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はてなキーワード: 情況とは

2024-10-10

悲報】「情況批判トランス声明記事を読まずに書いていた

https://x.com/anatatachi_ohno/status/1837707024400109604

あの声明特集を読まずに書かれたという印象を持っている。内容が発行前の炎上時に出ていた批判とほぼ同じだから。実際、署名者の一人とやりとりした時にその人は未読とわかった。だから具体的な批判ができない。

相変わらずトランスアライは文章読めないやつばっかだな

2024-09-09

anond:20240909200549

うーん……本来意味でも逃げだな

に‐げる

【逃げる】

《下一自》

1.

(捕らえられない、または捕らえられたままでいないように)危険を避けて、相手の力の及ばない所へ去る、また身を隠す。

 「敵前から―」

2.

避けて、不利な情況におちいらないようにする。

 「責任を―・げてばかりいる」

2024-08-19

クルド問題で良くやり玉にあがる解体トラックの積載とヤード問題に就いてパート1

産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事事件のものには触れない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/

 

トラック制裁制限

産経記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察検挙しない!」と指弾されている。

これらは違法積載なのだろうか?

 

道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。

後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真トラックはそんなにでっぱっていない。

 

側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。

産経写真トラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。

畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか

エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから全然余裕である違反ではない。

 

では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。

でも道交法では「道路運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。

しかし3.8mというのは観光バス屋根とか電車の2階建てグリーン車屋根の高さで、とんでもない高さだ。だからトラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真トラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。

 

重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタル石膏ボード漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。

 

となると、これは過積載でも何でも無い定積載なのだ

 

トラックの積み方

トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。

コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。

いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。

 

多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。

しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。

警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。

 

ヤードの中が見えない問題

ヤードっていうのは物流基地屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤード誤用っぽい転用だ。

で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。

 

だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。

昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。

だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川流れると魚毒性が高い。

そこで各条例でこういう規制が出来た。

・1.廃車置き場と作業場コンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ

・2.1が難しい場合作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け

・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ

 

最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。

増田学生時代、金がないかマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフト86の廃車を下ろしてもらいミッション自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。

でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手ヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそもから見えないか在庫が判らない。つまらん。

こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。

それで色の黒いガイジンヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である

 

事件地の推定

「本稿では記事事件のものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。

 

記事中に「(川口)市東北部とあるが、市の東北側には人家がまれ地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。

 

見沼

 

江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業荒川西遷事業を為した治水土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である

そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府石高を上げ、財政情況改善したのである

ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流入間川けが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。

指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅武蔵浦和駅南浦和駅浦和シリーズスランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道クロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースはしごかよ。

で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である

この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。

この川の痕跡戦後すぐの航空写真にはくっきりと写っている。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.841125&lng=139.699960&zoom=14&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_ort_USA10&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

河川跡は出水やすいので田んぼとし、その横に形成された微高地自然堤防曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。

 

享保の改革吉宗時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。

途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。

それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いか都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。

武蔵野線東浦和東川口間、東武野田線大宮公園~大和田七里岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである

 

で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般都市計画建築物規制するやり方で、住宅工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校病院特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。

建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能プレハブ)、解体ヤード建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。

 

パート2→https://anond.hatelabo.jp/20240819185125  

2024-08-14

トランス当事者だけで女性の権利を決めまーす

https://x.com/wishiwereaswan/status/1823564743246012889

これは『情況8月号の話題を受けて?

当事者抜きで議論してるのは高井ゆと里さん達🏳️‍⚧️活動家の側では?

女性意見は完全に無視してるじゃないですか。女性スペースの当事者女性です。

完璧なクソオスムーブやん

2024-08-13

anond:20240813110034

情況ってなんや雑誌

わいの40年以上の人生で初めて聞いたわ

政治豚は物知りやなあ

情況ってキャンセルカルチャー特集とかしてたからてっきり正論あたりの仲間の右翼雑誌かと思ってたけど左翼系なんか

まあでもやってること右翼雑誌と変わらんよな

コラボでもしたらいいのに

情況』のトランス特集

最高やん

これは買いやね

https://www.amazon.co.jp/dp/B0DC7H2H21

特集トランスジェンダー

特集によせて トランスジェンダー権利擁護と、開かれた議論のために 塩野谷恭輔

焚書」のレトリックに踊らされないために 『トランスジェンダーになりたい少女たち』宣伝手法問題について ベンジャミン・クリッツァー

リベラルトランスジェンダー 斎藤貴男

トランスジェンダーの「沼」 岩波明

トランスジェンダリズムとは何なのか? 白井聡

[書面インタビュー笙野頼子 女消しに抗して、世界権力に異議を

自由に対する左からの脅威 アビゲイルシュライアー本をめぐる諸問題 森田成也

成立から二十一年、「GID特例法」の今 三橋順子

GBTの非存在について 安冨歩

インタビュー よだかれん トランスジェンダー当事者可視化で広げる人々の理解

ポストモダントランスジェンダー 小谷野敦

鼎談子ども向けのLGBT入門絵本から読み解く日本性的マイノリティ運動の歩み 前田和男×尾辻かな子×沢辺均

学問危機と『キャンセル』の方法論 千田有紀

身体改変的性別越境主義について 「性別破壊論・序章 阿部智恵

在りたい私、私が決める メタバーストランスジェンダー 蘭茶みすみ

なぜジェンダークリティカルペドフィリア連帯しないのか? 谷口一平

トランスヘイト自由こそ基本的人権である 佐藤悟志

ジェンダー越境するために 萌え絵アパレルから 横山茂彦

トランス差別はやはりキチガイキャンセル運動家連中の隠れ蓑だったと再認識した

8月末に出る情況って雑誌特集トランスジェンダーらしいのだが

既に反トランス界隈が目をつけてXで発狂し散らかしている

連中の言い分だと、トランス肯定的じゃない連中(連中の定義では=差別主義者)の記事が載っているのがけしからん

トランス特集やるならトランス肯定でなければ差別トランス真理教疑義を唱える連中やそいつらに発言の場を与える雑誌人殺し絶対に許すな!ということらしい

いやー、この手の連中の発狂ぶりってマジですごいよな

まだ雑誌が出ていなくて表紙ぐらいしか情報ない時点で、反トランス差別的内容だと決めつけできちゃうのは何故なんだろうか

執筆陣の名前から判断しているらしいけど、それってお前らの大嫌いな差別じゃん笑

文章を書かせるな、発言の場を与えるなって、言論の自由とか反トランス差別界隈の連中の辞書にはないのか笑

連中は既にX上で徒党を組んでキャンセル活動スクラムを組んでいるよ、ほんと暴力的で話の通じないキチガイだよね

はてな匿名の中でしか言及したくないねヒスった病気持ちの陰キャおばさんがメイン層だから肉体的な危害とかは怖くないけど、記名性のSNSで触れちゃうバカが伝染りそうで怖いよ

