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2024-10-12

anond:20241011165122

体臭や身だしなみを整える労力を払わず、女が妥協して俺達をケアして子供を産んでくれない!女が悪い!と喚いてる男の女版だろ?

高身長ヤリチンハイスペイケメン以外はゴミゴミ結婚するくらいなら独身でええわ、税金で我々を養ってな」という反出生ミサンドリー女だろ

食べ物比較するとき価格持ち出すやつなんなん?

高かろうが安かろうが美味いものは美味いし不味いものは不味いし、安いからって妥協しないからな?

なーにが398円ならその程度、じゃ。値段が安いことが我慢して受け入れる理由になるのか?

理解に苦しむ。

ノーベル平和賞妥協を感じる

とりたてて今年出すべき相手がいないので

まああげたところで誰も文句言わないいつあげても問題ない相手ストックの中から

無難なところに平和賞出す感じ

ひよりやがったな

2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 2


柔道部顧問になって二年目の話をする。

この年度の末で学校教諭を辞めている。ラストイヤーである。思えばあっという間だった。上の秋季大会の後も、大なり小なり大会があったが、目立つ成果はなかった。

実力というよりは、柔道部全体の精神力、やる気、気合いの問題だった。センスがありそうな子はいたが、『本気』になり切れない。なぜかはわからないが、若者特有の殺気に満ちた闘志というか、「目の前の相手を殺してやる」という滾(たぎ)りが見られない。

特に、格上相手に戦う場面がそうだった。勝つとか負けるとかじゃなく、全力でぶつかってみせようという気概を感じない。

そんな中で、T君はじわじわと実力を伸ばしていた。この頃だと、ベンチプレスは140kgを上げるようになっていた。

ベンチプレスの記録と柔道の強さは直接関係ない。念のため

柔道の動きはボテボテとした感じだったが、それでもサマになってきていた。高校から柔道を始めた関係で、高一の頃が特に弱かったらしい。当時は、毎日のように先輩や同級生から千切っては投げられていたという。

シゴキ以外にも、いろいろあったようである。当時の先輩連中からは相当イジられていたらしい。T君の同級生柔道部員が、確かこんな内容を回想していたっけ。



≪~練習時間中~≫

「おいチクビ。何を寝とる。はよ畳の上から立て!!」

「今、こいつに筋肉ドライバーしてやったら、首めっちゃ抑えて転がっとるしwwwww」

「いつまで畳で寝とんなや。早う起きんとチクビねじ切るどっ!」

「チクビ君さあ。今度の公式大会の時に、絶対シャイニングウィザードしてよ。武藤敬司好きなんやろ」

 ※本当にやって反則負けになったらしい

プロレス好きなんだって?これからダブル大外刈りするから付き合ってくれ」



彼が弱かった頃は、部内でもやられたい放題だったようだ。しかしこの頃、高三の手前になると、彼は部内で№1になりつつあった。皆、彼に一目置くようになっていた。当時、部のキャプテンだった100kg超級の子乱取りをしても吹っ飛ばされない。

それでも基本的には、いじられキャラだった。先輩からも後輩からもいじられていた。しかし、彼はどんな時でもリアクションを欠かさず、スマイルで彼らに応えていた。

そういえばT君は、毎日必ず昼休み柔道場に来て、一人で弁当を食べていたっけ。一人飯には理由がある。弁当を食べた後に、ヤツは筋トレを始めるのだ。ベンチプレスを始めとして、腹筋に、背筋に、あとは自転車ゴムチューブを柱に括り付けての打ち込み練習、あとはシャドー柔道か。さすがにカマキリ相手にしてないと思うが……。

休み柔道場に行った折、彼を何度も見ている。ベンチプレスが一番好みのようだった。自分自身が成長する実感とでも言えばいいのか、月ごとに最高記録が上がっていくのが面白かったのだろう。

柔道界の公式回答としては、高校生に器具を用いた本格的な筋トレをさせるべきじゃない。この時期(小中~高校生)は、技術に磨きをかける時期だ。ベンチプレスその他で測れる筋力は、試合ではそんなに使わない。柔道に本当に必要なパワーというのは、柔道をすることでしか身に付かない。すなわち組み手の練習とか、立技・寝技乱取りを通じてしか、そのスポーツ必要な『体力』は見に付かない。

しかし、T君には時間がない。彼にとっての柔道は、おそらく高校で終わりである時間がなさすぎる。だったら、ひたすら筋トレに励む道があってもいいんじゃないか。当時はそんなこと考えながら、昼休憩中のT君のトレーニング風景を眺めていた。



高三の四月時点で、彼の体重は約78kgだった。一年前はボンレスハムのような体形だったが、スマートになっていた。何より、当時のT君は部内で一番やる気があった。何事にも一生懸命だった。鍛えがいがある。

さて、高三最後公式戦は六月だった。ここまでには仕上げたい。幸い、四月にあった市内大会では、彼は5位入賞果たして大会出場を決めていた。順々決勝では、昨年の秋季大会で当たった強豪校の選手に内股で一本負け(空中一回転半させられた)だったが、そこから2回勝って5位になった。

それから大会までの約二か月、T君を鍛えまくった。

柔道場での立ち技乱取りでは、納得いくだけの投げを打てるまでひたすら稽古を続けた。T君に対し、組み手の位置自由にさせて、技も全部受けてやる。その代わりクオリティは一切妥協しない。俺が納得いくまで休憩すらさせない。

