をする者のほうが多いだろう。実際、トランス当事者にはホルモンシャワー説などを採用し、脳における生物学的基盤に自身性自認根拠を求める者も多い(それはそれである種の本質主義ではないかという批判はありうる)。

医学に関しては、トランスの人々が求めるのは自分身体メンタルに適した医療ケアを受けることである。その際、ホルモン治療などにより典型的男性でも典型的女性でもない身体になっているトランス場合には、その非典型的身体状態に合わせたケア必要になるが、生物学決定論的な男女二元論の元では、そうした非典型的身体に適したケアが難しいため、より繊細な扱いが必要となる。

また、科学研究は多くのトランスが求めるところのものである。むしろジェンダー肯定医療などに関する査読付き医学論文専門家によるレビュー無視し、手法問題のある疑似科学論文や非専門家によるセンセーショナル問題含みの本ばかり取沙汰す非科学的な態度に批判的な者が多い。トランス身体的、メンタルケアのために科学的/医学的なエビデンスに基づいた手順が求められている。

「一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解共感を得ることを困難にします。」

→これに関してはそういう人も中にはいるかもしれない。他方でトランスへの危惧を表明する側にも、「トランス女性男性」などの攻撃的なレトリックを用いたり、トランスジェンダー性的加害者かそれに類似した存在のように語り社会の「敵」であるかのように扱うなど、分断を深める言説が多く見られる。両者がそうしたレトリックをやめ、トランスジェンダー当事者の実際のニーズを聞きながら、合理的社会的調整を目指すべきだろう。

ところで、1点目で「意見多様性」を語る一方で、こちらでは「過激レトリック」の排除を求めるというのは、整合性が怪しいという点は意識すべきだ。トランス側にどうしても耳に入れたくないような意見否定されず聞かせるようにしたいのであれば、自らも「過激レトリック」と感じる言葉に耳を傾けるべきであるし、「過激レトリック」が対話にとって問題だと考えるなら、相手が「過激レトリック」と見なすような意見表明を控えるべきである。両者が思うがままに語ることを求めるか、両者が節度を持つことを求めるかのいずれかが合理的なのであり、そうでない立場ダブルスタンダードである

これらに関して、「それはリベラルフェミの特徴では」という疑問の声が上がるのは理に適っている。というのも、トランスに怯える者の「トランス活動家」への見方は、表現の自由が危ういと怯える者の「フェミ」や「リベラル」への、治安の悪化を恐れるもの移民やその権利サポートする者への見方と相似形となるためだ。まさに、「フェミ」や「リベラル」のようなことを言うのが「トランス活動家」なのである。実際、トランス権利擁護する層とフェミニスト、リベラルは大きく重なっている。トランス権利擁護する者はほとんどフェミニストでリベラル、ないしは左翼である。またトランス権利擁護してきた主要な層のひとつフェミニストである(むろん、フェミニスト内部でのトランス排除問題はあったが)。

ところで、「トランス活動家」の運動懸念を抱く者は、それが具体的に誰を指し、その人のどの記事、本を念頭に置いているのかを意識してみてもいいだろう。Xなどでは成りすましも含めた有象無象が好き勝手なことを語っているし、ウェブメディア信頼性担保できていないものも多い。率直に言って、実際のトランスのことも、アクティビストのことも、運動のことも、すでに一定知識があるのでなければそれらで調べてもまずわからないだろう。基本的には社会的に信頼されている出版社から書籍査読付きで一定の評価のある学術ジャーナルを中心に、その中で言及されているアクティビスト運動に目を向けるべきだろう。

トランス活動家がしばしば掲げる主張には、大きな問題があります

特に、これらの活動他者権利自由侵害し、社会に不必要対立や混乱をもたらしている点について、以下に説明します。

 

1. 他者意見を抑圧する過剰なアプローチ

多くのトランス活動家は、トランスジェンダー権利擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。

 

2. 女性の権利侵害するリスク

トランス活動家の主張の中には、女性の権利安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性安全空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安懸念無視するものです。ジェンダーアイデンティティ尊重することは重要ですが、それが他者安全権利犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。

 

3. 科学的根拠に基づかない主張の危険

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります科学的根拠に基づかない主張をもとに社会規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。

 