2024-08-06

   平成15年の東大駒場情況って、時代錯誤社の、スキックスみたいな超絶安保空間で、増田みたいな社会ではないから。みんな若い頃は超絶アフォだったわけで

      スクーター花火大会にいく書記官女性とかそんなものではなかった。ではその超絶安保たちがに、ただ単に高齢化しているというだけ。

   子供だった時代

           甲斐武安の息子にせろ、なんでそれがなくなったのか。   そういうお祭りは、黒羽刑務所の中長谷川がやっている。

   中国人がいってました

               お祭り感は全然いね

   平成29年の東大合格発表もそうだすね。   いやー全然お祭り感ないよね、という声が多数聞かれた。寒いな、と。

2024-08-04

  第二百四十八条犯人性格、年齢及び境遇犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。

    上記規定をあてはめると次のようになる。

    ① 性格    ガキ   持病   てんかん

    ② 年齢    18歳

    ③ 境遇    祖父母父母死亡により、単身独居生活   労働収入   バイト

    ④ 犯罪の軽重    重い

    ⑤  情状     反省ウソ

    ⑥  犯罪後の情況   繰り返している。

                            以上から248条を適用すべきものとは認めない。

    検事容疑者起訴することを公訴権といい、規定は、以下の2つで、解釈論、判例は、水俣チッソ事件1件が長く使われている。

      職務犯罪構成するとさすがに裁量権逸脱であるが、という枠組みが利用されている。  当時の裁判官はこの議論批判したが、東京地裁ではほとんどこれで動いていて

   

   で、刑法職権乱用罪が存在するから職務犯罪構成しない限りは何をしてもいいというのが、検事の。

   

第二章 公訴

第二百四十七条公訴は、検察官がこれを行う。

第二百四十八条犯人性格、年齢及び境遇犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。

東浩紀伝3

東は2018年12月18日ツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、解散は思いとどまる。東は21日付で代表辞任し、上田代表就任する。「ゲンロンに搾取されているという不満」(「ゲンロン戦記」、212頁)を抱いたそうであるゲンロンの代表として会社のために苦労しているにもかかわらず、社員は楽しくやっているように見えるのが不満だったそうだ。理解しにくいところであるが、こういう理由から自分と同じくらいの貢献を社員に求めることになるようである。「ゲンロン戦記」のこの個所は異彩を放っていて、他は笑えるエピソードなのであろうが、ここは笑えないところであろう。代表辞任という重大な局面なので書かざるを得なかったのだろうか。

上田洋子の人生ゲンロンで好転したことは疑いない。博士号取得後燻ぶっていたが、チェルノブイリツアー通訳を引き受けたところ、東に気に入られ、ゲンロンの副代表就任し、それだけでも出世であろうが、東の代表辞任に伴い、代表の座に就くに至った。代表女性ということでフェミ批判をかわせる部分もあるようである2023年日本ロシア文学会大賞を受賞している。東を諫めるべき立場ではあるが、そういうものとしては機能せず、東の発言をひたすら支持している。

2020年新型コロナウイルス(COVID-19)が世界蔓延する。東は断固としてコロナはただの風邪という立場に立った(小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀コロナはしょぼいウイルス世界中で騒いでるのが一番の問題。」【ゲンロン200328】)。田中康夫が切り抜き動画を作っていたのであるが、消されてしまっているようであるアガンベンも生権力批判観点からコロナ対応批判的であったが、コロナは致死率こそそれほど高くないものの、後遺症がひどいので「しょぼいウイルス」とは言えないであろう。

2020年7月黒瀬陽平セクハラが発覚する。東は黒瀬との関係を断つが、これはこの時世であるから仕方ないところであろう。黒瀬は「思想地図vol.1」(2008年)でデビューしており、ゲンロンではカオス*ラウンジ芸術校などもやっていた。

2020年10月19日シラスオープンする。ユーチューブとどう違うのかとも思われるが、その理念は「ゲンロン戦記」第6章第2節で語られている。

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であったが、東京オリンピックでの小山田圭吾炎上が最も目立つ事例であろう。音楽家不祥事新聞の一面トップを飾ったのは小室哲哉逮捕以来ではないだろうか。この件で宮台真司小山田に対して批判的であったが、これに東は反発して、関係を断つ。九〇年代に宮台も露悪系でやっていたのだから小山田の側に立つべきだったというのであるが(「東浩紀無料突発 またどうせ消す」)、これはまっとうな批判であろう。一晩で数百万もの売り上げのあるイベント相手をこのくらいの理由で切れるのだから、東の行動原理は損得にはないということは認めていいのであろう。

2021年4月4日、オープンレター女性差別的な文化を脱するために 研究教育言論メディアにかかわるすべての人へ」が公開されたが、これはキャンセルカルチャーの烽火といっていいものであろう。日文研助教(当時)呉座勇一が武蔵大学准教授(当時)北村紗衣を鍵垢で揶揄していたことを非難するものである東北学院大学准教授小宮友根が書いたらしい。呉座は日文研から准教授への内定を取り消される。同じ年に、立憲民主党衆議院議員本多平直が辞任に追い込まれたりもしており、リベラル連携して動いていることは明らかであろう。キャンセルカルチャーの年表としては、「桐野夏生日没』と2020年代の「大衆検閲」」がある。

2021年9月29日、呉座は日文研提訴したが、これに加えて、2022年2月27日オープンレターの差出人に対して、オープンレターの削除と損害賠償を求める書面を送付し、同年2月25日オープンレターの差出人らが呉座に債務不存在確認訴訟提訴している。2021年12月に、草津町町長女性町議から強制わいせつ容疑で告訴されたのに対して、名誉棄損と虚偽告訴の容疑で女性町議を逆に告訴したりもしていたが、キャンセルカルチャーに対して反撃が始まったという印象であるツイッターでアンフェが気焔を上げていたのであるが、オープンレターは、署名していない人が署名したことになっていたり、差出人に加わることに合意していないのに差出人にされていたり、差出人が五十音順で並べられていなかったりして、杜撰なところが多く、そこを突かれていた。いわゆる法クラの弁護士が加勢したのも大きいのであろう。キャンセルカルチャーの本邦第一号としてモデルケースにするはずだったものと思われるが、躓いてしまった。