「おい、T。苦しくっても、苦しそうな顔すんな。相手にバレんぞ。ビビってるとな、わかんだよ。相手によ~!!」」

すると、唇を引き締めるようにしてT君は、距離を取ってこちらの様子を伺っている。

ああ、これは。技に入るのを狙ってるな。相手高校生だとすぐにわかる。

「技に入るのを狙うな。狙わなくていい。(お前の反射神経だと)無理だから!! とにかくたくさん、技をかけろ。連続しろ連続ちゃんと技は繋がるから。お前の感性でいいんだよ。考えるな、感覚でやれ」

実際、高校レベル試合だと技が下手くそでもいい。とにかく数。連続性が大事だ。

ただやはり、T君は運動神経が鈍いようで、へっぽこな大内刈りに小外掛けや、ボテボテとした払い腰しかできなかった。ヤツが俺に珍しく内股をしかけると、「ポフッ」という効果音とともにヤツが弾かれる。そんなレベルだった。素人未満である

「今のお前の柔道、ほかの選手乱取りやってるのと違うじゃん。俺用の柔道か~、そのへっぽこなのはよ~」

T君の柔道は、俺と乱取りしてる時はモードが違ってる。まるで、何かの専用の練習でもしてるようだった。

ヤツはまた内股をしかけてくるが、全然効いてない。運動神経とか、技に入る姿勢問題じゃなくて、組み手が下手くそ(≒柔道着の握る位置おかしい)なのだ。いいところを掴めてない。せっかく自由に組ませてるのに。

ただ、T君に組み手争いを教えるには、もうタイムオーバーである。「思いっきりイイと感じるところを掴め!」くらいしか教えていない。

だが、連続して技を掛け続ければ可能性が見えてくる。うまく相手が転がれば、彼が得意とする寝技に移行するラインも見えてくる。

ヤツと乱取りしている最中、よく檄を飛ばしたっけ。

「オーイ、てら。何止まってんだよ! 動け、動け。変数作れ。チャンスがないと思ってんの、お前だけだよ」

彼はヘロヘロになって大内刈りを放つのだが、俺に効くはずもなく。間隔を取って、釣り手と引き手(※柔道用語適当にググってほしい)を上下ブンブン振り回したなら、ジャイアントスイングみたいになって、T君が畳をゴロゴロ転がっていく。築地市場の床面を滑っていくマグロのようだった。

「オーイ、俺お前よりも軽いんやぞ。吹っ飛ばされてどうすんだよ」

T君が立ち上がると、顔が真っ赤になっていた。熱中症の人でもこうはならないだろう。それくらい真っ赤だったよ。

ゆっくりと俺に近づいてくると、釣り手の方でパンチするみたいに組み手を取ろうとしてきた。それを弾いて、逆に奥襟を取り返してやった。すると、ヤツも負けじと奥襟を取ってくる。

「力比べで俺に勝てるか」と思ったが、ヤツも結構強かった。睨み合ってたが、T君の耳が真っ赤になってるのを見た。

この頃になると、彼の耳は潰れていた。餃子耳というやつだ。努力の証である。大半の柔道選手餃子耳にならない。本気で寝技練習した証である

こんな光景を見ながら、ある漫画セリフを思い出していた。 技来静也が描いた漫画作品の、確かこの場面だったはず。



……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力ねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て

拳闘暗黒伝セスタス 2巻より





T君に必要なのはこの心境だった。

だって中学生高校生の頃は、練習が恐ろしいことがあった。寝技最中に、殴られ、蹴られ、締め落とされ、「殺される」と思ったことが幾度となくある。だが、試練を乗り越えるだけの胆力を身に付けないことには、いつまで経っても二流以下である

こういう感覚は、今時のZ世代みたいなやつがあるじゃん。ああいう子達には伝わらないんだと思う。「○○が上手になりたい、強くなりたい」って? 本当にそうなりたいなら、命くらい投げうってみせろ。

2024年現在だって野球でもサッカーでも、バレーでもテニスでもゴルフでも、スケボーでもブレイキンでも、将棋だって囲碁だって、その道で超一流の奴はな、自分の命かけてその道を歩んでんだよ。

さて、T君との練習の続きである

立ち技が終わると、次は寝技だ。T君が強敵相手に勝とうと思ったらこしかない。それくらい、彼の運動神経絶望的だった。立ち技の才能がない。当時のT君が「生まれつき運動神経が切断されてるんです」と言ったら、信じたかもしれない。

柔道場の端にある、寝技乱取り開始を示すタイマー(ブザー)が鳴ると、俺はさっそく横四方固めでT君を押さえつけて、右拳の先を太ももに突き立てた。するとT君は痛がって、俺の腹を突いて逃れようとする。

「お前、俺に力で勝てんの、勝てんの? 勝てないでしょ!? 頭使わんと、ほら。前に教えたやろ? 逃げ方を……」

四方固めで抑え込まれ状態のT君は、腕をなんとか両者の間に差し込んで、背筋で跳ねて逃れようとした……それが正しいやり方だったら、そのまま逃がしてやる。それで、また瞬間的にヤツに覆いかぶさって、抑え込みに持っていくのだ。T君は逃げる。ひたすらそれを繰り返す。

俺の抑え込みから逃れたとしても、T君がこっちに向かってこず、亀の姿勢になろうとすると、すかさず両手で奴の柔道着の胴と太腿を掴んだ。

「よいしょっ」と持ち上げると、奴の体がひと時宙づりになった。そのままクルリとひっくり返して、横四方固めでまた抑え込んだ。今の選択はアウトだ、敵前逃亡である。この寝技練習では、攻撃行動以外は認めない。

寝技になると、T君がたまに覚醒する。俺の動きがわかってたみたいに、例えば、真上から抑え込もうとした俺の膝をピンポイントで蹴っ飛ばして、転がして、そのまま上に乗ってしまう。