4. 対立を煽る過激レトリック

一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会理解共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通理解に基づいて問題解決するためには、対話妥協必要ですが、過激活動家たちはその可能性を閉ざしています

 

以上のように、トランス活動家の中には、他者権利自由侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合がありますトランスジェンダー権利擁護することは重要ですが、それが他者権利社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的議論と、すべての人々の権利尊重される社会の実現が求められています

完璧エビデンス提示されて、自説が否定されても、間違った自説を押し通しながら、バカ言論界から反科学主義者」のレッテルを張られないようにする言論

 まず、自説については、さも客観的な言い方で、「全く無根拠なことではない」とか言っておく。

 もちろん、そこにエビデンスは何一つなくても。

 ただの主観的世界観提示すれば良い。

 それから相手提示してきた客観的に正しいエビデンスに対しては、さも偏った研究結果からばかり引用してきたかのような言い方をして、「それに関しては、より広範な研究結果が求められるだろう」とか言っておく。

 最後には、相手提示したエビデンスも、「ちょっとは認めてやる」みたいな言い方をして、「自分は、反対論者のエビデンスを無根拠否定する反科学主義者ではない」というスタンスを取りながら、結局、全否定された自説を変えることは頑迷抵抗することだ。

 以下、このテクニックを使った好例を引用する。

なぜ言論の自由前進と後退を繰り返すのか──『ソクラテスからSNS: 「言論の自由」全史』

https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2024/04/12/080000#fn-3a907ef9

フェイスブックツイッターアルゴリズムによるコンテンツモデレーションを行っているし、それはグローバルサービスが避けては通れない国家権力圧力を受けてのものだ。

当然、そうした規制も無根拠ものではない。人種差別扇動プロパガンダ、あらゆる表現が世に溢れる。2018年MIT調査によると、虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすいという。ソーシャルメディアにおいては、虚偽やネガティブ、誇張され、感情をかきたてられる特徴を持つコンテンツは速く、広く拡散されるが、事実に即した話、理路整然とした話は拡散されない。

では、どうすべきなのか? 著者は、SNS上でのヘイトスピーチ想像以上に少なく(全体の0.1%から0.3%)、言論抑制ヘイトスピーチを減らすよりもむしろ増幅する効果をもたらし得るとフェイクニュースも含めいくつかの研究を引きながら書いているが、ヘイトスピーチフェイクニュースの反乱にたいしてどのように対抗していくべきかについては、より広範な研究が求められる部分だろう。

言論の自由に負の側面があることは間違いないが、同時にそれがどれほどの発展を促し、言論以外の自由の防塁として機能してしてきたのかを思えば、言論の自由を死守する意義が、本書を読めばよくわかるはずだ。

 この文章の素晴らしい点は、言論の自由に負の側面があるどころか、ヘイトスピーチを減らすなど、好の影響しかなく、逆に規制逆効果しかならないことしかエビデンス証明されてないにも関わらず、「規制も無根拠ものではない」だの「言論の自由に負の側面があることは間違いない」だのと、のうのうと言ってのけている点だ。

 自分たちが出している根拠は、MITの「虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすい」という研究たった一つだけだが、これは、「言論規制逆効果で、ヘイトスピーチを増やす」という不都合な真実否定していない。

 むしろ言論規制すればするほど、MIT研究通りに、虚偽のニュースがより拡散されやすくなるということが、この二つの研究結果から見えてくる。

 これが、言論の自由ではなく、例えば自然保護などで、あらゆる結果から逆効果しかならないとわかっている政策などだったら、それが逆効果しかないとエビデンス証明されているにも関わらず、「広範な研究が待たれる。」だの「環境破壊は深刻で、このような措置も無根拠ではない。」だとか喚いて、逆効果自然破壊行為を続けていたら、「環境破壊してる元凶はテメーなんじゃボケ」と、真っ当な突込みが飛んでくるだろう。

 なお、こうした言論テクニックは、実際に林野庁などが、スギ植林自己正当化して、日本人花粉症で苦しめながら、日本景観破壊し続けていることに利用している。

 ほかにも、同じ言論テクニックは、官僚たちの怪しい政策が、真っ当な科学的根拠によって否定されても、おそらく別の思惑によって、その逆効果政策を続けようとする場合に、いくらでも見ることができるだろう。