この呉座が、シラスチャンネルを開設すると発表される。キャンセルカルチャー犠牲者に助け舟を出したかたちであるが、ここから問題であった。2022年6月、呉座が春木晶子を姫と言ったところ、辻田が咎めたが、呉座は姫の初出は東である反論する。後日、春木は呉座に指摘を感謝し、東にこそ問題があると批判する(5ちゃんねる、東浩紀671の12)。このような経緯で呉座のチャンネルは、契約は未了であったものの、開設されないことになってしまった。また春木チャンネル契約更新を拒まれる。こちらはアップルパイ番組で焼いていたことも問題視された。このことからアップルパイ事件とか五反田ベース事件などと呼ばれることもある。呉座と春木ユーチューブに「春木で呉座います。」というチャンネルを開設した。

悪いことは続くものであるが、今や東のトレードマークともなった「とんこれ」発言が飛び出す。衆議院投票日を二日後に控える2022年7月8日、元総理大臣安倍晋三統一教会に家庭を破壊された過去を持つ山上徹也によって射殺される。7月10日、ニコニコ生放送で「【参院選2022】開票特番三浦瑠麗東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう」が放送されるが、中継で社民党福島瑞穂が「それで現在はまだ詳細がわかっておりませんが、統一教会との関係などとも言われております。ですから詳細が明らかになると同時に、もし自民党統一教会応援していることが問題とされたのであれば、まさに自民党統一教会によって大きく影響を受けているということも日本の政治の中で問題になりうると思ってるんですね」などと発言した。中継終了後、東は「あの、これさ……自民党統一教会関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」と述べ、一連のやり取りの中で「これとんでもない話だなぁこれ」との印象深いフレーズが口にされる。福島安倍への銃撃を容認する意図はないと思われるが、そのように曲解したのであろう。しかし、この発言ネタになったのは、味わい深いものがあったからであろう。「五反田式人文パフォーマンスは①唐突で②滑稽で③絶妙にピントが外れていないといけない。極めるのは大変ですよ」(5ちゃんねる、東浩紀スレ817の622)。狙ってやれるものではないように思われる。

2022年10月頃、暇空茜が一般社団法人Colaboの杜撰会計を追求しはじめる。これは2021年後半から始まったキャンセルカルチャーへの反撃のうちで最大のものであった。暇空の活動は、表現を燃やすものを燃やすことでキャンセルカルチャーを終わらせることを目的にしているが、そのために情報公開請求住民監査請求などの合法的手段を用いている(一部デマもあるようだが)。青識亜論のような従来の「表現の自由戦士」は原理を唱えるだけであったが、行動に移したかたちである。東は暇空についてほとんど言及していないが、暇空を支持している宇佐美展也と「都知事選は本当にこれでよかったのか!?」(2024年7月7日)で共演している。

「とんこれ」発言で東の評判はずいぶん落ちたため、それから安全運転を心がけているようであるしかし、安倍が死んだこともあり、検察が息を吹き返した。東京五輪汚職株式会社KADOKAWA会長角川歴彦逮捕起訴され、「とんこれ」発言に同席していた夏野剛が棚ぼたで取締役代表執行役社長CEO就任した。同じく「とんこれ」発言に同席していた三浦瑠璃にはそういうラッキーはなかった。夫(当時)の三浦清志は、建設の見込みがないのに太陽光発電出資を受けたとして、詐欺容疑で告発されていたが、2023年3月7日業務上横領罪で逮捕されたのである(同月27日に起訴)。三浦瑠璃はしばらく活動を休止していたが、2024年4月26日、夫との離婚を発表し、活動を再開した。

辻田真佐憲は、「訂正可能性の哲学」の副読本「訂正する力」(2023年10月)の聞き手構成担当するなど、東の最側近になっていたが、2024年5月31日の「東浩紀突発#136 ただなんとなく雑談」で批判される。「みんな格好つけたいんだろ?俺、自分が格好つけるとか考えない。ゲンロンとシラスのためにめっちゃやってるから!俺シラスを盛り上げようと思ったんだよ。シラサーと一緒に。やってくんないよ!みんな自分チャンネルのことばっか考えてるじゃん!」などの発言があったそうである(5ちゃんねる、東浩紀スレ酒849の290)。「石戸諭×桂大介×東浩紀 ネットで(ついに)社会が変わるのか?」(同年7月18日)でも辻田は批判される。辻田が論壇フェスというイベントに出るのが気に食わないようである。辻田は「【雑談配信東京都知事選後日談中間重要性、論壇フェスほか」(同年7月19日)で反論した。しかし、辻田は売り上げトップであるだけに東も軟化し、辻田がシラスを止めることは今のところないようである

現在に追いついた。これまでのあらすじをまとめると、東は郵便本で確立した視座でずっとやってきたといえるのであろうが、ゼロ年代ネット草創期のコミュニケーションの変容をアーキテクチャから考えていて、この頃がいちばんよかった。個々人は社会から下りていても、社会は回っていくというような夢が語られた。このような夢まで否定されるいわれはないだろう。テン年代になると、SNSによってネット政治的もので満たされるようになり、東はそこから距離を置こうとしてゲンロンに立てこもるようになった。ゼロ年代ネットの勢いに乗っており、その可能性を引き出すべく理論化に励んでいたが、テン年代ネットの動向に批判的になり、アーキテクチャ論も捨ててしまい、時代を作るような存在ではなくなっていった。

時代を作っているのは、左派ウォーキズムであろう。東に近かった人でも、津田藤田こちらに付いていったのであるが、ゼロ年代の東は、環境を変化させることで行動を変える環境管理型権力がこれから権力であり、内面に介入する規律訓練型権力過去のものになりつつあるとしていた。しかし、左派ウォーキズムは明らかに内心に介入しており、先祖返りしている印象である外山恒一キャンセルカルチャーについて「云ってることは新左翼だが、やってることがイジメ」(情況 2022年春号)と言っているが、これにならえば、左派ウォーキズムは、云ってることはフーコーだが、やってることがキリスト教といったところであろうか。しかし、左派ウォーキズムは収まりそうになく、これに対する抗議運動も続くであろう。

展望も記しておくべきなのであろうか。宮台真司は東に健康診断を受けるように勧めていたが、宮台はステージ0のすい臓がん発見しており、しっかりと健康診断を受けているのだろう。東はアル中ではないということらしいが、酒の飲みすぎであることは疑いない。しかし、健康さえ保てれば、今の地位は揺らぎそうもない。思想的な伸びしろは乏しいのかもしれないが、依然としてアイデアマンではあり、あと十数年は売れる本を出せるであろうし、ゲンロンも続けようと思えば続くであろう。

これでこの伝記は終わりであるが、記憶に頼って書いたところも少なくなく、誤りもあるかもしれない。東の埋蔵量は油田のようであり、書き終えられるか不安になったこともあるが、何とか書き終えることができた。これを読んだ人にネット草創期の興奮が少しでも伝われば幸いである。