俺は両足をヤツの足に絡めてガードするのだが、巧みに外して、抑え込みに持っていく――縦四方固めが完成した。

いいねいいねー!!」

こんな具合で、いい動きをした時には認めてやる。褒めるんじゃない、認めるのだ。そいつのパワー、気概、実力を。褒めるってのは、親が子どもにやるものだ。コーチ選手って対等な関係だろ。

T君は膂力(りょりょく。腕の力)があるうえに、寝技センスがあった。寝技というのは、ガッチリ決まると体力差に関係なく勝利できる。当時まだ20代半ばだった俺の体力はT君をはるかに上回っていたが、それでも抑え込みから脱出できないことがあった。

ただ、悲しいかな。彼にあるのは寝技だけだった。立ち技は本当にダメだった。まったく才能がなかった。

せっかくパワーがあるのに、釣り手で相手の奥襟や背中を掴むことは皆無であり、いつも前襟だった。運動神経がないから、せっかく神業的なタイミング大内刈りや払い腰に入ることができても、相手を投げるに至らない。遅すぎるのだ。

ただ、彼はよくやっていた。性格キャラクターはいじられ系芸人のそれだったけど、リアクションはよかったし、部員みんなから好かれる存在だった。そういう雰囲気をもった人間だった。



時期は半年ほど戻る。

いつぞやの試合でT君を内股で吹っ飛ばし名門校選手と、ラーメン屋で同席したことがある。T君と俺と、あの選手N君が一緒になったということは、おそらく試合の帰りだったのだろう。

あれは、福山駅の駅舎の外に入っているラーメン屋だった。名前は忘れた……なんとか吉だったはず。そこで、T君にラーメンをおごってやろうとして、カウンター席がいっぱいで4人掛けのテーブル席に通された。

そしたら、おかみさんが来て、「相席でもいいですか?」と言うのだ。それで待っていたら、N君ともう1人の柔道高校生が向かいテーブルに付いた。2on2の相席Styleである

そのN君だが、痩せ気味で精悍な顔つきをしていた。体形は相当細身で、背丈は185くらいか。T君と同じく81kg級選手である。もう1人は、100kg超級とおぼしき超アンコ体系の子だった。棟田選手以上の丸々とした感じだ。

2人とも、耳は完全に潰れていた。どちらも社会人に近しい貫禄があった。眼光が鋭い。スポーツ特待生で高校入るような奴って、雰囲気からして違ってる。

俺の耳もやはり潰れている、大学卒業して釈迦デビューするにあたり、手術で直すという選択肢もあったが、餃子耳の方がハクがつくと考えていた。T君の耳は、この時潰れかけだった。

会話、どんなだったかな。そうだ、N君がT君に話しかけてきたんだ。

それでT君も、ラーメンを待ちつつ水を飲んで彼と話をしてた。

思い出せる範囲だと、こんな会話だった。覚えてない箇所は端折っている。

「なあ、君。オレと試合したことない?」

「うん、あるある一年生の時と、こないだの秋の新人戦で」

「君さ、いつから柔道やってるの」

高校入ってやっとるよ」

「そうなんだ。やっぱりこの辺の学校は、そういう子が多いのかな」

わからんけど。N君はいから柔道しとんの?」

「4才から横浜で始めた。高校からこっち」

「えー、すごいやん」

「親に無理やり。両親とも柔道してて」

「それで、ここまで強くなれたんや。すごいね

努力たからな~」

「内股めっちゃすごいやん。カミソリみたい。サクッと相手が飛んでくよね。マジですごい」

伝家の宝刀な。あれだけは自信ある。けど、強いヤツは世の中にいっぱいいるし。俺もまだまだよ」

自分、N君には一生敵わないな。多分。こないだの試合、内股で空中5回転しとらんかった?」

「(テーブルを叩きながら)してた、してた!! なあ~」

 ※隣の高校生が関心なさそうに頷いていた

もっと勢いが強かったら、会場の窓ガラスを突き破って護国神社に落ちとったよ」

ハハハハ、お前、面白いな~!!」

「え~、うそ~。そんなに面白い?」

このあたりで、俺のイラつきを察したのか、N君の隣の高校生が彼を小突いた。

「T君さ。今度オレと試合するのいつになるかな」

「冬に県に繋がる個人戦がなかった?」

「それ、無差別級だけだろ。あの大会は、ベスト8までは全部うちの高校が占めるし、そこまで登ってこられる? それにベスト8が決まったら、例年それで市大会は終わり。解散。1位から8位の順位はうちの監督が決める」

「えー、そういう仕組みなん?」

ここで、隣の高校生がN君の肩を叩いた。

「そう、そういう仕組みな。次の試合は春しかない。あと1回だけのチャンス」

「うん、当たるの楽しみにしてる」

「言ったな!? 次に試合する時は、空中8回転だから

「そんなんされたら、自分死ぬし!! ボンレスハムだし、チャーシューだし、畳をバウンドちゃうよ」

「楽しみにしてる」

ここらへんの場面で注文したラーメンがきた。それで、あとは皆黙々とラーメンとか餃子を食べて、解散した。

あの店は、とんこつラーメンアレンジ系が美味かった。当時はよく利用してた。もう軽く十年以上は行ってない。残りの人生で行くこともないのかもしれない。

※書いてるうちに思い出した。福山駅前の八十吉ラーメンである

ただ、あの頃のT君とは、できれば一緒に行きたくないな。財布的な意味で、

当時、たまに2人きりでご飯をおごってやることがあったけど、あいつ、ラーメン替え玉4杯+チャーハンから揚げ+餃子5人前とか食べ切っててビビったわ……食欲が凄まじい。ラーメンが4杯で終わりなのは、その頃にはスープが無くなるからだ。