 そうした官僚の拙い杓子定規な使い方は、真っ当な人間官僚不信を呼び起こすだけだが、昨今のネット叩きと、表現言論の自由が憎くて憎くて仕方ない勢力の影響下にあるネットでは、同じ噴飯ものの反知性的言論テクニックが、拍手喝采で迎えられはしなくとも、されるべき突っ込みが起こらないというところに、最悪のポピュリズムが極まった感がある。

 規制するほどヘイトスピーチが広まるのは、規制の網を掻い潜ることに長けたマスコミが、規制によって、有効反論がされ難くなったことを良いことに暴走しているからとしか思えないが、そのマスコミ扇動すれば、こないだのイギリスのように、関東大震災朝鮮人虐殺事件彷彿とさせるような暴動が、簡単に惹き起こされかねない状態になっているように思える。

  「朝鮮人井戸に毒を!」デマも、全ての火付け役は、マスコミだったことを忘れてはならない。

 まとめブログ全盛期の頃の、悪質な大手サイトも、実際は、個人ではなく広告代理店運営していたのだ。

 マスコミの作った日本ファクトチェックセンターは、まさに「我々マスコミ事実報道しようと努力しているので対象しませーん」と平気でのたまって活動している連中だが、規制によってネット一般人ファクトチェック機能が弱体化し、そうしたマスコミファクトチェック機関しか残らなくなれば、また「朝鮮人飲料水に毒を!」というデママスコミ拡散しても、それをファクトチェックする者はどこにも残ってはいないだろう。

 マスコミが、まず在日外国人などを味方に付けるように、逆差別的な報道を繰り返すのも、明らかにこの思惑があるからだ。

  「将来的には、衆愚を煽ってお前らを自由虐殺できるように整えるけど、それまでは味方だと思わせて協力させたるわw馬鹿ネトウヨは、ただ扇動して殺し合いしてもらうだけのブタだけど、最終的には朝鮮人憎しで俺らの味方になるしなwww」

 というわけだ。

 実際にネトウヨが憎むべきは、逆差別報道を繰り返したマスゴミで、朝鮮人ではないのだが、未だにマスゴミ工作員扇動にまんまと乗せられている嫌韓ネトウヨを見ていると、彼らの工作はまんまと成功しているように見える。

2024-08-20

パロディ権利は守られるべきだが二次創作はそうでもない

個人の感想です

パロディ権利絶対的に守られるべきだと思っている。パロディ批判批評評論一種で、言論の自由の一環だと思ってるから

二次創作は必ずしも守られなければならないとは思ってない。パロディのような言論の自由範囲とは思ってないか

パロディ二次創作の間の線引きは難しい

けどパロディ二次創作の間には明確な違いがあるのは違いない。その違いは言論の自由範囲内か否かだと思ってる

言論の自由生存する権利のために必ず守られなければならない(発言権がないと生きてくための最低限の権利の主張すらできない)けど、著作権商売の上の権利しかないので、言論の自由とは分けて考えてる

原作創作物言論の自由に守られるべきだが、一方で原作他者を傷つける内容である可能性は常にある

である以上、原作批判批評評論するパロディ権利生存する権利として守られなければならない

からパロディ権利は守られるべきである

けれどパロディ二次創作の間の線引きは難しい。原作と異なる展開を書いただけでも、その違いがそのまま批評行為になることはある

しかし、たとえ外部的な基準が作れなくても言論の自由に基づかない二次創作行為は明確に別物である

普通の商行為だと自称する転売ヤー」みたいなもんだと思っている

パロディではない二次創作でいいなら原作キャラクター名そのままじゃなく、ちょっともじった変名にすればいいと思う

キャラクターデザイン上のちょっとしたアクセサリーを変えたり髪型を少しだけ弄ったりすればいいと思う

そうやって作ったとして、創作をはじめたばかりの人が自作を発表する上で、何の問題もない

おそらくその差は「二次創作じゃないから売れない」だけだ

まり商売の話でしかなく、自分自身が生きてく上での基本的人権の話ではない

一方パロディは、そういうふうに「ちょっと変えてオリジナル」にしてしまったら意味がない

原作と同じであることを強調する一方で違いも示す。そうしないとパロディとして機能しない

パロディ二次創作の間の区別を外部的に一律に示すことは難しい

けれど、普通の商行為転売行為ぐらい別物だという認識はあってほしい

https://anond.hatelabo.jp/20240820085544

個人勝手公表するな以外のこと書いてある?