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-02-02

ギョーカイ残滓に関する注意喚起の発出

ネット言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレルマーケティング広告電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。

亦は例えば脚本家原作者トラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータナイーブを嗤うような文章だ。

実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズム関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。

 

だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであうからギョーカイに就いてざっと解説したい。

 

80年代カルチャー誌が当時の若者を釣る為のコンテンツ総体ギョーカイ

1980年代大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義全共闘世代大学の知の権威攻撃して教授講義尊敬解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑嫌悪さえされるようになっていった。

だが大学権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学レジャーランドとなり、特に文系学生教科書さえ買っていないという風になっていた。

 

更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。

だが国民生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。

プラザ合意でこれが一変する。これは円高誘導日本対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。

そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上お墨付きで推奨されるようになったのだ。国民経済道徳なんて政策で左右されるのである文化は決定因子ではない。

また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。

この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。 

この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコマハラジャジュリアナ東京であろう。マハラジャ運営会社はそれまで「並」のディスコ経営していたが、マハラジャで極端な高級志向ドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド必須)にしたところ大盛況となった。

 

だが大学生が高級志向になったのは自然出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。

 

POPEYEホットドックプレスの例

こういう大学生に影響の大きかった雑誌マガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社ホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイアーリーアダプター志向ホットドックプレスマジョリティ志向という感じだ。

マガジンハウスファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。

一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。

そして流行於いてマジョリティ相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである大学デビューした若者ファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。

 

山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代編集長であった。

教養人だが編集長時代マガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者楽しいライフスタイル提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。

 

これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。

 

ギョーカイホイチョイプロとんねるず

そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。

ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通けが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である

またとんねるずパワハラ芸とTV局の内輪ネタ若者の歓心を得て売れるようになった。

特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラ芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係ギョーカイなので売り物になったのである

 

ギョーカイ情況である

故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコVIPルーム、見せる為の彼/彼女ポストモダン思想という今では時代遅れの事物文脈がある。

一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的価値観は外部化されていて入っていない。

 

身に沁み込んだレイトマジョリティへの強迫観念

先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。

これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動効果は残っていて、広告TV局に関する事が話題になると、今でも「電通本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。

特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場印刷を受注する立場看板屋など様々な立場人間ネットに書き込む。また電通業務のうち広告ではない部門人材派遣イベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。

それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。

これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念駆動され続けているのである

 

彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりしかないので、騙されないようにして貰いたい。

インターネット下さい」やソーカルコテンパンにされたポストモダンの亜種である

 

この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方バーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎鐘の音が胸中に去来するはずである

またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出し笑顔発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ批判を共有するので炎上評価低下を恐れて答えに窮し発言者善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である

TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである

 

いずれにしてもTV広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2024-01-06

空気を読む=正しい」ではないのか

散々空気を読めと言われて気が狂ってしまった

空気:人々の気持を支配するようなその場の情況雰囲気

「失敗すると知りながら、あの時の―ではそうするほかなかった」

2023-04-01

中学時代に知り合った子と再会した


当方、30代後半になる。会社員男だ。現場仕事疲れた時、帰りに自分好みの居酒屋に寄ることがある。約一年前に、そこで珍しい体験をした。あんな気分になったのは初めてだった。懐かしいし、嬉しいけど、でもちょっと怖い。ツキがありすぎて、逆にツイてないんじゃないかと思った。

実をいうと、中学生の時に柔道合宿で知り合いになった女性と再会した。二度と会えないと思っていた。思い出が記憶水槽に残っていたのを自覚した。

それは、居酒屋カウンターに座った瞬間だった。どちらからともなく「昔会ったことあるよね」「増田君だよね」「Yさんだよね」という流れになって、しばらく話し込んだ。

少しばかり、昔のことを綴ってみたい。2000年代前半のことだ。



中二の夏休みだった。当時、広島県の海の見える田舎柔道をやっていた。普段中学校単位練習しているが、隣の市にある工業高校柔道合宿があるらしい。顧問先生が是非とも参加したいと主張していた。それは6泊7日の長期合宿で、うちの中学は途中日程で二泊三日だけお邪魔させてもらうことになった。

当時は弱い方だった。黒帯には遠く及ばず、公式戦でも黒星が多かった。白星が増えつつはあったけど。不安だったのを覚えている。高校生ボコボコにされると思った。でも柔道は好きだったから、ちょっと期待もあった。


朝八時くらいに工業高校に到着したのだが、柔道場に入ると、すでに数十人の高校生と、県大会活躍するレベル男子中学生が畳の上でぐったりしていた(ランニングウェアで)。朝6時から朝練で相当しぼられたらしい。

朝9時半に柔道練習が始まったのだが、背丈が185、体重が90くらいある高校生が、「これから、午前の練習を、始めるッ!!」みたいに野太い声で開始を宣言した。今でも覚えている、とても高校生には見えなかった。『テニスの王子様』で、すごいおっさん高校生が出てくるだろ。そんな感じだった。

準備体操受け身練習を終えて、中学生だった自分達は、いよいよ投げ技の打ち込み(二人組になって技に入る直前までやる。20本で交代で、組み合わせが順番にグルグル回る)に入った。高校生と組むことが多かったのだが、レベルの差がありすぎて向こうの練習になってなかった。こちらは、綺麗に受けてくれるお陰で練習になっていたが。


柔道場には女子が何人もいた。別に珍しくはない。工業高校があるのは大きい市だったから、柔道をやってる女子はたくさんいる。うちの地区には女子は数えるほどしかいない。

その中で、打ち込み練習自分の前に立った女子(Yさん)は、ほかの女子とは違う気がした。体型は大きめで、上半身が丸っこい感じがしたのを覚えてる。

めっちゃ気が強そうだった。目の鋭さが違う、子どもって感じがしない。実際にそうだった。打ち込みで自分と組み合ったと思うと、真っ先に大外刈り(※技の解説はあまりしない。適当にググってほしい)に入り始めた。女子と打ち込みをしたのは、その時が初めてだった。なんか、男子と明らかに感じが違う。柔らかくて繊細で、リズムがあった。

残念ながら、リズムが良すぎて技の受けが噛み合わなかった。「んん~!!」という不機嫌そうな声とともに、Yさんは20本目を終えた。Yさんと交代して自分は、おそるおそる大外刈りの打ち込みに入った。