俺はその半分しか食えなかった。食欲においては、完全に俺の負けである事実だ。認めるしかない。

そんなこんなで、最後公式戦までの日々は風のように過ぎていった。



この匿名ダイアリーを書くにあたり、約二十年前の記憶を思い返している。正確じゃない部分はあろうけど、そこまで間違った内容でもないはず。一部ではあるが、当時の記録媒体を基にして書いてることもある。

あの日々は、けっこう幸せだった。柔道部の成績は悪かったけど、気合いが入った部員も出てきていた。そういえば、あの時そういう行為をした女子マネージャー(妹)も、あれから特にトラブルはなかった。これまでどおりの、柔道部顧問マネージャー関係だった。いや……ごく稀にプライベートで会うことがあったか

何度か変なことがあった。双子の姉の方と柔道場の入口で談笑してると、妹の方がやってきて一緒に話に入ったのだ。不自然タイミングで。無理やりに近い。それは、姉じゃないもう一人のマネージャーと話してる時もそうだった。

ちなみに姉の方は、マネ子に比べると若干明るい性格だった。俺ともT君ともほかの部員とも仲良くやってた。天性のコミュニケーション能力があるタイプだった。底抜けに明るいわけじゃないけど、不思議安心感のある、温かみのあるキャラクターだった。

マネ子の態度は、上記を除いては普通だった。何か月かに一度は、俺も含めた部員みんなにお菓子を作ってくれたし、バレンタインデーには手作りチョコレートくれたし、大会前には率先して雑用を命じてほしいと志願したし、俺の誕生日ネクタイピンをくれたこともある。

私学だし、まあいいかと思ってもらってた。あの子の財布は大丈夫かなと思ったが、月のお小遣いが一万円と聞いて納得した。友達と遊びに行く時などは、母親から別途お金がもらえるらしい。医者の娘は違うな……と、月四千円の小遣いで寮暮らしをしていた高校時代に想いを馳せたっけ。

別に、妹の方とまたセックスしたいとは思わなかった。「したい」という欲求はあったけど、でも教師としての責任感が勝ったのだ。 訂正;間違った記憶だった

ただ、俺という人間は、やはり異常だったと思う。ちょっと性欲が強いのは間違いない。そちらの方には正直だった。あとは~~子どもの頃に柔道陸上をしてたのだが、絶対にうまくなりたい! という情念が強くなりすぎて、体を痛めて指導者に怒られることがあった。夢や目標に対しては猪突猛進だった。

性欲、性欲……と、今思い返してみて、人としてよくなかったと思えるものを最低3つは思い出すことができた。ひとつだけ、あれはまだ5才か6才の時か。両親が忙しい家庭だったので、日常の世話は祖母が見てくれていた。いつも、祖母実妹と一緒に寝床についていた。

いつからだろうか。動機は定かではないが、まあ原初感情とでも言おうか。夜に寝床にいる時、暗闇の中で祖母と一緒に寝ている時に、祖母衣服を脱がせていた。「ねえ、ばあちゃん。服、服脱いで」と無邪気に笑って、祖母の服を脱がせていた。それで裸にする。

そして、お互いに裸になって、抱き合って布団の中で眠るのだ。抱き合うだけじゃなくて、ほかにも明らかに色々してたけど、やはり幼子とはいえ異常な行動だったと思う。

妹に対してもそうだった。妹に対しては、ほぼ毎日のように服を脱がせていた。妹は「いいよ」と言ったこともあったし、「いやだ」と言うこともあったけど、お構いなしに服を脱がせた。祖母が近くにいても関係なかった。とにかく脱がせて、納得いくまで裸で抱き合っていた。原初感情だった。

愚かなことだった。反省している。でも、あの時の感情は本物だった。あの時、まだ小学生ですらなかったけど、俺は「女を抱きたい」と確かにそう思っていた。リアルだった。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192839

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

anond:20241011165122

女というだけで陰キャだろうが陽キャだろうが子供を怒鳴り散らして虐待する女でも需要がある

男は女でも誰でもいいが、女は上位男性一極集中する

自分は何もせず女が悪いと文句要求ばかりの男が女になっても「推し活やホスト重課金して妥協しない行き遅れ高望み低スペックデブス」にしかなれない

最低賃金1500円になったら無能がクビになって失業率爆増」の説は介護職がある時点で嘘だよ

石破が2020年代最低賃金1500円って言って、早速高橋洋一だか誰だかのいつもメンツ経済音痴とかボロクソ批判してるけど、

仮に石破の言う通り1500円になっても失業率爆増なんてしないと思う。

介護失業者ほぼ全部吸収すると思う。

とっくの昔に退職済みだけど自分も元介護で、

マジで介護ってギリギリ生きていけるかいけないか給料しか出ない代わりにギリ健やギリアウトでも平気で採用してんのよ。

そりゃこのご時世まともな頭と体してたら介護なんてやらんよね。

事情がないとこんなくそ仕事誰がやるかって話。

何が悲しくて健康青年がジジババのウンコ処理せにゃならんのか。

俺も前職でパワハラ受けて適応障害になって辞め、生活がどうしようもなくなり今のまます採用してくれた介護に駆け込んだだけだ。

で、上でも書いたけど介護で働く人間マジでギリ健多い。ギリアウトもいる。俺みたいに心身不調もいる。

オープンにしてる手帳持ちも居た。

俺のところだけ特別そういうのが多いのかと思ってたけど、同僚やマネージャーの言い分によるとどこも似たようなもんらしい。

それですら人手不足なんだけどね。地獄だな。

介護ってのはそういう訳有りの最後の砦、駆け込み寺みたいになってるのが実態。で、本当に良くできてるなあと思うのが給料がカツカツだけどギリギリ死なない程度なんよ。転職できる自信の無いやつは妥協で残るくらいには。