公表することが前提になっていない、だからこそ自由ものが言えるって状態もの個人勝手公表たかルール違反で除名されたそれ以上もそれ以下もないのに党派性だけで批判しているように見える

党を外部から公然批判して除名された共産党員に対して共産党言論の自由がないみたいなこと言ってたら自民党にも(実際の運用はどうだかわからないが)同じルールがあったっていうのを忘れたの?

日本共産党による神谷氏の除籍は当然のこと

以前、ここで、志位和夫氏(日本共産党の前委員長)の論文を取り上げて日本共産党の特徴を書いた。(消されたのでウェブアーカイブから

このたび神谷氏の除籍問題話題となっており、共産党の言い分が興味深いので記録しておこうと思う。

除籍理由

特にはてブ話題になっていたのが除籍理由の以下の点だ。

(前掲共産党福岡委員会ウェブより)

委員会総会での討論の内容を、それぞれの県委員個人判断で公開することを認めれば、総会での自由な討論を阻害することにもなります。県委員会総会の内容を公開する場合は、県常任委員会責任で発表すべきことがらです。県委員会総会での討論内容を個人判断で公開する行為は、党内での自由発言、討論を保障した党規約精神を踏みにじる行為です。

何故討論の内容を公開してはいけないのか。

内容を自身に都合の良いように歪曲や捏造をしていたらこ批判もわかるが、共産党ウェブを読む限りは公開した事自体問題視しているようだ。

何故公開してはいけないのか

一般的感覚だと、公開してはいけないとする共産党見解意味不明である

そこで、前掲増田でも示した、志位和夫氏の書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に共産党の考え方を理解してみよう。

基本的人権行使目的

(変節者のあわれな末路より)

結社の自由にもとづいて自発的意思政党に加入した者はだれであれ、出版言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党目的実現にむけて行使すべきである

基本的人権行使に条件を付けているのも驚きだが、ここで注目すべきは「政党目的実現にむけて」の部分だ。

共産主義の実現」ではなく、「政党目的実現」としているのがポイントで、ここでいう政党というのは共産党組織のことを指し、個人にとっての地方委員会地方委員会にとっての中央を指している。

まり神谷氏がブログ委員会見解と異なる主張をし、またそのために議論の内容を公開したことは、言論の自由を「政党目的実現」以外の目的行使したことに他ならず、共産党として許容できるものではない。

基本的人権行使共産党奉仕するためになされるべきであるというのが基本である

党外での出版物の発行

(変節者のあわれな末路より)

わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥容認」「党外出版物での批判容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義分派主義のあらわれとしてきびしく批判した

神谷氏のブログ組織に対する批判であることは明らかだが、共産党では引用論文のとおり「党外出版物での批判」を厳しく禁じている。

神谷氏のブログ印刷はなされていないため狭義の出版物ではないかもしれないが、性質としては出版物に近く、共産党として許容できるものではない。

このあたり、石破茂冷遇はされているものの党を追われず、未だに総理総裁候補として名前の挙がる自民党(良く言えば議員一人一人の独立性が高く、悪く言えばまとまりや一貫生がない)とは全く党の性質が違うと言える。

余談だが「横の交流拡大」の否定共産党らしい。地区組織間で交流されてしまうと、中央に反発するために団結される(=分派形成可能性があるためだろう。

賛同を募ることの禁止

(変節者のあわれな末路より)

坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。

「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分提案に対する支持を、…求めてはならない」

議論は党の内部の公式な場で行われるべきであり、事前の根回しや賛同を募ることは認めていない。

当然それでは込み入った議論や利害調整はできないので、結論は議題や進行をコントロールできる党中央意見に従わなければならない、となる。

神谷氏のブログも、自身意見への賛同を求めるためのものであることは明らかであり、許容できるものではない。

(有名なアネクドートより)

Q.共産圏には、自由意見の交換が存在するのでしょうか?