……やっぱり、男子とは明らかに違う。振りかぶった足で相手を刈る技なんだが、大外刈り相手と胸を密着させる必要がある。男子だと問題なくできるのだが、どうしても胸が合わなかった。こちらの胸板をぶつけると、反動とともに弾き返される。何度もぶつけようとするが、うまくいかない。Yさんの方から、「チッ!」みたいな舌打ちが聞こえた。正直ビビっていた。

自分はナメられやすい見た目だった。あなたの周りにも、40代ほどで小太りで、中肉中背のマッタリとした雰囲気のおじさんがいないだろうか。その予備軍みたいな中学生だった。今の妻にも「おじさんみたいじゃん」「お腹触らせて~」などと言われることがある。※けっこうな頻度でぜい肉を握られる。

打ち込みでは、その子以外の女子とも組んだ。背負い投げは背丈の関係で入りにくそうだったので、全員大外刈りにした。でも、Yさんほど入りにくくはなかった。みんな、スッと胸を合わせて密着することができた。


そんなこんなで投げ技の乱取りが始まった。ここからは男女別に分かれた。男子は40人以上いて、女子は6~8人だったかな。女子柔道場の端っこの方で乱取りをこなしていた。黒帯白帯も一緒だった。やはりYちゃんは圧倒的な強さのようで、福山市では中二にして57kg級で優勝していた。

ところで、当時の日記には「強くなれる機会だ。でも、高校生に投げられたらめちゃ痛そう」と書いていた。実際そんなことはなかった。というのも、白帯白帯だけのグループでの乱取りだった。黒帯グループを見ると、自分がいる市で一番強い体重90kgほどの男子が、細身の高校生にボロ雑巾のように背負いで投げ飛ばされていた。

その時、見てしまった。その男子が体格を活かして大外刈りに入った――と認識した時、一瞬で空中二回転半する勢いで、その高校生のしゃがみ込む背負いで畳の上に叩きつけられていた。いや、あれはもう畳にめり込んでいた。「バァーーーンッ!!」という音がしたのを覚えてる。でも不思議かな、そんな勢いで強い人に投げられてもぜんぜん痛くない。


当時の自分は、柔道が強くなりかけていた。黒帯にはほど遠かったけど。黒帯乱取りグループに入れてもらいたかった。だから、頑張って、頑張って、ひたすらに白帯中学生高校生を投げ続けた。そしたら、あっちのグループに入れてもらえるかなと思った。そんな気配はなかった。




午後は、寝技稽古だった。初めの方は先生が模範の攻めパターンを見せてくれて、二人組を作って互いに掛け合う流れだった。やがて、小休憩を挟んで寝技乱取りスタートした。自分はやはり黒帯グループに行きたかったので、必死相手を抑え込んでいた。

それで、寝技乱取りの三本目か四本目の終わりに「ビイイイイッッ!!」と電子タイマーのブザーが鳴ると、工業高校先生と、もうひとりの先生(Yさんの顧問)に呼ばれた。ほかの白帯も二人ほど一緒だった。


「おみゃーらは、次はこっちに入ってもらうけえ。君らの先生許可はもらっとる」

 ※標準的備後弁名古屋弁×広島弁みたいな感じ)だ。特に乱暴な口調ではない。


その時また、電子タイマーのブザーが鳴って――目の前にはYさんがいた。この時が、人生で一番驚いた。黒帯グループを夢見ていたのに、反対に女子グループに入ってしまった。


「お願いしまーす!!」

「……」


礼儀正しい方がYさんだ。自分は無言だった。「なんで、なんで」と心の中で思っていた。当時の感情は覚えてる。ウダウダしていて情けなかった。

Yさんや、ほかの女子との寝技乱取りを回想してみる。当時の乱取りは確か、互いに両ひざをついた姿勢スタートだ。Yさんはフツーに力が強かった。筋肉がある。男子と比べても劣らない。

で、ぐいぐいと畳に引き込まれて、コロッと転がされた。脇の下にサッと手を入れられて、そのまま横四方固めになった。こんなにあっさり決められたのは、言い訳になるがショックを受けていたからだ。

Yさんの身体越しに真上を見ると、さっきの工業高校先生こちらを観ていた。恥ずかしい気分になった。黒帯グループに入りたかったのに、とまだ未練がましく思っていた。先生が「Y。ええぞ、逃がすな」と言っていた。

その瞬間、自分は空いていた右手でYさんの黒帯の後ろを掴んだ。左手の肘を同じく太ももに押し当てて、ブリッジをした。すると、Yさんの体がきれいにひっくり返って、そのまま横四方固めをやり返す格好になった。


「あぁーーーーーもーーーーーッ!!!!」


今でも覚えてる。Yさんは本当に叫んだのだ。横四方で抑え込まれたまま、わっせわっせと両手を互いの身体の間に挟んで、腹ばいに転がろうとするのだが、当時の自分体重は65kgあった。女子の力で動かすのは困難だった。

しかし、女子を横四方固めで抑えると、両者の身体の間に空間ができることがある。Yさんの場合特にそうだった。Yさんの顧問先生も、ずっとこっちを見ていた。


「Y、あと10しかない、逃れろ!!」


先生の声が聞こえてきた。

Yさんの抵抗が激しくなって、指先を顔にぶつけてきて痛かった。人差し指が唇にぶつかって、「いてっ」と叫んだところで、ぐるりと転がって脱出された。

また、寝姿勢のまま組み合ったところで、Yさんが自ら背中をついて(いわゆるグラウンドポジション)、こっちを引き込もうとして、もちろん抵抗して――終了のブザーが鳴った。


「うん。次はこっちじゃ」


連れて行かれた先には、ほかの女子がいた。今度は白帯の子だ。小柄だった。自分と同じ市の中学一年生だった。

電子ブザーが鳴ると、両ひざを立てて組み合ったのだが、Yさんに比べると力がない。組んだ感じだと、その子体重は40~45kgだった。指先をひねるくらいの勢いで押すと、真横にコロンと転がった。よいしょっと上に乗って、丁寧に上四方固めになった。

今度は余裕があったから、「両手をお腹のところに入れて」「押して押して、空間を作って回転して~」みたいに教えていた。教えるのはおこがましいかもしれなかったが、でも、その子練習にならないから……と思っていた。

あと、一人か二人の女子寝技乱取りをした。Yさんと同じくらい力のある子はいたけど、本気でやると自分が勝った。男子女子には体力差があるのだ……。その後、白帯グループに帰された。

それから立ち技寝技乱取り最中に、たまに先生方に呼ばれて女子練習相手をした。Yさんという例外を除いて自分が勝つので、ずっと相手の実力に合わせるみたいに柔道をしていた。周りの先生が、その女子リアルタイム指導をするのを聞きながら。