介護報酬とか決めてる役所人間マジで頭良いと思うわ。この生かさぬよう殺さぬようのギリギリバランスを維持してるんだから

多分、最低賃金1500円になったら、クビを切られた無能達はゴッソリ介護がかっさらっていくと思う。

で、時給1500円でジジババのウンコ処理をして生きていくんだと思うよ。

anond:20241009135905

普通身長フツメン男性ですら女側から言い寄られる個体はごく少数だから、低身長男性なんて更に不利なんだよ

人より不利なのに、自助努力を拒絶するのが低身長男性なので、ひたすら「この属性の女には需要がないか妥協しろ」とネットで喚くことしかできない

肌や体臭ケアしろとか低身長で不利な分お見合いの数をこなせなど自助努力を求められると発狂する

anond:20241011115803

そら婚活に関する統計婚活業者の訴えも「高身長男性はすぐ売れていく」「余ってる低身長男性妥協しろ」だから

「低身長男性と同じくらい高身長貧乳女性デブでもブスでもババアでもない)は不人気」という世界観の低身長男性には面白くないわね

2024-10-09

結婚相談所への入会を考えている人へ

副業結婚相談所の手伝いをしている。

結論から言うと、男性36歳以上、女性32歳以上は相当苦戦すると思うのでマジで覚悟して入ったほうがいい。

うその年齢超えて婚活しようとしている時点で、あなたには何か欠陥がある。

「そうやって年齢で決めつけるやつってなんなの?」

「人それぞれ事情があるんだから」と言いたくなる気持ちは分かる。

でもその事情も含めて、上記の年齢までに結婚してない人はどこかおかしい。実感している。

結婚している人=まともでもないし結婚していない人=変ではないが、結婚したいのにできてない人はまともではない。

人は自分のことを実力以上の存在だと思う生き物だということがよく分かった。

いくら文句を言おうと、あなたはおじさんorおばさんで、性格に難があり、需要がない。そして自己評価が高く現実が見れていない。

今の相談所の現実として、まともな20代女性とまともなアラサー男性がくっつき爆速で退会していく。それ以外はグダグダやってる。

いくら相談所の連中は時代錯誤」と毒づこうと、その事実は変わらない。

まず、「自分需要がない存在なのだ」と心に刻もう。

それを受け入れられる素直で謙虚な心があれば素敵なお相手が見つかるかもしれないのでどうぞ入ってください。

SNSでは「相談所はレベルの低い異性をすすめて妥協させようとしてくる」と言われているが、素敵な人は素敵な人と出会っています。ただそれだけです。

2024-10-08

https://x.com/utsue_k/status/1843125821873230083

誰か助けてほしいです…

GANMA!さんのアプリで、10月11月中には新連載の開始が決まっていたのですが、連載が取り消しになりそうです。

連載決定と連絡を受け半年原稿3話分計135ページ、その先のネームや構想、アプリ用のカラーパネル2枚までできていたので、ここで連載を撤回されるのは辛い…

画像の内容をまとめると、契約書に恒久的な著作権譲渡が書かれており、弁護士相談の上、恒久的な譲渡を外そうとしたら、連載がストップしたらしい)

なめた契約条項を盛り込んで、ふざけるなボケと優しくいったら、どのレベルならOKか聞こうともせず、既読無視になるのなんでなんだろうなあ…

別に俺としても何でもかんでもダメなわけではないんだけど…

妥協する気がないか既読無視なのかね

外国企業日本企業とのやり取りはめんどくさいといっていたけど、その理由わかるわ

日本企業は末端レベルで反応が遅いし、理由もはっきり言わず、買いたたくことしか考えないもんな…

それで年収600万円とか価値に見合ってるのかといいたい

あと、民法だと契約自由の原則があるけど、実態としては定型約款と同じ状況になってることがあり、契約自由行使できないのマジ何とかしたほうがいい

借主として部屋を借りるときにあれこれ言うと、めんどくせえ客扱いされることがよくあって、特約に関しては文句が言えないことがよくある

(売買だとある程度は文句が言えるけど、限度を超えると握りつぶされることはあって、限度はある程度傾向があるようで業者によってまちまち)

anond:20241008143703

子供が欲しいか妥協して結婚した程度の好きな人、というのとどっちがマシなの?

anond:20241008143507

その人との間の子供が欲しいほどではない程度の妥協した好きな人

2年前マンション買って思うこと

anond:20241007141244

いいフォーマットが来たので全力で乗っていくスタイル

■前提

世帯年収900万一馬

東京勤務で完全リモートワーク

ローン完済は70歳ごろの予定

妊娠がわかったあと、子供が生まれることを見越して(あと賃貸更新が重なったのもあり)家探しをはじめる

直近も近隣に住んでおり、家賃12万くらいだった気がする

(なおウチが出てから家賃を3万ほど上げたそうで、それでも即次が決まってたらしい)