A.存在します。例えば独自意見を持って会議に出席し、 かわりに党の意見を持って帰ることができます

上の共産ジョークでもあるように、共産党では

「それぞれが考えたら、自発的に正しい党中央意見に至る」

と考えている(このあたり昨今のリベラルポリコレと言われるものとの親和性が極めて高い)ため、党外にむけた反対言論を許容する余地はない。

まとめ

以上のことから神谷氏の除籍は共産党論理として極めて当然のことと言える。

というか共産党のこういう性質は公知のものだと思っていたけど、若い方々にはそうでもなさそうなのが意外だった。昨今の共産党による宣伝活動ソフト路線アピール)は一定程度の効果があるようだ。

2024-08-17

anond:20240817051753

正しくはこっちな

多様性を認めているので、様々な国籍人種性別わずどんな人でも受け入れるが、一部例外あり。(人権毀損するもの差別扇動者など)

思想の自由言論の自由保障されるが、人権尊重する思想である場合に限る。

人権思想に反する主張をする者や、それを実行に移す者は寛容な社会を脅かす恐れがあるので、言論による批判や法的措置を行う。

死刑非人道的なので基本的適用されず、性犯罪においても適用されないが、厳しい処罰を受ける。

性自認生物学性別に縛られず自由であるが、トランス女性生物学男性であり女性スペースに入る事は許されない犯罪行為である

障害者差別絶対に許されないので、障害者にも当然選挙権はある。

いかなる差別も許されないため、人権思想に反する主張をする者や、それを実行に移す者には、言論による批判や法的措置を行う。

2024-08-16

anond:20240815231125

Q.

対抗言論法理」について、日本ではあまり用いられない考え方だと思います

まり、ある言論名誉毀損罪侮辱罪にあたるとして、「言論を罪に問うより対抗する言論を促すほうがよいから罪には問わない」というような判断はされないと思います

合っていますか?



A.

おっしゃる通りです。「対抗言論法理」という考え方は、アメリカなどでよく見られる法理で、自由言論保護するために、ある言論問題視された場合でも、政府規制するのではなく、反対の言論を通じてその言論に対抗するのが最善であるとするものです。

一方、日本では、名誉毀損罪侮辱罪に関して、刑事罰適用されることが一般的です。言論自由日本国憲法第21条で保障されていますが、その自由絶対的ではなく、他者名誉権利侵害する場合には制限される可能性があります

特に日本司法制度においては、名誉毀損や侮辱が発生した場合刑事民事の法的措置が取られることが多く、その際に「対抗言論」が法的手段として優先されることは少ないといえます

2024-08-14

anond:20240814141641

トランス活動家がしばしば掲げる主張には、現実問題として、大きな問題があります特に、これらの活動他者権利自由侵害し、社会に不必要対立や混乱をもたらしている点について、以下に反論します。

 

1. 他者意見を抑圧する過剰なアプローチ

多くのトランス活動家は、トランスジェンダー権利擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。

 

2. 女性の権利侵害するリスク

トランス活動家の主張の中には、女性の権利安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性安全空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安懸念無視するものです。ジェンダーアイデンティティ尊重することは重要ですが、それが他者安全権利犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。

 

3. 科学的根拠に基づかない主張の危険

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります科学的根拠に基づかない主張をもとに社会規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。

 

4. 対立を煽る過激レトリック

一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会理解共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通理解に基づいて問題解決するためには、対話妥協必要ですが、過激活動家たちはその可能性を閉ざしています

 

以上のように、トランス活動家の中には、他者権利自由侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合がありますトランスジェンダー権利擁護することは重要ですが、それが他者権利社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的議論と、すべての人々の権利尊重される社会の実現が求められています

2024-08-13

女性槍玉に上がり出すと、男性も生きやすくなるのかも

フリー女子アナ炎上した件について、世間的な処分の重さには賛否あるとは思うけど、男女逆転していたら同様な処分をされていた可能性が高い気はする。

逆に今までは、やはり男性にはセクシャルハラスメントをしても良いという風潮がどこかにあったと思うけど、そう言う流れではなくなってるんだなという実感がある。

男女問わずセクシャルハラスメントに敏感な世界になっていくんじゃないだろうか。

ここをセクシャルというのが正しいのかは微妙だけど、男女の性別に焦点を向けていると言う意味で、セクシャルハラスメントとあえて書く。

女性話題になって改善された事例としては、業界にもよるとはおもうが、パワーハラスメント含む労働環境がここ10年くらいで急激に改善してきたのは電通女性過労死事件からだと思う。