さて。柔道経験者であればわかると思う。

当時は、女子と組まされて悔しい!! と感じたけど、感覚としては間違ってない。今の自分は、柔道を教える人としては約十年目なのだが、あの先生方の気持ち理解できる。あの時、あの場所ではこういう情況があった。


1.強い女子(Yさん)の練習になる相手がいない。男子と手合わせさせたい。

2.手合わせする男子候補

 ①白帯か弱い黒帯であること

 ②Yさんと同じくらいの体格

 ③女子選手性的な目で見ない、セクハラなど論外

 ④女子相手でも手を抜かない

3.白帯グループから2.の傾向がある子を抜いて練習相手にする


こんなところか。要するところ、あの先生からはこういう視線で見られていた。


増田はほどほどに弱い

・体格がそこまで大きくない(164cm,65kg)

 ※Yさんは当時おそらく163cm,55kg前後

性的に疎そう(第二次性徴が遅そう)

柔道の動きが遅い(リアルタイム指導がしやすい)


今では納得している。実際、2.の③④は特に重要だったりする(女子保護者から言われるのだ……)。

よくない人間だと、指導とみせかけて女子選手身体を触るとか、嫌な気分にさせるとか、そういうことが実際にある。一般的寝技練習風景だと、男子女子寝技乱取りをすることになった場合女子の仲間が数人単位乱取りの様子をずっと見ているのが基本だ。「セクハラは見ています」というメッセージを暗に伝えている。

また、練習環境によっては、女子選手が自ら男子選手を捕まえて乱取りをせねばならないことがあるが、女子が捕まえる男子は、概ね2.の条件を満たしている(女子選手人間なので、特定男子大人気で順番待ちということもある)。


合宿のすべての日で、Yさんと乱取りをすることになった。寝技の方はだいぶ慣れた。抑えたり抑え込まれたり、実力は拮抗していた。

立ち技が難しかった。はっきりってYさんの方が強かった。体力では勝っているが、Yさんの方がセンスがある。組み手争い(上手く組めると優位に立てる)について、Yさんは特にこだわるタイプだった。うまく組めなかった場合だと、「ああ、もおっ!!」みたいに怒り出してしまう。男性ホルモンが強いタイプ女子だった。


ところでYさんは、合宿所に自転車で来れるくらいの学校に通っていた。漫画アニメに出てきてもおかしくない学校名だったのを覚えている。それで毎朝早朝、自転車工業高校にやってくる。

当校にとっての合宿最終日の朝、柔道場がある体育棟の軒先でYさんと出くわすことがあって、「おはようございます」と言った。Yさんも「おはよ」と言って、ほかの女子数人と着替えに行った。

三日目もこれまでと同様、白帯グループ女子グループの間を行ったり来たりだった。だが、この日の最後にはなんと、黒帯グループに入ることができた。もちろんコテンパンにされたけど、いい経験になった。

それで、最終日の夕方の部のことだった。この日は、ベテラン講師陣によるストレッチ講座があった。この日だけは、ほかの中学女子は帰らずに参加していた。

講師が二人いて、ほかの生徒らはラフな格好で畳に座って開始を待っていたのだが、そこにYさんが黒いTシャツと、下はジャージ姿で現れた。入口スノコが踏まれた時の音を覚えている。

あの光景は、当時男としては相当初心だった自分でも察せる状況だった。ほかの男子は皆、畳の上を颯爽と歩くYさんを観ていた。一応、いろんな人が読んでる場なのでサクッというけど、物凄い大きさだった。その膨らみが、真っ黒のシャツの中で踊っていた。自分は知っていたけど、柔道着なしのTシャツ越しだとさらに目立っていた。

しかし、当時の自分は関心がなかった。大きいなぁとは思ったが、すぐにどうでもよくなった。畳に視線をやって、ジャンプ漫画ジョジョ(第6部・ストーンオーシャン)のことを考えていた。

性の目覚めが遅いタイプだった。『いちご100%』を読んでも何が面白いのかわからない少年だった。初めて人を好きになったのは21の時だ。遅すぎる。


それで、ストレッチ教室講師説明を始めて、いろいろ体を動かして、いろんな部位がグキグキッとなって、1時間も経つ頃には終わって……うちの中学解散ということになった。顧問先生と一緒に、最後工業高校柔道部員みんなに礼をして、さあ帰ろうかというタイミングだった。

柔道入口スノコの前まで行ったところで、Yさんやほかの中学女子が屯していた。Yさんがこっちを見ていた。声をかけようか迷ったけど、けっきょく声をかけた。あまり知らない異性に声をかけたのは、おそらくこの時が初めてだ。


「お、これはYさんではないですか。お疲れ様です!!」

「お疲れさま」

「修業になってよかったね」

「うち、今日で終わりじゃないよ。最終日まで。あと二日あるんよ」

「Yさんは近所の学校なん?」

「うん」

「俺は尾道

「うん。知ってる」

「県大会で会ったら声かけるね」

「うん」

絶対だぞ」

あん白帯で出れるん?笑」

「……頑張る」

「多分もう会えんよ」

「うん、そうかも」

「どうやって帰るん?先生の車?」

福山駅まで歩く。親戚の家まで電車

「うちも歩くんよ。福山駅まで」


この日の夜、家族が泊まってる親戚の家に合流することになっていた。家族柔道合宿に合わせてくれたんだと今では思ってる。親戚の家の最寄り駅まで、誰かが迎えにくる予定だった。

この時、Yさんに「じゃあ一緒に帰ろうよ」と提案した。

同じ中学柔道部員は外に出ていたが、顧問先生こちらを見ていた。「ほかのみんなは先生の車じゃけえ。暗いから気を付けるように」と言って、スノコを踏んで体育棟の出口に歩いて行った。それから自分も、Yさんと一緒に工業高校を出た。

Yさんと駅まで一緒に帰る途中、いろいろ話はしたけど内容はよく覚えてない。柔道の話ばかりだったのは覚えてる。冗談で、Yさんにお腹のぜい肉を触られたっけ。最後メアドを交換する話になったが、当時は携帯電話を持ってなかった。

あっという間に福山駅に着いて、Yさんと手を振って別れて(またね、とお互いに言ってた)、福塩線電車に乗って、親戚の家の近くの駅で降りると、叔父さんと叔母さんが迎えに来ていた。


それから、Yさんと話すことはなかった。県大会の会場でも、中国大会の会場でも、お互いに姿を認めることはあったけど、別に話をすることはなかった。目は何度も合ったのだけど、こっちは試合前でピリピリしてるし、Yさんもそうだと思うと話しかけづらかった。