地域町田神奈川

■外せない要件

1. 3LDK

元々2LDKに住んでいたが、生まれてくる子供の部屋が必要だと思ったのが全ての始まり

リモート仕事部屋もいるので3LDK必須になった

2. 出社になったり転職したりする可能性があるため、ギリ首都圏である

3. 予算は4,000万円程度

4. 9月ぐらいに更新料として家賃一月分払わないといけないので、それまでに入居できること

どんだけケチなんだよ ウケる

5. 少なくとも住宅ローン減税は得られること

6. 直近で住んでたY市には色々と不信感がありできれば避けたい

検討妥協したこと

ぶっちゃけかなり勢いで決めたのでそんな考えてなかった

思い立ってから1ヶ月ぐらいで全部決めてる

最初は建売とか中古の一軒家を探していたが

予算内だと立地が現実的でないから諦めた

太陽光発電とか面白そうだと思ってたんだが

地域は別の所、例えば取手とかあっちの方とかに行く手もあったんだろうが

土地勘ないところにいきなり行くのは怖いのであんまり調べなかった

今のマンションに決めたのは妻の実家チョー近いというのも大きい

とはいえ神奈川って住宅地としてはもう完成されてて、古臭いわりに土地の値段が高くて微妙な感はあるよな

地味に見ていたのは、市の人口分布とか高齢化率、財政まわりとか

うちの近所だと、厚木なんかは子育て支援を大々的に打ち出してやってて良いイメージだったが、この辺の数字を見ると結構……

その点海老名とか結構良く、セントガーデンは結構最後まで検討してたんだが

結局住んでる町田も大して良くはないんだがな

Y市も悪くなかったんだが、PRだけ達者で実態がまるでないみたいな印象が強くあるんだよなぁ

やっぱ東京都の支援は手厚い

あと俺も資産性はマジで幻だと思う

割安と言われたHARUMI FLAGですら8,000万くらいの世界でしょ

4,000万ぽっちの家しか買えないような貧乏人には関係ない話だ

■結果

町田市、4,300万円

駅徒歩15分くらい

生活音などやっぱ戸建ての方がよかったなと思うことも多い

直近で住んでたシャーメゾンが防音すごくて集合住宅でもいけんじゃねと勘違いしてしまったが、そんな事はなかった

それも2年も住んでたら慣れる

DIYで内窓付けたりして、やっぱ持ち家は色々できるし手を入れていきたいと思う

■その他

はいいぞー

シエンタ乗ってるがシエンタなら3列目シートは諦めろ

2列目の下に収納するタイプは、チャイルドシート付けた席を動かすのがダルすぎて絶対3列目を出したくなくなる

うちは結局一回も使ってない(まぁ新古車で買ったから2列にする選択肢もなかったんだが)

じゃあ新しく出たフリードはその点良さそうだが、3列目を出すと結局荷物が乗らないのでなかなか使いづらいのではないか

個人的に今いいんじゃねと思うのはノアヴォクの中古全然相場見てないがモデルチェンジ時期的に考えてそろそろ値ごろな中古が出てきてるのではなかろうか

それかセレナの先代の中古

2024-10-07

anond:20241007141244

うちも家買うとき色々検討したり見て回ったりしたけど、

自分たちにとっては街を気に入るかどうかがほとんど全てだってことがよくわかった。

なんで場所だけは妥協せず築40年超えの狭めのマンションを買った。

結果的には大変満足している。街が良すぎる。

1年前のマンション購入時に検討したこと

追記

賃貸ではなく購入にした経緯

・前の住居が狭くて古く住民環境も良くなかった

 →いい物件に住みたくなった

理想物件(賃貸)見てると15万~

 →購入した際の月々の返済+3~5万が相場ぽい

 →家賃もったいないし、買うか~という感じ

 →特にこの+3~5万が、他人のローン返済を手伝っているようで許せなかった

 →家賃をローン返済(13万)と貯金(+3~5万)に回した形

中古ではなく新築にした経緯

中古物件価格以外+αの費用も多く、月々換算で安くはないと感じた

 →リフォーム(数百万)や修繕積立金考慮すると割高に感じた

希望予算だと築35年~が多く、見学して治安不安だった(悪くはないが、良くもなさそうという感想

 →新築は買う人(住人)のイメージがつきやすく、実際めちゃくちゃ治安良かった

・今振り返ると、治安の優先度が高い。その他もバランスよく考慮した結果、この選択になった感じ。

 →同じ条件でもエリアによって最適解違うと思う

・ローン返済13万以内と書いたけど、管理費修繕積立金込みで13万以内です

 →駐車場も平置き(余計な積立金不要

川口のシャドンワゾーは名店

 →これはガチ


■前提

世帯年収1000万くらい(割合はざっくり夫7、妻3)

・夫:東京勤務、リモートワーク主体(出社は週1程度)

・妻:埼玉勤務、フル出社、手に職(転職は容易)

子供なし

・当時の住居は23区家賃10


■外せない要件

①お互いの出社まで1時間以内、乗り換えも極力少なく

子供はほしいので、夫の単独ローンで返済可能範囲物件金額

 →世帯年収5倍以内、夫の年収7倍以内

  →毎月のローン返済は13万以内

③3LDK以上、築浅


検討したこと

・①より大まかなエリアを絞った

 →自分たち場合京浜東北線埼京線沿線エリアベスト

・②よりさらエリアを絞った(4~5000万で物件購入できそうなエリア

 →浦和から奥は高いので川口戸田、蕨あたり

・③より物件の詳細イメージを掴む

 →広さ、築年数など住みたい部屋のイメージと合うかすり合わせした


妥協したこと

・駅チカ

 →駅チカは当たり前だけど高くなるので、他条件とのトレード

  →駅チカも最初は重視したけど、広さ・築年数を優先し、駅チカは諦めた

資産

 →「資産価値は駅チカと直結」みたいなのよく見たけど、上記で諦めた

 →生活負担にならない範囲での購入を検討していたので、ある程度諦めてた


■結果

川口戸田、蕨エリアで4500万くらいの新築マンション買った

 →中古は部分補修すると数百万かかるので、同じくらいの総額になりそうだった

 →駅徒歩+10分して、築年数-35年にした感じ

・駅徒歩20分以内

 →電動自転車買ってカバーしてる。ショッピングモールも近くに多く住めば都

・1年住んでかなり満足してる


■その他

・前提に「妻の転職は容易」と書いたが、一方に負担かけるのも悪いので、最初エリアをだいぶ絞れた

 →悩むポイントが減ったので良かったと思ってる

資産価値呪い

 →選択肢が豊富お金持ちは、精々たくさん悩んでください…。

 →この呪いが解けたら、かなり楽になる

 →築年数に全振りしたので、「ローン完済後も築35年!」を拠り所に返済頑張ります

・車ほしくなる

 →子供できるまで我慢、それまで貯金する

クルド人問題

 →住んでる身としては何も感じないので、あんまり外野が騒がないで;;

新千歳空港

英語で「New Chitose Airport」と言うらしい、公式が言うてる

バカなのか?