これは女性被害者なので、ニュアンスが逆だと思われるけれど、女性男性と同じ扱いをされ始めたからこそ起こった事件と考えれば、同様な事例だと思う。

たぶん、この事件が起こるまでは、どこか世間では「女性仕事特別扱いされている」(特別と言うのは、有利という意味だけではない)と思われていたところがあるが、この事件をもって、ホワイトカラーでは男女平等労働感覚世間が持ち始めた気がする。

電通過去男性で同様な事件を起こしてるにも関わらず、パワーハラスメントと言う視点で言えば世間的にはそこまで改善されていなかったように思えるが、女性過労死したことで急激にパワーハラスメントへの捉え方が男性に対しても変わった気がする。

こうやって女性ハラスメントに対して男性と同様に槍玉に上がり出すと、男性に対しても急激に適応されていくんだなと感じた。

ハラスメントをする側にとっては生き辛いかも知らないけれど、ハラスメントをされる側にとっては男女問わず生きやす環境にどんどん整備されていくと思う。

ハラスメントする側の生きづらさは気にする必要はない。

表に出して言う言葉は気をつかえばいいだけの話である

「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」という歌詞もあるけれど、言論の自由がある日本で言いたいことを工夫せずに言ってきたのはハラスメントをする側で、言いたいことが言えなかったのはハラスメントされる側だ。

今後はだれも言いたいことは工夫して言う世の中になるかもしれない。

私はそれはそれで生きやすい世の中だと思う。

トランス差別はやはりキチガイキャンセル運動家連中の隠れ蓑だったと再認識した

8月末に出る情況って雑誌特集トランスジェンダーらしいのだが

既に反トランス界隈が目をつけてXで発狂し散らかしている

連中の言い分だと、トランス肯定的じゃない連中(連中の定義では=差別主義者)の記事が載っているのがけしからん

トランス特集やるならトランス肯定でなければ差別トランス真理教疑義を唱える連中やそいつらに発言の場を与える雑誌人殺し絶対に許すな!ということらしい

いやー、この手の連中の発狂ぶりってマジですごいよな

まだ雑誌が出ていなくて表紙ぐらいしか情報ない時点で、反トランス差別的内容だと決めつけできちゃうのは何故なんだろうか

執筆陣の名前から判断しているらしいけど、それってお前らの大嫌いな差別じゃん笑

文章を書かせるな、発言の場を与えるなって、言論の自由とか反トランス差別界隈の連中の辞書にはないのか笑

連中は既にX上で徒党を組んでキャンセル活動スクラムを組んでいるよ、ほんと暴力的で話の通じないキチガイだよね

はてな匿名の中でしか言及したくないねヒスった病気持ちの陰キャおばさんがメイン層だから肉体的な危害とかは怖くないけど、記名性のSNSで触れちゃうバカが伝染りそうで怖いよ

2024-08-11

やすオリンピック事件で「事実陳列罪」が成立してしまうかもしれない

やす子さんの「やすオリンピック 生きてるだけで皆優勝」って投稿、すごくバズってましたよね。

ポジティブメッセージに「救われた」っていうリプもたくさん飛んでらしい。その程度で救われる人生めでてえな。毎日優勝だなオイ。

その一方で、「生きてるだけで優勝」とか言いながら、自衛隊時代パワハラしてた疑惑があるというのはどこまで知れ渡っているのか。

いや、週刊誌ソースなのでそこまで信用はできないんだが。しか事実として記事がある。

でもまあ、火がないところに煙は立たないっていうし、そうすると表の顔と裏の顔が違いすぎませんか?