それで、高校になるとYさんを見かけることはなくなった。Yさんとの思い出は終わったのだ。



冒頭に戻る。

偶然、Yさんと居酒屋で再会して話が盛り上がった。確か、こんな感じのことを話した。


・Yさんは遠くの高校へ進学し、大学まで柔道をしていたこ

自分は今でも柔道をしていて、先日四段を取ったこ

・お互いに1回離婚をしていること

・お互いにあまり変わっていないこと

・Yさんの子供も柔道をしていること

・二人とも同じ市内に住んでいること


最後電話番号を交換した。Yさんと話ができて一番よかったのは、当時の感情脳裏に浮かんできたことだ。中学二年生の時の思い出が蘇るって、あんなにしみじみとした気分になるんだな。

自分気持ちを吐き出すことができてよかった。また明日からは一読者だ。面白い日記があることを期待して土日を過ごしたい。

23/4/4 追記

書こうかどうか最後まで迷いましたが、私の再婚相手がYさんです。

2023-03-25

anond:20230325135445

n-styles 最初この事件を知ったとき被告側の意見をみてたからせん妄なのに訴えるのはおかしいと思ったけど、情況証拠が揃ってる上にせん妄と決め付ける根拠が薄くて今は「せん妄だと決めつけるのはおかしい」と感じてる。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.livedoor.com/article/detail/16326830/

2023-01-31

anond:20230131100155

太平洋戦争の開戦前に行われた日本側の軍事シミュレーションでは、

「当初はいくつかの戦闘勝利するが、中長期的には国力の差で必敗」

という結果が予想されていた

しかし生かされることはなかった

総力戦研究所 - Wikipedia

模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所から出される想定情況課題に応じて軍事外交経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。

2023-01-14

草津町長、台湾はいまだにレイプしたことになっている

記事検索してみました

厭女之湯爭議 指控町長性侵 日本議員反遭92%選民罷免

https://newtalk.tw/news/view/2020-12-10/506714

日本草津町唯一女議員自爆遭性侵 竟被議會除名公投罷免

https://www.mirrormedia.mg/story/20201209web005/

https://youtube.com/watch?v=5XTQZiAvE7Y&feature=shares

動画もある(ちょっとだけど)

報道が2020年12月10日で止まっているので更新されていない。

一つだけ見てみる。かなり長いしまとまっている。日本語のソースもある。

石川カオリというのは日本語のペンネームで、本名はチャン・ユーチェ

フェミニストがやったことは極めて罪が大きい。

朝日新聞毎日新聞世界中ブログに対して自分たち記事は間違っていたことを言わなければずっとこのように嘘がまかりとおってしまう。

「再也不去草津溫泉」,從町長涉嫌性侵・性騷擾女議員而起的厭女風波

「再也不去草津溫泉」,從町長涉嫌性侵・性騷擾女議員而起的厭女風波

張郁婕(CHANG, Yu-Chieh)

發佈於石川カオリ日本時事まとめ翻譯。

2020/12/07

閱讀時間約 6 分鐘

草津溫泉聞名的群馬草津町,昨日(6)地方町議罷免公投結果出爐,草津町有史以來第一位女性議員確定遭罷免

隨著這場已經為期一年地方議員攻防戰又再一次劃下一個逗點,草津溫泉曝光率大增。有不少網友表示再也不想去草津溫泉觀光,表明再也不去草津溫泉的hashtag #草津温泉には行かない 在 7號上午一度衝上日本推特流行趨勢,更有媒體形容現在草津溫泉根本就是「厭女之湯」。

到底草津溫泉這一年來發生了什麼事?

photo by 浩之 梶 via Pixabay

草津町議會史上第一位議員

2011年出身群馬桐生市新井祥子當選草津町議會的議員新井祥子是草津町議會有史以來首位女性議員,更連任過一次。

去年(2019)11月新井祥出版電子書籍,並在書中表示是自己曾在町長室裡和町長黑岩信忠發生性關係。新井祥子在 11月29日的記者會上表示,自己2015年1月8日前往町長室時遭到町長強暴。新井祥子說,今天她之所以會把這件事情寫在電子書裡,是因為草津町警察和媒體都在町長的掌握之下,所以她才選擇用這種方式將這件事情公諸於世,並強調自己所寫的內容都是真的,之後在法庭上一定能證明這些內容都真的。

這裡所說的法庭,指的是黑岩信忠町長新井祥子損害名譽的民事訴訟,目前訴訟還在進行中。

不信任案提案失敗,提案議員遭懲處

就在新井祥子召開記者會後過了幾天,新井祥子和另一名草町議中澤康治在 12月2日向黑岩信忠町長提出不信任案。但該不信任案只有提案的 2人贊成,其餘 9名議員都反對,該不信任案遭到否決。同一天,草津町議會以「傷害到議會的品格」為由,在只有 12人的草津町議會以超過 4分之3門檻的 10同意票,在 12月2日將新井祥子從議會中除名。至於和新井祥子一起向町長提出不信任案的中澤康治,則在 12月6日的町議會上遭到「陳謝處分」——中澤康治被迫要在議會上為自己說了「不符合事實」的發言道歉。

對於除名處份不服的新井祥子,向群馬知事山本一太申請審查。群馬縣先在 1210日做出假處分,要求草津町群馬縣審查結果出爐之前,必須要立刻恢復新井祥子的席次,否則會侵害新井祥子支持者的參政權。群馬縣接著在今年 8月群馬正式取消新井祥子的除名處分,讓新井祥恢復草津町議員身份。

政府才剛取消處份,町議會就發起連署

然而,這起事件並沒有因此結束。在群馬縣取消新井祥子的除名處分後,草津町議會議長黑岩卓連同其他町議員立刻組成要求新井祥子解職之會」,表明草津町議員不能接受群馬縣取消了新井祥子除名處分的決定,要求草津町民們一起來罷免新井祥子。罷免理由是,不能接受新井祥子在議會上說自己町長町長室發生肉體關係,這已經重創草津溫泉的品牌形象,不應該再繼續支付新井祥議員薪資。

這起罷免案在今年 9月初達到罷免門檻,以草津町議會議長黑岩卓為首的罷免案獲得超過選舉人名簿 3分之1以上的 3,180人連署。將在 12月6日正式舉行罷免公投。

罷免公投通過,新井祥子即刻遭解職

罷免投開票結果, 2,542票贊成、208票反對,贊成票超過有效票半數以上,新井祥子即刻遭解職。投票率 53.66%(投票權人共 5,283人)。

值得注意的是,罷免案的連署共有 3,317人連署(有效連署書只有 3,180份),但實際出來投票的人只有 2,750人。也就是說,有不少民眾有連署罷免,但卻沒有真的出來投票。這次罷免案的投票率雖然有 53.66%,但相較於去年 4月草津町議員選舉的投票率高達 69.49%,這次的投票率不算高。