誰が決めたのか知らんが中学1年生か?

固有名詞は表音で訳すのが大原則と一番最初に教わる。

 

田中君はMr. Central Farmにはならない「Tanaka-kun」だ。

これをMr, Tanakaとするかは議論余地があるが昨今は日本人の「-san」がビジネス英語で定着しつつ、ガイジン日本人に対して敬称サフィックスで「-san」をつける。

日本人と折衝のある外国人ほとんどこっちが主流。

まぁいい、そんなことはどうでもいい。

「New」だ

どこのバカがこれをやったのか。役人か?空港のお偉いさんか?知らんが。バカかと

Shin-Chitose」で良い、というか唯一の正解、それ以外の英語表記はありえない。

なんだよ「New」てどっから出てきたんだ?

新を「New」と訳したのか?バカか?アホか?中2か?

 

新千歳空港」で一つの固有名詞だよ?

空港を「Airport」とするのは判る、ギリ認めよう

新千歳」はこれで一つの固有名詞

仮に千歳空港に対して新しい空港であるから新を冠したというなら

日本語でも「新・千歳空港」と表記しろ

それならばNew Chitose Airportでも良かろう。

 

新横浜駅普通にShin-Yokohama Station」だ。

New Yokohama Stationと書くバカはいない

 

なぜ航空業界はNewを付けたがるのだ、日本の「新」空港は全てNewになってる。

バカなのか?アホ慣例か?

恥ずかしいから辞めろ

 

で、だ、白人に妙に忖度し阿るのが鬱陶しい。

「New」とした精神性が恥ずかしいのだ。

 

わかりやすのが多言語との違い。

中国語だと「新千岁」(発音:シンツゥエシィー)となっている。バカか?アホか?

 

「岁」は「歳」の中国語だ。

もう無茶苦茶、なにがしたいのだ?

 

ハングルだと「신치토세 」(発音:シンチトセ)

 

思想一貫性がまるでない。

音で訳したいのか、漢字字面をできるだけ近づけたいのか、意味で訳したいのか。

 

しかし、習近平を「シューキンペイ」と読む、発音する。

なにをどう妥協したのか。

同じ漢字圏で読み方が違うので混乱回避のために妥協必要なのはわかる。

だが「習近平」は中国語であって日本語ではない、一見日本語に見えてしまうがこれは中国語なのだ

固有名詞は音をそのまま持ってくるのが大原則の大原則だ。

 

President Trumpを絵札大統領と書くバカはいない。

 

で、だ、話しを戻すが

JR常識的に「新」を「Shin-」と訳すのに

新千歳空港駅は「New Chitose Air Port Station」と表記している。

もうね、呆れるしかない。

 

で、だ、これのなにがイカンか。

ガイジン日本旅行ガイドブックを持って旅行をする。

ホテルから空港への旅程がわからない、ホテルフロントで尋ねる

Please tell me transportation to New Chitose Airport.

 

「ニューチトセ?」どこだそこは?もしかしてシンチトセの事か?

いやいやいや、現実的には新千歳空港ほどメジャー場所ならマトモな常識人なら連想はできるが。

日本人でもメジャーではない地名固有名詞は混乱を生む。

から音で訳すのだ

喜連瓜破を「Joy Joint Melon Break」と言われても日本人100%わからん

から英語は「Kireuriwari」で良いのだ

 

ボケ

そもそも何で選挙が禊になるなんて発想になるのか

犯罪者はどっかの自治体の数百票が当落ライン議会選挙当選したら犯罪免除されるってこと?

いま実際にそうなってるから現実を見て妥協しろってことですか?

anond:20241003162322

単純に恋愛の優先度が下がって、理想相手じゃないならいいや、妥協して同レベルと付き合いたくはないという人が増えてるんだと思う

2024-10-06

anond:20241006220509

女性結婚簡単だよ妥協したらすぐ結婚していくから

女性による事件最近報道されるようになってきたり炎上騒ぎとかもあるけど、ポリコレ的に女性を取り上げるのは正しくないからそれで非モテ女性論は難しいだろう

なにせ一番語られるべき当事者非モテなんて思ってないし自分モテると思ってて、男側も明らかに自分より恵まれてる上に色々と煙過ぎるし真面目に話題にしたくないって感じ

活動側も良い顧客から気分を害する事なんて絶対に言わないし今の状況はみんな望んでこうなってる所はある

ちなみによく聞く主張は「結婚するぐらいなら死んだ方がマシ」だそうです

anond:20241005165639

キミみたいな子育て気負いすぎる親多いね

リスクは全て排除

マニュアル本も沢山読んでそう

 

子供なんてもっと気楽に育てりゃいいのに

 

子供なんてそう簡単には死なないし

かといって簡単死ぬ、どれだけ注意してても死ぬとき死ぬ

赤ちゃんの命を預かるってその覚悟をすることだよ

万全に備えることではない

そもそもが万全に備えるのが不可能だと覚悟を決めることだよ

 

それでも可視化されているリスク排除すればいいじゃないか

可能な限り努力するのは無駄ではない

 

わかる、そういいたいよね

 

無駄だし間違いかもしれないよ

キミは恐らく家中除菌ティッシュで拭き清め、

空気清浄機フィルターメーカー推奨の月次で交換しているだろう

おもちゃや寝具、食器ミルトン

 

そのようにすべきと子育てマニュアルに書いてある、常識

清潔にすればするほどリスクは低減される

子供にとって正しい環境提供だと

 

でも、それが間違いだったらどうする?