で、そこにフワちゃんが「死んでください お前は予選敗退でーす」って、完全に冗談でツッコんだわけですよね。いや、実は半分くらいは本気だったかも。フワちゃんはこの件で干されたわけだし真相は藪の中。

でも、やす子さんの反応が「悲しいです」って、どうなの? 芸人としてのプライド、どこ行っちゃったの? 本来なら「そこは笑いで返すところでしょ!」って思うんですけど。

今の時代冗談すらも通じなくなってきてるのか、それともやす子さんがそういうキャラなのか、なんかモニョりますよね。モニョりませんか。

そして、もっと面白いのが、やす子さんにパワハラ疑惑記事をリプで貼った人に対して「事実と異なる記事、悪意のある切り抜きスクショ、開示請求します」ってガチで返信してたこと。

これ、いわゆる「スラップ訴訟じゃね?」って話題になってますけど、完全にそのパターンでしょ。増田の間では「事実陳列罪」とか「お前が言うな案件」とか、そういうワードで語られがちですけど、本当にそんな感じです。自分に都合の悪いことを言われたら、すぐに法的措置をチラつかせるなんて、言論の自由どこ行ったんですか?しかも、「皆優勝」とか言ってる裏でこれですよ。ちょっと信じられなくないですか?

それに、昔のインターネットでは「氏ね」とか「回線で首吊れ」とか、冗談交じりに言えた時代がありました。今思うと、あの頃のネットある意味自由でしたよね。でも今、そんなこと言ったら即アウト。炎上して人生詰みかねない。だけど、逆に「生きてるだけで優勝」とか言って、裏では開示請求してくる人がもてはやされる時代ってどうなの? なんか息苦しくないですか?

結局、「生きてるだけで皆優勝」とか言いながら、自分に不利なことを言われると即開示請求するって、なんか矛盾してませんか?これが「開示請求オリンピック」なら金メダル級の動きですけど、SNS世界でどこまで通用するのか、ちょっと様子を見守りたいところですね。

フワちゃんインターネットオリンピックでは予選敗退しましたけど、「やすオリンピック」の次の競技は何になるのか、今から楽しみです。

次は南海トラフ地震ですか?

生きてるだけで皆優勝ですもんね。

皆さん優勝目指して頑張りましょう。

2024-08-07

anond:20240807165249

なんてことだ、これは言論の自由に対する弾圧だ。

ますぐX本社を焼かねばならぬ!!

2024-08-05

anond:20240805210333

言論の自由歴史的には「権力批判しても攻撃されない権利」としてできたのよ。

「リヘラル」が何かは知らんけど、リヘラルやリベラルかどうかなんてことは関係ない。

ポルノ言論ですらない。表現の自由と間違えてる?

リベラルになりすますにしても脳が足りてないよ。

anond:20240805210333

「リべラル的価値観に基づく場合のみ許される」←まんま「共産主義価値に基づく場合のみ言論の自由はある」って言ってた共産主義者やん

言論の自由表現の自由はリヘラル的価値観に基づく場合のみ許されるという基本原則理解出来ないバカが多過ぎる。

天皇写真を燃やす

ポルノ

2024-08-01

ジェフ・コセフ

ネット企業はなぜ免責されるのか――言論の自由通信品位法230条

モデレートをするという行為が、コミットしていた事実として捉えられ、ユーザー違法行為についてまで連帯責任をとらされてしまうと

2024-07-29

海外左翼がまたやらかした。これが左翼です。言論弾圧をし、人種差別をするのが左翼です。これは厳然たる事実です。

左翼言論の自由と、人種差別撤廃を訴えますが、実際には言論弾圧人種差別します。

何度も答えが出ています

弥助が侍かどうが議論できるのは日本人だけです、と言ったらそれは間違いでしょう。

ですが、海外巨大掲示板Redditでは「弥助は侍である」と結論付けて、議論禁止しました。

弥助について議論するとBANされます

日本の侍について決める権利が、何故彼らにあるのでしょうか?

彼らは議論への参加権があるだけで決定権はありません。本当は参加権すら無いと思います

他国文化について、なぜ断言できるのか、それは日本人人権が無いからです。

弥助が侍であるかどうが議論があるのは、侍の定義日本でも曖昧であるために議論が起きているのに

日本に断りもなく議論には終止符が打たれました。

弥助が侍であるという結論で。

まり、今後、日本でどのような議論があろうとも侍は殿様が命じれば何の武功も上げてない外国人でも

いつでもすぐに簡単になれるカジュアルものであり、侍の定義の決定権は永遠に日本人から失われました。

日本人文化の無い猿なので、彼らが日本人歴史を決めました。

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