根據草津町選舉管理委員會,12席的町議會在 11月26日時有一名議員過世,再加上這次新井祥子遭罷免,目前草津町議會只有 10議員缺 2席。如果又少 1席次的話,才會舉辦町議補選

訴諸情感缺乏理性判斷的罷免

面對這次的罷免案結果,新井祥子表示這樣由町議員主導的罷免公投是否真的反映民意感到質疑,不排除申請異議。新井祥子也提到,她認為像町長町議會這樣以自己地方勢力要求町民配合的公投案,才是重創草津町草津溫泉品牌的因素。

擅長地方自治論的高崎經濟大學岩崎忠也質疑,這次針對新井祥子的罷免案是以「品格」、「倫理」為訴求,認為新井祥子沒有續任町議員的「品格」。但有沒有符合町議員的「品格」這種事情很難用「贊成」和「反對」來判斷,到頭來這樣的公投只會陷入情感論,感情用事,而非理性的投票

男性為首的「村社會」

網路媒體《HARBOR BUSINESS》就指出,這次罷免案最大的問題在於,新井祥子和町長黑岩信忠的性侵案還在調查與訴訟進行階段,在這種情況下,由議會長主導公投罷免案,現在新井祥罷免掉了,萬一之後訴訟結果,真的認定町長黑岩信忠性侵新井祥子,該怎麼辦?

再者,地方公投這種事情是訴諸民意沒有錯,但官方應該要確保中立的立場,才能將民眾可以公正客觀的判斷。但這次的情況是,町議會在草津町大公空間都貼滿了「罷免新井議員!」的海報,相當於讓所有來到草津溫泉觀光的民眾,來到草津溫泉第一眼看到的不是「歡迎光臨草津溫泉」而是「恢復草津溫泉的驕傲與信賴,罷免新井議員!」,在公共空間只能看到官方強制推行的單一立場,沒有辦法看到另一派聲音,這樣就已經失去了公投的公平性

此外,面對新井祥子這樣說出自己被性侵經驗的受害者,町議會沒有保護當事人就算了,還這樣大大方方地在草津溫泉的公共空間裡貼滿了「罷免新井議員!」的海報,根本就是在和社會大眾說草津溫泉就是個「厭女之湯」。《HARBOR BUSINESS》總結到,這次一連串的事件就是以町為單位的霸凌事件,也讓大家再次看到鄉下地方封閉的「村社會」壓力與以男性為首的厭女風氣。

參考資料

1.草津町議の解職問う住民投票「賛成」過半数占め議員失職

2.群馬草津町議のリコール成立、即日失職 言動巡り「議会品位」問われ

3.失職町議告白真実裁判で明らかに政治活動継続

4.群馬草津町リコール住民投票感情論に陥る恐れ」高崎経済大・岩崎教授

5.「セクハラ告発町議解職請求へ 除名処分取り消しで

6.「セクハラ」訴えの前草津町議、県が除名処分を一時停止

7.「町長性的関係強要告白女性町議を除名処分 草津町議会議会信用失墜させた」

8.群馬草津町の「町議リコール住民投票はらむ、性被害事実以前の大きな問題

1.はNHK記事(削除済み)

あとは毎日新聞朝日新聞

2022-12-29

飯塚事件冤罪」という左翼的陰謀論について

日本マスコミ事実よりも政権批難を優先する、という話がこの前話題になってたけど、「飯塚事件冤罪」って言説はまさにそれなんだよね。

飯塚事件証拠構造がどうなってるかっていうと、簡単にいえば被告人犯人可能性を単体で99.9%レベルに高める情況証拠が多数あるから被告人犯人可能性は99.9999999999999999999999%だ、よって有罪、っていうものなんだよね。ちなみにこの数値は特に誇張したつもりはない。

「多数の情況証拠」を列挙すると、


① 被告人の車と同様の特徴がある車が誘拐時刻・誘拐現場で目撃されている (近隣の同車種を持っている人は被告人の行ったカスタムをしていなかったし、そもそも全員アリバイがあった)

② 同様の車が死体発見現場の山林で駐車していることも目撃されていて、この信用度はとても高い (目撃者は山林状況検査中で警戒心が高く、しかも目撃翌日に同僚に「報道では白い車って言ってるけど、~~で~~な車(被告人の車と一致)なら駐車してたなあ」と雑談で言っていて、その道の車通りはとても少ない)

③ 被告人の車の繊維片が被害者衣服から検出 (同時期に製造された同車種でしか使われていない繊維)

④ 犯人は陰茎から出血していたが、まさしく被告人は包皮から出血する症状があった (被害者の腟内に犯人の血痕があるが、膣外には犯人の血痕がなかった)

⑤ 被告人の車に大量の血痕と尿痕が存在した (被告人はその車を念入りに洗浄していた)

⑥ ④⑤の血痕・尿痕は、被告人被害者DNA血液型とすべて一致している (それぞれの検査精度は266人に1人だったり、2万3000人に1人だったりとまちまちだが、不一致は一つもない)


って感じ。まあここまで証拠積み上げたらさすがに担当した裁判官すべてが有罪としたのも分かるわな。中にはテレビ番組では触れてない情況証拠複数あるけど。詳しく知りたかったら第2審の判決文読んでね。


じゃあなんでこの事件マスコミは無理な報道してまで冤罪扱いするのかっていうと、やっぱ冒頭で書いた「事実を優先しない」ってのが大きいと思うんだよな。「冤罪死刑になった可能性がある」なんて、政権公務員に対してはかなりの攻撃力があるじゃん。批難できるならそれを優先する、ってのは動機として納得がいくと個人的には思う。


それに冤罪ってことにしたほうがキャッチーだしね。「被告人冤罪主張してるけど、普通に犯人だろ」なんて報道ぶっちゃけ見たいと思わんでしょ。俺も見たくない。でもまあ「マスコミ冤罪主張しているけど、普通に犯人だろ」って報道されたら結構面白いと思う。マスコミマスコミの構図発生すると正直面白いよね。どこかやらんかな。

2022-09-11

anond:20220910050606

露骨な性描写増やしてくれて草 

もっと増やしてくださいオナシャス 

  

あと質問なんけどバックがイイのは情況的に興奮するってのが大きいの? 

ウチの嫁は特に挿入が気持ちいいとかないみたいなんだけど

立ちバックしたときだけは「深い~」とか気持ちよさそうな声出したのよ 

普段自分から体動かさないのにその時は自分から立ち上がって「して」って言ったんだよね 

こっちも根元まで入る感じは好きなんだけどそれ以来ないんだよね

移動範囲が大きくないか

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