先進国のやりすぎ清潔が免疫惹起を阻害しむしろ有害であるというが新しい知見

 

例えば

「A causal mechanism for childhood acute lymphoblastic leukaemia」

でググれば出てくる小児白血病論文

引用も多いので関連論文も読んでみるといい

 

清潔のやり過ぎが小児がん白血病)だけではなくアレルギーアトピーリスクを上げることもわかってきている。

 

我が国では、

幼児誤飲死亡が年間200人(99%親の監視下)

小児がんが300人

 

かつて、スポック博士育児書は世界ベストセラーになった。

聖書の次に売れたと言われている

世界中の母親たちのバイブル、だった

母親たちは一つでもリスク排除すべく必死マニュアルに従った

だけど沢山間違えていたことが最新の知見で明らかになってる

改版を重ね、最後トンデモ本になって博士はこの世を去った

 

我々の信じる常識は正しいのか?

マニュアルに従えば子供幸福になるのか(マニュアル盲信は他責保険ではないか?)

 

子供にとってリスクベネフィットバランスの良いところはどこか

 

そこら覚悟哲学自分の頭で持つのが、赤ちゃんの命を預かる、って事だと思うけどね

 

だけど2cmビーズは100%無駄リスクだろ?

そういいたいよね

わかる

でもね、それを排除したらもう歯止めは無い

排中律議論選択しかならんのよ

 

リスクに関して無視する必要は無い、ママと議論するのは良い、対話相互妥協大事

でも最後母親愛情なんだから諦めて見守る覚悟はしたほうがいいと思うよ

2024-10-04

anond:20241003123135

そういう女性もいるし、相性なんだろうね

相性悪いけど金あるから付き合うっていう妥協もいいと思うし、それなら割り切るしかない

接待を求めるなら先に接待して見せるとかね

子供の箸の持ち方を直しづらい

タイトル通りなのだが、今小4の娘がいて、箸の持ち方が良くない。

その箸の持ち方は、妻の持ち方そのままなのである

自分は両親共におおらかなタイプで、細かく躾やマナーなど教え込まれ記憶がない。(妻もおそらく同様の育てられ方をしている)

ただ、箸の持ち方がなってない=大人として恥ずかしいという意識が、大人になるまでに自然と芽生えたため、自分自主的に箸の持ち方を直してきた。

結婚生活の中で自分と妻とを比べると、自分の方が神経質で、妻の方がややルーズなところがある。

ただ、結婚生活というのはどちらか一方がもう一方の方に合わせることよりも、お互いの妥協点を上手く見つけることの方がずっと多いのである。例えば家が汚れてるぐらいのことなら、自分は指摘したり注意したりするよりも自分からさっさと掃除したりしている。妻側だって自分には面と向かって言わないけど諦めていることなど多々あるだろう。

そんな中で、箸の持ち方問題である

娘には自分から過去何度か指摘したことがあるのだが、普段食事を共にすることが多い母親が同じ持ち方をしているわけなので、結局大して直らず今に至っている。

自分も、ちゃんと箸の持ち方もできないような人間社会に出ると恥をかくよ、と言いたい気持ちもあるが、それでは妻を不快気持ちにさせてしまうような気もしている。

こんなに箸の持ち方でモヤモヤしている自分は、変なのかな?少数派なのかな?

娘のためにならないのなら、もっと強く言った方が良いのかなと考え中。

追記

職業についての言及にいくつかコメントつきましたが、特に意図はなかったので削除しました!

2024-10-03

結婚相談所について

anond:20241003091947

相談所2件とマッチングアプリの世話になった。

結局、マッチングアプリ出会った人と良い感じになっているので、直接的に結婚相談所恩恵を受けてない。

けど、相談所も無駄ではなかったと思っている。

スタジオを予約して写真を撮るとか、相談所の後押しがなければとてもやる気は起きなかった。

撮った写真は色々使いまわせるので損はない・・・と思う。

見合い相手との今後の進め方とか相談もできたし。

あと、部屋に入れてもらったからって抱きついてはいけません、と怒られたりもした。その節はすみませんでした。

自分担当アドバイザーはやる気がイマイチだった気がするから当たりハズレはあるかもしれない。

腹が立つことはあったけど、活動モチベーションは維持してくれた。(妥協を迫るだけのババァに一泡吹かせてやりてぇ、という思い)

10%に満たない、とか、5%以下だ、とかやらない理由を挙げてる暇があれば、なんでもやってみりゃいいのでは?

俺は40代後半だし、顔も年収も大したことないけど良い人と知り合えたよ。だから諦めないで欲しい

皆様の活動が実を結ぶことを、心の底から祈っている 

女性の自立は失敗だったと思う。

女の給料じゃ食ってけないので仕方なく昔は結婚するしか無かったのだろうが、

良かれ悪かれ子供が産まれから人口も増えて仕事需要も増えていったと思う。

チー牛なんかの遺伝子を残したくないとか、あんなのと結婚するぐらいなら孤独死した方がましと

思うかもしれんけど、もう少し妥協点を緩めて欲しかった。

国のために自由を捧げないといかんのかと怒る人もいると思うけど

人口が減りすぎた社会が弱体過ぎる。

今後も減り続ける。

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